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となりのとなりの町まで、やさしく歩いていく


2022.12.24

昨晩は大量にあった里芋をひたすら剥いて茹でて、つぶしたところにライスミルクと塩、オリーブオイルをいれたポタージュにしたらおいしかった。おとといからパートナーの微熱はさがらず。今朝は粕汁とおじやを作る。冷蔵庫にあったかぼちゃ、ごぼう、だいこん、さつまいも、白味噌がないのでふつうの米味噌。酒粕は足柄のアトリエhaccoさんの。おじやには白菜、セロリ、大根、長ネギに佐渡島の漁師さんからいただいたカニのほぐし身を入れたらぜいたくになった。

昨日から『和泉式部日記』を引っ張り出してきて読んでいるのだけれど、やっぱりおもしろおかしい。ひとり声に出してくすくす笑ってしまう。和泉式部が魅力的なのは体制側の貴族女性にしてはかなりあけっぴろげで正直で、そして和歌の才能がすば抜けてすごいということ。そもそもこの日記には、彼女が夫がいながら亡くなった元恋人の弟である帥宮と和歌をやりとりして育んでいった恋愛の末に宮廷にあがって結果として帥宮の正室を追い出しちゃうまでが描かれているんだけれど、それ以外にもあちこちで恋をしているので紫式部から「だらしない人」みたいに非難されているのもいい。当時男性だけが使うものとされていた「恋をする」という動詞を女性であるじぶんが主体的に使っていったというのも革命的ですごくいい。わたしがすきなのは京都の貴船神社の石にも刻んである『物おもへば 沢の蛍も我が身より あくがれいづる 魂かとぞみる』という歌。

『和泉式部日記』では、鶏が鳴くと朝が来てあなたと別れなければならず、恋人同士の邪魔をする鶏が憎いのでつい殺しましたとかいって帥宮からその鶏の羽をむしったものが和歌と一緒に送られてきたり、ものすごいじらした挙句できちゃうときはするんと簡単にできちゃって「またあの人男できた、はしたない」みたいに噂されたり、いちおう恋人であるはずの帥宮から「ここんところ付き合っていた女の人が遠方に旅立つので、彼女にあげる和歌をぼくのかわりに詠んでくれない?」とかいって代作をとつぜん依頼されたり、なんの筋もとおっていなくておかしすぎるんだけれど、ただ正直に書いた人の日記がこんなにおかしいのだからすばらしい。ああまた京都に住みたくなってきたなあ。

日が暮れるまえに買い出しをかねて散歩にでる。いつも見かける二階建ての家の端っこから小さな階段が伸びているのに気がついて目でたどっていくと木陰でみえなかったツリーハウスがあった。すてき。お正月飾りを探しているのだけれど今日もまだぴんとくるものには出会っていない。自然食品店でみかんや白菜を買っていると目の前を知り合いが足早に通りすぎた、声をかけるまもなく、いやほんとうに声をかけたかったら背中からかけているだろうから、声をかけるまでもなかったのかもしれない。クリスマスイブも人出はそれなりにあるものの鎌倉はしずか。バスに乗って帰る。夕食も粕汁とおじや、先日青梅の繁昌農園という無農薬農家さんから買ったパクチーが大量にあるのでパクチー入りおじや。ちょっと冒険だったけれど魚醤などで味付けしたら意外とおいしくできた。たのしみにしていた香川哲さんの『ベルリンうわの空』が届いたので読む。めちゃくちゃおもしろい!

