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<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版

第15次灯台旅 四国編 

2022年11月12.13.14.15.16.17.18.19.20日

#5 三日目(1) 2022-11-14(月)

佐田岬灯台撮影1

四国旅、三日目の朝は、<道の駅きらら館>の駐車場で、五時ころに起きた。日除けシェードの隙間から、外の様子をうかがうと、まだ、あたりは真っ暗だった。とはいえ、駐車場には、二、三台車が止まっているようだ。俺の熟睡している真夜中に、車中泊しに来たのかもしれない。あとは、崖際のトイレのあたり、明かりのついた自販機の前にも、車が止まっている。見ていると、黒い影がトイレの中から出てきて、赤いテールランプとともに、施設の裏側のほうへ消えていった。こんなに朝早く、観光客が来るはずがない。なるほど、あっち方面は、<原発>の入り口だ。作業員か何かだろうと思った。

車の中で、着替えや髭剃り、歯磨きを終え、外に出た。白い手ぬぐいを首にかけ、ペットボトルの排尿を捨てに、トイレへ向かった。すると、自分の車のすぐわきに止まっていた黒っぽい軽から作業着姿の爺婆が出てきた。トイレの前で鉢合わせだ。かなりの高齢で、地元の人間だろう。夫婦で<原発>の作業員をして稼いでいるにちがいない。会釈も目礼も挨拶も交わさなかったが、彼らの境遇、生活の厳しさをふと思った。

車の中に戻った。食欲などは、全然なかったものの、昨日コンビニで仕入れたおにぎりや菓子パンを食べた。そのあと、夜明けまでには時間があったので、メモ書きを始めた。その間にも、トイレ横の自販機の前には、車がひっきりなしにやってきた。そしてハンで押したように、きまって、施設の裏側へと消えていった。トイレで<うんこ>をする奴だの、コーヒーを買う奴だの、おそらくは、みな、地元の<原発>の作業員だろう。まあ~、夜明け前からご苦労さん。

そうこうしているうちに、あたりが少し明るくなってきた。<まだ明けきらない6時30分 出発>。しらけた朝の光の中、少し走ると、右側に<道の駅 瀬戸農業公園>が見えた。事前の下調べで、工事中だと知っていたので、少しでも灯台に近い方がいいのだが、手前の<きらら館>で車中泊したのだ。それに、駐車場が、まるっきりの道路沿いにあり、トイレはと言えば、階段を上がった施設の方にあるらしくて確認できない。車中泊地の立地条件としては、あまりよくない。流し見て、通り過ぎた。

やや上り坂になった。すると、目の前にトンネルが出現した。それが真っ暗な狭いトンネルで、もちろん中央分離帯もない。センターラインも見えない。おそらく、向こうから大きなトラックが来たら、すれ違い出来ないかもしれない。幸いにも、長さ的には、短いトンネルで、出口が小さく光っているのが見えた。対向車が来ないことを願いながら、かつ、びくびくしながら走った。出口近辺で<軽>とすれ違ったときには、<軽>でよかったよと思った。

このトンネルを境に、道は、細い山道となり、急カーブが連続した。うねうねうねうね、慎重に走った。眠気が一気に吹き飛んだ。どう考えたって、上から車が来たら、すれ違いできないでしょう。狭くて急な山道をバックで下がりながら、待避所まで戻ることなどできないし、なにしろ、その待避所すらないのだ。

とはいえ、前に進むしかないのだ。急カーブを、まさに<徐行>しながら、ゆっくりゆっくり、山道を上った。この我慢が、どこまで続くのか?ナビの画面を見ると、そんなには長くない。だが、先ほどのトンネルから、緊張の連続で運転疲れしてきた。と、やや視界が開けた。両脇に民家らしいものが並んでいる。尾根に到達したとみえ、道が少し平らになった。

小さな集落には、人影は全くなく、家の前や道端に、車が止まっていた。すべて、軽自動車だった。そうだよなあ~、道が狭いんだから、やっぱ<軽>でしょう。われながら間抜けな感想だ。<軽>同士ならすれ違いもできる山道に、ぴかぴかの乗用車で来られちゃ、迷惑なんだよ。立場が逆なら、売り物にならないミカンの一つでも、投げつけたい気分だ。

