関根俊和

灯台を巡りながら、写真を撮っています。それと、オヤジの灯台巡り一人旅、その時々の<ぼや…

関根俊和

灯台を巡りながら、写真を撮っています。それと、オヤジの灯台巡り一人旅、その時々の<ぼやき>を駄文にしています。https://www.facebook.com/sekinetoshikazu。なお、http://sekinetoshikazu.jp に略歴を掲載しています。

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叛通信Presents≪モロイ≫朗読 新改訂版#1-5<Samuel Beckett Molloy>原作:サミュエル ベケット 翻訳:安藤元雄 音楽:エリックサティ 朗読台本 朗読 写真:関根俊和

叛通信Presents≪モロイ≫朗読 新改訂版#1-5 原作:サミュエル ベケット 翻訳:安藤元雄 音楽:エリック サティ 朗読台本 朗読 写真:関根俊和 http://sekinetoshikazu.jp 備考 動画制作 2024年3月 動画公開 2024年4月11日 写真撮影地・埼玉県入間川 機材・ディマージュ7 期間・2002年 参照文献 <現代の世界文学 モロイ>訳者:三輪秀彦 集英社1969 <ベケット モロイ>訳者:安堂信也 白水社1969 <筑摩世界文学大系82 モロイ>訳者:安藤元雄 筑摩書房1982 <安藤元雄詩集集成>著者:安藤元雄 水声社2019 <無の表現 表現の無>著者:内田耕治 駿河台出版社1990 <無の研究>著者:内田耕治 牧歌舎2016 <モロイ サミュエルベケット>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019 参考文書 <極私的モロイ論>改訂版 <モロイ>朗読に際して~ 関根俊和 #1 朗読の経緯 ベケット小説三部作の一作目<モロイ>は、世界的に有名な戯曲<ゴドーを待ちながら>の執筆前に書かれたものらしい。その経緯からして<ゴドー>を知る者なら、<モロイ>の中に、<ゴドー>のイメージの原型を数多く見つけることができるだろう。例えば、自殺についての考察は、エストラゴンの首吊りの失敗。息子を鎖で自分に結びつけて逃げ出さないようにするモランの夢想は、ポッツォとラッキーの姿に酷似している。もっとも、<ゴドー>の、ある意味では、謎めいたセリフに対して、<モロイ>の文体は、あくまでも明晰であり、小説的な、あるいは文飾的な矛盾や虚偽を、一切許さない強靭さを持つ。 <ゴドー>の成功により、ベケットは広く世に知られるようになった。だが、<ゴドー>の演劇的斬新性に比べて、<モロイ>は、いわば<反・小説>=<小説の革命>だった。当時<モロイ>はいかなる出版社からも出版を拒否されたようだ。<反・小説>が売れるはずもない。というか、編集者すら、<モロイ>の真意を理解できなかったようだ。もっとも、私事だが、四十五年ほど前、本屋で<モロイ>の背表紙を見て、読んでみようと思ったものの、ほとんどなにも理解できない。そのままそっと本棚に戻したのは、おそらく、自分だけではないはずだ。 <ゴドー>に関しては、真意は理解できないとしても、読む側の力量によって、それなりの了解が得られるような気がした。要するに、難解ではあるが、まだ読めたのである。が、<モロイ>はまったくと言っていいほど、取りつく島がなかった。 転機は二十五年ほど前に訪れた。経緯は、芝居の題材を探していたのだろうか、いまは詳しく思い出せないが、とにかく、<モロイ>を読んだ。それも、違った翻訳を三つ。その一つが<安藤元雄>訳だった。言葉が、すっと頭に入ってきて、流れた。これはいわば<モロイ>の独白=モノローグだ。ひょっとしたら、再構成して芝居にできるかもしれない、と思った。 若いころから演劇の<独白>は好きだったし、多少の経験もある。<モロイ>のフランス語や英語は知らないが、自分は日本語の<モロイ>、ありていに言えば、<安藤元雄のモロイ>に直感したわけだ。<モロイ>は、声に出して読むように書かれているし、そう読める。 体の不自由な浮浪者が、なにかぶつぶつ呟きながら、通り過ぎていく。あるいは、だぶだぶの厚手のオーバーを着て、じっと地下街の通路に佇んでいる。この東方の国にも<モロイ>は遍在している。興に乗って<モロイ>の最初の部分、とくに<母親の調教>を中心にして、抜粋台本を作ってみた。 もっとも、あの当時の自分には、それを上演する力量はなかったし、演劇化する確たるイメージも持っていなかった。劇化のイメージを深められず、<モロイ>の言葉を身体化できる俳優のあてもなく、そのうち、コピーされた抜粋台本は、ほかの反故台本と一緒に、本箱の下の方で眠りについてしまった。 また月日が流れた。2000年ころに眼病を患い、健康不安に陥った。それ以前から稽古をしていた<説経節>を断念した。<ささら>片手に、野外で大声を出すことが、もう体力的にも精神的にも無理だった。そのかわり、というか、ほとんど体力を使わない<モロイ>の朗読なら、できそうな気がした。いま思えば非常に安易だが、往生際が悪く、依然として演劇的表現にこだわっていた。 さいわい、以前、抜粋構成した<モロイ>の台本が手元にあった。途中で放り出して、未完ではあるが、とにかく、読みだした。それをビデオに撮影して、自宅で少し稽古をした。だが、どうにもこうにも<モロイ>の言葉が浮ついてしまい、絵空事になっている。<モロイ>との実存的な接点がぼやけたままだ。 <モロイ>のどこに、何に惹かれたのか、発語の根拠を探したが、結局、そんなものはどこにもない。おりしも、眼病は悪化し、一回目の<モロイ>朗読の企ては自然消滅した。 ちなみに、その時の稽古ビデオが残っている。だが、これはいくらなんでも、人様にお見せするわけにはいかない。下手でも、そこに言霊が宿っていればいい。そうではなくて、たんに下手なだけなのだ。 一方では、眼病の悪化により、失明の瀬戸際まで追いつめられていた。演劇から足を洗うか、と本気で考えざるを得なかった。 話がだいぶ脱線してきたが、この文書では、<モロイ>朗読の経緯、朗読の諸問題、<極私的モロイ論>を書くつもりでいる。 眼病による頻繁な眼発作、失明の不安、薬の副作用、それに、お袋の介護。辛く、苦しい日々が続いた。その中で、唯一、気持ちが和むのは、出始めたばかりのデジカメで、なじみの入間川の 風景を撮ることだった。 2000年頃に歩いた、四国札所を敷衍して、入間川中流域約50キロ、橋ごとに番号をつけて、その間を、例えば<入間川五番、昭代橋>として、毎日歩くことを自分に課した。四国巡礼は、中途半端なままで、まだ四分の一しか歩いていない。だから、これは、いわば疑似巡礼の意味を持っていた。実存的な危機に瀕して、こうしたことで、己の矜持を支えようとしたのだ。 とはいえ、健康上の問題で、この疑似巡礼はしばしば中断された。自分には、もう若さも健康もなく、それらのありがたさを、いやというほど思い知らされた。それでも、暗闇の世界に生きることになる前に、入間川の全風景を、この目に、この頭に焼き付けておきたいという思いは強かった。失明した後に、ゆっくり、それらの風景を楽しむことができるじゃないか、と。 入間川<疑似巡礼>は、いわば、希望とも呼べない、弱者の抵抗だった。この間、六、七年、河原をさまよい、寒風に吹かれ、炎天に焼かれながら、感傷的に、<モロイ>は俺だ、と思った。そして、河原に暮らす、ホームレスたちの姿を見るにつけ、<モロイ>の遍在を感じた。浮浪者=モロイであり、自分は、そうした意味では、精神の浮浪者=モロイだった。ろくに<モロイ>を読んでいないのに、こう思えたのは、極度の自己閉塞で、少しおかしくなっていたのかもしれない。いや、なにかにすがりたいと思っていた。不在者=<モロイ>と自分が、どこかで通底していると思いたかった。 ちなみに、ユーチューブ版<モロイ朗読>の背景に流れる画像は、このとき撮ったものである。いま残っているものだけでも、数万枚はあるだろう。もっとも、そのほとんどは反故写真で、まともなものはほとんどない。 というような経緯を知っていただければ、朗読の背景に、超スローで入れ替わっていく、拙い画像の意味が、少しは理解していただけるだろうか。もっとも、自分としては、朗読と画像に、ほとんど違和感はない。画像には<モロイ>との実存的な接点が刻印されている。 さて、また月日が流れた。眼病を発してから、五、六年で、幸いにも、それ以上の眼発作は起きなくなり、失明の不安は少し和らいだ。さらに五、六年たち、左眼の視力はほとんど失ったが、寛解し始めた。要するに、両眼とも、元には戻らないが、これ以上悪くなることはなくなった。 むろん、頼みの右目に発作が起きない保証はない。その時は、文字を読むことも、パソコン入力もできなくなる。外出はおろか、人の手を借りた生活になるだろう。だが、もう十年もたった。大丈夫だろう、という楽観論で押し切って、お袋を看取り、オヤジを看取り、なんと、十五年にも及ぶ介護生活を無事に?終了した。精神的にも、肉体的にも、時間的にも、言ってみれば、<モロイ朗読>の環境が整ったわけだ。 肩の荷が下りた。これまで、これといったこともしてこなかったが、いちおう、人間としての役目は果たしたと思った。父母の死の、ほぼその瞬間まで付き合ったのだ。<自由>を感じた。これからは、何でもできると思った。だが、よくよく考えてみると、やりたいことも、やるべきことも、何一つなかった。心は、すっからかんだった。 入間川疑似巡礼が発展的に解消され、興味は<花写真>の制作へと移っていた。だが、それも、こうなった以上、なんだかやる気になれない。後退戦にすぎないわけだ。車で日本全国、絶景巡りでもしようかな、だがそんなことが、果たして面白いのか。残り少ない人生を費やすに値することなのだろうか。一瞬感じた<自由>は霧散していった。 とはいえ、このまま、家にこもっていても仕方ない。介護生活の中で、思い描いていた<沖縄旅行>を敢行した。一人旅は、お袋の介護が始まった2000年以来、十五年ぶりだった。楽しいことは楽しかったが、それだけだ。依然として、心は空っぽのままだ。 そうだ、灯台巡りをしようという案が浮かんだ。日本全国の灯台を撮り歩くのも、一興だ。ためしにと、静岡辺りの灯台を二、三撮りに行った。だが、これも思ったほど面白くはなかった。どこからか、灯台なんか撮って、何になるんだという声が聞こえてきた。せっかく、生れて初めてといってもいいが、自由に動ける時間と金があるのに、それを活用できないで、自室で腐っている。 ふと思いついて、本棚に並んでいる、これまで演出した作品のVHSビデオを、ユーチューブに、保管がてらアップしてみようと思った。ビデオに記録されたものは10本ほどだが、これを動画処理して、ユーチューブにアップするには、初めてのこともあり、かなり手間取った。というか、かなり集中した時間を過ごすことができた。 要するに、何十年かぶりに、自分の演出した舞台を見て、いろいろ考えさせられた。以前は、拙さだけが目について、思い出すのも嫌になっていたが、それだけではないなと思った。頭が、久しぶりに働いたのだ。 それに、<ユーチューブ>という表現媒体について、これまた初めて、まじめに考えた。ユーチューバーになって金を稼ぐ、などというばかげた話は、ひとまず置いて、これまで特権的であった、映像=動画の配信を、素人が手軽にできるということに思い至った。驚くこともない、インターネットの効用だが、それが、文書、画像を越えて、動画にまで及んでいるということが重要だ。 しかも、それらを、スマホで誰でも、いつでも、好きな時に見ることができる。半世紀ほど前、自分が演劇に関わり始めた頃には、ほとんど想像できない世界が展開されている。才能や資本のない者たちの、世界へ向けての、他者へ向けての、自己表現の機会が増大し、その媒体の多様性と相互性は奇跡的といってもいい。老兵は去るのみ、か!だがしかし、このまま中途半端な感じで終わってしまうのは、じつに悔しいではないか、と頭の隅で思った。最後の最後に、自分というものを、もう一度突き出してもいいのではないか、と。 以下、下記のブログに続く https://sekinetoshikazu.hatenadiary.org/