きょうも無事暮れていく
鎌倉の名所よりなんでもない道とかがすき


2022.12.25

ひとりで横浜へ。河合隼雄さんの『物語を生きる 今は昔 昔は今』を電車のお供に。あてもなく歩いた。帰りは寝過ごして逗子駅までいってしまった。


2022.12.26

午前中たまっていたものを片付け、お昼は薬膳ごはんのお店へ。お店があるのはとなりの市なんだけれど、感覚としてはとなりのとなりの町くらい。市などはえらい人たちが都合のいいように決めた単位なんだろうけれど、やっぱり大きすぎると思う。じっさいに暮らしているわたしたち庶民の肌感覚からするとそんな大きい単位でまとめられてもぴんとこなくて、この足でやさしく歩いていける場所とか、なんとなく情報みたいなものが風にのって耳に入る距離とか、そういう距離感で生きている。醤油麹や刻み昆布をのせて食べる参鶏湯定食でからだじゅうぽかぽかに。つけ合わせの小鉢もどれもおいしい。先日のダウンからほとんど回復したパートナーは点心セット。

前から神秘的な雰囲気で気になっていた花屋さんに行き、お正月用の飾りで気に入ったのがあったのでやっと買うことができた。古い建物で天井が低く、奥のほうはかすかに陽が射す隠れ部屋のようになっていて、さまざまな植物たちがすう、と呼吸し、ストーブの上のやかんだけがとても静かに音をたてていた。秘密の実験室みたい。食材の買い出し、魚屋さんとまわって帰宅。今晩も鍋。小田原産のすずきと愛媛の花鯛のお刺身と。リビングを真っ暗にして『花様年華』を見ていたらうとうとしてしまった。お風呂で小川洋子さんの『物語の役割』を読む。

そうじしなきゃなあ


2022.12.27

夕暮れ、朝からなんとなく重たいからだを引きずって散歩にでた。すべての色をなくしそうなほど辺り一面がオレンジ色に染まっている。近くの家で子どもがピアノの練習をしている。ふと、おとなになれてよかったと思う。


2022.12.29

おとといあたりからパートナーが回復し、こんどはわたしがちゃんとその風邪をもらって体調がすぐれない。なのにおもむろに台所のそうじを始めてしまった。壁のタイルをきれいにしたり、カトラリーをすべて出してびんを洗ったり、棚の中のものをぜんぶ下ろしてていねいに拭いたり、いつものそうじではしないことをゆっくりとした。パートナーが冬用タイヤに交換しにオートバックスへ行くというので同乗し駅周辺で降ろしてもらう。ドラッグストアに寄り、魚と米と餅などを買い、時間がくるまでぐるぐる歩き回る。具合が万全でないので、じぶんの足で歩いていても歩く歩道にのっかって景色だけが流れていくような感じ。なにもこころに引っかからないのは楽なようでつらい。めがね屋さんであたらしいめがね拭きを購入。これで拭いても拭いても逆に汚れがついてしまう古くなっためがね拭きとはお別れ。

ご飯を炊いてこなかったのと疲れていたのもあってショッピングセンター内の大戸屋で夕飯。牡蠣の塩麹あんかけみたいなものにする。日本の飲食店やお店は、やっぱりちょっと変わっていると思う。たとえば店へ入った瞬間に「いらっしゃいませー!」と機械的で大きな声で言われたりする。あれに慣れることができなくて、いつもびっくりしてしまう。ほかにもものを売るお店なんかでは、ひどい人はこちらのあとを「あくまで自然さをよそおっている」ふうにあからさまについて回ったり、こちらが気になった商品を手にとるやいなやチャンスとばかりすぐそばまでやってきて「そちらはですねえ、なんとかでなんとかでなんとか、、、」と畳みかけるように説明をはじめるので、人見知りのわたしなんかは居心地がわるくなって、買いたいものだったとしてもどうでよくなって早く店を出たくて仕方がなくなってしまう。こちらの様子をまずは伺ってみるとか、こちらがどんな人なのか見極めて接客態度を調節するとか、あるいはまったく放っておくとかいくつもの選択肢があるにもかかわらず、ただものを買わせるためだけに作られた一辺倒の接客マニュアルに従いつづけていることはとてもこわいことだと思う。


