【図解】世界史のまとめマップ(上) 700万年前~紀元後800年
まとめようがない「世界の歴史」。
細かいことは置いといて、
「大きな流れ」を《輪切り》に地図化することで、
ひとまずユーラシア大陸を中心とした「世界史のまとめ方」を一緒に考えていこうと思います。
今回扱うのは、700万年前から800年までの時代です。
地球には5つの大陸がある。
そのうち、地球がとても寒かった時代(氷河時代)には、オーストラリア大陸と北アメリカ大陸はユーラシア大陸と連結していたことがわかっている。
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さて、現在わかっている証拠によると、今から700万年ほど前にわれわれの属する「人類」というグループの動物が生まれたという。
今から7万年前の地球で暮らしていた「人類」の一種は、今のわれわれとほぼ変わらない知能を持っていたとされる。
もし動物園に展示されるとしたら、彼ら、つまり我々には「ホモ・サピエンス」というプレートが付けられることになる。
しかし、いまから1万年ほど前になると、地球の気候が温暖化。
採集・狩り・釣りなどをして暮らしていたホモ・サピエンスは、生き延びるために環境への適応を迫られることとなった。
そこで、あちらこちらで食料確保のための農業や牧畜が始められていくことになった。
新技術は「歌」「言葉」を介して、子や孫の代にまで伝えられていったので、人の結びつきが強まるほどにイノベーションが生み出されていく。
1: ナイル川流域、2: ティグリス川、ユーフラテス川流域、3: インダス川流域、4: 長江流域
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大きな川沿いの農業エリアでは食糧増産によって気候の乾燥化を乗り越え、人口がめっちゃ増えた。
こうして、”怖くて不安な「自然」”とはまったく別の空間である、”安心で複雑な「都市」”が生まれた。
それより北のほうでは農業するのに十分な雨が降らず、人々は家畜を連れて生活していた。
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地図中の「遊牧エリア」には、少ない雨でも育つ短い草がパラパラ生えていた。
でもこの時期、地球の気候が冷え込むと、
家畜のエサ場が激減。
困った遊牧民は、南の「大河農業エリア」に向かった。
大河の農業エリアの都市を束ねていた国々は、この影響をもろに受け、滅んでいった。
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エサ場を求める遊牧民の進出は止まらない。
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この時期になると遊牧民は青銅器や鉄器で「武装」するようになる。
これに打ち勝つためには、遊牧民から「戦いのテクノロジー」を学ぶ必要がある。
そこで「遊牧民対策」のために、「農業エリア」の中心地が若干、北に移動することになったのだ。
(注)1: アッシリア帝国 2: 北インドのインド=アーリヤ人の国々 3: 西方のチベット系の西戎(せいじゅう)の影響を受けた黄河流域の諸都市群(周)
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ちょっと休憩
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遊牧民は、軍馬の圧倒的軍事力を束ねることに成功した支配者が、広い範囲を支配する国を建てた。
定説ではスキタイが最も古い遊牧民の国家だ。
そこで農業エリアの指導者は、国の中心を「遊牧民エリア」側に拡大させつつ、平和なときには農業エリアの生産物を輸出して、遊牧エリアから馬を輸入。
戦争となれば整備した騎馬軍団で遊牧民と戦った。
(注)1: アケメネス朝。馬の産地であるイランのファールス地方が出身のペルシア人によって建国された。 2: インド=アーリア人の諸王国。インダス川とガンジス川流域に建国された。 3: 周。西からの遊牧民対策の必要から、都を東に移した。
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騎馬軍団を整備した新興国が、遊牧民と対抗しつつ東西方向に領土を広げようとしている。
(注)1: マケドニアの王国。アレクサンドロスという大王に率いられ、アジアの海陸の貿易ルートをねらったのだ。 2: マウリヤ朝。アレクサンドロスの進軍を阻止したのちに建国。 3: 周は分裂。遊牧民の軍事技術を導入した秦(しん)が領土を拡大した。
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遊牧民の勢いは止まらない。
かつての「大きな川エリア」(あ:エジプトのナイル川、い:メソポタミア、え:インダス川、お:長江)よりも北のほうが、定住民(おなじ場所で農業・牧畜をする人)と遊牧民(家畜と一緒に動く必要がある人)の対立の最前線となっていった。
そういう意味では、この時期の終わり頃にできた「ローマ帝国」も、遊牧民を常に意識していたといえる(ヨーロッパの場合は牧草地帯が限られているから、半分農業・半分牧畜の人々が北のほうで生活していた。代表的なのはゲルマン人)。
(注)う:ここはイラン高原(イランは雨の降らない山だらけ)の北方、軍馬の産地として知られる地方(=ホラーサーン)。さらに北に行くと乾燥気候なのに大きな川が流れている理想的な農業エリア(=ソグディアナ)。
A: 騎馬遊牧民のサルマタイ人。 B: 騎馬遊牧民のトカラ人。 C: 騎馬遊牧民の南匈奴(きょうど)。
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海の交易もさかんになっている。
A: 騎馬遊牧民のアラン人。 B: フン人やテュルク語系の騎馬遊牧民。 C: 騎馬遊牧民の鮮卑(せんぴ)。
1: 遊牧民出身のパルティア王国は、農業エリアのい(メソポタミア)に進出してローマと争った。1からは 月氏という騎馬遊牧民もう に移動して、そのまま 2: 北インドに入って え: ガンジス川流域の農業エリアも支配に入れた。
