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<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版

 <日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版

第15次灯台旅 四国編 

2022年11月12.13.14.15.16.17.18.19.20日

#4 二日目(3) 2022-11-13(日)

<道の駅きらら館>車中泊

海沿いの<ゆうやけこやけライン>をさらに行くと、道は海からそれて山の中に入る。ナビに従って、ほぼ道なりにかなり走る。下り坂になり、あきらかに、また海の方へ下りている。<八幡浜>に向かっているわけで、数日後の車中泊地<道の駅八幡浜>を下見しようというわけだ。

視界が開けて、目の前にT字路だ。案内標識には、右は<三崎港>左は<八幡浜>。当然左だね。少し行くと、道はさらに広くなり、市街地にはいる。目の前に、高速道路が山にかかっている。大きな交差点を右折して、さらににぎやかな市街地に入る。

人の姿が、そこかしこにあり、にぎわっている。大きな町だ。これは予想外だった。なにしろ、いま居る所は、四国の西の端で<八幡浜>などという地名は、これまでに聞いたことも見たこともない。それに、<八幡浜>を<やわたはま>と読むのか<はちまんはま>と読むのかさえ、よくわからない。

ナビに従って直進すると、おそらく<八幡浜>の中心地だろう、市役所や大きなビルが立ち並んでいる。お目当ての道の駅は、港の近くにあるらしく、さらに行くと、あれ~、なんだか行き止まりっぽい。交通整理の男性がいて、止められてしまった。どうやら、道の駅が、何かのフェスティバル会場になっていて、車は立ち入り禁止らしい。首を伸ばして、駐車場の方を見ると、大きなテントがたくさん立っていた。

指示に従って、Uターンして、いま来た道を戻った。B級グルメのお祭りのようで、どおりで人が多いはずだ。間が悪いとはこのことだ。とはいえ、これで今日の予定はすべて消化したことになる。この後は、二日目の車中泊地、佐田岬半島の中ほどにある<道の駅 きらら館>へ行くだけだ。先ほどのT字路を、今度は直進して、<三崎港>方面へと向かった。

いきなりの登り坂、だが、道が広いので問題ない。すぐにトンネル。暗いうえに対面通行だ。トンネルと抜けると、今度は急な下り坂。要するに、字義通り、ひと山越えたわけだ。平場になり、視界が開けた。左手にガソリンスタンドがあり、その先を左折だ。コンビニに寄って、今日、明日の食料を調達しよう。なにしろ、ここが、四十キロほど続く佐田岬半島最後のコンビニなのだ。

コンビニでは、菓子パンやおにぎり、それと唐揚げ弁当を買って、駐車場で食した。腹が減っていたせいか、わりとうまかった。<伊方町>の市街地らしく、三々五々、コンビニに客が来る。

そういえば、配送トラックの太った運転手が、なにかぶつぶつ言いながら、商品を店の中に運び入れていた。若い奴だったが、何か不満があるんだろう。仕事ぶりが乱雑で、バタンバタン、大きな音を立てていた。

さてと、行くか。また山道を登った。<佐田岬メロディーライン>とかいって、音楽が聞こえる道らしいが、それらしきものは聞こえない。当たり前だ、車内で音楽を流してるんだからね。音量を絞った。路面に、ところどころ、横線が何十本か見える。その上を通過するときに、まあ~、たしかに何かメロディーらしきものが一瞬聞こえる。これは、いったい何の唄だったか、とっさには思い出せなかった。

<道の駅 きらら館>に到着したのは<15:30>頃だった。約1000キロの道のり、高速料金は¥14000ほどだった。目的地の<佐田岬灯台>は、ここから30キロくらい先にあり、明日早朝、日が昇ったら出発するつもりだ。まあ~それよりも、今晩はここで車中泊だ。

さほど広くない駐車場には、なぜか、車がたくさん止まっていた。右手には、一見して、道の駅の建物らしくない構造物が立っている。回廊をめぐらした、平べったい円筒形が一階で、その上に、縦長の円筒形がのっかっている。縁取りがオレンジ色だ。入口付近には何人も人が立っていて、出入りが激しい。幟がそこかしこに立っているのは、何か催し物でもやっているのだろうか。

カメラを一台手にして、外に出た。施設の方へは行かないで、まずは、崖際の柵の前に立った。眼下に<伊方原発>が見える。淡い緑色のツートンカラーで、丸っこい形だ。<原発>の見返りとして、ここに道の駅ができたのだろうか?名前の<きらら館>というのも、イメージが<原発>に結びつく。もっとも、当初から事故続きで、一号機、二号機は廃炉になり、三号機も今は動いていないらしい。とはいえ、灯台旅の途中で、何か所か<原発>の近くを通り過ぎたが、施設がこれほどモロに見える所はなかった。

<原発>という言葉を聞くと、なんとなく、苦々しい気持ちになる。おそらく、あの大震災での、福島原発のことが、脳裏に焼き付いているからだろう。あの頃は、世論は<原発廃止>に傾いていた。だが、いままた<原発>が復活しつつある。どう考えたって、地震国日本で<原発>は危ない。だから東京には建設されない。のど元過ぎれば熱さ忘れる、とはこのことだ。

