見出し画像

会社員に戻るくらいなら死ぬ

散歩してたらふと思った。

「こんな風に散歩できる自由を失ってまで、会社員に戻るなら死んだほうがまし」

別にそこまで会社員に戻ることを悲観的に思ってるわけじゃないのに、自然とそう考えていた。
そのくらい、今の不規則な、時計に縛られない生活はぼくに合っているようだ。

自由であること。
とくに、時計によって行動を決めるんじゃなく、自分がその瞬間に行動を決めることが、思った以上にぼくに合っている。

「『〇〇をする』を決めることに決断力がいる。だから、あらかじめ決めておくことで、決断力を温存できる」なんて聞いたことがある。
人が何かをすると決めるのは、ずっと力がいるらしい。
だから、あらかじめ決めておく、スケジュールを決めてその通りに動くのがいいんだとか。

でも、それはぼくに合わない。
あらかじめ決めておいても、その時になったら「やりたくない」が出てくることがしょっちゅうある。
「やりたくない」と思ってるのに、無理やりやると、さぁストレスがMAXになっちゃう。

決めておかないほうが、ぼくにはいい。
何かをすると決める決断力がどうこうが、ぼくには当てはまらない。
ぼくには決断力が要らない。
その瞬間に、「これをやりたい!」が出てくるから。
それに従うだけだから、決断なんて大げさな表現は要らない。
決めてるんじゃない。ぼくは、ぼくの本心に従うだけでいい。

でもそのやり方は、一切時計に縛られない今しかできない。
やりたくないことを、やらないとするのは、誰かがいたらできない。
独身で、一人暮らしで、無職な今だからできること。

他の誰かじゃない、唯一自分だけに従うこと。
自分にしか従いたくない。
自分にだけ従いたい。
誰かに従いたくない。

ぼくは、ぼくだけの奴隷でありたい。
誰かの奴隷にはなりたくない。

自分にだけ従う。それがぼくの生きたい道。
誰かに従うのは、今のぼくが死ぬことと同じ。
会社員に戻れば、今のぼくは死ぬ。
会社員のぼくと、今のぼくは別人だから。
だったら、死んだほうがいい。

でも、それを悲観的にとらえてはいないんだ。
死んだほうがましと思うくらいなんだから、「今」をもっと好きに生きていいんじゃないかって。
法には触れない範囲で、もっとやりたいことに素直に生きてみろって思ったんだ。
そうしたら、意外となんとかなるかもって思ってる。

心の赴くまま、今したいと思ったことをする人生。
それでぼくは生きていく。
それができなくなったとき、ぼくは死ぬ。
それでいいと思ってる。
ああ、なんて楽しい人生なんだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?