綿帽子 第十七話
「愛しきグレープフルーツ王よ」
ごめんなさい貴方を嫌いになった訳ではありません。
ただ、毎日顔を見ていると何と言うか倦怠期とでも言いますか、長年連れ添ったご夫婦でも一度は経験するというそれです。
もっとはっきりと言いますと、飽きました貴方に。
「うわ〜こんな事言われたら立ち直れないわ」
最近の俺はこうやってグレープフルーツをネタにしたり、色々と妄想を膨らませては時間を潰している。
暇といえば暇。
生きている時間をこんなことに使っていて良いのかと思ったりもするが、今は仕方がないな。
「飽きました貴方には」
こんなこと現実世界で言われたことはないのだが、言われたらショックだろうな。
もしかして、言われるだけマシなのか?
好きな人がいなかったわけではない。
思い切って打ち明けてみれば良かったのかもしれない。
相手のことを考え過ぎて、言ってみなければどちらに転がるのかも分からないのに、その勇気がなかっただけなのかもしれない。
自分が傷つくのが怖いわけではない。
よく自信なさそうに見えると言われるが、自信なんてあるはずもない。
自信がないから傷つくのが怖いわけではない。
好きになった相手の負担になりたくないって思いが強すぎるのかもしれない。
それでいて、いつも誰かを探してる俺は矛盾でしかない。
探して、探して、探し続けたけれど見つからないのだ。
そして、横道に逸れるか何もない日々を送る。
その繰り返しだ。
いい加減おっさんになってるのに、運命の出会いって本当にあるのかな?と、そんなこと考える時もある。
だけど、これだけはハッキリと言える。
「入院している間に、看護師さんとの何かしらはない」
そう、看護師さんとの間に何か起こったりすることはない。
看護師さんとのラブなんてドラマや映画の世界の中だけで展開されるものであって、100%ないとは言い切れないが
「あるとすればそいつは人生の運の半分はそれだけで使っちまってる!」
相手の本質だけを見てくれる女子なんてこの世にいたら奇跡に等しい。
「お仕事何されてますか?」
と尋ねられて
「現在無職です」
と答えた瞬間からほとんどの女子には表情に変化が現れる。
男子ならもっと露骨かも知れない。
結婚して子供を産んで育てるために必要な条件反射スキルの発動なのかも知れないが
「この人働いてないんだ」
て顔を見る度に心が削れてゆくものなんだよ。
稀にいる奇跡の女子を見つけろと誰かが言ってくれたとしても、奇跡なんだからそうそう起こるわけがないのだ。
結論。
「看護師さんとの何かしらはあり得ない」
ちょっと変化した。
脳というのはイメージしていくことで近未来の自分を作り出すことができる臓器であって、一度イメージしたものを具現化しやすくプログラムしていく働きがあるのだと思う。
ということは、過去入院していた時にインプットされた看護師さん達の行動や、自分が見聞してきた女性像が頭の中でミックスされることによって、ある種の先入観が生まれる。
先入観というのは記憶に強く残ったことが主体となって形成されやすい。
人間というのは上手く過去の記憶と付き合って生きていかないと、未来永劫過去の統治下に置かれてゆくのではないだろうか。
過去に置いて入院中の自分は看護師さんとの何かしらはなかった。
それから外に出てから出会った女性は現実的な女性ばかりだった。
本当は世の中にもその人の本質だけ見てくれるような奇特な女性もいたのだろうが、自分は出会っていない。
そこに益々働けなくなっていった自分がいて、潜在意識に上書きされる。
アウトプットされる時には先入観というものとして弾き出される。
だから看護師さんとの何かしらはあり得ない。
「果たしてそうなのか?」
いや、
「思い込みの上書きなのだ!」
入院中はとにかくやることがない。
だから普段以上に妄想と期待値が高まるのだ。
そして期待値の高まりと相反するように現実は非現実化はしない。
期待値の高まり=目論見
目論んでいるんだから、期待しているだけ
相手の都合ではなく=自分の都合
人は自分の都合通りには動かない
「だからだ!」
とはいえ代わり映えしない毎日を変えることができるのは自分だけだ。
今の自分を作っているのは過去の自分なのだ。
俺は今回の入院を経て考えが少し変わってきた。
今はまだ看護師さんや医療スタッフの皆さんにお世話にならなければ何もできないけど、ここで命が助かれば今まで以上に時間というものを大切にすることができる。
今までもずっとそう思って生きてきたが、時間の大切さというのは死にかけて初めて深く実感するものなのだ。
俺は二度目だから一回余分に経験したくらいに思っておけばいい。
ただ、それは人生にそう何度も要らない。
一つだけ断言できることがある。
「命ってのは一人で繋ぎ止めていけるものではない」
人と人との繋がりがあって初めて継続できるものなんだ。
世の中には、自分以外の命を軽視する人もいるかもしれない。
中には、自分の命さえそう思って生きてる人もいるかもしれない。
しかし、もっともっと、例え一秒でも長く生きたいと望んでも、その願いが叶うことがなく旅立って行った人達のことを思えば、自分は強く生きなければならないと思うのだ。
この想いだけが、俺をなんとか自分の足で立たせてくれている。
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