せい

30代独身サラリーマン男の心の声を綴っていきます。心にアダルトチルドレンがいます。 心…

せい

30代独身サラリーマン男の心の声を綴っていきます。心にアダルトチルドレンがいます。 心の声に一般常識や社会常識はありません。年も評判も無意味です。 アダルトチルドレンの「ボク」や僕の声を、僕自身に届けること。 僕のブログ➦https://honseitago.com/

最近の記事

不登校を許していいのか?

ぼくは思う。 「学校に行きたくない」という子どもの意見を、本当に受け入れていいのか? 不登校を許していいのか? 結論から言えば、学校に行かないという行動は許さないほうがその子の将来のためになると思う。 行きたくないと言うのは仕方ないとしても。 そう思った過程、そう考えるに至ったぼくの学校生活についてここから紹介していく。 (先に述べておくけれど、ぼくは心理療法士でもなんでもない、ただの一般人なので、心理学的根拠は一切ない。 すべて経験談として語るものである。) 学校

    • ペットチャンネルでペットを道具扱いかどうかの見分けポイント

      ペットチャンネルが出演している猫と一緒に売買されたというのが、世間をにぎわせている。 正直な僕の感想としては、「やっぱり出たな」。 それほど怒りは無い。 ぼくは猫は大好きだ。 猫カフェに1人でも通う。 なのに、怒りは感じないというのはおかしいと思われるかもしれないけど、それはペットチャンネルそのものに対して、ペットをただの撮影の道具としか見ていないと思っているからだ。 だから、今更ペットをチャンネルごと売りに出そうが、そういうことを平気でする人間だと思っていたから驚きも

      • いじめは生存本能

        学校からいじめを無くそう。 そう世の中で言い続けてどれくらい経つのか。 いじめが無くなる気配は一向にない。 無くそうとあれこれやって、何の効果も無い。 そこでぼくは思う。 そもそもいじめとは何なのか。 今回のnoteは、ぼくの考えるいじめとは何かをつづっていく。 いじめとは生きる本能によるもの結論から言ってしまうと、いじめとは生存本能がさせているものだと思う。 そう思う理由は、誰も『いじめ』なんか教えていないのに子どもはいじめるからだ。 誰もいじめる方法なんか教え

        • 『死にたい』をわざわざ発言する目的はなんですか?

          ぼくにはわからないことがある。 「死にたい」とわざわざSNSで書き込む人達のことだ。 死にたいのであれば、書き込む必要なんてない。 今すぐ死ねばいいことだ。 死ぬことなんて簡単だ。 包丁で手首を切ればいい。 首吊りすればいい。 車のマフラーを車内につなげて一酸化炭素中毒で死ねばいい。 練炭を使ってもいい。 本当に死にたい人はそうやって死んでいる。 死にたいならいくらでも死ねる。 死のうとしても、法律バリヤーなんてもので防がれるわけではない。 神様が、仏様があなたの死を妨

        不登校を許していいのか?

          いじめられたらやり返したほうがいいメリットとは?

          これ、ぼくの実体験。 ぼくはいじめられてた。 名前を変にもじられて呼ばれてた。 上履きが校外に捨てられてたこともあった。見つかるまでスリッパで過ごした。 そんなぼくが、ある日からいじめられなくなった。 理由は単純。 やり返したから。 やり返したと言うと、同じことを相手にしたわけじゃない。 陰湿にやり返したよ。 いじめてた相手のカバンを、ドブに投げ捨てた。 本人にやり返そうとしても逃げるから、逃げられない物に仕返ししてやったんだよ。中には教科書とかノートも入ってただろうね

          いじめられたらやり返したほうがいいメリットとは?

          厳しさが無くなるほど厳しくなる矛盾した社会

          厳しく𠮟りつける時代は終わった。 これからは優しくほめて伸ばす時代。 ほんとうにそれがいいことだろうか? 他人から厳しくされない時代は、ほんとうにいい時代になるのか? ぼくは思う。人が厳しくなくなったら、社会はますます厳しくなるだろうなと。 どうして矛盾する?人が厳しくなくなれば、社会だって厳しくなくなるはず。そう思うのが普通だと思う。 だけど現実はどうか?社会が厳しくて、生きるのが辛い人たちは増えている。叱られなくなったゆとり世代に、社会はもっと厳しいものとなった。

          厳しさが無くなるほど厳しくなる矛盾した社会

          善意を無条件で信じる愚かさ

          善意とは、無条件で信じていいものではない。 必ず疑うべきものだ。 無条件で信じれば、その先にはあなたが利用されるだけの未来しかないのだから。 善意を疑うきっかけぼくが善意を疑うようになったのは、↓の本を読んだことがきっかけ。 https://amzn.to/3owIZzb 児童相談所、薬、輸血。 本来であれば、人助けという善意のもとに行われている(と思い込んでいた)行為が、実は恐ろしいほどの闇を隠していた真実。 人の善意を疑いたくない人は絶対読まないほうがいい。 けれ

          善意を無条件で信じる愚かさ

          『正しい努力』って何?

          『正しい努力』って何? 成果が出ていない人に、「それは努力が間違っているから」と言う人がぼくは嫌い。 だって、『正しい努力』とは後だしだから。 正しい努力は結果論正しい努力とは。 間違った努力とは。 この二つを区別することはなんだろう。 それは、成功したかどうかだ。 成功すれば、正しい努力になる。 成功しなければ、間違った努力になる。 努力そのものを見て、正しい・間違っているを結論付けている人はいない。 まだ成功していない姿を見て、人は「あれは間違った努力だ」と評する。

          『正しい努力』って何?

