見出し画像

<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版

第15次灯台旅 四国編 

2022年11月12.13.14.15.16.17.18.19.20日

#2 二日目(1) 2022-11-13(日)

移動

上灘港西防波堤灯台 撮影

四国旅、二日目の朝は、山陽道、龍野西SAで目が覚めた。

昨晩は、いつものように、一、二時間おきに夜間トイレで起きた。おしっこ缶に用を足し、ジョウロで、1000mmのペットボトルに移した。朝までに、透明な飴色の液体でいっぱいになっていた。

午前四時半頃には、完全に目がさめて、ま、当たり前だな、宵の口の八時過ぎには寝ていたのだから、五時には起きた。あたりはまだ真っ暗だった。とはいえ、24時間営業のコンビニがあるので、施設周辺は煌々としている。

騒音にも悩まされず、昨晩はよく寝られたほうだ。夜間トイレの度に、日除けシェードの隙間から、外の様子を窺がっていたが、これといって変わったこともなく、そのうちには、自分の近くにも、車中泊の車が数台止まるようになっていた。

まずは車内整頓、といっても、布団をたたんで端に寄せるだけだが、あとは、シェーバーで髭剃り、歯磨き、着替え、それに、シェードを外し、窓ガラスの水滴を手ぬぐいできれいに拭きとった。

車の外に出た。ヒヤッとした。パーカのフードを頭にかぶり、白い手ぬぐいを首にかけた。ペットボトルとおしっこ缶を、ナイロンの買い物袋に入れて、サンダル履きでトイレに行った。どこから見ても、誰が見ても、トラックの運ちゃんだろう。

どんなトイレだったか、思い出せない。きれいだったことに間違いはない。が、細部がまったく思い出せない。<大>の個室に入って、便器に、ペットボトルのおしっこを捨てた。そのあと、洗面所の鏡の前に立った。変なオヤジが写っている。ま、いい。蛇口をひねると、お湯が出た。いや、ここは水だったかもしれない。二、三回、両手ですくって、顔を洗った。手拭いできれいに拭うと、気分が新たになった。

空になったペットボトルとおしっこ缶を、所定のごみ箱に捨てて、車に戻った。運転席に座って、昨晩買い置きしたおにぎりや菓子パンを食べたような気がする。あたりが少し明るくなってきた。六時半、<龍野西SA>を出発した。ガソリンスタンドの前を通ると、まだ閉まっていた。やはり昨日のうちに給油して正解だった。

車中泊での夜から朝までの流れは、この後も、おおよそ、このようなものだった。単純化すると、夕食、就寝準備、消燈、夜間トイレ、起床、整頓、身支度、朝食、そして排便と言った流れだ。これら一連の行動は、毎日自宅でも繰り返していることで、結局、旅に出ようが、車中泊しようが、生活の根本は変わらない。

極論すれば、<生きる>とは、食べること、寝ること、排出することだ。ただ、それらの場所と時間が変化するので、なにか新鮮な感じがする。不自由な思いをして、都市生活の利便性を、あたためて感じたというわけだ。

<7:50 与島PA 雨 排便>。<与島PA>とは本州と四国とを結ぶ瀬戸中央自動車道にあるパーキングエリアで、事前の下調べの段階で、寄ってみようと思っていた。本州と四国のほぼ中間にある島だから、当然、展望はいいだろう。ところが、あいにくの雨。しかも、かなり強く降ってきて、外に出るのもためらわれる。なるべく施設に近い場所に駐車したいのだが、けっこう車がいる。なんとかスペースを見つけて車を止めた。雨っぷりの朝っぱらから混んでいるのは日曜日だからだ、とあとで思った。

すぐ目の前が施設だから、傘など面倒だ。パーカのフードをかぶって、速足で、まずトイレに入った。きれいだったことは覚えている。個室で<大>をして、すっきりした。施設内に展望室があったので、いちおう、エレベーターで昇ってみた。ドアが開くと、外はベランダになっていた。雨が降っているので、出入り口の廂から出ることはせず、立ち止まって、デジカメで何枚か記念写真を撮った。晴れていれば、瀬戸大橋が眺められる。ちょっと残念な気もしたが、旅の間、ずっと晴れ間が続くわけでもない。予想していたことだ。車に戻った。

