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<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>

第14次灯台旅 能登半島編

2022年10月-12.13.14.15日

#10 四日目(3) 2022-10-5(土)曇り、時々晴れ

ヒスイ海岸 帰路

道の駅氷見での二回目の車中泊は、外の音に邪魔されずに、ゆっくり眠れた。<はぐれ鳥>して、車中泊軍団から離れたのがよかった。とはいえ、ひとつだけ、外のことに気をとられた。22時頃だったかな、おしっこタイムで起きた時だろうか、店舗の前に、オープンカーのような車が止まっていて、そばに男のシルエットが二つ見えた。何か話しているようで、やんちゃな感じがした。いま思えば、金曜日の夜だったし、地元のあんちゃんたちが集まってきて、夜遊びの算段をしていたのかもしれない。

一、二時間おきの、おしっこタイムも、午前3時半までで、そのあとは6時までぐっすり寝ていたようだ。これは自分でも意外だった。目覚めた時には、すでに少し明るくなっていた。寝不足感は全くなかった。

着替えをして、朝の支度をした。ペットボトルの尿などをトイレに捨てに行き、ついでに、洗面所で、掌で水をすくって、一、二度顔を洗った。水はまだ冷たくなかった。隣では、小柄な爺が歯磨きをしている。歯磨き粉の匂いがプーンときた。二つしかない洗面台の一つを、先ほどから占領している。やっぱ、トイレで歯磨きはまずいよな、と思った。爺は、車中泊初心者なのかもしれない。

天気は、ほぼ曇りだった。だが、海の方の空には、雲が割れて、陽が差し込んでいる箇所もある。一瞬、比見公園へ行き、防波堤灯台を撮ろうかな、と思った。しかし、億劫さが先にたち、すぐにその考えは萎えた。東屋でカップ麺を作って食べるという考えは、なおさらで、ワンコの散歩人たちで、朝からごった返しているに違いないのだ。となれば、ファミマに行って、朝食だな。なにしろ、手持ちの食料は、昨晩のうちにすべて食い尽くしていたのだ。

このファミマは、これで三回目だ。そのたびにレジの女性が入れ替わっている。おそらく、ちがう曜日、ちがう時間帯に来ているからだろう。今朝は、小柄で太ったおばさんだった。朝は食欲がないから、おにぎりで十分だ。梅入りが二個だけあった。手に取ると、そのレーンは空になった。やはり、梅が安くてうまい、一番売れるのだろう。車に戻って、車内で食べた。

さてと出発だ。7時前頃だったのだろう。ファミマのレシートの時間が<6:29>だった。このあとは、8号線を、延々と北東方向へ向かって走っていくだけだ。道が広いから、運転も楽だろう。ガソリンが半分くらいしかなかったので、走ってすぐの左側にセルフスタンドがあったので入れた。リッター¥160、やや高めだが、しょうがない。そのあと、富山や高岡の市街地を抜ける時、ガソリンの値段が気になって、しばしば看板を見た。おおよそ、¥158前後だ。23リッター入れたのだから、四、五十円損したことになる。たいした金額ではない。気にしていた自分がアホらしかった。

8号線をかなり走った。運転にもアキがきたころに、ヒスイ海岸に到着した。9時前だった。ということは、一般道を二時間ほど走ったことにある。疲れるわけだ。海岸線に沿った、細長い駐車場には、車がいっぱい止まっていた。県外ナンバーもかなりあり、松本ナンバーが目に付いた。一瞬、今いる場所と松本との位置関係が理解できなかった。あとで地図を見ると、148号線を真っすぐ北上すると、日本海の糸魚川に到達する。長野県には海がないのだから、海釣りしたいのなら、このルートが最適だ。その流れで、この辺りの海辺にも、松本ナンバーが来ているのだろう。なるほどね。