    • <日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

      第9次灯台旅 出雲編 2021年4月18.19.20.21.22.23日 出雲旅五日目 2021-4-22(木)曇り時々晴れ。6:30 起床。眠りが浅い、一、二時間おきにトイレ。朝食・おにぎり二個、パン、牛乳。皮の真っ黒になったバナナ・これは冷蔵庫の製氷棚の下に置いて凍らせてしまったのだ。下の方は、ぐにゃっとしているので食べずに捨てた。 8:00 出発。ナビを足立美術館にセット。ファミマでコーヒー¥100。宍道湖沿いに9号線を走り、有料道路を抜けて、安来市の方へ行く

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        叛通信Presents≪モロイ≫朗読 新改訂版#1-4<Samuel Beckett Molloy>原作:サミュエル ベケット 翻訳:安藤元雄 音楽:エリックサティ 朗読台本 朗読 写真:関根俊和

        叛通信Presents≪モロイ≫朗読 新改訂版#1-4 原作:サミュエル ベケット 翻訳:安藤元雄 音楽:エリック サティ 朗読台本 朗読 写真:関根俊和 http://sekinetoshikazu.jp 備考 動画制作 2024年3月 動画公開 2024年4月4日 写真撮影地・埼玉県入間川 機材・ディマージュ7 期間・2002年 参照文献 <現代の世界文学 モロイ>訳者:三輪秀彦 集英社1969 <ベケット モロイ>訳者:安堂信也 白水社1969 <筑摩世界文学大系82 モロイ>訳者:安藤元雄 筑摩書房1982 <安藤元雄詩集集成>著者:安藤元雄 水声社2019 <無の表現 表現の無>著者:内田耕治 駿河台出版社1990 <無の研究>著者:内田耕治 牧歌舎2016 <モロイ サミュエルベケット>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019 参考文書 <極私的モロイ論>改訂版 <モロイ>朗読に際して~ 関根俊和 #1 朗読の経緯 ベケット小説三部作の一作目<モロイ>は、世界的に有名な戯曲<ゴドーを待ちながら>の執筆前に書かれたものらしい。その経緯からして<ゴドー>を知る者なら、<モロイ>の中に、<ゴドー>のイメージの原型を数多く見つけることができるだろう。例えば、自殺についての考察は、エストラゴンの首吊りの失敗。息子を鎖で自分に結びつけて逃げ出さないようにするモランの夢想は、ポッツォとラッキーの姿に酷似している。もっとも、<ゴドー>の、ある意味では、謎めいたセリフに対して、<モロイ>の文体は、あくまでも明晰であり、小説的な、あるいは文飾的な矛盾や虚偽を、一切許さない強靭さを持つ。 <ゴドー>の成功により、ベケットは広く世に知られるようになった。だが、<ゴドー>の演劇的斬新性に比べて、<モロイ>は、いわば<反・小説>=<小説の革命>だった。当時<モロイ>はいかなる出版社からも出版を拒否されたようだ。<反・小説>が売れるはずもない。というか、編集者すら、<モロイ>の真意を理解できなかったようだ。もっとも、私事だが、四十五年ほど前、本屋で<モロイ>の背表紙を見て、読んでみようと思ったものの、ほとんどなにも理解できない。そのままそっと本棚に戻したのは、おそらく、自分だけではないはずだ。 <ゴドー>に関しては、真意は理解できないとしても、読む側の力量によって、それなりの了解が得られるような気がした。要するに、難解ではあるが、まだ読めたのである。が、<モロイ>はまったくと言っていいほど、取りつく島がなかった。 転機は二十五年ほど前に訪れた。経緯は、芝居の題材を探していたのだろうか、いまは詳しく思い出せないが、とにかく、<モロイ>を読んだ。それも、違った翻訳を三つ。その一つが<安藤元雄>訳だった。言葉が、すっと頭に入ってきて、流れた。これはいわば<モロイ>の独白=モノローグだ。ひょっとしたら、再構成して芝居にできるかもしれない、と思った。 若いころから演劇の<独白>は好きだったし、多少の経験もある。<モロイ>のフランス語や英語は知らないが、自分は日本語の<モロイ>、ありていに言えば、<安藤元雄のモロイ>に直感したわけだ。<モロイ>は、声に出して読むように書かれているし、そう読める。 体の不自由な浮浪者が、なにかぶつぶつ呟きながら、通り過ぎていく。あるいは、だぶだぶの厚手のオーバーを着て、じっと地下街の通路に佇んでいる。この東方の国にも<モロイ>は遍在している。興に乗って<モロイ>の最初の部分、とくに<母親の調教>を中心にして、抜粋台本を作ってみた。 もっとも、あの当時の自分には、それを上演する力量はなかったし、演劇化する確たるイメージも持っていなかった。劇化のイメージを深められず、<モロイ>の言葉を身体化できる俳優のあてもなく、そのうち、コピーされた抜粋台本は、ほかの反故台本と一緒に、本箱の下の方で眠りについてしまった。 また月日が流れた。2000年ころに眼病を患い、健康不安に陥った。それ以前から稽古をしていた<説経節>を断念した。<ささら>片手に、野外で大声を出すことが、もう体力的にも精神的にも無理だった。そのかわり、というか、ほとんど体力を使わない<モロイ>の朗読なら、できそうな気がした。いま思えば非常に安易だが、往生際が悪く、依然として演劇的表現にこだわっていた。 さいわい、以前、抜粋構成した<モロイ>の台本が手元にあった。途中で放り出して、未完ではあるが、とにかく、読みだした。それをビデオに撮影して、自宅で少し稽古をした。だが、どうにもこうにも<モロイ>の言葉が浮ついてしまい、絵空事になっている。<モロイ>との実存的な接点がぼやけたままだ。 <モロイ>のどこに、何に惹かれたのか、発語の根拠を探したが、結局、そんなものはどこにもない。おりしも、眼病は悪化し、一回目の<モロイ>朗読の企ては自然消滅した。 ちなみに、その時の稽古ビデオが残っている。だが、これはいくらなんでも、人様にお見せするわけにはいかない。下手でも、そこに言霊が宿っていればいい。そうではなくて、たんに下手なだけなのだ。 一方では、眼病の悪化により、失明の瀬戸際まで追いつめられていた。演劇から足を洗うか、と本気で考えざるを得なかった。 話がだいぶ脱線してきたが、この文書では、<モロイ>朗読の経緯、朗読の諸問題、<極私的モロイ論>を書くつもりでいる。 眼病による頻繁な眼発作、失明の不安、薬の副作用、それに、お袋の介護。辛く、苦しい日々が続いた。その中で、唯一、気持ちが和むのは、出始めたばかりのデジカメで、なじみの入間川の 風景を撮ることだった。 2000年頃に歩いた、四国札所を敷衍して、入間川中流域約50キロ、橋ごとに番号をつけて、その間を、例えば<入間川五番、昭代橋>として、毎日歩くことを自分に課した。四国巡礼は、中途半端なままで、まだ四分の一しか歩いていない。だから、これは、いわば疑似巡礼の意味を持っていた。実存的な危機に瀕して、こうしたことで、己の矜持を支えようとしたのだ。 とはいえ、健康上の問題で、この疑似巡礼はしばしば中断された。自分には、もう若さも健康もなく、それらのありがたさを、いやというほど思い知らされた。それでも、暗闇の世界に生きることになる前に、入間川の全風景を、この目に、この頭に焼き付けておきたいという思いは強かった。失明した後に、ゆっくり、それらの風景を楽しむことができるじゃないか、と。 入間川<疑似巡礼>は、いわば、希望とも呼べない、弱者の抵抗だった。この間、六、七年、河原をさまよい、寒風に吹かれ、炎天に焼かれながら、感傷的に、<モロイ>は俺だ、と思った。そして、河原に暮らす、ホームレスたちの姿を見るにつけ、<モロイ>の遍在を感じた。浮浪者=モロイであり、自分は、そうした意味では、精神の浮浪者=モロイだった。ろくに<モロイ>を読んでいないのに、こう思えたのは、極度の自己閉塞で、少しおかしくなっていたのかもしれない。いや、なにかにすがりたいと思っていた。不在者=<モロイ>と自分が、どこかで通底していると思いたかった。 ちなみに、ユーチューブ版<モロイ朗読>の背景に流れる画像は、このとき撮ったものである。いま残っているものだけでも、数万枚はあるだろう。もっとも、そのほとんどは反故写真で、まともなものはほとんどない。 というような経緯を知っていただければ、朗読の背景に、超スローで入れ替わっていく、拙い画像の意味が、少しは理解していただけるだろうか。もっとも、自分としては、朗読と画像に、ほとんど違和感はない。画像には<モロイ>との実存的な接点が刻印されている。 さて、また月日が流れた。眼病を発してから、五、六年で、幸いにも、それ以上の眼発作は起きなくなり、失明の不安は少し和らいだ。さらに五、六年たち、左眼の視力はほとんど失ったが、寛解し始めた。要するに、両眼とも、元には戻らないが、これ以上悪くなることはなくなった。 むろん、頼みの右目に発作が起きない保証はない。その時は、文字を読むことも、パソコン入力もできなくなる。外出はおろか、人の手を借りた生活になるだろう。だが、もう十年もたった。大丈夫だろう、という楽観論で押し切って、お袋を看取り、オヤジを看取り、なんと、十五年にも及ぶ介護生活を無事に?終了した。精神的にも、肉体的にも、時間的にも、言ってみれば、<モロイ朗読>の環境が整ったわけだ。 肩の荷が下りた。これまで、これといったこともしてこなかったが、いちおう、人間としての役目は果たしたと思った。父母の死の、ほぼその瞬間まで付き合ったのだ。<自由>を感じた。これからは、何でもできると思った。だが、よくよく考えてみると、やりたいことも、やるべきことも、何一つなかった。心は、すっからかんだった。 入間川疑似巡礼が発展的に解消され、興味は<花写真>の制作へと移っていた。だが、それも、こうなった以上、なんだかやる気になれない。後退戦にすぎないわけだ。車で日本全国、絶景巡りでもしようかな、だがそんなことが、果たして面白いのか。残り少ない人生を費やすに値することなのだろうか。一瞬感じた<自由>は霧散していった。 とはいえ、このまま、家にこもっていても仕方ない。介護生活の中で、思い描いていた<沖縄旅行>を敢行した。一人旅は、お袋の介護が始まった2000年以来、十五年ぶりだった。楽しいことは楽しかったが、それだけだ。依然として、心は空っぽのままだ。 そうだ、灯台巡りをしようという案が浮かんだ。日本全国の灯台を撮り歩くのも、一興だ。ためしにと、静岡辺りの灯台を二、三撮りに行った。だが、これも思ったほど面白くはなかった。どこからか、灯台なんか撮って、何になるんだという声が聞こえてきた。せっかく、生れて初めてといってもいいが、自由に動ける時間と金があるのに、それを活用できないで、自室で腐っている。 ふと思いついて、本棚に並んでいる、これまで演出した作品のVHSビデオを、ユーチューブに、保管がてらアップしてみようと思った。ビデオに記録されたものは10本ほどだが、これを動画処理して、ユーチューブにアップするには、初めてのこともあり、かなり手間取った。というか、かなり集中した時間を過ごすことができた。 要するに、何十年かぶりに、自分の演出した舞台を見て、いろいろ考えさせられた。以前は、拙さだけが目について、思い出すのも嫌になっていたが、それだけではないなと思った。頭が、久しぶりに働いたのだ。 それに、<ユーチューブ>という表現媒体について、これまた初めて、まじめに考えた。ユーチューバーになって金を稼ぐ、などというばかげた話は、ひとまず置いて、これまで特権的であった、映像=動画の配信を、素人が手軽にできるということに思い至った。驚くこともない、インターネットの効用だが、それが、文書、画像を越えて、動画にまで及んでいるということが重要だ。 しかも、それらを、スマホで誰でも、いつでも、好きな時に見ることができる。半世紀ほど前、自分が演劇に関わり始めた頃には、ほとんど想像できない世界が展開されている。才能や資本のない者たちの、世界へ向けての、他者へ向けての、自己表現の機会が増大し、その媒体の多様性と相互性は奇跡的といってもいい。老兵は去るのみ、か!だがしかし、このまま中途半端な感じで終わってしまうのは、じつに悔しいではないか、と頭の隅で思った。最後の最後に、自分というものを、もう一度突き出してもいいのではないか、と。 以下、下記のブログに続く https://sekinetoshikazu.hatenadiary.org/

