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インドの施設で目の前で亡くなったおじいさんが教えてくれたこと

遡ること約6年前。

バックパックを背負ってインドへ一人旅に出た。

看護師を退職してからは仕事のプレッシャーやら人間関係から解放されて心も体も軽くなり、ストレスってこんなにも人の体を左右するんだとびっくりしたのを今でも覚えている。

中国で乗り換えてインド行きの飛行機に乗る便だったが、初めての一人旅だったのもあり無事に辿り着くことができるかドキドキだった。

気晴らしに機内でタイタニックの映画を観て号泣していたら、キャビンアテンダントさんが憂げな目をして微笑みながら私をみていた。

きっと傷心旅行だと思われていたのだろう。笑

乗り継ぎも無事にできてインドという国に降り立った。

滞在先はサンタナという日本人バックパッカー向けの宿だ。

そこでできた友人と一緒にマザーテレサが活動していた施設でのボランティアの登録をして施設でのお手伝いをはじめた。

いくつかボランティアができる施設があったが、看護師の免許を持っていたこともあり、カーリーガート(死を待つ人の家)という身寄りがない方が生活する最期を迎えるための療養施設を中心に通った。

そこには一見、とても元気そうに見える方もいたり、ずっと寝たきりの状態の方、トイレへの誘導や食事の介助が必要な方もいたりと様々な背景を持つ方々が生活をしていた。

日本でいう看護職の役割をするのは施設では"シスター"と呼ばれている。

糖尿病によりインスリン注射が必要な方の処置や事故にあった方の傷口の処置、シーツ交換、体位変換、療養されている方々とのコミュニケーション、食事やトイレの介助などなど役割は様々だ。

ボランティアは洗濯や食事の介助、食器洗い、ベッドへの誘導や、シーツのセットなどの仕事をメインに療養されている方々とコミュニケーションを図るなどの役割がある。

活動の後半はシスターと一緒に傷口がパックリと割れた方の消毒と保護を行っていたが、日本のように一処置につき毎回消毒を行うことはない。その場にあるものでベストを尽くすのが彼女たちの大切な役割だ。

少し感情的になりやすいシスターもいたが、とても穏やかで温かな手を持った方ばかりだった。

***

とある日のこと。

いつも通り施設でお手伝いをしていたところ、シスターに急に「ナース!ナース!早く来て!」と呼ばれた。

急いで向かうと、目が座ったまま今にも眠ってしまいそうなおじいさんが静かに座っていた。

脈を数えると、トク、トク、トック・・・・トック・・・・・

・・・・・。

脈が触れなくなった。

シスターの方を見ると彼女は顔を横に振った。

ただ椅子に腰掛けてうとうと眠っているかのようにおじいさんはその日息を引き取った。

突然の出来事だったので言葉が出ない。

おじいさんは目が開いたままだったので、左腕で体を支えながらそっと両目を右手を使って閉じさせてもらった。

この施設では人生の最期を迎える時、病院で行われるような心肺蘇生などの救命措置は行わない。

ただ静かにその方の死を見守るのだ。

その後おじいさんは白い布に包まれて頭と足を縛られて別の場所へ埋葬されるために運ばれていった。

はじめての体験で当時は感情の整理がつかなかったが、このおじいさんの死が人生の最期にどう生きたいかということについて考えていくきっかけになった。

人生の最期の時を想定して最期を迎える上での望みを考えることは、自分がどう生きたいかを改めて振り返る時間に繋がるためとても大事な時間だ。

例えばエンディングノートは高齢の方が書くイメージが大きいかもしれないが、健康な若い年齢のうちから簡単にでも良いので最期を想定した記録を残す時間を持つことも自分の人生をどう生きるかを考えていく上でヒントになると思う。

誰にでもいつか最期の日が訪れるという事実があることは避けられない。

毎日のように明日死ぬかもしれないと思って生き続けるのはしんどいけれど、たまに振り返る時間を定期的に作っていこうと思う。

もし自分に残された時間がわずかだとしたらどんな生き様でありたいか、それが今を大事に生きることに繋がっていると信じたい。

大事なことを教えてくれたおじいさんに感謝です。

今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。




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