『死にたい』をわざわざ発言する目的はなんですか?

ぼくにはわからないことがある。

「死にたい」とわざわざSNSで書き込む人達のことだ。
死にたいのであれば、書き込む必要なんてない。
今すぐ死ねばいいことだ。

死ぬことなんて簡単だ。
包丁で手首を切ればいい。
首吊りすればいい。
車のマフラーを車内につなげて一酸化炭素中毒で死ねばいい。
練炭を使ってもいい。

本当に死にたい人はそうやって死んでいる。
死にたいならいくらでも死ねる。
死のうとしても、法律バリヤーなんてもので防がれるわけではない。
神様が、仏様があなたの死を妨害することはない。
死ぬことは、誰も邪魔なんてしないんだから。

それなのに、彼ら彼女らは、わざわざ『死にたい』などという。
その『死にたい』とはなんなのか。
死ぬことに、他人の助けなんかいらない。
なのに言う。『死にたい』というメッセージを、わざわざ他人に伝える。
言う目的が、ぼくには分からない。

ぼくの仮説では、死にたい言う人は、爆音を奏でる暴走族と同じではないかと思っている。
つまり、爆音で注目を集める暴走族と同じく、死にたいというキーワードで自分に注目を集めたいかまってちゃんということだ。
死ぬ気なんか無い。
ただ、誰も自分に注目してくれないから、注目させるためにそのキーワードを使ってるに過ぎない。

「これから死ぬぞ!」と言えばみんなが注目する。止めようとする。
それを求めてる。止めようとして自分を見てくれる。
だから彼ら彼女らは『死にたい』わけじゃないので、解決策なんか求めてない。
相談なんかする気も無い。
ただ『死にたい』と言って注目が集まっていれば、それでいい。
言ってしまえば、オオカミ少年と同じだ。
そのうち、誰も『死にたい』のワードに反応しなくなる。注目してくれなくなる。「またなんか言ってる」で無視される。
その時、彼ら彼女らは本当に死ぬだろう。誰にも注目されないまま。

とはいえ、これはぼくの仮説でしかない。実態は知らないし、ぼく自身は死にたいわけじゃない。
むしろ、こんな記事を書くこと自体、死にたいかまってちゃんの思惑に乗った結果かもしれない。

いや、ふと思ったけど、実は彼ら彼女らほど『生きたい』と思っている人間はいないのかもしれない。
生きたいから死にたいと言う。矛盾してるが、実はそうかもしれない。
「うさぎは寂しいと死んでしまう」という、嘘だか本当だかわからないけどそんな話を聞いたことがある人はいるだろう。

人間も同じじゃなかろうか。
人間も、寂しい思いをすると死にたくなる生き物なんだ。
寂しさ、孤独感から人は死を選ぶ。
彼ら彼女らはまさに今そんな状況で、その寂しさから抜け出したくて、周りに人を集めたくて『死にたい』と言う。人の集まる、SNSの中でわざと言う。

「余計なお世話だ」と言いながら、本当はそれを望んでる。
言葉の内容はどうでもいい。自分に向けてメッセージが来ることが嬉しい。
彼ら彼女らは寂しいから。

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