3: 遊牧民との最前線では漢が栄えており、農業エリアを中心に支配している。
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だいぶ複雑になってきた。
遊牧民の大移動の時代である。
ユーラシア大陸のうち、遊牧民の影響をまったく受けていないところは、北の寒冷エリア以外はほとんどないことがわかるだろう。
A: 騎馬遊牧民のアラン人。ヨーロッパのほうには、騎馬遊牧民のフン人が進出し、ゲルマン人も進出して国を建てていった。ヨーロッパもユーラシアの遊牧民とは無縁ではなかったのだ。
B: 騎馬遊牧民のエフタル。う: イラン高原の北部(ソグディアナやホラーサーン)を通って、2: インドに進出した。このころのインドは、え: ガンジス川の農業エリアを中心とするグプタ朝がゆるーく支配していたが、エフタルの新出によって打撃を受けた。
C: 騎馬遊牧民の柔然(じゅうぜん)。遊牧民の移動による影響が大きかったのは中国だ。
もともと北のほうは遊牧(茶色)と農業(緑色)の混じり合った地帯である。そこへ遊牧民が入ってきて、農業エリアに国を建てていったのだ。
で、多くの農耕民は南に避難。長江の下流を開発して農業エリアを守った。
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各地で、騎馬遊牧民が”圧倒的軍事力”を背景として、農業エリアの有力者との結びつきを深めていった。
A: 騎馬遊牧民のブルガール人(ブルガリアのルーツ)、騎馬遊牧民マジャール人(ハンガリーのルーツ)はヨーロッパへと移動。 B: 騎馬遊牧民の柔然に代わって突厥(とっくつ)が勢力を増す。
1: ペルシア人によるササン朝。 2: グプタ朝。 3: 中国は、お: 長江の下流(江南)の農業エリアが、騎馬遊牧民の騎馬軍団によって制圧され、騎馬遊牧民の鮮卑(せんぴ)と関係の深い隋(ずい)が建国される。
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遊牧民の大移動によって、「遊牧エリア」と「農業エリア」がかき混ぜられたことにより、今までの価値観が崩壊した。
そのため、「生活スタイルの違いを超えた」新たな「考え方」が求められることとなった。
地図中では、青、オレンジ、黄の三色で示してある。ただし絶対的なルールではなく、ユーラシア大陸のさまざまな場所で、これ以外にもさまざまな「価値観」を持った人々が活動していたのである。
ユーラシア大陸の3つの普遍宗教
青:ヨーロッパには、騎馬戦術を充実させた国々が立ち並び(フランク王国とビザンツ王国とスラヴ人の国々)、しだいにキリスト教の価値観を受け入れていくこととなる。キリスト教とは、すべての人間は人種や民族の違いを超えて「神の愛」を受ける資格があると説明した。
オレンジ:アラビア半島の遊牧民も、ついに大移動を始めた。地中海の周りで発達した従来の考え方に異を唱え、すべての人間が神の前では「ちっぽけな存在に過ぎない」ということを、もっともっとシンプルで明快な考えへと組み替えた。この、人間を超えた存在である神に自分の生き方を委ねることをイスラームという。
黄:中国では、インドから伝わった仏教が、さまざまな人々の違いを越える「考え方」として信仰されたけど、儒教と道教も尊重された。唐は道教を保護したけど、いずれかが独占的に正しいという決定が下されることはなかった(注:三教(さんぎょう))。
唐は領土を拡大していくが、西方との交易ルートをめぐり、A: ハザール人。東西の交易ルートを独占し、首都にはさまざまな宗教の人々が集まった。
B: 突厥は分裂し、のちにウイグルの勢力が強まった。どちらもトルコ系の言葉を話した人々である。唐は、ユーラシア大陸の東西交易の中心であるう: ソグディアナ地方に至るルートをめぐり、チベット(吐蕃)や B:ウイグルと厳しい戦いを続けることとなる。
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さて、こういうわけで800年頃にもなると、いまの世界の「土台」の部分ができあがってきていることがわかると思う。
しかし、騎馬遊牧民が軍事的に優位に立っている状況はいぜんとして変わっていない。
人々は移動手段をまだまだ陸路に頼っていたから、ユーラシア大陸の人々の結びつきとして、まだまだ「広い海」が完全なる舞台とはなっていない。
次回予告
次の「【図解】世界史のまとめマップ(中)」は、騎馬遊牧民が主導して、ユーラシア大陸の陸路と海路をひとまとめにしていく動き、そして、「新大陸への到達」という”偶然”から、その海路に西ヨーロッパの国々が活動範囲を広げていく過程を見ていくことにしよう。
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参考文献
・『最新世界史図説 タペストリー 十六訂版』帝国書院,2018
・妹尾達彦『グローバル・ヒストリー』中央大学出版部,2018
・小松久男他編『中央ユーラシア史研究入門』山川出版社,2018
・蔀勇造『物語 アラビアの歴史-知られざる3000年の興亡』中央公論新社、2018
・印東道子『島に住む人類 ―オセアニアの楽園創世記』臨川書店,2017
・クリストファー・ベックウィズ『ユーラシア帝国の興亡: 世界史4000年の震源地』筑摩書房,2017
・川北稔ほか『新詳 世界史B』帝国書院,2016検定
・桃木至朗他『市民のための世界史』 大阪大学出版会,2014
・山本紀夫『中央アンデス農耕文化論―とくに高地部を中心として―』人間文化研究機構国立民族学博物館,2014
・濱下武志『朝貢システムと近代アジア』岩波書店,2013
・青山和夫『古代メソアメリカ文明――マヤ・テオティワカン・アステカ』講談社、2007
・増田義郎、島田泉、ワルテル・アルバ監修『古代アンデス シパン王墓の奇跡 黄金王国モチェ発掘展』TBS、2000
By 世界史のまとめ http://worldhistory.sakura.ne.jp/
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