いちおうカメラを持って、外に出た。海岸に出ると、波打ち際にけっこう釣り人がいる。しゃがみ込んで、ヒスイを探している人もいる。天気は、曇り空だが、穏やかだ、前来た時のような強風と寒さは感じない。ゆっくり石探しができそうだ。あわよくば、自分も、ヒスイの原石を見つけたい。だが、しゃがみこんで、浜辺の砂利を一心にほじくり返している人を改めて見て、ああしなければ、宝物は見つからないのだと思った。自分には無理でしょう。すぐに立ち上がった。

ま、それにしても、きれいな石を自分のお土産にしたいという気持ちは変わらなかった。砂利浜をぶらぶら歩きながら、目で探していると、手のひら大の、平たくて丸い、ベージュっぽい色の石が目に付いた。ところどころに流れるような<斑>があって、なかなかいい。拾い上げて、手に持った。だが、さらにぶらぶら歩きを続けているうちに、やっぱり気が変わって、ポイッとうしろに捨ててしまった。

とはいえ、そのあとも、これと言ったものは見つからない。のみならず、さっき捨ててしまったベージュっぽい石と同種のものが、目につき始めた。大きいのも、中くらいのも、小さいのも、丸いのも平たいのも四角いのも、そこら辺中に転がっている。あれ~と思って、うしろを振り返った。後戻りして、さっき捨てた石を眼で探した。見つかる筈がないではないか!ここは砂利浜、そこら辺中、石ころだらけなのだ。

よし、さっき捨てた石はあきらめよう。拾うべき石がわかっただけで十分だ。また、石探しを再開した。だが、やはり、まだ、さっき捨てた石にこだわっている。ベージュの、手のひら大の、平たくて丸い石を、無意識のうちに探している。と、ありました。すぐに二つ見つけた。これだけ、というのも寂しいので、この石の上に載せる小さい石も何個か拾い上げた。そうだ、大中小と積み重ねれば、ちょうど<積み石>のようになって、面白いではないか。このアイディアは、我ながら、かなり気に入った。恐山の、賽の河原の<積み石>がフラッシュバックした。あの頃は、何かに取り憑かれていた。怨念とか、情念とか、そういったものだったような気がする。

(<賽の河原地蔵和讃>。いま読み返していると、描写がかなり扇情的でグロテスクだ。昔、心が揺さぶられたことが、ウソのようだ。感受性が鈍磨したのか、すこしは大人になって、現実世界を受け入れるようになったのか、あるいは、爺になって、実存に目覚めたのか、自分としては、三番目の理由であってほしいと思うのだが、どうだろう?)

六、七個、あっという間に石を拾い上げた。もうこれ以上は、いらないでしょう。大きいのもあるのだから、けっこう重い。それに、今から高速を300キロ以上走って、帰宅するのだ。そんなにゆっくりしていられない。車に戻った。踏切を渡って、8号線に入った。少し走ると、来るときに寄った<道の駅市振の関>が左に見えた。あまり車も止まっていない。やや陰気な感じは前と同じだった。

さてと、これからが<親知らず子知らず>と言われる難所だ。切り立った岬の中ほど、海側を掘削して道路を作ったのだろう。アーケード型のトンネルになっていて、急こう配、急カーブだ。来るときは、運転に気を取られて、ほとんど何も目に入らなかったが、今度は、多少の余裕を持って走れた。というか、楽しめた。

片側工事中の箇所が何か所もあって、そのたびに信号待ちした。その信号が長いので、あっという間に車列ができる。大型車などは、止まる前に必ずハザードランプをつける。これは後ろの車にも、前の車にも安心感を与え、なおかつ自分の身を守るための、いいマナーだと思った。むろん、自分も従った。

道が登りから下りに転ずるあたりに、展望台?があるらしい。さらに、そのちょっと先に、路肩パーキングある。来るときにやり過ごした場所だ。今度は、まちがいなく車を入れた。案内板があり、ベンチがある、そして、左手は、まさに絶景だった。連なる断崖の下に波が押し寄せている。昔は、あそこを歩いて行くしかなったのだろう。<親知らず子知らず>の所以である。