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          叛通信Presents<灯台のある風景>日本灯台紀行 画像集8-2 三保半島編  静岡県 清水港 真崎海岸 清水港三保防波堤北灯台 富士山

          叛通信Presents 日本灯台紀行 画像集8-2 三保半島編 静岡県清水港 真崎海岸 清水港三保防波堤北灯台 富士山 音楽 エリック サティ ≪ジムノペディ≫ 演奏 ジャン=ジョエル バルビエ 静岡県 清水港 コンテナ船 ガントリークレーン 静岡県 真崎海岸 静岡県 清水港三保防波堤北灯台 静岡県 清水港外防波堤南灯台 静岡県 清水港外防波堤北灯台 日本国 富士山 写真 関根俊和 http://sekinetoshikazu.jp

        叛通信Presents≪モロイ≫朗読 新改訂版#1-5<Samuel Beckett Molloy>原作:サミュエル ベケット 翻訳:安藤元雄 音楽:エリックサティ 朗読台本 朗読 写真:関根俊和

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        • 叛通信Presents<灯台のある風景>日本灯台紀行 画像集8-2 三保半島編  静岡県 清水港 真崎海岸 清水港三保防波堤北灯台 富士山

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          叛通信Presents≪モロイ≫朗読 新・改訂版#1-2.3<Samuel Beckett Molloy>原作:サミュエル ベケット 翻訳:安藤元雄 音楽:エリックサティ 朗読台本 朗読 写真:関根俊和

          叛通信Presents≪モロイ≫朗読 新・改訂版#1-2.3 原作:サミュエル ベケット 翻訳:安藤元雄 音楽:エリック サティ 朗読台本 朗読 写真:関根俊和 http://sekinetoshikazu.jp 備考 動画制作 2024年3月 動画公開 2024年3月28日 写真撮影地・埼玉県 入間川河川敷 機材・nikon クールピクス775 期間・2002年 参照文献 <現代の世界文学 モロイ>訳者:三輪秀彦 集英社1969 <ベケット モロイ>訳者:安堂信也 白水社1969 <筑摩世界文学大系82 モロイ>訳者:安藤元雄 筑摩書房1982 <安藤元雄詩集集成>著者:安藤元雄 水声社2019 <無の表現 表現の無>著者:内田耕治 駿河台出版社1990 <無の研究>著者:内田耕治 牧歌舎2016 <モロイ サミュエルベケット>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019 参考文書 <極私的モロイ論>改訂版 <モロイ>朗読に際して~ 関根俊和 #1 朗読の経緯 ベケット小説三部作の一作目<モロイ>は、世界的に有名な戯曲<ゴドーを待ちながら>の執筆前に書かれたものらしい。その経緯からして<ゴドー>を知る者なら、<モロイ>の中に、<ゴドー>のイメージの原型を数多く見つけることができるだろう。例えば、自殺についての考察は、エストラゴンの首吊りの失敗。息子を鎖で自分に結びつけて逃げ出さないようにするモランの夢想は、ポッツォとラッキーの姿に酷似している。もっとも、<ゴドー>の、ある意味では、謎めいたセリフに対して、<モロイ>の文体は、あくまでも明晰であり、小説的な、あるいは文飾的な矛盾や虚偽を、一切許さない強靭さを持つ。 <ゴドー>の成功により、ベケットは広く世に知られるようになった。だが、<ゴドー>の演劇的斬新性に比べて、<モロイ>は、いわば<反・小説>=<小説の革命>だった。当時<モロイ>はいかなる出版社からも出版を拒否されたようだ。<反・小説>が売れるはずもない。というか、編集者すら、<モロイ>の真意を理解できなかったようだ。もっとも、私事だが、四十五年ほど前、本屋で<モロイ>の背表紙を見て、読んでみようと思ったものの、ほとんどなにも理解できない。そのままそっと本棚に戻したのは、おそらく、自分だけではないはずだ。 <ゴドー>に関しては、真意は理解できないとしても、読む側の力量によって、それなりの了解が得られるような気がした。要するに、難解ではあるが、まだ読めたのである。が、<モロイ>はまったくと言っていいほど、取りつく島がなかった。 転機は二十五年ほど前に訪れた。経緯は、芝居の題材を探していたのだろうか、いまは詳しく思い出せないが、とにかく、<モロイ>を読んだ。それも、違った翻訳を三つ。その一つが<安藤元雄>訳だった。言葉が、すっと頭に入ってきて、流れた。これはいわば<モロイ>の独白=モノローグだ。ひょっとしたら、再構成して芝居にできるかもしれない、と思った。 若いころから演劇の<独白>は好きだったし、多少の経験もある。<モロイ>のフランス語や英語は知らないが、自分は日本語の<モロイ>、ありていに言えば、<安藤元雄のモロイ>に直感したわけだ。<モロイ>は、声に出して読むように書かれているし、そう読める。 体の不自由な浮浪者が、なにかぶつぶつ呟きながら、通り過ぎていく。あるいは、だぶだぶの厚手のオーバーを着て、じっと地下街の通路に佇んでいる。この東方の国にも<モロイ>は遍在している。興に乗って<モロイ>の最初の部分、とくに<母親の調教>を中心にして、抜粋台本を作ってみた。 もっとも、あの当時の自分には、それを上演する力量はなかったし、演劇化する確たるイメージも持っていなかった。劇化のイメージを深められず、<モロイ>の言葉を身体化できる俳優のあてもなく、そのうち、コピーされた抜粋台本は、ほかの反故台本と一緒に、本箱の下の方で眠りについてしまった。 また月日が流れた。2000年ころに眼病を患い、健康不安に陥った。それ以前から稽古をしていた<説経節>を断念した。<ささら>片手に、野外で大声を出すことが、もう体力的にも精神的にも無理だった。そのかわり、というか、ほとんど体力を使わない<モロイ>の朗読なら、できそうな気がした。いま思えば非常に安易だが、往生際が悪く、依然として演劇的表現にこだわっていた。 さいわい、以前、抜粋構成した<モロイ>の台本が手元にあった。途中で放り出して、未完ではあるが、とにかく、読みだした。それをビデオに撮影して、自宅で少し稽古をした。だが、どうにもこうにも<モロイ>の言葉が浮ついてしまい、絵空事になっている。<モロイ>との実存的な接点がぼやけたままだ。 <モロイ>のどこに、何に惹かれたのか、発語の根拠を探したが、結局、そんなものはどこにもない。おりしも、眼病は悪化し、一回目の<モロイ>朗読の企ては自然消滅した。 ちなみに、その時の稽古ビデオが残っている。だが、これはいくらなんでも、人様にお見せするわけにはいかない。下手でも、そこに言霊が宿っていればいい。そうではなくて、たんに下手なだけなのだ。 一方では、眼病の悪化により、失明の瀬戸際まで追いつめられていた。演劇から足を洗うか、と本気で考えざるを得なかった。 話がだいぶ脱線してきたが、この文書では、<モロイ>朗読の経緯、朗読の諸問題、<極私的モロイ論>を書くつもりでいる。 眼病による頻繁な眼発作、失明の不安、薬の副作用、それに、お袋の介護。辛く、苦しい日々が続いた。その中で、唯一、気持ちが和むのは、出始めたばかりのデジカメで、なじみの入間川の 風景を撮ることだった。 2000年頃に歩いた、四国札所を敷衍して、入間川中流域約50キロ、橋ごとに番号をつけて、その間を、例えば<入間川五番、昭代橋>として、毎日歩くことを自分に課した。四国巡礼は、中途半端なままで、まだ四分の一しか歩いていない。だから、これは、いわば疑似巡礼の意味を持っていた。実存的な危機に瀕して、こうしたことで、己の矜持を支えようとしたのだ。 とはいえ、健康上の問題で、この疑似巡礼はしばしば中断された。自分には、もう若さも健康もなく、それらのありがたさを、いやというほど思い知らされた。それでも、暗闇の世界に生きることになる前に、入間川の全風景を、この目に、この頭に焼き付けておきたいという思いは強かった。失明した後に、ゆっくり、それらの風景を楽しむことができるじゃないか、と。 入間川<疑似巡礼>は、いわば、希望とも呼べない、弱者の抵抗だった。この間、六、七年、河原をさまよい、寒風に吹かれ、炎天に焼かれながら、感傷的に、<モロイ>は俺だ、と思った。そして、河原に暮らす、ホームレスたちの姿を見るにつけ、<モロイ>の遍在を感じた。浮浪者=モロイであり、自分は、そうした意味では、精神の浮浪者=モロイだった。ろくに<モロイ>を読んでいないのに、こう思えたのは、極度の自己閉塞で、少しおかしくなっていたのかもしれない。いや、なにかにすがりたいと思っていた。不在者=<モロイ>と自分が、どこかで通底していると思いたかった。 ちなみに、ユーチューブ版<モロイ朗読>の背景に流れる画像は、このとき撮ったものである。いま残っているものだけでも、数万枚はあるだろう。もっとも、そのほとんどは反故写真で、まともなものはほとんどない。 というような経緯を知っていただければ、朗読の背景に、超スローで入れ替わっていく、拙い画像の意味が、少しは理解していただけるだろうか。もっとも、自分としては、朗読と画像に、ほとんど違和感はない。画像には<モロイ>との実存的な接点が刻印されている。 さて、また月日が流れた。眼病を発してから、五、六年で、幸いにも、それ以上の眼発作は起きなくなり、失明の不安は少し和らいだ。さらに五、六年たち、左眼の視力はほとんど失ったが、寛解し始めた。要するに、両眼とも、元には戻らないが、これ以上悪くなることはなくなった。 むろん、頼みの右目に発作が起きない保証はない。その時は、文字を読むことも、パソコン入力もできなくなる。外出はおろか、人の手を借りた生活になるだろう。だが、もう十年もたった。大丈夫だろう、という楽観論で押し切って、お袋を看取り、オヤジを看取り、なんと、十五年にも及ぶ介護生活を無事に?終了した。精神的にも、肉体的にも、時間的にも、言ってみれば、<モロイ朗読>の環境が整ったわけだ。 肩の荷が下りた。これまで、これといったこともしてこなかったが、いちおう、人間としての役目は果たしたと思った。父母の死の、ほぼその瞬間まで付き合ったのだ。<自由>を感じた。これからは、何でもできると思った。だが、よくよく考えてみると、やりたいことも、やるべきことも、何一つなかった。心は、すっからかんだった。 入間川疑似巡礼が発展的に解消され、興味は<花写真>の制作へと移っていた。だが、それも、こうなった以上、なんだかやる気になれない。後退戦にすぎないわけだ。車で日本全国、絶景巡りでもしようかな、だがそんなことが、果たして面白いのか。残り少ない人生を費やすに値することなのだろうか。一瞬感じた<自由>は霧散していった。 とはいえ、このまま、家にこもっていても仕方ない。介護生活の中で、思い描いていた<沖縄旅行>を敢行した。一人旅は、お袋の介護が始まった2000年以来、十五年ぶりだった。楽しいことは楽しかったが、それだけだ。依然として、心は空っぽのままだ。 そうだ、灯台巡りをしようという案が浮かんだ。日本全国の灯台を撮り歩くのも、一興だ。ためしにと、静岡辺りの灯台を二、三撮りに行った。だが、これも思ったほど面白くはなかった。どこからか、灯台なんか撮って、何になるんだという声が聞こえてきた。せっかく、生れて初めてといってもいいが、自由に動ける時間と金があるのに、それを活用できないで、自室で腐っている。 ふと思いついて、本棚に並んでいる、これまで演出した作品のVHSビデオを、ユーチューブに、保管がてらアップしてみようと思った。ビデオに記録されたものは10本ほどだが、これを動画処理して、ユーチューブにアップするには、初めてのこともあり、かなり手間取った。というか、かなり集中した時間を過ごすことができた。 要するに、何十年かぶりに、自分の演出した舞台を見て、いろいろ考えさせられた。以前は、拙さだけが目について、思い出すのも嫌になっていたが、それだけではないなと思った。頭が、久しぶりに働いたのだ。 それに、<ユーチューブ>という表現媒体について、これまた初めて、まじめに考えた。ユーチューバーになって金を稼ぐ、などというばかげた話は、ひとまず置いて、これまで特権的であった、映像=動画の配信を、素人が手軽にできるということに思い至った。驚くこともない、インターネットの効用だが、それが、文書、画像を越えて、動画にまで及んでいるということが重要だ。 しかも、それらを、スマホで誰でも、いつでも、好きな時に見ることができる。半世紀ほど前、自分が演劇に関わり始めた頃には、ほとんど想像できない世界が展開されている。才能や資本のない者たちの、世界へ向けての、他者へ向けての、自己表現の機会が増大し、その媒体の多様性と相互性は奇跡的といってもいい。老兵は去るのみ、か!だがしかし、このまま中途半端な感じで終わってしまうのは、じつに悔しいではないか、と頭の隅で思った。最後の最後に、自分というものを、もう一度突き出してもいいのではないか、と。 以下、下記のブログに続く https://sekinetoshikazu.hatenadiary.org/