そうそう、瀬戸大橋から回り込んで<与島PA>に入った時、料金所があり、たしか¥1960の表示があった。ということは、瀬戸中央道は別料金ということだな。かなり長い橋だったが、ちょっと高いような気もした。

瀬戸大橋を渡りきり、四国に入った。おそらく<坂出>という港だろうが、工業地帯なのか、大きな煙突などが立っていて、煙が出ている。造船所のようなものもあり、ちょっと気になる光景だった。なぜか、無機的な工場群や煙突が気になるのだ。

松山道に入り、かなりの距離を走った。<9:30石鎚山SA 雨 632k→868k=230k走破>。出発してから、すでに三時間たっていた。どのくらい走ったのか、車の中で、メーターを見て、計算したのだ。高速は、1時間あたり、60k走ればいい。今朝は、時間あたり、70キロ強、走っている。いいペースだ。依然として雨が降っていたので、トイレにだけ寄って、すぐに出発した。

山の斜面に<モンベル>の文字が見えた。<モンベル>?アウトドアのメーカーだ。何か施設があるのかな、と思った。ちなみに、石鎚山は、古来から山岳信仰の山として有名で、現在も登山やハイキングでにぎわっている。そうしたこともあり、<モンベル>が<石鎚山ハイウェイオアシス>に出店したのかもしれない。温浴施設も併設されているようだが、寄るつもりがなかったので、ちゃんとは調べていなかった。

そのあと、<松山>の標識看板を通り越した辺りから、片側一車線になってしまった。だが、交通量が少ないせいか、煽られた覚えはない。もっとも、こちらも100キロ前後で走っていたと思う。新車になり、走行安定性がさらに改善されたので、全然怖くなくなった。やや危険だとは思っているが。

伊予インターで高速を下りた。松山からは、あっという間だった。さて、ここからは一般道378号線だ。海沿いの道で、夕焼けがきれいだそうだが、午前中に通過してしまうので、ちょっと残念だ。あとは、途中に、かの有名な?日本で海に一番近い<下灘駅>がある。下調べの段階で見つけた観光名所だが、まあ~冷やかしで、ちょこっと寄ってみるつもりでいた。

さほど広くない海沿いの道を走って行くと、右手に小さな漁港があり、赤い灯台が見えた。ぱっと見、駐車する場所がないので、行き過ぎてしまった。だが、少し行くと、大きな道の駅があった。あそこに駐車して、撮りに行こう。などと思いながら、ナビの案内に従った。

むろんナビには、<下灘駅>を指示したつもりであったが、アホやな~<上灘駅>と打ち込んでいたらしい。なにしろ、急な坂を上がって、上がりきった左側、山の斜面に、なんともしぶい!田舎の駅がみえた。駅舎の看板には、どうどう<JR 伊予上灘駅>とあった。

少し行きすぎてしまった。狭い道だが、空き地を利用して回転して戻った。幸いなことに、駅舎の前は車だまりの広場のようになっていて、少し広い。そこに車を入れることもできたが、横の白いモルタル二階建ての食料品店の前で、地元の爺婆が立ち話している。なんとなく気後れしてしまい、道沿いの開店前の食料品店の前に路駐した。駅舎の道をはさんだ正面だ。狭い道だが、広場があるから、ほかの車が通れないこともないだろう。

車から降り、カメラを手にして駅舎に近づいた。横から爺婆の視線を感じたが、シカとした。狭い待合室には、古びた色紙やポスターなどが張ってあった。いちいち目を通すのも面倒なので、写真に撮った。誰もいないから、改札を通りぬけて、ホームに上がることもできたが、さすがに、自重した。

日差しが差し込んでいて、植木鉢など見える。丹精しているような感じで、きちんと並んでいる。一段高くなった小さなプラットホームには、みず色の樹脂製の三席連続したベンチが置いてあった。昔、駅でよく見かけたタイプで、自然と目に入ってきた。あえて<昭和>を持ち出すこともあるまい。いつのころからか、ここいら一帯は時間が止まっているらしい。

