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来年の目標を作るより、来年がどんな年だったか思いだしてみる


 もうすぐ新しい年がくる。

 来年の目標をたてることはずっと苦手だ。来年のことを話すと鬼がわらうと昔から言うけれど、今にしかいられない自分が未来をああしよう、こうしようと算段することに昔から抵抗があった。

 なんでだろうと考えていたら、無意識に今→未来という一方通行の時間感覚に囚われていたからだ、と気がついた。

 時間は「過去→今→未来」というふうに、ひとつの方向だけに流れているわけではないと今の私は思っている。
 これまでの経験の蓄積から、今の前にあるのが過去で、今の先にあるのは未来というふうに単純に言うことはどうしてもできなくなった。

 今も過去も未来も、皆おなじ空に散らばる星のようにいつも一緒にそこにあり、それぞれが揺れうごき、関わりあい、いろんな方向にずっと影響しあっていく。
 過去も未来も微妙にすがたを変えつづけながら、ずっと同時に存在していく。そんな気がする。
 だから、今がこうだから未来はああなる、というより、未来がああだから今がこうなる、というふうに捉えていくのが好きだ。わくわくするし、すっきりする。

 前のエッセイにもすこし書いたけれど、人生という物語の書き手は私たち本人であり、未来の自分はすべてのシナリオを知っている。(だって自分で書いているのだから)


 だから、私たちにできるのは来年をどんな年にしたいかと考えるより、来年はどんな年だったかをじっくり思いだして・・・・・みることではないか。

 未来は白紙ではなく、白紙に白い文字ですでに書かれている、と想像してみる。私たちがこの手で書いた物語だ。その白い文字が浮かびあがってくるのを待つことが、ちゃんと観るということが、私たちにはできると思う。
 不安や恐れをしっかり手放すとか、深く呼吸をするとか、自分のことをちゃんと信頼するとか、いくつかの条件がクリアになりさえすればそれは可能になる。
 その物語は、納得のいくようあなたが心を込めて、できることを尽くして歩いたものだ。そのことを、誇りを持って思いだしてみるのだ。

 だから、必要以上の不安や焦りや恐怖などの歩みを止めるものは手放していい。この物語を書いたのは自分自身で、そのたったいちどの旅のお供に、そういったものをわざわざえらんだはずがないのだから。

 そうやって思い出した未来のことを、できる限りていねいに、あたたかいきもちで清書していくように生きていけたら、いいなと思う。





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