          叛通信Presents≪モロイ≫朗読 新・改訂版#1-2.3<Samuel Beckett Molloy>原作:サミュエル ベケット 翻訳:安藤元雄 音楽:エリックサティ 朗読台本 朗読 写真:関根俊和

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          <日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

          第9次灯台旅 出雲編 2021年4月18.19.20.21.22.23日 出雲旅三日目 2021-4-20(火)快晴。5:30 過ぎに目が覚める。昨晩も、一、二時間おきにトイレに起きる。眠りが浅い。6:30 起床。洗面、朝食・牛乳、バナナ一本、おにぎり二個。排便・少し出る。昨晩も、注入剤を入れたので、痔は少し改善。違和感はない。 7:40 出発。ナビの履歴画面を開き、美保関灯台をタッチした。そう、今日は境港の先にある、灯台50選にも選ばれている美保関灯台の撮影だ。走り

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          叛通信Presents≪モロイ≫朗読 新・改訂版#1-1<Samuel Beckett Molloy>原作:サミュエル ベケット 翻訳:安藤元雄 音楽:エリックサティ 朗読台本 朗読 写真:関根俊和

          叛通信Presents≪モロイ≫朗読 新・改訂版#1-1 原作:サミュエル ベケット 翻訳:安藤元雄 音楽:エリック サティ 朗読台本 朗読 写真:関根俊和 http://sekinetoshikazu.jp 備考 動画制作 2024年2月 動画公開 2024年3月21日 写真撮影地・埼玉県 入間川河川敷 機材・nikon クールピクス775 期間・2002年 参照文献 <現代の世界文学 モロイ>訳者:三輪秀彦 集英社1969 <ベケット モロイ>訳者:安堂信也 白水社1969 <筑摩世界文学大系82 モロイ>訳者:安藤元雄 筑摩書房1982 <安藤元雄詩集集成>著者:安藤元雄 水声社2019 <無の表現 表現の無>著者:内田耕治 駿河台出版社1990 <無の研究>著者:内田耕治 牧歌舎2016 <モロイ サミュエルベケット>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019 参考文書 <極私的モロイ論>改訂版 <モロイ>朗読に際して~ 関根俊和 #1 朗読の経緯 ベケット小説三部作の一作目<モロイ>は、世界的に有名な戯曲<ゴドーを待ちながら>の執筆前に書かれたものらしい。その経緯からして<ゴドー>を知る者なら、<モロイ>の中に、<ゴドー>のイメージの原型を数多く見つけることができるだろう。例えば、自殺についての考察は、エストラゴンの首吊りの失敗。息子を鎖で自分に結びつけて逃げ出さないようにするモランの夢想は、ポッツォとラッキーの姿に酷似している。もっとも、<ゴドー>の、ある意味では、謎めいたセリフに対して、<モロイ>の文体は、あくまでも明晰であり、小説的な、あるいは文飾的な矛盾や虚偽を、一切許さない強靭さを持つ。 <ゴドー>の成功により、ベケットは広く世に知られるようになった。だが、<ゴドー>の演劇的斬新性に比べて、<モロイ>は、いわば<反・小説>=<小説の革命>だった。当時<モロイ>はいかなる出版社からも出版を拒否されたようだ。<反・小説>が売れるはずもない。というか、編集者すら、<モロイ>の真意を理解できなかったようだ。もっとも、私事だが、四十五年ほど前、本屋で<モロイ>の背表紙を見て、読んでみようと思ったものの、ほとんどなにも理解できない。そのままそっと本棚に戻したのは、おそらく、自分だけではないはずだ。 <ゴドー>に関しては、真意は理解できないとしても、読む側の力量によって、それなりの了解が得られるような気がした。要するに、難解ではあるが、まだ読めたのである。が、<モロイ>はまったくと言っていいほど、取りつく島がなかった。 転機は二十五年ほど前に訪れた。経緯は、芝居の題材を探していたのだろうか、いまは詳しく思い出せないが、とにかく、<モロイ>を読んだ。それも、違った翻訳を三つ。その一つが<安藤元雄>訳だった。言葉が、すっと頭に入ってきて、流れた。これはいわば<モロイ>の独白=モノローグだ。ひょっとしたら、再構成して芝居にできるかもしれない、と思った。 若いころから演劇の<独白>は好きだったし、多少の経験もある。<モロイ>のフランス語や英語は知らないが、自分は日本語の<モロイ>、ありていに言えば、<安藤元雄のモロイ>に直感したわけだ。<モロイ>は、声に出して読むように書かれているし、そう読める。 体の不自由な浮浪者が、なにかぶつぶつ呟きながら、通り過ぎていく。あるいは、だぶだぶの厚手のオーバーを着て、じっと地下街の通路に佇んでいる。この東方の国にも<モロイ>は遍在している。興に乗って<モロイ>の最初の部分、とくに<母親の調教>を中心にして、抜粋台本を作ってみた。 もっとも、あの当時の自分には、それを上演する力量はなかったし、演劇化する確たるイメージも持っていなかった。劇化のイメージを深められず、<モロイ>の言葉を身体化できる俳優のあてもなく、そのうち、コピーされた抜粋台本は、ほかの反故台本と一緒に、本箱の下の方で眠りについてしまった。 また月日が流れた。2000年ころに眼病を患い、健康不安に陥った。それ以前から稽古をしていた<説経節>を断念した。<ささら>片手に、野外で大声を出すことが、もう体力的にも精神的にも無理だった。そのかわり、というか、ほとんど体力を使わない<モロイ>の朗読なら、できそうな気がした。いま思えば非常に安易だが、往生際が悪く、依然として演劇的表現にこだわっていた。 さいわい、以前、抜粋構成した<モロイ>の台本が手元にあった。途中で放り出して、未完ではあるが、とにかく、読みだした。それをビデオに撮影して、自宅で少し稽古をした。だが、どうにもこうにも<モロイ>の言葉が浮ついてしまい、絵空事になっている。<モロイ>との実存的な接点がぼやけたままだ。 <モロイ>のどこに、何に惹かれたのか、発語の根拠を探したが、結局、そんなものはどこにもない。おりしも、眼病は悪化し、一回目の<モロイ>朗読の企ては自然消滅した。 ちなみに、その時の稽古ビデオが残っている。だが、これはいくらなんでも、人様にお見せするわけにはいかない。下手でも、そこに言霊が宿っていればいい。そうではなくて、たんに下手なだけなのだ。 一方では、眼病の悪化により、失明の瀬戸際まで追いつめられていた。演劇から足を洗うか、と本気で考えざるを得なかった。 話がだいぶ脱線してきたが、この文書では、<モロイ>朗読の経緯、朗読の諸問題、<極私的モロイ論>を書くつもりでいる。 眼病による頻繁な眼発作、失明の不安、薬の副作用、それに、お袋の介護。辛く、苦しい日々が続いた。その中で、唯一、気持ちが和むのは、出始めたばかりのデジカメで、なじみの入間川の 風景を撮ることだった。 2000年頃に歩いた、四国札所を敷衍して、入間川中流域約50キロ、橋ごとに番号をつけて、その間を、例えば<入間川五番、昭代橋>として、毎日歩くことを自分に課した。四国巡礼は、中途半端なままで、まだ四分の一しか歩いていない。だから、これは、いわば疑似巡礼の意味を持っていた。実存的な危機に瀕して、こうしたことで、己の矜持を支えようとしたのだ。 とはいえ、健康上の問題で、この疑似巡礼はしばしば中断された。自分には、もう若さも健康もなく、それらのありがたさを、いやというほど思い知らされた。それでも、暗闇の世界に生きることになる前に、入間川の全風景を、この目に、この頭に焼き付けておきたいという思いは強かった。失明した後に、ゆっくり、それらの風景を楽しむことができるじゃないか、と。 入間川<疑似巡礼>は、いわば、希望とも呼べない、弱者の抵抗だった。この間、六、七年、河原をさまよい、寒風に吹かれ、炎天に焼かれながら、感傷的に、<モロイ>は俺だ、と思った。そして、河原に暮らす、ホームレスたちの姿を見るにつけ、<モロイ>の遍在を感じた。浮浪者=モロイであり、自分は、そうした意味では、精神の浮浪者=モロイだった。ろくに<モロイ>を読んでいないのに、こう思えたのは、極度の自己閉塞で、少しおかしくなっていたのかもしれない。いや、なにかにすがりたいと思っていた。不在者=<モロイ>と自分が、どこかで通底していると思いたかった。 ちなみに、ユーチューブ版<モロイ朗読>の背景に流れる画像は、このとき撮ったものである。いま残っているものだけでも、数万枚はあるだろう。もっとも、そのほとんどは反故写真で、まともなものはほとんどない。 というような経緯を知っていただければ、朗読の背景に、超スローで入れ替わっていく、拙い画像の意味が、少しは理解していただけるだろうか。もっとも、自分としては、朗読と画像に、ほとんど違和感はない。画像には<モロイ>との実存的な接点が刻印されている。 さて、また月日が流れた。眼病を発してから、五、六年で、幸いにも、それ以上の眼発作は起きなくなり、失明の不安は少し和らいだ。さらに五、六年たち、左眼の視力はほとんど失ったが、寛解し始めた。要するに、両眼とも、元には戻らないが、これ以上悪くなることはなくなった。 むろん、頼みの右目に発作が起きない保証はない。その時は、文字を読むことも、パソコン入力もできなくなる。外出はおろか、人の手を借りた生活になるだろう。だが、もう十年もたった。大丈夫だろう、という楽観論で押し切って、お袋を看取り、オヤジを看取り、なんと、十五年にも及ぶ介護生活を無事に?終了した。精神的にも、肉体的にも、時間的にも、言ってみれば、<モロイ朗読>の環境が整ったわけだ。 肩の荷が下りた。これまで、これといったこともしてこなかったが、いちおう、人間としての役目は果たしたと思った。父母の死の、ほぼその瞬間まで付き合ったのだ。<自由>を感じた。これからは、何でもできると思った。だが、よくよく考えてみると、やりたいことも、やるべきことも、何一つなかった。心は、すっからかんだった。 入間川疑似巡礼が発展的に解消され、興味は<花写真>の制作へと移っていた。だが、それも、こうなった以上、なんだかやる気になれない。後退戦にすぎないわけだ。車で日本全国、絶景巡りでもしようかな、だがそんなことが、果たして面白いのか。残り少ない人生を費やすに値することなのだろうか。一瞬感じた<自由>は霧散していった。 とはいえ、このまま、家にこもっていても仕方ない。介護生活の中で、思い描いていた<沖縄旅行>を敢行した。一人旅は、お袋の介護が始まった2000年以来、十五年ぶりだった。楽しいことは楽しかったが、それだけだ。依然として、心は空っぽのままだ。 そうだ、灯台巡りをしようという案が浮かんだ。日本全国の灯台を撮り歩くのも、一興だ。ためしにと、静岡辺りの灯台を二、三撮りに行った。だが、これも思ったほど面白くはなかった。どこからか、灯台なんか撮って、何になるんだという声が聞こえてきた。せっかく、生れて初めてといってもいいが、自由に動ける時間と金があるのに、それを活用できないで、自室で腐っている。 ふと思いついて、本棚に並んでいる、これまで演出した作品のVHSビデオを、ユーチューブに、保管がてらアップしてみようと思った。ビデオに記録されたものは10本ほどだが、これを動画処理して、ユーチューブにアップするには、初めてのこともあり、かなり手間取った。というか、かなり集中した時間を過ごすことができた。 要するに、何十年かぶりに、自分の演出した舞台を見て、いろいろ考えさせられた。以前は、拙さだけが目について、思い出すのも嫌になっていたが、それだけではないなと思った。頭が、久しぶりに働いたのだ。 それに、<ユーチューブ>という表現媒体について、これまた初めて、まじめに考えた。ユーチューバーになって金を稼ぐ、などというばかげた話は、ひとまず置いて、これまで特権的であった、映像=動画の配信を、素人が手軽にできるということに思い至った。驚くこともない、インターネットの効用だが、それが、文書、画像を越えて、動画にまで及んでいるということが重要だ。 しかも、それらを、スマホで誰でも、いつでも、好きな時に見ることができる。半世紀ほど前、自分が演劇に関わり始めた頃には、ほとんど想像できない世界が展開されている。才能や資本のない者たちの、世界へ向けての、他者へ向けての、自己表現の機会が増大し、その媒体の多様性と相互性は奇跡的といってもいい。老兵は去るのみ、か!だがしかし、このまま中途半端な感じで終わってしまうのは、じつに悔しいではないか、と頭の隅で思った。最後の最後に、自分というものを、もう一度突き出してもいいのではないか、と。 以下、下記のブログに続く https://sekinetoshikazu.hatenadiary.org/

          叛通信Presents≪モロイ≫朗読 新・改訂版#1-1<Samuel Beckett Molloy>原作:サミュエル ベケット 翻訳:安藤元雄 音楽:エリックサティ 朗読台本 朗読 写真:関根俊和

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          叛通信Presents<灯台のある風景>日本灯台紀行 画像集8-1 三保半島編  静岡県 清水港 真崎海岸 清水港三保防波堤北灯台 富士山

          日本灯台紀行 画像集8-1 三保半島編 静岡県清水港 真崎海岸 清水港三保防波堤北灯台 富士山 音楽 エリック サティ ≪ジムノペディ≫ 演奏 ジャン=ジョエル バルビエ 静岡県 清水港 静岡県 真崎海岸 静岡県 清水港三保防波堤北灯台 静岡県 清水港外防波堤南灯台 静岡県 清水港外防波堤北灯台 日本国 富士山 写真 関根俊和 http://sekinetoshikazu.jp

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          <日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

          第9次灯台旅 出雲編 2021年4月18.19.20.21.22.23日 出雲旅一日目 4:30分起床。朝の支度、朝食・お茶漬け、目玉焼き、牛乳。排便なし。むろん、便意もない。5:35分出発。外はすでに明るくなっていた。5:54分、急行池袋行の電車に乗る。予定より一本早い電車だ。カメラを二台入れた重いカートを引いていくので、少し、というか、だいぶ早めに出発した。 池袋駅の東上線にも山手線にもエスカレーターがあるので、助かった。むろん、エスカレーターがホームのどの辺

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          叛通信Presents<灯台のある風景>日本灯台紀行 画像集7-2 能登半島編 2022年10月14日 撮影 石川県禄剛埼灯台 石川県鴨ヶ浦塩水プール

          叛通信Presents 日本灯台紀行 画像集7-2 能登半島編 音楽 エリック サティ ≪ジムノペディ≫ 演奏 ジャン=ジョエル バルビエ 2022年10月14日 撮影 石川県 禄剛埼灯台 石川県 禄剛崎 河岸段丘 石川県 輪島港第4防波堤灯台 石川県 輪島港第1防波堤灯台 石川県 竜ヶ埼灯台 石川県 鴨ヶ浦 石川県 鴨ヶ浦塩水プール 写真 関根俊和 http://sekinetoshikazu.jp

          叛通信Presents<灯台のある風景>日本灯台紀行 画像集7-2 能登半島編 2022年10月14日 撮影 石川県禄剛埼灯台 石川県鴨ヶ浦塩水プール

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          叛通信Presents <Samuel Beckett Malone Dies>≪マロウンは死ぬ≫朗読#3-3 改訂版 原作:サミュエルベケット 翻訳:高橋康也 朗読台本 写真 朗読:関根俊和

