あの時の思い出~小三~

将来の夢って叶えるものじゃなくて、いつまでもあるものなのだろうなという話。

小学校の三年のときの担任は少し変わった人でした。

将棋を教えてくれたり、百人一首を教えてくれたり、夜釣り(穴子釣り)に行ったり…。

小三は特に印象的でした。

私はこの時代、本当に問題児だったように思います。物はよく落とすし、宿題はしない、適当に誤魔化すのだけはうまくて、寝坊が多くて、そのくせ学業はそこまで遅れていないクラスではいい方でした。

小三のときの担任の一番変わっていたところはこんなに問題児なのにほとんど怒られなかったことです。

嫌いなことはとことんやらない私。中でも嫌いなことは作文。

作文はほとんど真面目に書いていない。読書感想文をドラゴンボールで書いたし、人権作文では亀の飼育法が80%を占めていたりしていました。

理屈は一応あって、よくわからないことをわかった風の顔をしてきれい事や薄い文章で埋めるのは嫌いだったのです。

小説を読んでもその情景は作者にしかわからないだろって思っていましたし、権利とか自由とか責任とか言われてもピンとこないし文章が思い浮かびませんでした。

とにかく、難しいことは難しい…そんなことより私の話を聞いてくれ、とそんな性格。本質は変わってないのかもしれませんが、当時の自分が何考えていたのかはうっすらと記憶があります。

中でも覚えているのは「将来の夢作文」。案の定、その時の私には「夢」なんてなくて、ないのに書けって言われるのは何故なんだろうかと思っていました。適当に興味のある職業を書いておけば良かったのですが。

まぁ、当時、何となく「明石家さんま」さんみたいなテレビスターに憧れていたのですが、なれっこないよなって思っていましたし、さんまさんは小学校のときテレビスターになりたいなんて書いてないだろって思っているような小学生でしたし…。

友達が「プロ野球選手」「サッカー選手」って書いていたら、(なれねーよ)って思っていましたし、「ケーキ屋」とか書いてたら、(お前ケーキ作ったことねーだろ)って思ってましたし、「アナウンサー」って書いてあったら、(ニュース見るのも嫌いなのに読む方なんてもっと無理だろ)って思っていました。何より子どもの夢なんてほとんど叶わないと思い込んでいたので夢なんて作文で書いたところで無意味だと。

だから私はいつものように関係のないことを原稿用紙400字✕5枚。それは当時オウム真理教が起こした殺人事件のニュースを見た感想でした。

地下鉄にサリンと言う毒をまいて、多くの人を苦しめたこの事件。幼いながらによく覚えていて、NHKで特集もされていました。

殺人をした人の中には高学歴の人もいて、何で賢い人なのに関係ない人を殺しても人を不幸にするだけだということがわからないのだろう、と思っていました。当時それが本当になぜ多くの人が毒ガスで殺されなくてはならなかったのか意味がわからなかったし、宗教は人の命を奪ってもいいっていう教えなのかと思いました。

私はそんなことをつたない文章でつらつら書いていたのを記憶しています。きっと変な文章だったけど今何となく言語化してみると結局「こんな風になるくらいなら頭よくなる必要ないし、賢いならもっと世の中を便利にしてほしい」みたいなことでしょう。

みんなが書いた作文は担任の先生に要約されて模造紙に貼られていました。その模造紙には、大きな木のイラストが書いてあって、リンゴの中に一人一人の名前とその人の夢が書かれていました。タイトルは「夢のなる木」ということで。

「漁師」「お母さん」「プロ野球選手」「アイドル」…。いろいろな夢が貼り出されている中で、気になるのは私の夢。

私の文章の始まりは確か…「夢なんてありません。どんな仕事があるかわからないのに選べない。」…って出だしで書いてしまった。その後は適当なニュースの感想だ…。

私のリンゴだけなかったらどうしよう…。

そう思ってリンゴの数を数えるとちゃんとクラスの人数分…ある。

私のリンゴには何て書いてあったのか…。

「人の役に立てる賢い人」

先生は怒らずいい感じに解釈してくれてそういうリンゴにしてくれました。しかも私のリンゴは他のリンゴより目立つようにしてくれています。

こんなあまのじゃくなガキが「夢なんてねーよ」って書いてきたら私のリンゴだけないってことも考えられました。ホッとしたなぁ…。

一定期間をおいて学級活動のときみんなにリンゴが返されていきます。「みんなで夢を叶えましょう」と。私も返却されて、もう一度「人の役に立てる賢い人」の文字を読んで、そうなろう!と心に…ん?黄色いリンゴ?

「なし」ってことか!

夢はなしってことか!うぉい!シャレまできいてますやん!スゴいなぁ!確かに青リンゴとか混ざっててカラフルな木やなぁと思ったけど!

私の…完全に「なし」だわ!

よくよく聞いてみると夢がないって書いていた友達がもう一人いてその子も「なし」になっていました。そして「家族で仲良く暮らしたい」って書いてありました。

何て平和で鮮やかな…。

あっても「ない」、「なし」という果物。

「夢」を「なし」から「あり」に変えてもらった小三の日。

あのときの担任の先生!ありがとうございます!

そんな日を思い出す33歳の3月の最終週。

賢くなれただろうか?そして、私は人の役に立てているのだろうか…。

最後まで読んでいただきありがとうございました(*^^*)

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