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『○○は学校教育で教えるべき』という論がくだらないと思う3つの理由

SNSやコメントで結構こういう意見がある。

「〇〇は学校で教えるべき」

ぼくは大体こういう意見を見ると、「はっ?」って思ってる。
そう思う理由が3つある。


学校がやるべきという他人任せ

1つ目は、学校という他人に任せる姿勢がくだらない。

SNS全盛期である今、教えることは誰でもできる。
教えるべきだと発言したその人が、今からでも教えることは可能なのが今の時代。
その時代にありながら、誰かが教えるべきだと丸投げする姿勢が実に気に入らない。

自分がやる姿勢が無いのなら、他人に押し付けることはしない。
教える必要性があるのなら、自分がやればいい。自分がやれる範疇でやればいいだけだ。

しかも学校教育でやるべきだという意見は、見方を変えれば教えない学校に問題があると、責任転嫁しているようにも見える。
学校が教えないのが悪いのであって、教えない個人は悪くない。
こんなバカな話があってたまるか。
こんな他人任せで、責任転嫁するような意見を、ぼくはくだらないと思っている。


学校で教えたからと言ってできるようになるわけじゃない現実

2つ目は、学校で教えればできるようになるという、妄想を抱いていることについてだ。

学校で教えたからできるようになる、というのは妄想だ。
何故なら、現実として学生時代に学んだことを、社会に出たのに出来ていない人間は実に多い。
ぼくだって、英語なんでほとんど覚えていない。単語では覚えても、文法なんてさっぱりだ。
数学で言えば、三角関数、円に関する計算すらできない社会人はざらに見てきた。

ぼくはそれを、当人が不勉強だからという理由で終わらせるつもりはない。
これは現実だ。
学校で習ったからといってできるわけではないという現実を見て、ものを言っている。

さらに言えば、たいていこの学校で教えるべきである○○に入る内容は、社会人として必要なものを指す。
逆に言えば、社会人なら使うけど学生の身分では使わないものが多い。
それはつまり、学んでもすぐに使う機会が無い知識ということだ。
知識は、学んですぐに実践してこそ覚える。
理論だけ覚えても、その理論を検証する機会が無ければ、すぐに忘れる。

学校教育の内容をあっさり忘れるのは、これと同じだ。
理論を学んでも、それで終わる。
実践として活かすことが無い。
例えば円の面積を求めるなら、地面にあるマンホールの面積を求めてみるとか、身近なもので測ってみるといい。
なのに、ただの線のイラストと仮の数字を当てがっただけの問題を解くだけで、何を覚えるというのか。
円の面積を求めることで、何ができるようになるというのか。そこまで無ければあっさり忘れ去られる。
学校教育とは、所詮そんなものだ。


人が何かを学ぶのは必要性が生まれたとき

3つ目は、人が何かを学ぶのはその必要性が生まれたときだ。

何かを学ぶとき、一番いいタイミングはいつか。
それは、その知識を今すぐ使う必要がある場合だ。

例えば、これから投資をしようという人には投資の知識は必要だ。
だけど、投資をしない人に、投資の勉強を始めさせたことで、何の意味があろうか。
むしろただの時間の無駄。なんでこんなこと勉強しなくちゃいけないんだと文句を言われるだけだ。

学校教育で教えるべき論を唱える人は、たいていその人が『今』必要であり、学んだからそう言っているにすぎない。
ではその人が、まだ学生時代にその知識を学ぶ機会があったとして、教わるだろうか?
ぼくは思う。「そんなのいらない」と跳ねのけるだろうと。
何故なら、学生時代はそのタイミングではないからだ。
不要な知識を、わざわざ詰め込まれることを良しとするだろうか。
拒否するだろう。

その人が今になって必要になった知識を、わざわざ過去に戻って教えたがったとしても、過去のあなたにとっては迷惑でしかないと知ったほうがいい。
何故今になってその知識を得たのか。
何故過去、その知識を得てこなかったのか。
それはそのタイミングではなかったからだ。

いまのあなたと、過去のあなたは違う人間だ。
過去の自分に教えたがる人は、そのことがすっぽり抜けている。
今の自分と、10年前の自分が同じ人間だと思っている。
別人なのだということが、全然頭にない。
その10年間で、いろんなものを見聞きし、経験し、少しずつ変わっている自分の自覚がない。
だから、過去の自分に、今の自分が必要な知識を教えることがいいことだと勘違いしている。

ぼくは会社を辞めた。
10年前には想像もしてなかった。
10年前のぼくに、「会社の辞め方」「失業保険の受け取り方」の知識を教えようとして、受け取ってもらえるか。
絶対に受け取らない。
「会社なんて辞めるつもりはない」と一蹴されて、終わるだけだ。
今のぼくに必要な知識は、過去のぼくには必要ない。

今必要でない人に、知識を学ぶ意欲は無い。
学ぶのは、今必要だから。
その今が無い学生に、無理やり教えるのは時間の無駄でしかない。


最後に

ぼくは知識とは、早いタイミングで教えればいいというものではないと考えている。

知識とは、使うために学ぶものだ。
使わないものを学んでも時間の無駄にしかならないし、覚える意欲も無い。
きわめて非効率にもなる。

今すぐ使うものだからこそ、無駄にならないし、覚えようとする意欲もある。

あなたが今使うものだから、今学んだ。
それはそれでいい。
だけど、だからといって「みんな知るべきだ」などと押し付けるのは迷惑でしかない。
あなたが必要なものを、全員が知る必要はない。
知りたい人だけが、知ればいい。

知識は押し付けるものではない。
自ら学び、実践するものだ。
勉強を、誰かに強要することがないようにと思う。

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