2022.12.30

朝起きるとまずいちばんにダイニングとリビングの窓をあける。どんなに寒くても、いちどすべての窓を開放する。それをだいたいわたしよりあとに起きてくる異様にさむがりなパートナーが見てけげんな顔をする、のはお決まりの朝のルーティン。きょうは「きみはほんとうにカフカみたいだね」といわれる。カフカは体が弱いのに冬でも換気のために窓をあけていたのでずっと体調がわるかったと言いたいらしい。わたしは家の中でも思いきり暖かい格好をして、すこし開けた窓からかすかに冬の外のすうっとした空気を感じているのがすきだ。暖かいだけの室内はむわっとして息苦しくなる。きょうもおじやを作る。具はだいたいいつもと一緒で、なにか変化球をと思いトマトソースとニュートリショナルイーストを入れて洋風にしてみる。おいしい。この味付けで具の肉厚しいたけを噛むとチーズのような濃厚さ。肉や乳製品を食べなくなって五年以上たつので植物性のたべものでもこんなに濃厚に感じる。それにしてもこんなに毎日おじやばかり食べていたら歯が弱くなりそう、と思いながら、ずっとこれでいいやと思っている。

いやなことがあったので集中できず、早めに散歩にでる。あてもなく東京まででようかとも思ったけれど、いく先を決めずにとにかく歩く。風のとまった、師走の午後。家々の玄関扉の正月飾りをみるのがたのしい。どこで売っているんだろうという大型犬サイズの大げさなものもあれば、手作りらしいさりげないもの、色とりどりの派手なもの、赤と白だけのもの、独特の形のもの、いくつもあって見飽きない。近所でいちばんの見晴らしの秘密の場所へ久しぶりにいくと、オレンジ色の冷たいフェンスが並んでいた、土地の造成工事がはじまっているみたいだ。この開放的なしずかな眺めをひとりじめすることもなくなるのかあと思うとさみしくなった。しばらくそこに座り込んでぼうっとした、ふと眼下をみると冬にしてはめずらしくハエが飛び回っているなあと思ったら、そこは造成現場の簡易便所なのだった。

あてもなくさらに歩いた。あたまが整理されない。ふと急な階段をみつけ登っていくとちいさな神社があった。境内にたどり着きうしろを振り返ると、近所の家々がよく見渡せた。神社の真横下にある日本家屋には広大な庭があり、わたしの姿を遠まきに見つけるやいなやそこの番犬がさかんに吠えた。日当たりの良い縁側では子どもが布団にくるまってごろごろしていて、お母さんらしき人が掃除機をかけたそうにかたわらに立ち、はやく起きてちょうだいと布団の端をつかんで促している。鳥居に飾られた四つの紙垂が鎌倉山からの風にゆられてカサカサ心地の良い音をたてている。ずっと聴いていたいほど素敵な会話だった、そこでもしばらく座り込んでぼうっとした。

まだまだ歩く。家から四十五分くらいの場所まで来る。初めてみるスーパーに入り、パートナーが伊達巻がたべたいと言っていたのを思いだして買う。昨日行ったショッピングセンターのスーパーもそうだったけれど、できあいのおせち料理やお正月らしい品々がずらっと並んでいて、日常の食べ物はちいさく萎縮しているようにみえた。ぶりが食べたいけれどどの切り身も心もとないほどちいさく薄く、それでこの値段かあとため息がでるほど高いのだった。昨日のスーパーも同じだった。歳末だからか店の駐車場は整理員を三人も四人も配置していそがしそうだった。寒くなってきたので帰り足に。とある家の前に「朝採れの無農薬大根、Take Free」とあったのでありがたくいただきました。

夕飯を食べながらテレビをつけると「ドキュメント72時間」の年末スペシャルをやっている。フリースクールのこどもたちの回が一位だったようで、スタジオと中継がつながっていた。司会者が来年はどんな年にしたい?ときくと、子どものひとりが「生きていられたらいい」とわらって答えた。

あたらしいめがね拭き





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