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蛇12年 趙燕軍→蛮国12番領攻略戦

☯時代背景

蛇11年まで、蛮国は大蛇国と交戦していた。このまま交戦が続くと思われた両国であったが、蛇12年は各国国力が低下したことで、交戦することは無かった。

しかし、ここで北の大国趙燕国が動いた。昨年筆頭将軍の屯諒銀大将軍を失った蛮国領に侵攻を始めたのだ。大蛇国は列国の中で初の軍神格の武将が台頭することで、その武威を示せた結果となった。

実際筆頭将軍の屯諒銀、その前には馬豹を失っている蛮国にとっては、厳しい物があったが、第二将の相高大将軍を総大将に立て趙燕国の侵攻に立ち向かった。筆頭将軍の南郷政君は今回副将を務めた。

一方、趙燕国は筆頭将軍の白蓮大将軍を総大将に、袁仁大将軍を副将に立てるいつもの布陣で出兵した。

蛇12年の侵攻先を以下の地図に示す。

戦国n雄 蛇年12年 出陣図

☯1日目

先に侵攻した趙燕軍を紹介する。

・総大将:白蓮大将軍 (15)
・副将:袁仁大将軍 (14)
・第一軍長:廉破大将軍 (13)
・第二軍長:公孫覇将軍 (10)
・第三軍長:韓満将軍 (10)
以下、将軍5名、将校14名
総勢24将で構成される。

次に防衛する蛮軍を紹介する。

・総大将:相高大将軍 (15)
・副将:南郷政君大将軍 (15)
・第一軍長:趙偉龍大将軍 (14)
・第二軍長:厳介大将軍 (14)
・第三軍長:片韓大将軍 (14)
以下、大将軍9名、将軍12名、将校6名
総勢32将で構成される。

趙燕国は筆頭将軍の白蓮大将軍を総大将に任命し、蛮国12番領、高明の地を攻めた。しかし、趙燕国は国内に十分な戦力がありつつも、国内に余力を残した状態で出陣した。つまり、いくらでも援軍を派遣することができる状態であった。

これに対し、蛮軍も新しく第二将に就任した相高大将軍を総大将に任命し、これを迎え撃った。

今回の蛮軍総大将を務める相高は破竹の勢いで国内順位を高めて、列国に名を馳せていた。蛇元年に将校の末端として登用されて、12年をかけてなんと国内第二将にまで昇格を果たした。つまり筆頭将軍の南郷政君と同期である。

以下、当時の布陣図である。

蛇12年 趙燕軍→蛮国番12番領 1日目 ①

相高が総大将を務める戦を経験していない為、白蓮は慎重になった。正攻法を取り、最前線に出てきている蛮軍第二、第三軍を迎撃した。

これを受け、蛮軍で動いたのは副将かつ蛮軍筆頭将軍の南郷政君であった。

わずかに開いた総大将白蓮の元に向け突撃の号令を発した。

南郷政君は白蓮軍の末端将校、袁勝を一太刀で葬った。

袁勝は末端将校といえ、趙燕軍副将の袁仁大将軍の長男であった為、袁仁は激情に飲まれた。

明らかに趙燕軍の体制が崩れた兆しがみえたので、すかさず蛮軍第三軍が動き、暴走し前に出てきた袁仁軍をも削り取った。

開戦初日より相高の力量を測ることができた一日となった。

蛇12年 趙燕軍→蛮国番12番領 1日目 ②

☯2日目

初日の将校討ち死にを白蓮大将軍は重く受け止めた。

しかし、長男を失い怒りに満ちた副将袁仁はこの慎重姿勢を受け止めず、一人猛攻に出た。

この趙燕軍の慎重姿勢に転じた動静も相高は敏感に察して、大きく布陣を動かした。

以下、当時の布陣図である。

蛇12年 趙燕軍→蛮国番12番領 2日目 ②

この日最も犠牲が出たのは趙燕軍であった。それもかなりの数である。

まずは正面に対峙した南郷政君と韓満だったが、またもや一太刀で韓満は討ち取られてしまった。昨日討たれた袁勝は末端の将校であった為、実力差は歴然であったが、韓満は将軍格の中でも最高位であった。

