アイロニー(皮肉)をもってしか語れない幸福や安寧がある

2020/02/15 19:58 に 旧アカウントにて投稿した記事を転載

今日(2/15)の毎日新聞の朝刊の記事より

村上春樹をめぐるメモらんだむ
https://mainichi.jp/articles/20200215/ddm/005/070/007000c
※著作権が絡むかもしれないので新聞記事は載せません

そしてこの記事のポイントは

・モラリティ(道徳性)をもってしないと描ききれない非モラルな状況がある
・アイロニー(皮肉)をもってしか語れない幸福や安寧がある
・ユーモアと優しさをもってしか語れない絶望や暗転がある

そして記者は
「ハルキ・ワールドの特色を絶妙に表現した言葉」
と、説明しています。

僕はすごく納得、共感しました。

新聞記事には「チーヴァーの小説では泥棒に入る話でも、盗み方が礼儀正しい。(中略)浮気しても割に礼儀正しい。悪徳とか背徳とか、そういうものが顔をのぞかせても、なぜかドロドロしない」と、あります。

つまりのところ「幸福を伝えるために皮肉を交える」とか
「絶望を伝えるためにユーモアを交える」とか、そういったことにもなるでしょう。

日常の何気ない会話の中にさりげなくこういうことを持ち込むのは、あるいはややこしい(面倒くさい)ことにもなりかねませんが「相手にどう伝わるにせよ」そういう一見矛盾したような伝え方もアリなのだということを教えてくれます。(うーんちょっと何いうてるかわかりづらいかも)

もう一度もどりますと「それが皮肉」に聞こえても、そこでは「幸福が語られている」ということもあるのだ、ということです。
いや、そんなふうにいちいち詮索して生活するわけにはいかないので、これらは小説の中だけで用いられる技法なのかもしれません。ちょっとわかりません。(しかし僕は文章がへたくそだなぁ…)

やや一刀両断しますと「誰かの言葉によって認識したこと」は「その認識の真逆であるかもしれない」ということです。逆ですよ、逆。

伝えるために、時には逆の素振り、逆の言葉を使うこともあるのではないかということです。

ここまできたのでもう少し具体例をあげてみますと「悲しい気持ち」を伝えるために「底抜けに明るい歌を奏でる」ということだってアリなのです。またそれは「ギャップの魅力」といえるかもしれません(ちょっと違うかな)。

村上春樹さんの「小説の読み方」などに触れていますと、実にこのように「一見、逆の解釈」をされているように僕には思えます。

もちろん小説は頭で考えて読むよりも自然と体に染みわたるような読み方の方が楽しいでしょう。(村上春樹さんもきっと「フィジカルに」読まれていることでしょう)

この新聞記事では「ジョン・チーヴァー」という作家の作風をとりあげて説明しています。

みなさんも「これはどういうことなんだろう、こういうことかな?」と何か引っかかったときに、あえて、時には意図的に「逆の解釈」を試みるのもおもしろいかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?