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<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>

第14次灯台旅 能登半島編

2022年10月12.13.14.15日

#4 二日目(2) 2022-10-13(木)晴れ時々曇り

赤崎灯台撮影

能越道は、かなり頻繁に追い越し車線があり、片側一車線の高速道路のわりには走りやすかった。険阻な山の中に、トンネルをくりぬいて作った道路で、ときどき、かなた下の方に、海や集落が見える。ナビを見ながら、能登半島の東側の海沿いを北上しているんだ、という感じを楽しんだ。

かなり走って、能越道を下りた。無料だった。得した気分だね。そこからは、一本道の県道(249号線)で、途中、この旅で、唯一、車間を詰められた場所だ。大型トラックで、品川ナンバーだった。ついでに言っておくと、富山、石川ナンバーは、トラックも含めて、総じて、穏健な運転をしている車が多かった。

県道からそれて、集落の中をくねくね行くと、イチゴ農園があり、その先の行き止まりに赤崎灯台が見えた。手前はかなり広い未舗装の駐車場で、先客がいたが、入れ違いに出ていった。カメラを手にしていた爺だ。灯台を撮りに来たのだろう。トイレと、宴会ができそうな大きな東屋もあった。十時半頃到着したのだから、三時間ほどかかっている。ま、下調べの段階では、110キロ、二時間半と予定していたから、妥当なところだ。

波打ち際の岩場の上に、正確に言えば、コンクリの台座の上に赤崎灯台は立っていた。ごつごつとした岩場は、赤茶けた色をしている。背景が、きれいな青い空と紺碧の海なので、ややどぎつい感じがする。遥か彼方には、陸地が見える。地理的には、能登半島の東岸だろう。あとで調べると、建物などが見えたあたりは<珠洲市>らしい。

駐車場の海側は、さほど高くない防潮堤に守られていたが、なぜか、灯台の前で切れていて、そこから容易に岩場に入ることができる。この岩場の上には、半間ほどのコンクリの遊歩道が敷かれていて、灯台の根元まで続いている。

灯台は、巨大な石臼のような台座の上にあり、波風から守られている。五、六段のコンクリ階段が併設されていて、うえに上がれる。灯台本体は、人の背丈の三倍ほどの高さの、白い、細長い円柱で、てっぺんに円盤が置いてある。円盤の周りにはぐるっとステンの柵が巡らしてあり、点灯用の機械類が設置されている。細い棒状のアンテナや小さな太陽光電池も見える。

灯台の胴体には、補修点検のためだろう、形状と長さが少し違う、二種類のステンの梯子が垂直に掛けられていた。総じて、造形的には、機能一点張りで、やや趣に欠ける。だが、さほど無機的には感じられなかった。タイル張りで、円柱が上に行くにしたがって、少し細くなっていたからだろうか。

それと、コンクリの半間幅の遊歩道や台座には、昭和の趣がある。設備類の方は近代化されていて、保守点検がきっちり行われている。この灯台は、かなり長い間、人間によって、大切に守られている。しかも、赤茶けた岩場は、大昔からの人間の憩いの場でもある。その、なんというか、諸々のぬくもりが、そこはかとなく感じられたのだ。

天気も良くて、ロケーションも最高だ。気合を入れて写真を撮りだした。まずは、遊歩道を歩きながら、灯台に向かって、歩き撮りした。しかし、思いのほか、灯台の背が高いので、すぐに、画面に収まりきらなくなった。それでも、一応、根元まで行ってみようと思った。灯台は、すぐ目の前だ。

五、六段のコンクリ階段を登り、台座の上に上がった。灯台の根元だから、灯台の写真は、むろん撮れない。だが、広々とした海が気持ちいい。左側からせり出している、はるか彼方の、陸地というか、能登半島を目で追いながら、その先端部で視線を止めた。今日の最終目的地、禄剛埼灯台が立っている岬なのかもしれないと思った。(あとで調べると、これは勘違いで、地理的には、珠洲市小泊の長手埼灯台の立つ岬のあたりだった)。

台座から下りて、遊歩道を戻った。すこし角度を変えて撮ろうと思って、右側の岩場に入った。だが、足場が確保できない。ごつごつしていて、平らなところがない。下手をすると、滑って転んでしまいそうだ。それに、灯台の見え方が、なんとなくそっけない。真横から見ているから、台座に付帯している階段がのっぺりしている。段々も見えないから、階段らしくない。胴体に掛かっている梯子も、縦一文字の、たんなるステンレスの棒になっている。要するに、灯台の見栄えが良くないのだ。