          叛通信Presents ≪マロウンは死ぬ≫朗読#3-3 改訂版 <Samuel Beckett Malone Dies> 原作:サミュエルベケット 翻訳:高橋康也 音楽:エリックサティ ジムノペディ2 演奏:ジャン=ジョエ バルビエ 千葉県 安房白浜灯台 千葉県 乙浜港南防波灯台 千葉県 塩浦港 朗読台本 写真 朗読:関根俊和  http://sekinetoshikazu.jp 備考 動画制作 2024年2月 動画公開 2024年3月3日 写真撮影地・千葉県南房総 機材・nikonD800 nikonD800e 期間・2020年 参照文献 <マロウンは死ぬ>訳者:高橋康也 白水社1969 <マロウンは死ぬ>訳者:永坂田津子 藤井かよ 太陽社1969 <マロウン死す>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019 <Malone Dies>SAMUEL BECKETT Edited by Peter Boxall faber and faber <現代の世界文学 モロイ>訳者:三輪秀彦 集英社1969 <ベケット モロイ>訳者:安堂信也 白水社1969 <筑摩世界文学大系82 モロイ>訳者:安藤元雄 筑摩書房1982 <無の表現 表現の無>著者:内田耕治 駿河台出版社1990 <無の研究>著者:内田耕治 牧歌舎2016 <モロイ サミュエルベケット>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019 参考文書1 <マロウンは死ぬ>朗読に際して 関根俊和 <ベケット小説三部作>の朗読を企図したのは、2018年の中頃だった。ほとんど思いつきといってもいい、この無鉄砲な行為は、それでも確実に実行されてしまい、<モロイ>朗読17最終章は、2021年の4月に完成した。 足掛け4年の歳月がかかってしまったのは、生来の飽きっぽさや、怠け癖が出てしまったからだが、そればかりでもない。難渋な内容に、時として、朗読行為そのものに懐疑的になったり、素人同然の朗読に、我ながら嫌気がさして、やる気がなくなったり、正直、途中で何度も投げ出したくなった。その都度、<モロイ朗読>を棚上げして、遊び呆けていたのだ。 だが、幸か不幸か?遊び呆けている月日に比例するかのように、しだいしだいに<モロイ朗読>が重みを増してきて、棚上げしていた、その棚がいまにも壊れそうだ。遊んでいても、もう気が気ではない。 ということで、また、しぶしぶながら、<モロイ朗読>にもどっていく。その繰り返しで、4年の歳月が過ぎてしまった。もっとも、<モロイ朗読>を放棄して、遊んでばかりいたら、4年という歳月は、痕跡すら残さず霧散していただろう。ま、それも一興ではあるが、やはり後悔したような気もする。 今年の四月に、一応、<モロイ>朗読は完了した。しかし、完了したとたんに、新改訂版を出さずにはいられない衝動に駆られた。とくに、第一部一章、二章は朗読しなおさねばなるまいと思った。それから、背景画像の入間川の風景写真が、あまりにもひどい!拙すぎて、我慢の限界を超えているものが多数ある。 とはいえ、とりあえずは、ひとつの大きな山は越えたのだし、少しの間は、<ベケット>の朗読から離れて、ゆっくりしたかった。それに、いざ、新改訂版を作るといっても、その作業の細密さや膨大さを思うだけで、気持ちが萎えてしまった。 ま、<モロイ>の新改訂版を作るよりは、ふたつめの大きな山に挑戦するほうが、まだ気が楽だ。すなわち<マロウンは死ぬ>の朗読だ。ところが、読みだしてすぐに理解したことは、死の床に就いている<マロウン>の言葉が、重すぎる! あと二、三週間で死ぬことになる老人のモノローグだ。少なくとも、あと十五年くらいは生きるつもりでいる自分との、実存的接点が見いだせない。<マロウン>の言葉を普通に朗読すること、ないしは<AI>さながら日本語で音声化することは、本意ではない。自分のやるべきことではないのだ。 <モロイ>より<マロウン>の方が気が楽だ、と思った浅薄な自分が情けなかった。<マロウン>朗読=発語は、自分に、<死>がリアルに感じられる時まで無理だ。そう結論して、再度、棚上げした。 それならばと、愚かな思考は、再び<モロイ>の新改訂版へと向かっていった。そして、ふとした思いつきで、というか、単純に体力的、気力的な問題で、一回の朗読を<章≒約三十分>ではなく<節≒約五分>にしてみようと思った。 この発想は、さらに、思いもよらぬ方向へと展開した。すなわち、これまで本棚で眠っていた<モロイ>の英語版を、電子辞書を片手に、日本語版=安藤元雄訳と突き合わせるという、いわば、<ベケットの文章>そのものへと接近する道筋が示されたのだ。 むろん、英語などは、ほとんどわからない。だが、わからないなりに、原文と訳文とを、照らし合わせるという作業は、知的な好奇心を呼び覚ましたし、なにか、謙虚に勉強しているような気になり、気持ちが清々しくなった。 そして、<モロイ>新改訂版のイメージも、ほとんど一瞬のうちに決まった。背景画像は、入間川の<風景写真>以後に撮った<花写真>に変更する。さらに、英語の原文をその上にスクロールする。朗読は一節ずつにして、一回の時間は五分程度。サティーの<ジムノペディ>は、従来通り、最後に三分ほど流す。著作権の問題が気になったので、このフォーマットで動画を作り、ユーチューブでテストした。<公開>可能だった。 2021年の七月、八月と、真夏の暑さの中、エアコンの効いた自室から、ほとんど外に出ず、<モロイ1-1>新改訂版の制作に集中した。その甲斐あって、自分なりに、満足のいくものができた。と、そこで、また思いついた。この方式、このフォーマットで<マロウン>も朗読できるのではないかと。 いや待ってくれ、<マロウン>朗読は、自分との実存的な接点が見いだせずに棚上げしているのではないか?ところが、なにかが変わってきたような気がするのだ。<マロウン>の寿命はあと二、三週間だが、ベケット自身は、その後、四十年近く生きている。なのに、死の床に就いている老人の言葉にあれほどの重みがあるのは、一体どういうことなのか。 おもえば、ベケットは、若い時から実存的な<死>と背中合わせの中で生きてきたのだ。だとするならば、<あと十五年は生きるつもりでいる>などという、アンポンタンな妄想は捨てて、あんたも、自分の置かれている状況と対峙すべきだ。つまり、来年で七十歳になり、しかも、心臓系の<基礎疾患>があるわけで、ある意味、いつ死んでもおかしくない状況だろう。たんにそのことから、目をそらしていただけなのだ。 目をそらしても、そらさなくても<死>は確実にやってくる。若い頃に、深く深く理解したことではなかったのか。むろんそれは、<形而上>的な問題であり、実存的な問題ではなかった。だから、<死なず>に、あるいは<死ねずに>にこれまで生きてこられたのだ。 しかし、いまや<死>は、もうそこまで来ている。これは比喩ではないのだ。<モロイ>新改訂版に取り組む作業の中で、なぜか、こうしたことを、今さらながらに実感した。<ベケット>の朗読をやっていられるのも、そんなに長い間じゃない。いや、数か月後に突然の終わりを迎える、という可能性すらあるのだ。 <ベケット小説三部作>の朗読を企図して、およそ四年がたった。ひとつの作品に四年かかるとすれば、二作目の<マロウンは死ぬ>、三作目の<名づけえぬもの>の朗読には、最低あと八年はかかるだろう。さてと、八年後に、自分が生きていて、しかも、朗読ができる心身の状態が維持されている可能性はどのくらいなのだろう。正確な数字などは、どうでもいい。その可能性は、そんなに高くない、ということだけで十分だ。 暑さがおさまった、2021年の九月に入って、<マロウンは死ぬ>の朗読作業を再開した。残されている時間は、さほど長くはないのだ。 ちなみに、<モロイ>朗読の際に書いた、<極私的モロイ論>に擬して、<極私的マロウン論>を書くつもりではいる。ただし、これから始まる、<マロウン>朗読の作業が、ある程度軌道に乗り、なにか、書くべき言葉が頭の中に浮かんできたらの話だ。早急にでっち上げても、意味がないだろう。2021-9-16 記

          叛通信Presents <Samuel Beckett Malone Dies>≪マロウンは死ぬ≫朗読#3-3 改訂版 原作:サミュエルベケット 翻訳:高橋康也 朗読台本 写真 朗読:関根俊和