まじめに写真を撮った。この光景は、海景としてモノにしたかった。そのあと、案内板に目を走らせた。例の<市振の関>のことについて書いてあった。なになに、芭蕉ゆかりの地で、<奥の細道>の中で、この地で詠んだ句が<一つ家に 遊女も寝たり 萩と月>。今一度、左手を見た。芭蕉が、あの断崖の下を歩いたのかと思い、また感動した。

高速の乗り口は、すぐだった。降りた時と同じ、<親知不インター>だ。なんだか、ほっとした。あとは、運転するだけだ。上越までの連続トンネル走行も、さして苦にならなかった。車に運転アシスト機能があり、車線の真ん中を走るようにアシストしてくれる。これは前にも書いたが、本当なのか?試しに、ハンドルから手を放すと、車が真ん中の車線の方へ行く。車線を踏んだとたん、ハンドルが自動で左に動き、元の車線に戻った。なるほど、これは心強いと思った。

しかし、そのあと、100キロ前後でずうっと走っていて、数えきれないほど追い越しをかけた。その時は必ず、中央の車線をまたぐわけだ。むろん齟齬などなかった。おそらく、ハンドルを握っている時は、中央車線を、車がまたいでも、元に戻る自動制御はかからないのだろう。そうでないと、つじつまが合わない。その辺は、どのようにプログラムされているのか、よくわからない。わかる必要もないか。

あと、長い下り坂で、助かった機能があった。あれは、碓氷峠あたりだったのだろう。シフトレンジに<S>というのがあり、これは、長い下り坂で使うものだとは知っていた。だが実際には使っていない。<D>のままだと、どうしても、惰力でスピードが出過ぎるから、頻繁にブレーキを踏む必要がある。<S>にしたら、明らかにエンジンブレーキがかかり始め、延々と続く下り坂を、ほとんどノーブレーキで、下ることができた。これは楽だった。

総じて、運転に関しては、前の車よりも、性能がよくなり、楽になった。だが、その分やや荒い運転になり、スピードも出し過ぎた。爺なのだから、今後は自重しようと思う。燃費に関しては、ほんの少し悪いような気がする。だが、普段はほとんど走らないわけだし、旅に出た時には、燃費なんか全然気にしないでしょう。だから、この件に関してもほとんど問題はない。減価償却費は、新車に乗り換え、三、四十万の損失ではあるが、年齢的なことを考えれば、今の時点で、買い替えたのは、正解だった。変なもやもや、後悔の念も、完全に霧散したようだ。

自宅に、無事に、本人と二代目ベゼルが帰って来た。15時ころ?だったろうか。あまり疲れてはいなかった。あ、そうだ、昼頃、極端に眠気がさしてきて、どっかのパーキングで少しうとうとした。あれで元気が回復して、一気に帰ってくることができたんだ。ま、いい。荷物類だけアトリエに運び入れて、布団類はそのままにしておいた。陽に当て、干してからしまっても、遅くはあるまい。

二階に上がった。玄関ドアを開けて、いちおう、骨壺の中で寝ているニャンコに向かって、<ただいま>と声をかけた。これは、旅から帰って来た時の儀式のようなものだ。そのあと、雨戸をあけ、部屋に光を入れてから、ニャンコの白い骨壺を、指の関節で、コンコンと叩いた。<ただいま>と言ったのか<元気だった>と言ったのか、よく覚えていない。だがもう 切なく、悲しい気持ちにはならなかった。むしろ、晴れ晴れとした、楽しい気分だった。

ニャンコが死んで、すでに二年半ばかり経っていた。悲しみも、苦しみも癒えて、楽しかった思い出だけが残っていた。

2022-10-22(土)16:20 脱稿
 

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