巨大なラジオ/泳ぐ人

書影

18篇の短篇小説と2篇のエッセイの感想を。

① 巨大なラジオ(The Enormous Radio)
巨大なラジオが近隣のいろんな声や音を拾い上げてしまう。シュール。

② ああ、夢破れし街よ(O City of Broken Dreams)
田舎から家族で出てきた無垢な戯曲家志望の男、エヴァーツを中心とした話。この人、毎晩眠れない。どなりまくるエージェント。エヴァーツの妻は大丈夫よ大丈夫よ、というが、常に何かがずれている。

③ サットン・プレイス物語(The Sutton Place Story)
マーサっていったい誰?カポーティの「無頭の鷹」に出てくる謎の男「デストロネッリ」を思い出した。デストロネッリ…字面からして不気味だが、マーサも負けてないかも…。

④ トーチソング(Torch Song)
不死身の女性「ジョーン」。何度もジョーンと再会。このへんからちょっと怖くなってくる。

⑤ バベルの塔のクランシー(Clancy in the Tower of Babel)
ジム(クランシー)は田舎から出てきて、高級アパートメントのエレヴェーター・マンを務めている。誠実だがおせっかい、たまにたがが外れる。入院もするがそこからいきなり病院をとびだす。何をもって治癒と呼ぶのか?ラストシーンが良い。沈黙について、思いをめぐらす。沈黙って好きな言葉。

⑥ 治癒(The Cure)
説明のつかないことが、きっと人生にはたくさんある。ジャック・ロンドンの短篇に、夜になったら豹変してお屋敷の中で暴れ回る会社の社長の話があったなぁ。
女の人をつけて「足首を握らせてくれたら俺は回復するんだ」みたいなのは治癒の過程なのか。
とにかく話は何かしら骨太な印象がいつもあって、流されない感じがする。

⑦ 引っ越し日(The Superintendent)
これも⑤と同じで田舎から出てきた人の話。こういう舞台設定が多い。翌日に余韻がよみがえった。最後のシーンで「還っていく」感じがある。空を眺め冬の終わりを知る。暗くなったら家にかえる。げこげこ。
もの静かな主人公のまわりでいろんなヒューマン・ドラマが起きる構図は好き。
「その一日は何かしらの意味を帯びることにしくじっており、そして空はその明瞭な説明を約束してくれているように見えた。」

⑧ シェイディー・ヒルの泥棒(The Housebreaker of Shady Hill)
このあたりからチーヴァーの世界の共通点みたいなものが見えてくる。ディテールの描写は濃厚で、誰しもが主人公になりうる気がするから、ぼくもまたその一人なのかな?という印象です。

⑨ 林檎の中の虫(The Worm in the Apple)
ノー・コメント

⑩ カントリー・ハズバンド(The Country Husband)
似たような構図が続くような気がして、やや頭が混乱してくる。(僕の精神状態も関連?)

⑪ 深紅の引っ越しトラック(The Scarlet Moving Van)
堅苦しすぎるし教えてやらにゃならん!を連呼。何を?もう、変な登場人物のオンパレード。

⑫ 再会(Reunion)
父親との再会の話。列車の乗り継ぎの時間にめし食おうや、となるけれど、全然くえない。父親がレストランでしでかす。しでかし続ける。大変な父親だがめっぽうおもろい。すごく短いお話。たぶん訳者の訳も秀逸。ちょっとここで僕(読者)の目がさえてくる。

⑬ 愛の幾何学(The Geometry of Love)
順に読んでいって⑧を読んだあとあたりに映画「泳ぐひと」を観たのだが、その強烈な主人公が、この短篇で想起された。チーヴァーはずっとニューヨーカーへの掲載を好んでいたが、ニューヨーカーがこの話を「暗すぎる」といってばっさり斬って、これはサタデーイブニングポストに載ったらしい。ユークリッド幾何学で人生の問題を解決してゆくお話。これもへんだ。よくこんなん思いつくなぁ。