車に戻った。その際、眼下に海が、そして、先ほど通り過ぎた赤い灯台が見えた。道の駅の駐車場もあり、あそこに止めて赤灯台を撮りに行こうと思った。急な坂を下りた。国道を横切って、<道の駅 ふたみ>の駐車場に入った。海沿いの、横長の、かなり大きな駐車場だ。その一番右端まで行って、車を止めた。目の前には防潮堤があり、赤い灯台がよく見える。実に都合がいい。

さらに都合がいいことに、防潮堤の切れた所から、海に向かって、垂直に一本、隣の漁港との境に防潮堤が突き出ている。赤い灯台は、海の中の防波堤の上に立っているようなので、こちらが海の中へ行けば行くほど、赤灯台との平行関係が生まれる。つまり、真横から撮れるわけだ。だが、いい事ばかりでもない、肝心要の天気だ。雲がかかっていて、日差しがほとんどない。ただ時々、雲間から陽が差すこともある。絶体絶命、というほどではない。

海に向かって垂直の防潮堤の上を歩きながら、赤い灯台を撮った。灯台そのものは、海の中の防波堤にあるようだが、手前に、陸側からの防潮堤が何本か、海にせり出していて、下のほうがよく見えない。のみならず、それらの防潮堤はテトラポットで、周りをがっちりガードされているので、目に見えるのは、コンクリの防潮堤ではなく、規則正しく、かつ、乱雑に積み重ねられた、幾百ものテトラポットである。

つまりは、防潮堤の周りを几帳面にガードしているテトラポットの上に、赤い灯台が、にょきっと生えている感じだ。しかも、これらの防潮堤の上には、ある間隔を置いて電柱が立っている。沿岸灯台の撮影では、電柱や電線が、邪魔になることがある。だが、防波堤灯台の周りに、電柱や電線を見たことはない。思えば、電柱と防波堤灯台との組み合わせは、これまで見たことがなかったのだ。

しかも、赤い灯台と電柱は、防潮堤や彼方の水平線に垂直しているように見える。海に突き出た防潮堤での位置取りが、期せずして、撮影のベストポイントになっていた。それに、波に洗われている、幾百の積み重なったテトラポットの風化具合?が何ともいい。これで、空に色があり、日差しがあれば、最高だが、欲張ってはいけない。眼前の光景は、旅に出なければ見つけられない、まさに自分一人の風景だろう。なんとなく、背中がぞくぞくっとした。おりしも雲間から陽射しが来て、一瞬、赤い灯台の紅色が、際立った。形は<吉田拓郎>が歌った<赤い灯台>と同じ<胴長太っちょ>だった。

ちなみに、灯台の正式名称は<上灘港西防波堤灯台>である。どんなものにも名前がある。まちがっても<名も無い灯台>などと言ってはいけないのだ。

ひと通り撮り終わって、車に戻った。その際、国道を少し歩けば、赤い灯台の近くまで行けるなと思った。だが、感動の波は引いていた。これ以上の探索は、億劫に感じられた。気に入った写真が撮れたと思っていたし、それに曇り空だ。なるべく早く、陽のあるうちには、佐田岬半島の中ほどにある<道の駅きらら館>に到着したかった。多少、気が急いていたのだろう。

駐車場から国道へ出かかった時、黒っぽい小さなバイクが目に入った。荷物に<日本一周中>の張り紙がしてあり、風采の上がらぬ中年男が、バイクにまたがって、地図を見ているようだった。これまでも幾度となく、<日本一周中>の張り紙のある小さなバイクを見た。そのたびに、やや複雑な感情が流れた。

<日本一周>には、ロマンの香りがする。だが同時に、なにか、暗い影のようなものが付きまとっている。それはちょうど、四国のお遍路と同じだ。自分もそうだが、世俗的な一切合切を棚上げして、旅に出たいと思うことはあるだろう。生活空間を変えることで、気分が変わることもある。日々、未知なる風景と出会うことで、苦しみや悲しみが、遠景に退くこともある。だが、幸せな人間は、旅に出たいとは思わないだろう。中高年の<日本一周>に、人生の<辛さ>を感じてしまうのだ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?