気持ちに少し余裕が出たのだろう。文字通り、山は越えたのだ。とはいえ、細い山道はまだ続いていた。かなり下ってきたところで、やっと道がよくなり、広くなった。そして、久しぶりに交差点に出た。むろん、信号などはない。正面には、海と小さな漁港が見えた。ピンク色した五階建てのビルも目に入った。今日、明日泊まる民宿だ。

ナビに促されて、さらに坂道を下りて、集落の中に入った。ところが、あれ~行き止まりだ。このまま進めば、海の中に落ちる。少しバックして、車を脇に寄せ、外に出た。正確に言えば、行き止まりではなくてT字路だった。目的地の佐田岬灯台は、民宿の見える方向だからと、右を見ると、まあ~、行けないこともない。うす暗い路地みたいな感じで、車一台なら通れそうだ。

戻った。近くの女性の住民が、ごみ捨てに出てきて、なんとなく怪訝そうな表情で見ている。生活空間を犯しているのだが、シカとして、いそいそと車に乗り込み、右折した。そのまま少し行くと、視界がぱっと開けた。道も広くなった。鄙びた漁港に出たのだ。なんとなく雑然とした空間の中、ひときわ目立つ、ピンク色した五階建ての民宿の前を通り過ぎた。

さ、ここからが最後の山登りだ。道は細く、急カーブが続く。この山道を上り切れば、灯台に、というか灯台の駐車場に到着する。すれ違い出来ない山道だから、上から車が下りてこないことを願うしかない。そん時はそん時だ!とにもかくにも、前に進むしかない。

下調べした段階では、この最後の山道は、10分か15分くらいだと見積もっていた。だが、実際にはそれ以上かかった。ひと山越えたのか、あるいは、ふた山越えたのか、とにかく、道が平らになるまでに20分くらいはかかったと思う。

やや広くなった道の両側に民家が点在しだし、灯台の駐車場は目前だった。と、道沿いの民家の軒先に、頬かむりした、黒っぽい老婆が腰かけていて、こちらに向かって、手招きしている。片手に大きなミカンのようなものを手にしている。しかし、こんなところで止まるわけにはいかないだろう。シカとして通り過ぎた。朝っぱらから、灯台に来る観光客相手に商売をしている。老婆の小遣い稼ぎなのか、生き甲斐なのか、気にはなったが、今は他人の人生にかかずらわっている時ではない。

さてと、やっとのことで、ほぼ丸二日かけて、グーグルマップで何回も見た、佐田岬灯台の駐車場についた。意外なことに、車が二台止まっていた。一台は、たしかグレーのスポーツタイプの車で、人が乗っているのかどうか、中が見えなかった。もう一台は<軽>で、中から、若い女性二人組が出てきた。一人のほうが、あるいは男だったのかもしれない。瘦身で、髪が茶色、派手な色のパンツ姿だった。それにしても、この時間帯に、ここにいるということは、駐車場で車中泊したのだろうか。今度来るときは、俺もここで車中泊してみよう。いや~<今度>ということはないかもしれない、と心の中で思った。

ところで、佐田岬灯台へ行くには、この駐車場から、さらに山道を30分以上歩かねばならない。ま、いい。駐車場は海に面していて、背後が山だった。二、三十台は車が駐車できるだろう。出入口付近にトイレもある。崖際の柵まで行けば、いわゆる<伊予灘>だ。どうっと開けていて、気分がいい。それに、灯台の白い頭が山影に隠れて、ちょこっと見える箇所もある。あそこまではかなり遠いいぞ、ここまで来て、灯台まで行かない観光客もいるに違いない。

重いカメラバックを背負った。首にもカメラを一台ぶら下げた。出発前にはトイレだ。と、中から、例の女性二人組が出てきた。こっちを見ることもなく、何か話しながら、自分たちの車へ戻っていった。背の高いほうは、やはり男かもしれない。トイレは、狭くて、うす暗くて、やや臭った。日本全国、毎度おなじみ、観光地のトイレだね。

え~と、灯台への入口はどこかな、と思いながらも、道沿いの、土産物屋の残骸のような建物に吸い寄せられて、うかうかと来た道を戻りかけてしまった。これはどう考えても、灯台から遠ざかっている。回れ右して、出入り口付近の大きな案内板の前に立った。なるほど、すぐわきに遊歩道の入口があった。杖が何本も、朽ちかけた傘立てのような物の中にあり、自由にお使いくださいとの文字も目に入った。爺婆用だなと思った。

