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誰でもライターになれるけれど、誰でも文章が書けるわけじゃない。

この間、敬愛するエッセイストの塩谷舞さんが、Xでこんなポストをしていた。

日本で生まれたわたしたちは、幼い頃から日本語を学び、国語を学び、文章を書いて生きてきた。最低限の言葉の扱い方が分かるからこそ、誰だって"ライター"になることができる。

学生だから、社会人だから、なんて年齢も関係ないし、ライターという仕事は未経験だから、なんて経験値もまるで関係がない。やれば誰だってなれるのがライターだと、本当にそう思う。

だけれど「ライターになれるコト」と「文章を書けるコト」は違う。誰でもシンガーになれるけれど、音を外して歌ってしまう人もいるように、文章にも見えない音階のようなものがあるんだと思う。音階を守れる人は、多く人の心に届く文章を書けるけれど、音痴な人は目も向けられない耳障りな文章を書いてしまう。そして、そんな文章を書いてしまっていることにも気付けない。

"ライター"でも壊滅的な文章を書く人がいるのは事実で、まさに塩谷さんが言う通り、文章を書く仕事は誰にでも出来ると思われすぎている。

そもそも経験不足が大きいのかもしれないけれど、それ以前にもしかしたら「日本語で書くことをライティングだと思っている」から壊滅的な文章になってしまうのかな……と個人的には思う。

日本語は物事を伝えるためのツールであって、ライティングそのものではない。「調査力」と「表現力」と「想い」の3つが伴わなければ、本質的に人の役に立ったり、人の心を動かしたりするコンテンツを作成することはできないのだ(※あくまで持論)。

「調査力」というのは、文章でしたためたいテーマについてとことん調べること。現地に行って感じるも良し、人に話を聞いてみるも良し、本や雑誌・Webを使ってリサーチするも良し。結局わたしたちは、知っていることしか言葉にすることができないのだから、偉そうに文章で語るのなら尚のこと情報を集めてそのテーマについて、とっても詳しい人・とっても関心がある人・とっても共感している人に、ならなければならない。

「表現力」というのは、5文字で収まる事柄を100文字にして伝えること、そして100文字の伝えたい事柄を5文字に収めることができる力だ。

たとえば、"ありがとう"と書けば感謝していることが伝わるけれど、具体的にどんな事柄に心を動かされて感謝の気持ちが湧いたのか、そして今どんな想いで感謝を伝えているのかは5文字だけでは分からない。5文字の背景にあるものを、あらゆる語彙を活用して伝えていくーーまるで感情が形を成したように魅せるのが文章を書くということなのだ。

「想い」は、じぶんの感情のこと。犬や猫など、言葉を交わせない動物であっても、見た目から「嬉しそうだな」「楽しそうだな」と感情が伝わってくるように、きちんと感情を込めた文章からは、書き手の想いが伝わってくる。そもそもなんの想いも持たずに人に何かを伝えるだなんて、そんな文章が成立するわけがないのだ。

ーーと、なんやかんやと書いてきたけれど、文章を書いてご飯を食べている端くれとして、これからも文章の鍛錬を続けていかなければな〜と、塩谷さんのポストを見てしみじみと感じる。

音楽の世界と同様に、文章の世界に正解はない。けれど、多くの人に好かれる王道のコード進行のような型はあるし、人を惹き付ける文章を書ける人と書けない人は確実にいるし、今に甘んじて生きているといつかは腐った文章を書いてしまうかもしれない、なんて視界に薄い霧が広がるようにじわじわと不安を感じるときもある。

とはいえ不安を抱いていたって仕方がない。これからも文章を書く仕事をして生きていくために、わたしはこれからもとにかく書き続ける。そして塩谷さんをはじめとした、大好きな文筆家の文章にたびたび触れて、言葉の英知を肥やしていきたいと思う。

by セカイハルカ
画像 : 雰囲気が好き!絵もかわいい!

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