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5.1.1 ヨーロッパの風土と人々 世界史の教科書を最初から最後まで

「ヨーロッパ世界」ができるまで

「ヨーロッパ」という地域が、ハッキリと「ヨーロッパ」という“個性”を持つようになったのは、いつからのことだろう?

現在「ヨーロッパ」と呼ばれている地域は、今から1600年ほど前までは、ローマ帝国の一地域に過ぎなかった。
「ヨーロッパ」というまとまった”キャラ”があるわけでもなく、どちらかというと北アフリカや西アジアとの結びつきのほうが大きかった。


例えばそれは、ローマ風の都市が、西アジアのシリア(パルミラ)、

ヨルダン(ジェラシュ)にも、

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北アフリカ(リビアのレプティス・マグナ)、

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スペイン(セゴビア)など、

地中海をぐるっと取り囲むように分布していることからもわかるね。


"中世"という時代に「ヨーロッパらしさ」が生まれた


ヨーロッパ」が、西アジアや北アフリカとは異なる、まとまった”キャラ”設定が成立していくのは、いまから1400年ほど前のことだ。

主君につかえる騎士

キリスト教中心の社会

領主の支配する農村社会

といった特徴が出てくる「中世」と呼ばれる時代の話だよ。

どんな経緯でこのような特徴が生まれていったのか、これから一緒に見ていくことにしよう。


ヨーロッパの位置と範囲

そもそも「ヨーロッパ」は、ユーラシア大陸の西の端に突き出た部分を指す。

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西に端には大西洋、東の端はロシアのウラル山脈

で分けることになっている。
もちろん人為的な分け方にすぎないから、数学のような“定義”はできないし、時代によっても、人によっても「どこがヨーロッパか」という見方は変わるからね。

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前450年(今から2450年ほど前)のギリシャ人歴史家ヘロドトスが「ヨーロッパ」と考えていたのは、地中海や黒海の北方に漠然と広がるエリアだった


なお、ヨーロッパをさらに細かく東、西、南、北、中央などにカテゴリ分けすることもある。
こういう分け方の基準は、時代によっても価値観によっても変わるので一定しないから、あんまり厳密に考えないほうがいい。
だいたいの基準を示しておくね。
地名が多いから、どこにどんな国があるのかは、だんだん慣れていけばいいと思うよ。

西ヨーロッパ イギリスフランス、オランダ、ベルギー
ヨーロッパ ポルトガル、スペイン、イタリア、ギリシャ
ヨーロッパ ドイツ、ポーランド、チェコ、スロバキア、ロシア
ヨーロッパ スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド


ヨーロッパの地形

次に、地形を見ていこう。

ヨーロッパの南には、険しい山が多い


例えばフランスとスペインの国境となっているピレネー山脈

フランス・スイス・ドイツとイタリアを分けるアルプス山脈

バルカン半島の西部に連なるディナル=アルプス山脈などがある。


ヨーロッパの北は真っ平ら


一方、北の方は平坦な丘や平野がどこまでも続く地形が多いのが特徴だ。

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地図は緑色は標高が低く、茶色が濃くなるほど標高が高いことを表す



歴史的に、中央アジア方面からしばしば騎馬遊牧民が侵入する経路となった。



ライン川とドナウ川の位置は知っておこう


アルプス山脈からは、東西南北に大きな川が流れている。特にライン川ナウ川が重要。どこから、どっちの方向に流れているかは知っておこう。



日本の川とは違い、なだらかでゆったりとした川が多いのが特徴だ。ヨーロッパに住む人々にとって、今も昔も川は重要な「道」として利用されてきた。



ヨーロッパの気候

次に気候について。
ヨーロッパといっても、地域によって結構な違いがある。

大西洋に面するエリアは西岸海洋性気候といって、冬あたたかく夏すずしい。
曇りがちの日も多いけれど、雨は降るし温暖で過ごしやすい。
森林も広がり、紅葉する木(落葉広葉樹)も多い。
積もった落ち葉によって土の養分は豊か。穀物の栽培や家畜の飼育にも適しているよ(ただし緯度が高い地域の土壌は氷食によってやせている)。



一方、東方向に移動するにつれ、寒さはぐんと厳しくなる(大陸性気候)。


さらに東に進むと草原が広がり、遊牧にはもってこい。

ちょっと移動するだけで、もみの木やスギの木の広がる森林地帯(タイガ)や、乾燥草原エリア(ステップ)のように、景色が様変わりしてしまう。


一方、地中海の周辺は山が多く、大きな川も少ない。夏は暑くて乾燥するが、冬には雨が降る地中海性気候で、ブドウ・オリーブなどの果樹栽培と羊の飼育や小麦の栽培が盛んだ。


ヨーロッパの民族

ヨーロッパは、東よりも西のほうが、北よりも南のほうが温かく農業にも適している。
そのため、人の移動もおのずと東から西、北から南となりやすいんだ。


西ヨーロッパの民族

西ヨーロッパの先住民としてはケルト人

現在のドイツ人、イギリス人、オランダ人などに特徴の残るゲルマン人が古くから居住していた。

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ドイツのメルケル首相


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イギリスのジョンソン首相

10世紀くらい(今から1100年ほど前)になると”ヴァイキング”で知られるノルマン人の活動も盛んになる。現在のノルウェー、デンマーク、スウェーデンのルーツとなる民族だ。


東ヨーロッパの民族

ヨーロッパにはスラヴ人が広く分布する。ロシア人やポーランド人などのルーツだ。

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ロシアのプーチン大統領


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18世紀ロシアの女帝エカチェリーナ


ヨーロッパとしては、世界史では、ギリシア人、イタリア(ローマ)人が古い時期から登場する。

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ギリシアのミツォタキス首相

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古代ローマの政治家カエサル


以上、これらはすべてインド=ヨーロッパ語族の民族で、数次にわたり中央ヨーロッパ方面から移住してきたのではないかと考えられているよ。


インド=ヨーロッパ語族以外の民族


以上の民族に加え、東方からは現ハンガリー人のご先祖マジャール人

現フィンランドのご先祖フィン人、

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フィンランドのマリン首相


中央アジアの騎馬遊牧民フン人など、ウラル語族系アルタイ諸語系の人々が加わった。


われわれにとってみると、チェコ人でもポルトガル人でもデンマーク人でも、みんな「ヨーロッパ人」に見えてしまうかもしれないけど、結構いろんなところに違いがあるんだよ。

***

このように、さまざまな民族が移住と交流を繰り返し形成されていったのが、現在の「ヨーロッパ」。
ここ数百年の間も、ヨーロッパだけでなくアフリカやアジアからの移住者も加わり多様性はますます大きくなっていった。

同じ国だからといって、必ずしも共通の外見的特徴(髪、瞳、肌の色など)があるとは限らないわけだ。

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でも大きな目でみると、長い歴史を通して「ヨーロッパ」というエリアには、ある程度の”共通項” ”共通意識” が育まれていったといえる。

「自分たちは、アジアとは違う”ヨーロッパ”なのだ」という価値観だ。

その実態は時代や地域、国によっても様々だけれど、どんなふうにしてそうした”まとまり” が育まれていったのか、世界史を勉強するとだんだんわかるようになるよ。一緒に考えていくことにしよう。

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