たしか、遊歩道の入り口には車止めのポールが何本か立っていた。あとで思ったことだが、路面がアスファルトになっているから、不埒なバイク野郎たちが、灯台まで歩かずに、バイクで突っ走るかもしれない、と考えての対策なのだろう。いや実際、車止めがないときには、バイクが、入り込んできたに違いない。

それにしても、うっそうたる山の中なのに、歩くところが、きれいに整備されている。観光地ならではの配慮だな、とその時は思った。実際、少し歩き始めると、遊歩道沿いに原付が止めてあって、そばで、おじさんが一人で作業していた。遊歩道の補修と脇に堆積した落ち葉の清掃らしい。軽く会釈して通り過ぎた。

大人二人が並んで歩けるほどの、アスファルトの遊歩道を、軽快に下って行った。周りは、うす暗い、見通しのない山の斜面だが、椿が自生していているようで、アーケード状になっているところもある。あいにく、椿の咲く季節には早すぎた。ふと、椿のアーケードを、どこかで見たことがあるなと思った。紀伊半島の先端<樫野埼灯台>、その近くの展望台<海金剛>だ。あの時は、赤い椿の花が遊歩道にたくさん落ちていた。

かなり長い間、遊歩道を下り続けると、右手の視界が開けて、目指す方向が目に入ってきた。手前に、ラクダのこぶのような形をした山があり、灯台はその向こうだ。山と山との間には、広場があり、山側にトイレらしき建物の白い扉が何枚か見えた。その右手には、小さな船着き場があり、海に突き出した細い護岸が波に洗われていた。ひと山越えたようだ。海がまぶしかった。

さてと、今度は上りだ。急に、背中に背負っているカメラバックが重く感じられた。肩の辺を圧迫している。歩みが遅くなり、息が切れた。ややあって、道が平らになった。ベンチがあり、山側の崖がくりぬかれていて、コンクリできれいに固められている。中に、箒や塵取りなどの掃除用具が置いてある。なんなんだろうと思ったが、この時は流した。そばには案内板があり、さらにこの上を登ったところに<椿山展望台>があるらしい。灯台をやや西側から俯瞰できる場所だ。再度、うっそうたる山を見上げた。ため息が出た。

今は、あっちには行かないで、灯台の根元を目指そう。下りになった遊歩道を行くと、すぐに、灯台の正面に出た。なんというか、ややがっかりだ。灯台の敷地を示す門柱の前で立ち止まった。平場の先に、いきなり小高い山があり、斜面に階段が見える。周りは木々でおおわれている。灯台はといえば、その階段の上に少しだけ見える。まったく絵にならない。

この場所で何枚か記念写真を撮り、さらに灯台に近寄った。目の前には見上げるような階段だ。その先に灯台の白い胴体が見える。登ったところで、<ヒキ>がないに決まっている。灯台の全景は撮れないだろう。それに、急な階段を登るのが大儀に感じられた。右手のほうには、おそらくは、佐田岬灯台の全景が撮れるベストポイントであろう小島(御籠島)が見える。何かモニュメントのようなものがあり、展望スペースになっているようだ。自然と足がそっちに向いた。

灯台の、がらんとした敷地を、西側の門柱から出て、コンクリ階段を下りると、目の前には、海に面した<プール>のようなものがある。むろん<プール>ではないが、これはあとで知ったことだが、<蓄養池>といって、漁師が捕ってきた魚などを、一時的にこの池に入れて出荷調整する施設だったらしい。その名残だろうか、電柱が一本、それに錆びたコンテナが二台、そばにあった。好みの風景なので、立ち止って、何枚も写真を撮った。

ちなみに、この<畜養池>は1960年代に、地元の漁協によって造成されたもので、北側と南側の海に防潮堤を渡して、佐田岬の先端部と<御籠=みかご島>を地続きにしてしまったようだ。つい最近までは、立ち入りができない場所だったらしい。

南側の防潮堤の下を歩いて、<蓄養池>と地続きになっている小島にわたり、崖沿いの坂道を展望台へと向かった。たしか柵もあったし、路面もアスファルトで歩きやすかった。坂も、それほど急ではない。坂の途中には<砲台跡>の案内板があり、右手に真新しい階段が見える。触手が動いたが、寄り道している場合でない。まずは展望台だろう。もっとも、左手にはすでに、荒々しい断崖の上に佐田岬灯台が屹立していた。だが惜しいかな、まるっきしの逆光だ!

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