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          叛通信Presents <Samuel Beckett Malone Dies>≪マロウンは死ぬ≫朗読#3-2 改訂版 原作:サミュエルベケット 翻訳:高橋康也 朗読台本 写真 朗読:関根俊和

          叛通信Presents ≪マロウンは死ぬ≫朗読#3-2 改訂版 <Samuel Beckett Malone Dies> 原作:サミュエルベケット 翻訳:高橋康也 音楽:エリックサティ ジムノペディ2 演奏:ジャン=ジョエ バルビエ 千葉県 野島埼灯台 千葉県 房総半島南端 朝日と夕日の見えるベンチ 千葉県 安房白浜灯台 朗読台本 写真 朗読:関根俊和  http://sekinetoshikazu.jp 備考 動画制作 2024年2月 動画公開 2024年2月28日 写真撮影地・千葉県南房総 機材・nikonD800 nikonD800e 期間・2020年 参照文献 <マロウンは死ぬ>訳者:高橋康也 白水社1969 <マロウンは死ぬ>訳者:永坂田津子 藤井かよ 太陽社1969 <マロウン死す>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019 <Malone Dies>SAMUEL BECKETT Edited by Peter Boxall faber and faber <現代の世界文学 モロイ>訳者:三輪秀彦 集英社1969 <ベケット モロイ>訳者:安堂信也 白水社1969 <筑摩世界文学大系82 モロイ>訳者:安藤元雄 筑摩書房1982 <無の表現 表現の無>著者:内田耕治 駿河台出版社1990 <無の研究>著者:内田耕治 牧歌舎2016 <モロイ サミュエルベケット>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019 参考文書1 <マロウンは死ぬ>朗読に際して 関根俊和 <ベケット小説三部作>の朗読を企図したのは、2018年の中頃だった。ほとんど思いつきといってもいい、この無鉄砲な行為は、それでも確実に実行されてしまい、<モロイ>朗読17最終章は、2021年の4月に完成した。 足掛け4年の歳月がかかってしまったのは、生来の飽きっぽさや、怠け癖が出てしまったからだが、そればかりでもない。難渋な内容に、時として、朗読行為そのものに懐疑的になったり、素人同然の朗読に、我ながら嫌気がさして、やる気がなくなったり、正直、途中で何度も投げ出したくなった。その都度、<モロイ朗読>を棚上げして、遊び呆けていたのだ。 だが、幸か不幸か?遊び呆けている月日に比例するかのように、しだいしだいに<モロイ朗読>が重みを増してきて、棚上げしていた、その棚がいまにも壊れそうだ。遊んでいても、もう気が気ではない。 ということで、また、しぶしぶながら、<モロイ朗読>にもどっていく。その繰り返しで、4年の歳月が過ぎてしまった。もっとも、<モロイ朗読>を放棄して、遊んでばかりいたら、4年という歳月は、痕跡すら残さず霧散していただろう。ま、それも一興ではあるが、やはり後悔したような気もする。 今年の四月に、一応、<モロイ>朗読は完了した。しかし、完了したとたんに、新改訂版を出さずにはいられない衝動に駆られた。とくに、第一部一章、二章は朗読しなおさねばなるまいと思った。それから、背景画像の入間川の風景写真が、あまりにもひどい!拙すぎて、我慢の限界を超えているものが多数ある。 とはいえ、とりあえずは、ひとつの大きな山は越えたのだし、少しの間は、<ベケット>の朗読から離れて、ゆっくりしたかった。それに、いざ、新改訂版を作るといっても、その作業の細密さや膨大さを思うだけで、気持ちが萎えてしまった。 ま、<モロイ>の新改訂版を作るよりは、ふたつめの大きな山に挑戦するほうが、まだ気が楽だ。すなわち<マロウンは死ぬ>の朗読だ。ところが、読みだしてすぐに理解したことは、死の床に就いている<マロウン>の言葉が、重すぎる! あと二、三週間で死ぬことになる老人のモノローグだ。少なくとも、あと十五年くらいは生きるつもりでいる自分との、実存的接点が見いだせない。<マロウン>の言葉を普通に朗読すること、ないしは<AI>さながら日本語で音声化することは、本意ではない。自分のやるべきことではないのだ。 <モロイ>より<マロウン>の方が気が楽だ、と思った浅薄な自分が情けなかった。<マロウン>朗読=発語は、自分に、<死>がリアルに感じられる時まで無理だ。そう結論して、再度、棚上げした。 それならばと、愚かな思考は、再び<モロイ>の新改訂版へと向かっていった。そして、ふとした思いつきで、というか、単純に体力的、気力的な問題で、一回の朗読を<章≒約三十分>ではなく<節≒約五分>にしてみようと思った。 この発想は、さらに、思いもよらぬ方向へと展開した。すなわち、これまで本棚で眠っていた<モロイ>の英語版を、電子辞書を片手に、日本語版=安藤元雄訳と突き合わせるという、いわば、<ベケットの文章>そのものへと接近する道筋が示されたのだ。 むろん、英語などは、ほとんどわからない。だが、わからないなりに、原文と訳文とを、照らし合わせるという作業は、知的な好奇心を呼び覚ましたし、なにか、謙虚に勉強しているような気になり、気持ちが清々しくなった。 そして、<モロイ>新改訂版のイメージも、ほとんど一瞬のうちに決まった。背景画像は、入間川の<風景写真>以後に撮った<花写真>に変更する。さらに、英語の原文をその上にスクロールする。朗読は一節ずつにして、一回の時間は五分程度。サティーの<ジムノペディ>は、従来通り、最後に三分ほど流す。著作権の問題が気になったので、このフォーマットで動画を作り、ユーチューブでテストした。<公開>可能だった。 2021年の七月、八月と、真夏の暑さの中、エアコンの効いた自室から、ほとんど外に出ず、<モロイ1-1>新改訂版の制作に集中した。その甲斐あって、自分なりに、満足のいくものができた。と、そこで、また思いついた。この方式、このフォーマットで<マロウン>も朗読できるのではないかと。 いや待ってくれ、<マロウン>朗読は、自分との実存的な接点が見いだせずに棚上げしているのではないか?ところが、なにかが変わってきたような気がするのだ。<マロウン>の寿命はあと二、三週間だが、ベケット自身は、その後、四十年近く生きている。なのに、死の床に就いている老人の言葉にあれほどの重みがあるのは、一体どういうことなのか。 おもえば、ベケットは、若い時から実存的な<死>と背中合わせの中で生きてきたのだ。だとするならば、<あと十五年は生きるつもりでいる>などという、アンポンタンな妄想は捨てて、あんたも、自分の置かれている状況と対峙すべきだ。つまり、来年で七十歳になり、しかも、心臓系の<基礎疾患>があるわけで、ある意味、いつ死んでもおかしくない状況だろう。たんにそのことから、目をそらしていただけなのだ。 目をそらしても、そらさなくても<死>は確実にやってくる。若い頃に、深く深く理解したことではなかったのか。むろんそれは、<形而上>的な問題であり、実存的な問題ではなかった。だから、<死なず>に、あるいは<死ねずに>にこれまで生きてこられたのだ。 しかし、いまや<死>は、もうそこまで来ている。これは比喩ではないのだ。<モロイ>新改訂版に取り組む作業の中で、なぜか、こうしたことを、今さらながらに実感した。<ベケット>の朗読をやっていられるのも、そんなに長い間じゃない。いや、数か月後に突然の終わりを迎える、という可能性すらあるのだ。 <ベケット小説三部作>の朗読を企図して、およそ四年がたった。ひとつの作品に四年かかるとすれば、二作目の<マロウンは死ぬ>、三作目の<名づけえぬもの>の朗読には、最低あと八年はかかるだろう。さてと、八年後に、自分が生きていて、しかも、朗読ができる心身の状態が維持されている可能性はどのくらいなのだろう。正確な数字などは、どうでもいい。その可能性は、そんなに高くない、ということだけで十分だ。 暑さがおさまった、2021年の九月に入って、<マロウンは死ぬ>の朗読作業を再開した。残されている時間は、さほど長くはないのだ。 ちなみに、<モロイ>朗読の際に書いた、<極私的モロイ論>に擬して、<極私的マロウン論>を書くつもりではいる。ただし、これから始まる、<マロウン>朗読の作業が、ある程度軌道に乗り、なにか、書くべき言葉が頭の中に浮かんできたらの話だ。早急にでっち上げても、意味がないだろう。2021-9-16 記