右側面からのアングルは、だめだ。となれば、今度は左側面から見てみよう。ところが、左側の岩場も、踏み込んでいくには危険すぎる。あたり一面、ごつごつの濡れた岩ばかりだ。しかも、正確に言えば、灯台を左側面から見るには、海の中に入らねばらない。むろんこれは無理だろう。ただ、背後の大きな東屋の前に段差があり、砂地になっている。このあたりが、灯台を左側から撮ることのできる限界だ。しかし、この位置からだと、コンクリの遊歩道は、手前のごつごつした岩場に遮られて見えない。

ここまできて、やっと、この赤崎灯台の、ベストポイントが頭の中で見えてきた。岩場の遊歩道と台座の階段、あと胴体に掛かるステンの梯子は、しっかり画面に収める必要がある。だが、この三つの要素をおさえる位置取りは、かなりたくさんある。大げさに言えば、ほぼ無限だろう。そんなに神経質になることもあるまい。歩き撮りしながら、あたり一帯、逐一撮っておけばいい。そんなに広い範囲じゃない。それに、三脚を立てて、灯台に絡めて、朝日や夕日を撮るわけではない。どこがベストポイントなのかを、いま早急に判断する必要性はないのだ。

それでも、おそるおそる、濡れた岩場にちょっとだけ踏み込みこんだ。灯台の、一番かっこよく見える場所を探しながら、写真を撮りまくった。赤茶けた岩場に、白波が押し寄せてくる。濃紺の海と、雲一つない青空。最高の<灯台のある風景>だった。

ほぼ撮り終えて、カメラから目を離すと、海鳥たちが、波間にぷかぷか浮かんでいるのが、眼に入ってきた。よく見ると、かなりの数だ。頭から海のなかへ潜り込んだり、いきなり飛び立ったり、突っつきあったり、岩の上にじっととまっていたりと、見た目、かなり忙しい。それに、波音に交じって、甲高い鳴き声も聞こえてきた。

なんとなく見ていると、海鳥たちが一斉に飛び立った。目で追うと、ある岩の辺に群がって、ぎゃあ~ぎゃあ~騒いでいる。魚がいるんだなと思った。海風が強いので、吹き飛ばされてしまうのもいるが、つぎつぎと頭から海のなかへ突っ込んでいく。すぐに海中から飛び上がって来るが、魚をくわえているようには見えない。だが、そんなことにはお構いなしに、海面を境に、飛びこむ鳥と、飛びあがってくる鳥とが入り混じって、大騒ぎだ。この騒ぎを聞きつけ、周りの鳥たちが、さらに集まってくる。

しかしそのうち、魚の群れが移動してしまったのか、海鳥たちは静かになって、三々五々、この場から離れていった。そして、周辺で、また思い思いの行動をとっている。なるほどと思った。海鳥たちは、いわば、集団で漁をしているのだ。一羽が、魚の群れを見つけると、合図をして、ほかの仲間に伝える。別の時には、合図をもらった鳥が、ほかの鳥たちに合図をすることもあるのだろう。海鳥たちが群れているのは、寂しいからじゃない。生存がかかっているのだ。あらためて、自然の厳しさと、野生のすごさを感じた。

常日頃から、自分は群れている人間たちを心の中では軽蔑してきた。しかし実際には、自分もこれまで、群れ=小集団に属して、生き延びて来た。忸怩たる思いである。現代社会で人間が群れているのと、岩場で海鳥たちが群れているのとは、たしかに位相が違うだろう。だが、どちらも、一種の自己保存の本能が働いているのだろう。仲間外れにされること、あるいは、仲間を持たぬことは、海鳥においても、人間においても<寂しい>ということ以上に、個の生存に関わることなのだ。

とはいえ、海鳥と違い、人間である自分は、もっと、いい仲間を探すこともできたし、いやな仲間とは絶縁することもできははずだ。そうした努力をしてこなかったわけだし、波風を立てることを避けてきた。いわば、ずるい、妥協的な生き方だ。だが、海鳥たちの必死のダイビングを目の当たりにした時、そんな偽善的な生き方ですら、やはり、本能的な一種の自己保存なのだと思えた。波間にぷかぷか浮かんで、群なす海鳥は、生きるのに一生懸命だ。どんなにか破廉恥なことをして来たにせよ、生き延びて来たことが大切なのだ、と思った。

小一時間の撮影のあいだ、誰も来なかった。とはいえ、明るい場所なので、うら寂れた感じはしなかった。<灯台のある風景>の前で、撮影だけに集中できたのだ。じつに充実した時間だった。最後に、駐車場に止まっている白い車をスナップして、赤崎灯台を後にした。

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