それでも双方の力量の差があるとは言え、趙燕軍は開戦二日目でなんと軍長の一角を失ってしまった。

そしてなんと、第三軍に属していた将校袁章までも南郷軍在籍の琉之西大将軍により討たれてしまった。

彼は袁仁の次男で、袁仁はなおさら怒り立った。今回の戦で初日と立て続けに息子を2人も失ってしまった。

相高による作戦は一度崩壊した軍を徹底的にたたくことで、着実に軍力を下げる事にあった。

以下、当時の布陣図である。

蛇12年 趙燕軍→蛮国番12番領 2日目 ③

いよいよ袁仁が動いた。
蛮軍の布陣で守りの薄い点を突いて、総大将の手前まで迫った。

これは奇襲が成功したと笑ったが、これまた罠であった。

蛮軍第三軍は転換し、袁仁軍を実質包囲することになり、さすがに焦りの顔を見せた。

以下、当時の布陣図である。

蛇12年 趙燕軍→蛮国番12番領 2日目 ④

副将の袁仁を逃がすために、多くの将が身を挺し討たれていった。

趙燕軍の最有力将軍に名を連ねている岳苑将軍をはじめとして、この罠に絡めとられしまった。

開戦2日目終わりまで、趙燕軍は完全に蛮軍の勢いに飲まれていて、この日だけでなんと将軍2名、将校4名を失ってしまった。

☯3日目

罠にかかった袁仁はこの日後方予備隊に下げられた。

これに代わり、第一、三軍を前線に出したものの、趙燕軍は本格的に慎重姿勢になった。犠牲数があまりに多かったからだ。

一方、蛮軍もなぜかこの日強く攻める事はしなかった為、両軍緩やかな戦況となった。

変わらず両軍の総大将同士は前線に出る事はなく、この日は着実に小競り合いを繰り広げた。

しかし、軍の規模からいっても小競り合いでも両軍末端将校の犠牲はもちろん伴う。

趙燕軍は2名の将校、蛮軍は1名の将軍を失ってしまった。

以下、当時の布陣図である。

蛇12年 趙燕軍→蛮国番12番領 3日目 ①

☯4日目

3日目に立て直した、趙燕軍はこれ以上蛮軍に攻められたら総崩れになる為、決めにかかった。

頭を冷やした副将袁仁もこの日は前線に出た。

昨日とは打って変わって攻撃陣形になる趙燕軍に対して、蛮軍も呼応するように展開した。明らかに蛮軍は敵軍の動きに同調して軍を展開していた。

中でも蛮軍は左翼に軍を集中させた。

以下、当時の布陣図である。

蛇12年 趙燕軍→蛮国番12番領 4日目 ①

防御を厚くした蛮軍を察知し、趙燕軍はまず蛮軍左翼から丁寧に叩くことにした。

この日、白蓮総大将自らも最前線に出ていた。
流石は本軍なだけあって、蛮軍に甚大な被害をもたらすことができた。

蛮軍も応戦する構えで、片韓が少し前進する形で公孫覇を囲い込んだ。

このため公孫覇軍は苦戦したが、副官の左京大夫将軍は勇猛であった。

しかし、趙偉龍軍在籍の将軍である貂貝は昨日、趙燕軍将軍を一人討ったが、なんとこの日も、左京大夫を討ってしまった。

この隙を突いて、公孫覇の元にも蛮将、嬰瑠偉が迫り討ち取ってしまった。

副官と指揮官の公孫覇が同時に討たれてしまったため、趙燕軍第三軍は総崩れになってしまった。

白蓮軍も奮闘したが、将校を一人討っただけであった。
しかし、彼はなんと蛮軍筆頭将軍、南郷政君の子息であった為、南郷は激怒した。

ここで、夕暮れが来てしまった。趙燕国から使者がやってきて趙燕軍に撤退の指令を下した。

これにより蛮軍の勝利が確定した。

蛮軍戦勝

以下、戦闘ログの詳細です。

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