          叛通信Presents <Samuel Beckett Malone Dies>≪マロウンは死ぬ≫朗読#3-2 改訂版 原作:サミュエルベケット 翻訳:高橋康也 朗読台本 写真 朗読:関根俊和

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          <日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

          第11次灯台旅 網走編 2021年10月5.6.7.8日 四日目 #13 網走観光1 四日目の朝は五時過ぎに目が覚めた。スマホで天気予報を見ると、曇りだったはずなのに、午前中に晴れマークがついている。天気がころころ変わりすぎる。帰宅日だけど、ちょこっと灯台を撮りに行こうかな、迷ってしまった。だが、今日の予定をざっと思い浮かべると、なんだかあわただしい。一時過ぎのフライトだ。十二時過ぎには、空港に着いてなくてはならない。撮影する気がなくなった。 もっとも、撮影する気にな

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          叛通信Presents <Samuel Beckett Malone Dies>≪マロウンは死ぬ≫朗読#3-1 改訂版 原作:サミュエルベケット 翻訳:高橋康也 朗読台本 写真 朗読:関根俊和

          叛通信Presents ≪マロウンは死ぬ≫朗読#3-1 改訂版 <Samuel Beckett Malone Dies> 原作:サミュエルベケット 翻訳:高橋康也 音楽:エリックサティ ジムノペディ2 演奏:ジャン=ジョエ バルビエ 東京湾 海ほたる 東京都 スカイツリー 千葉県 野島埼灯台 千葉県 房総半島南端 朝日と夕日の見えるベンチ 千葉県 安房白浜灯台 朗読台本 写真 朗読:関根俊和  http://sekinetoshikazu.jp 備考 動画制作 2024年2月 動画公開 2024年2月23日 写真撮影地・t千葉県南房総 機材・nikonD800 nikonD800e 期間・2020年 参照文献 <マロウンは死ぬ>訳者:高橋康也 白水社1969 <マロウンは死ぬ>訳者:永坂田津子 藤井かよ 太陽社1969 <マロウン死す>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019 <Malone Dies>SAMUEL BECKETT Edited by Peter Boxall faber and faber <現代の世界文学 モロイ>訳者:三輪秀彦 集英社1969 <ベケット モロイ>訳者:安堂信也 白水社1969 <筑摩世界文学大系82 モロイ>訳者:安藤元雄 筑摩書房1982 <無の表現 表現の無>著者:内田耕治 駿河台出版社1990 <無の研究>著者:内田耕治 牧歌舎2016 <モロイ サミュエルベケット>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019 参考文書1 <マロウンは死ぬ>朗読に際して 関根俊和 <ベケット小説三部作>の朗読を企図したのは、2018年の中頃だった。ほとんど思いつきといってもいい、この無鉄砲な行為は、それでも確実に実行されてしまい、<モロイ>朗読17最終章は、2021年の4月に完成した。 足掛け4年の歳月がかかってしまったのは、生来の飽きっぽさや、怠け癖が出てしまったからだが、そればかりでもない。難渋な内容に、時として、朗読行為そのものに懐疑的になったり、素人同然の朗読に、我ながら嫌気がさして、やる気がなくなったり、正直、途中で何度も投げ出したくなった。その都度、<モロイ朗読>を棚上げして、遊び呆けていたのだ。 だが、幸か不幸か?遊び呆けている月日に比例するかのように、しだいしだいに<モロイ朗読>が重みを増してきて、棚上げしていた、その棚がいまにも壊れそうだ。遊んでいても、もう気が気ではない。 ということで、また、しぶしぶながら、<モロイ朗読>にもどっていく。その繰り返しで、4年の歳月が過ぎてしまった。もっとも、<モロイ朗読>を放棄して、遊んでばかりいたら、4年という歳月は、痕跡すら残さず霧散していただろう。ま、それも一興ではあるが、やはり後悔したような気もする。 今年の四月に、一応、<モロイ>朗読は完了した。しかし、完了したとたんに、新改訂版を出さずにはいられない衝動に駆られた。とくに、第一部一章、二章は朗読しなおさねばなるまいと思った。それから、背景画像の入間川の風景写真が、あまりにもひどい!拙すぎて、我慢の限界を超えているものが多数ある。 とはいえ、とりあえずは、ひとつの大きな山は越えたのだし、少しの間は、<ベケット>の朗読から離れて、ゆっくりしたかった。それに、いざ、新改訂版を作るといっても、その作業の細密さや膨大さを思うだけで、気持ちが萎えてしまった。 ま、<モロイ>の新改訂版を作るよりは、ふたつめの大きな山に挑戦するほうが、まだ気が楽だ。すなわち<マロウンは死ぬ>の朗読だ。ところが、読みだしてすぐに理解したことは、死の床に就いている<マロウン>の言葉が、重すぎる! あと二、三週間で死ぬことになる老人のモノローグだ。少なくとも、あと十五年くらいは生きるつもりでいる自分との、実存的接点が見いだせない。<マロウン>の言葉を普通に朗読すること、ないしは<AI>さながら日本語で音声化することは、本意ではない。自分のやるべきことではないのだ。 <モロイ>より<マロウン>の方が気が楽だ、と思った浅薄な自分が情けなかった。<マロウン>朗読=発語は、自分に、<死>がリアルに感じられる時まで無理だ。そう結論して、再度、棚上げした。 それならばと、愚かな思考は、再び<モロイ>の新改訂版へと向かっていった。そして、ふとした思いつきで、というか、単純に体力的、気力的な問題で、一回の朗読を<章≒約三十分>ではなく<節≒約五分>にしてみようと思った。 この発想は、さらに、思いもよらぬ方向へと展開した。すなわち、これまで本棚で眠っていた<モロイ>の英語版を、電子辞書を片手に、日本語版=安藤元雄訳と突き合わせるという、いわば、<ベケットの文章>そのものへと接近する道筋が示されたのだ。 むろん、英語などは、ほとんどわからない。だが、わからないなりに、原文と訳文とを、照らし合わせるという作業は、知的な好奇心を呼び覚ましたし、なにか、謙虚に勉強しているような気になり、気持ちが清々しくなった。 そして、<モロイ>新改訂版のイメージも、ほとんど一瞬のうちに決まった。背景画像は、入間川の<風景写真>以後に撮った<花写真>に変更する。さらに、英語の原文をその上にスクロールする。朗読は一節ずつにして、一回の時間は五分程度。サティーの<ジムノペディ>は、従来通り、最後に三分ほど流す。著作権の問題が気になったので、このフォーマットで動画を作り、ユーチューブでテストした。<公開>可能だった。 2021年の七月、八月と、真夏の暑さの中、エアコンの効いた自室から、ほとんど外に出ず、<モロイ1-1>新改訂版の制作に集中した。その甲斐あって、自分なりに、満足のいくものができた。と、そこで、また思いついた。この方式、このフォーマットで<マロウン>も朗読できるのではないかと。 いや待ってくれ、<マロウン>朗読は、自分との実存的な接点が見いだせずに棚上げしているのではないか?ところが、なにかが変わってきたような気がするのだ。<マロウン>の寿命はあと二、三週間だが、ベケット自身は、その後、四十年近く生きている。なのに、死の床に就いている老人の言葉にあれほどの重みがあるのは、一体どういうことなのか。 おもえば、ベケットは、若い時から実存的な<死>と背中合わせの中で生きてきたのだ。だとするならば、<あと十五年は生きるつもりでいる>などという、アンポンタンな妄想は捨てて、あんたも、自分の置かれている状況と対峙すべきだ。つまり、来年で七十歳になり、しかも、心臓系の<基礎疾患>があるわけで、ある意味、いつ死んでもおかしくない状況だろう。たんにそのことから、目をそらしていただけなのだ。 目をそらしても、そらさなくても<死>は確実にやってくる。若い頃に、深く深く理解したことではなかったのか。むろんそれは、<形而上>的な問題であり、実存的な問題ではなかった。だから、<死なず>に、あるいは<死ねずに>にこれまで生きてこられたのだ。 しかし、いまや<死>は、もうそこまで来ている。これは比喩ではないのだ。<モロイ>新改訂版に取り組む作業の中で、なぜか、こうしたことを、今さらながらに実感した。<ベケット>の朗読をやっていられるのも、そんなに長い間じゃない。いや、数か月後に突然の終わりを迎える、という可能性すらあるのだ。 <ベケット小説三部作>の朗読を企図して、およそ四年がたった。ひとつの作品に四年かかるとすれば、二作目の<マロウンは死ぬ>、三作目の<名づけえぬもの>の朗読には、最低あと八年はかかるだろう。さてと、八年後に、自分が生きていて、しかも、朗読ができる心身の状態が維持されている可能性はどのくらいなのだろう。正確な数字などは、どうでもいい。その可能性は、そんなに高くない、ということだけで十分だ。 暑さがおさまった、2021年の九月に入って、<マロウンは死ぬ>の朗読作業を再開した。残されている時間は、さほど長くはないのだ。 ちなみに、<モロイ>朗読の際に書いた、<極私的モロイ論>に擬して、<極私的マロウン論>を書くつもりではいる。ただし、これから始まる、<マロウン>朗読の作業が、ある程度軌道に乗り、なにか、書くべき言葉が頭の中に浮かんできたらの話だ。早急にでっち上げても、意味がないだろう。2021-9-16 記