          『信用』を失うことに怯える現代社会

          世の中にはやたらと、「信用を失わないための方法」の情報は多い。 「人を裏切ると信用を失う」 「嘘をつくと信用を失う」 信用恐怖症なのが現代の特徴ではないかと思うくらいに、信用を気にする人が多い。 確かに信用を失うことは、ときに人生を左右することにもなりかねない。 信用を失ったばかりに、路頭に迷う人もいる。 信用を失うことを怖れる気持ちがあることも分かる。 だけど、本当にそうだろうか? 人は、信用があるからつながっているのか? 信用できると考えてから、人と繋がることを選んで

          『信用』を失うことに怯える現代社会

          『○○は学校教育で教えるべき』という論がくだらないと思う3つの理由

          SNSやコメントで結構こういう意見がある。 「〇〇は学校で教えるべき」 ぼくは大体こういう意見を見ると、「はっ?」って思ってる。 そう思う理由が3つある。 学校がやるべきという他人任せ 1つ目は、学校という他人に任せる姿勢がくだらない。 SNS全盛期である今、教えることは誰でもできる。 教えるべきだと発言したその人が、今からでも教えることは可能なのが今の時代。 その時代にありながら、誰かが教えるべきだと丸投げする姿勢が実に気に入らない。 自分がやる姿勢が無いのなら

          『○○は学校教育で教えるべき』という論がくだらないと思う3つの理由

          「冷たい世の中」こそ現実

          ぼくは思う。 現実は冷たい。 他人はあなたが思うよりはるかに冷たい。 全然気遣ってなんかくれない。 怪我に塩を擦りこむことを平気でする。 自殺した人に対し、「自殺するほうが悪い」「自殺するほど悩むなら誰かに相談すればいい」「逃げればいい」そんな意見は山ほど出る。 これも現実。 自殺した人を誰も助けなかった。 助けなかったのが異常なのか? いいや、助けなかったのが普通。 助けることは、普通じゃないのだから。 あなたが道路で転ぼうが、手を差し伸べる人はいない。 見て見ぬふ

          「冷たい世の中」こそ現実

          心理学の本を読み続けた悪影響

          心理学の本を読んで、この世の中の人たちの心が分かった風になっている。 そんなことを自分に思った。 昨日も友人と話していたとき、ぼくはこんなことを言った。 「男はそもそもが弱い生き物。 女性に支えられて、強いと勘違いしただけの生き物なんだ。だからやたらと強いことをアピールする。わざわざアピールするのは弱い犬が吠えるのと同じこと。強さを誇張することこそ、弱い証だ」と。 心理学では、誇張とは欠乏の証明であるという。 そういう意味では、間違ったことを言っているわけではない。

          心理学の本を読み続けた悪影響

          会社員に戻るくらいなら死ぬ

          散歩してたらふと思った。 「こんな風に散歩できる自由を失ってまで、会社員に戻るなら死んだほうがまし」 別にそこまで会社員に戻ることを悲観的に思ってるわけじゃないのに、自然とそう考えていた。 そのくらい、今の不規則な、時計に縛られない生活はぼくに合っているようだ。 自由であること。 とくに、時計によって行動を決めるんじゃなく、自分がその瞬間に行動を決めることが、思った以上にぼくに合っている。 「『〇〇をする』を決めることに決断力がいる。だから、あらかじめ決めておくことで

          会社員に戻るくらいなら死ぬ

          規則正しい生活こそ不健康になる

          ぼくは最近全然時計を見ない生活をしている。 無職で、規定の時間に出社とか退勤がないから時計の必要性が無くなったから。 それならと思って、室内の時計は非表示にしてみたんだ。 とはいえ、PCに時計表示はあるからそっちは見ちゃうんだけど。 起きる時間も、寝る時間も、食事する時間も、昼寝する時間も全部不規則。 不規則っていうより、何時にやってるか全然わかんない。 朝日が入ってきたら起きて、太陽が真上に来たらご飯食べて、太陽が沈んだら寝る準備。 いつの間にか、太陽に合わせた生活になっ

          規則正しい生活こそ不健康になる

          優しさとは異常である

          優しさは誰もが求める。 優しさは誰もが欲しがる。 優しさを求めない人はいない。 結婚したい人の条件に優しさが無いひとはいない。 どうしてそんなにも人は優しさを求めるのか? 単純なこと。 優しさが普通じゃないから。 優しさは常にないから。 優しい世界とは言うけれど。 優しさが当たり前なら、だれも優しさは求めない。 当たり前にあるものに、感謝など誰もしない。 空気があることを求める人はいない。 空気はいつもそこにあるから。 常に、当たり前にあるから。 だから、「空気が欲し

          優しさとは異常である

          ご褒美は後がいいのか先がいいのか、どっち?

          これは理論とかそういうのじゃないんだけど。 ぼくはご褒美があると落ち着かなくて集中できないタイプ。 〇〇が終わったらゲームをしていい、とか。 〇〇が終わったらケーキを食べていい、とか。 そういうのがあると頑張れる、というタイプじゃないのがぼく。 ご褒美が頭にちらついて全然集中できない。 むしろご褒美があるせいで集中できないと言ってもいいくらい。 ご褒美なんかないほうがいいくらいなのがぼく。 ご褒美なんか全然無くてもいの?って言われると、それはちょっと寂しい。 じゃあど

          ご褒美は後がいいのか先がいいのか、どっち?