うす暗いトイレで用を足し、施設の中へ入った。物産展をやっているような感じで、さほど広くない空間には大きな水槽などもあり、人と物とでごった返していた。

上に、展望台があるというので、エレベーターに乗った。三階だったかな、ベランダになっていて、景色がよかった。といっても感動するほどではない。すぐに下に降りた。帰りかけたが、ふと気まぐれで、小粒みかんを買った。¥300で、かなりたくさん入っている。なるほど、愛媛だからね、みかんの産地だよ。

陽はだいぶ傾きはじめて、世界がオレンジ色っぽい感じになってきた。寝るには早すぎたが、後部座席の車中泊スペースに入り込んだ。ねっころがって、さっき買った小粒みかんを一つ、二つ食べた。思いのほか甘かった。すると、食欲に火がついて、菓子パンなども少し食べた。そのあと、ヘッドフォンで音楽を聴いた、ような気がする。

少しうとうとしたのだろうか、辺りがうす暗くなっていた。施設の中に明かりがつき、閉店準備をしているようだ。トイレ横のアイスクリーム屋も店じまいしていた。車も、一台、また一台と、駐車場から出ていく。果たして、今晩、ここで車中泊をする車はあるのだろうか。前の道路を、岬の先端へ向けて、たくさんの車が、猛スピードで走りぬけていく。暗くなる前までにと、家路を、あるいは宿泊地の三崎港へと急いでいるのだろうか。

そのうち、いくらもしないうちに、暗くなった。<秋の日は釣瓶落とし>などとは、二度と言うなよ。施設の明かりが消え、従業員が戸締りをして出ていった。残っていた一、二台の車も去った。駐車場は<川越>ナンバーの白い車だけになった。トイレ付近の明かりと、道路際の、出入口の小さな明かりが、やけに心細い。とはいえ、いちおうは<道の駅>にいるということで、不安な気持ちにはならなかった。道の駅での車中泊は、ま、天下御免なのだ。

え~と、こうなってしまえば、もう寝るしかなかった。メモ書きするには、車内灯やランタンの明かりでは、暗すぎる。いや、やはり、丸二日、1000キロの道のりだ。疲れていたに違いない。メモ書きなどする気力は失せていた。目を閉じた。うとうとしだした。だが、すぐに寝入りばなを起こされた。地震か!車が揺れている。これは大げさな表現ではなく、実際、車が揺れていたのだ。シェードの隙間から、外を見た。情景は、先ほどと何ら変わらない。なるほど、地震ではなくて強風だった。

うかつにも、この一帯、すなわち、佐田岬半島の尾根には巨大風車が林立していたのを忘れていた。いや、白い風車は目に入っていたが、それがどういう意味を持っているのか、認知していなかった。風力発電の巨大風車があるのだから、当然風が強い地域なのだ。

それに、先ほど、施設のパートのおばさんが、閉店準備で、道路際に並んでいた幟をたたんで片付けているのを、車の中から、ぼうっと見ていて、ああ、風が強いからね、なんてことを思っていたのだ。<風が強い>!そんな生やさしいことではなかった。車が揺れるほどの強風に、やや不安な気持ちになった。四国西端の日本一細長い半島の尾根付近で、夜、まったくの独りぼっちだ。とはいえ、車の中だ。守られているという安心感もあった。竜巻でも来ない限り、車が横転することはないだろう、と。

また目をつぶった。しばらくは、ぐらぐら、ごうごう、びゅうびゅう、
狂暴そうな風野郎に付き合っていた。とはいえ、そのうちには、うとうとしたのだろう。夜間トイレに目が覚めて、荷物の上に乗せた、小さな白い目覚まし時計を見ると、針は九時を指していた。やや元気が回復していて、お菓子類などを食べたような気もする。目が覚めてしまった感じだ。だが、とにもかくにも、寝るしかないので、また横になって、目をつぶった。

それから数時間の間は、なんというか、怖くなったり、不安になったり、昔のことを脈絡なく思い出しては、せつなくなったりで、ゆめうつつ、だった。とくに、脳裏に残っているのは、崖際のトイレの明かりを、シェードの隙間から覗き見ては、何か出てくるような気がして、怖くなったことだ。それが、投身自殺した若い女性の亡霊なのか、ずっと以前に亡くなった、お袋や親父なのかは、定かではない。しかし、心細くなったときには、必ず思い出す言葉がある。<疑心暗鬼>。疑いの心が暗闇の中に鬼を見させる。俺はオバケも亡霊も信じない。ええっい、オバケでも亡霊でも、出てくるものなら、出て来い、と開き直った。すると、うそのように、心が平安になって、ゆめうつつ状態が消えていった。

ふと、目覚めると、風がやんでいた。あれ~と思いながら、車の外に出てみた。風は吹いていたが、先ほどまでの強風ではない。空を見上げた。満天の星だ。風が大気の塵を吹き払ったんだ。きらきら光っている。これほどたくさんの星の瞬きを見る、というか、感じるのは久しぶりだった。旅にでも出なければ、味わえない感覚だった。

空を見上げながら、その場で一回りした。大きく息をすると、星たちが、自分の体の中に入ってくるような気がした。まさにこれが、自然との、大袈裟に言えば、宇宙との一体感なのだろう。おそらくこれが<しあわせ>という感覚なのだろう、と思った。

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