⑭ 泳ぐ人(The Swimmer)
ジョンチーヴァーのハッシュタグでこの映画の存在を知って、原作を読む前に観た。映画の方がいささか盛り込み気味で、そんなことより僕は始終パンイチの勘違いおじさんににやにやしていた。連呼されるのは”I’m swimming home.” 前半のイノセント・スマイルで最後まで泳ぎきってほしかったな。
原作はそこまで主張は強くない。じわじわと、堕ちてゆく。明らかに土地を泳ぎきる8マイルの間に季節は秋へと向かっている。小説の最後はアイロニカルな温かみも残るが、映画の方はちょっとやりすぎ感があって、思い出すと少し笑ってしまう。この対比は楽しい。
映画の解説についてはYouTubeで町山さんのを観てみたけれど(普段はそういう解説モノには触れないけれど)あまり細部の意味などは知らないままで、楽しんでも良いんじゃないかと改めて感じた。

⑮ 林檎の世界(The World of Apples)
また林檎のお話だ。こちらもノー・コメント。

⑯ パーシー(Percy)
自伝的小説のようだが、あまり自分(チーヴァー)が前に浮かんでこないのがすごいかもしれない。そういうの、好きかもしれない。

⑰ 四番目の警報(The Fourth Alarm)
これもへんな話。主人公の妻は教師をやっていたが(確か)そこから劇に出ると言いだす。その劇は「オザマニデス二世」といって、出演者が全裸になる。夫はそれをいやがる。「オザマニデス」って「ザマスデス」みたいなちょっと上品な雰囲気を醸しているけれどみんな脱ぐから、そういうのもある。

⑱ ぼくの弟(Goodbye, My Brother)
これは「泳ぐ人」と並んで、チーヴァー短篇の有名作らしい。よかった。理屈っぽくて頑固な弟がある理由で実家に帰ってくるけれど、皆からけむたがられる。兄はそれなりに説得を試みている。海で泳ぐシーンがたくさん出てくる。それがいい。海とか水とかってやっぱり象徴的で、何かと対比させているんだと思う。「海で浄化する(大洋の治癒力)」とか、休暇が必要なんだよって弟や自分に言い聞かせるシーンも好き。これはチーヴァーの初期作品のようだけど、訳者も言うように完成されている。訳者が書いた短篇小説「沈黙(《レキシントンの幽霊》に収録)」を思い出した。併せて読んでみてもいいかもしれません。

⑲ 何が起こったか?(What Happened)
これは⑱の作品を書くにあたって記されたエッセイ。弟のような理屈っぽくて頑固で楽しめない、「そのような姿勢の緩和」を試みたい、というところにチーヴァーの愛を感じた。

⑳ なぜ私は短編小説を書くのか?(Why I Write Short Stories)
これも⑲に続き、良いことが書かれている。「彼ら(眼識と知見を持ち合わせた男女)は物語フィクションというものは我々が互いを理解し、時として面食らわされる我々のまわりの世界を理解するために有用なものだと感じているようだ」というチーヴァーの視点が好き。

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https://www.shinchosha.co.jp/book/507071/
にある金原瑞人さんの書評の最後の部分をお借りするなら
「短篇の枠組みを巧みに利用しながら、それを自分的ディーテイルと展開でゆがめ、ずらしていくチーヴァーの魅力があふれている作品集。」
ということで僕もそれに納得する。今ではそれぞれの登場人物がなんだか愛おしい。また十年後とかに読み返してみたい1冊だった。

【著書紹介文】
その言葉は静かに我々の耳に残る――短篇小説の名手ジョン・チーヴァーの世界。
彼を抜きに五〇年代のアメリカ文学は語れないと村上春樹は言う。ジョン・チーヴァーはサリンジャーと同時代にザ・ニューヨーカー誌で活躍し、郊外の高級住宅地を舞台に洒脱でアイロニーに満ちた物語を描いた。ピュリッツァ賞も受賞した都会派作家の傑作短篇選! 全作品から村上春樹が二〇篇を厳選して翻訳し、各篇に解説を執筆。

(書影と著書紹介文は https://www.shinchosha.co.jp より拝借いたしました)

【関連note】
アイロニー(皮肉)をもってしか語れない幸福や安寧がある
https://note.com/seishinkoji/n/n6f9478024163

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さて次はレイモンド・カーヴァーの全作品を読もうと思いましたが、その前に、「村上春樹が訳したスコット・フィッツジェラルド」の全作品を読もうと思います。

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