          叛通信Presents <Samuel Beckett Malone Dies>≪マロウンは死ぬ≫朗読#3-1 改訂版 原作:サミュエルベケット 翻訳:高橋康也 朗読台本 写真 朗読:関根俊和

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          叛通信Presents <Samuel Beckett Malone Dies>≪マロウンは死ぬ≫朗読#2-3 改訂版 原作:サミュエルベケット 翻訳:高橋康也 朗読台本 写真 朗読:関根俊和

          叛通信Presents ≪マロウンは死ぬ≫朗読#2-3 改訂版 <Samuel Beckett Malone Dies> 原作:サミュエルベケット 翻訳:高橋康也 音楽:エリックサティ ジムノペディ2 演奏:ジャン=ジョエ バルビエ 山形県 鼠ヶ関灯台 山形県 鼠ヶ関港西防波堤灯台 朗読台本 写真 朗読:関根俊和  http://sekinetoshikazu.jp 備考 動画制作 2024年2月 動画公開 2024年2月21日 写真撮影地・山形県鶴岡市 機材・nikonD800 nikonD800e 期間・2020年 参照文献 <マロウンは死ぬ>訳者:高橋康也 白水社1969 <マロウンは死ぬ>訳者:永坂田津子 藤井かよ 太陽社1969 <マロウン死す>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019 <Malone Dies>SAMUEL BECKETT Edited by Peter Boxall faber and faber <現代の世界文学 モロイ>訳者:三輪秀彦 集英社1969 <ベケット モロイ>訳者:安堂信也 白水社1969 <筑摩世界文学大系82 モロイ>訳者:安藤元雄 筑摩書房1982 <無の表現 表現の無>著者:内田耕治 駿河台出版社1990 <無の研究>著者:内田耕治 牧歌舎2016 <モロイ サミュエルベケット>訳者:宇野邦一 河出書房新社2019 参考文書1 <マロウンは死ぬ>朗読に際して 関根俊和 <ベケット小説三部作>の朗読を企図したのは、2018年の中頃だった。ほとんど思いつきといってもいい、この無鉄砲な行為は、それでも確実に実行されてしまい、<モロイ>朗読17最終章は、2021年の4月に完成した。 足掛け4年の歳月がかかってしまったのは、生来の飽きっぽさや、怠け癖が出てしまったからだが、そればかりでもない。難渋な内容に、時として、朗読行為そのものに懐疑的になったり、素人同然の朗読に、我ながら嫌気がさして、やる気がなくなったり、正直、途中で何度も投げ出したくなった。その都度、<モロイ朗読>を棚上げして、遊び呆けていたのだ。 だが、幸か不幸か?遊び呆けている月日に比例するかのように、しだいしだいに<モロイ朗読>が重みを増してきて、棚上げしていた、その棚がいまにも壊れそうだ。遊んでいても、もう気が気ではない。 ということで、また、しぶしぶながら、<モロイ朗読>にもどっていく。その繰り返しで、4年の歳月が過ぎてしまった。もっとも、<モロイ朗読>を放棄して、遊んでばかりいたら、4年という歳月は、痕跡すら残さず霧散していただろう。ま、それも一興ではあるが、やはり後悔したような気もする。 今年の四月に、一応、<モロイ>朗読は完了した。しかし、完了したとたんに、新改訂版を出さずにはいられない衝動に駆られた。とくに、第一部一章、二章は朗読しなおさねばなるまいと思った。それから、背景画像の入間川の風景写真が、あまりにもひどい!拙すぎて、我慢の限界を超えているものが多数ある。 とはいえ、とりあえずは、ひとつの大きな山は越えたのだし、少しの間は、<ベケット>の朗読から離れて、ゆっくりしたかった。それに、いざ、新改訂版を作るといっても、その作業の細密さや膨大さを思うだけで、気持ちが萎えてしまった。 ま、<モロイ>の新改訂版を作るよりは、ふたつめの大きな山に挑戦するほうが、まだ気が楽だ。すなわち<マロウンは死ぬ>の朗読だ。ところが、読みだしてすぐに理解したことは、死の床に就いている<マロウン>の言葉が、重すぎる! あと二、三週間で死ぬことになる老人のモノローグだ。少なくとも、あと十五年くらいは生きるつもりでいる自分との、実存的接点が見いだせない。<マロウン>の言葉を普通に朗読すること、ないしは<AI>さながら日本語で音声化することは、本意ではない。自分のやるべきことではないのだ。 <モロイ>より<マロウン>の方が気が楽だ、と思った浅薄な自分が情けなかった。<マロウン>朗読=発語は、自分に、<死>がリアルに感じられる時まで無理だ。そう結論して、再度、棚上げした。 それならばと、愚かな思考は、再び<モロイ>の新改訂版へと向かっていった。そして、ふとした思いつきで、というか、単純に体力的、気力的な問題で、一回の朗読を<章≒約三十分>ではなく<節≒約五分>にしてみようと思った。 この発想は、さらに、思いもよらぬ方向へと展開した。すなわち、これまで本棚で眠っていた<モロイ>の英語版を、電子辞書を片手に、日本語版=安藤元雄訳と突き合わせるという、いわば、<ベケットの文章>そのものへと接近する道筋が示されたのだ。 むろん、英語などは、ほとんどわからない。だが、わからないなりに、原文と訳文とを、照らし合わせるという作業は、知的な好奇心を呼び覚ましたし、なにか、謙虚に勉強しているような気になり、気持ちが清々しくなった。 そして、<モロイ>新改訂版のイメージも、ほとんど一瞬のうちに決まった。背景画像は、入間川の<風景写真>以後に撮った<花写真>に変更する。さらに、英語の原文をその上にスクロールする。朗読は一節ずつにして、一回の時間は五分程度。サティーの<ジムノペディ>は、従来通り、最後に三分ほど流す。著作権の問題が気になったので、このフォーマットで動画を作り、ユーチューブでテストした。<公開>可能だった。 2021年の七月、八月と、真夏の暑さの中、エアコンの効いた自室から、ほとんど外に出ず、<モロイ1-1>新改訂版の制作に集中した。その甲斐あって、自分なりに、満足のいくものができた。と、そこで、また思いついた。この方式、このフォーマットで<マロウン>も朗読できるのではないかと。 いや待ってくれ、<マロウン>朗読は、自分との実存的な接点が見いだせずに棚上げしているのではないか?ところが、なにかが変わってきたような気がするのだ。<マロウン>の寿命はあと二、三週間だが、ベケット自身は、その後、四十年近く生きている。なのに、死の床に就いている老人の言葉にあれほどの重みがあるのは、一体どういうことなのか。 おもえば、ベケットは、若い時から実存的な<死>と背中合わせの中で生きてきたのだ。だとするならば、<あと十五年は生きるつもりでいる>などという、アンポンタンな妄想は捨てて、あんたも、自分の置かれている状況と対峙すべきだ。つまり、来年で七十歳になり、しかも、心臓系の<基礎疾患>があるわけで、ある意味、いつ死んでもおかしくない状況だろう。たんにそのことから、目をそらしていただけなのだ。 目をそらしても、そらさなくても<死>は確実にやってくる。若い頃に、深く深く理解したことではなかったのか。むろんそれは、<形而上>的な問題であり、実存的な問題ではなかった。だから、<死なず>に、あるいは<死ねずに>にこれまで生きてこられたのだ。 しかし、いまや<死>は、もうそこまで来ている。これは比喩ではないのだ。<モロイ>新改訂版に取り組む作業の中で、なぜか、こうしたことを、今さらながらに実感した。<ベケット>の朗読をやっていられるのも、そんなに長い間じゃない。いや、数か月後に突然の終わりを迎える、という可能性すらあるのだ。 <ベケット小説三部作>の朗読を企図して、およそ四年がたった。ひとつの作品に四年かかるとすれば、二作目の<マロウンは死ぬ>、三作目の<名づけえぬもの>の朗読には、最低あと八年はかかるだろう。さてと、八年後に、自分が生きていて、しかも、朗読ができる心身の状態が維持されている可能性はどのくらいなのだろう。正確な数字などは、どうでもいい。その可能性は、そんなに高くない、ということだけで十分だ。 暑さがおさまった、2021年の九月に入って、<マロウンは死ぬ>の朗読作業を再開した。残されている時間は、さほど長くはないのだ。 ちなみに、<モロイ>朗読の際に書いた、<極私的モロイ論>に擬して、<極私的マロウン論>を書くつもりではいる。ただし、これから始まる、<マロウン>朗読の作業が、ある程度軌道に乗り、なにか、書くべき言葉が頭の中に浮かんできたらの話だ。早急にでっち上げても、意味がないだろう。2021-9-16 記

          叛通信Presents <Samuel Beckett Malone Dies>≪マロウンは死ぬ≫朗読#2-3 改訂版 原作:サミュエルベケット 翻訳:高橋康也 朗読台本 写真 朗読:関根俊和

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          <日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

          第11次灯台旅 網走編 2021年10月5.6.7.8日 三日目 #10 能取岬灯台撮影 4 昨晩は、ホテルに<18:30>頃着いた。時間的には夕方だが、夜になっていた。<すき家>で調達した豚丼特盛を食べ、風呂に入った。と、足首の周りが、異常に痛痒い。掻いては、いかん!と思いながらも、思いっきり掻いてしまった。風呂から上がってからは、日誌のメモ書き、撮影画像のモニターなどをしていた。おいおい、足首の周りが真っ赤だぜ。しかも、痒さが尋常じゃない。いつものアレルギー性湿疹だ

          <日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版