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規則正しい生活こそ不健康になる

ぼくは最近全然時計を見ない生活をしている。
無職で、規定の時間に出社とか退勤がないから時計の必要性が無くなったから。
それならと思って、室内の時計は非表示にしてみたんだ。
とはいえ、PCに時計表示はあるからそっちは見ちゃうんだけど。

起きる時間も、寝る時間も、食事する時間も、昼寝する時間も全部不規則。
不規則っていうより、何時にやってるか全然わかんない。
朝日が入ってきたら起きて、太陽が真上に来たらご飯食べて、太陽が沈んだら寝る準備。
いつの間にか、太陽に合わせた生活になってるね。

もちろんそんな生活ができるのは、ぼくが無職だからっていうのもある。
だけど、無職だからこそ感じたのは、『規則正しい生活』とは本当に大切な物なのかな?ってこと。

人間の体は『規則正しく』できるように作られている?

人間の体は、規則正しくできるように設計されているの?
規則正しい生活しないと健康じゃないの?

設計なんて言い方をしたけれど、そういう考え方になると思う。

規則正しい食生活

朝食7時、昼食12時、夕食19時。
この時間通りに食べることが規則正しい生活。

でもちょっと考えてみてほしい。
本当に朝7時でご飯食べたいと思う?
本当に昼12時でご飯食べたいと思う?
本当に夕方19時まで何も食べないでいられる?
体は、本当にその時間に食べたいように設計されているの?

ぼくは今、1日1食で生活している。
その1日1食のタイミングは結構バラバラ。
朝10時くらいでもう食べるときもあれば、15時くらいになるときもある。
それは、時計で食べるタイミングを決めてないから。
「今食べたいな」っていう体のサインに従って、食べるようにしている。

それで全然健康。体調には何も問題ない。
むしろ、
「食べたくないけど食べなくちゃいけない」
「食べたいけどまだ食べられない」
なんてストレスが無いから、前よりももっと健康的かもしれない。

規則正しい睡眠

夜9時には寝て、朝5時には起きる。
22時~2時まではゴールデンタイム。寝ていなくちゃいけない。
8時間睡眠が最も適切な睡眠時間。
こんな風に規則正しい睡眠が求められている。

それ、本当?

ぼくは起きる時間もかなりバラバラ。
朝は4時に起きるときもあれば、7時に起きることもある。

寝る時間もバラバラ。
寝るのは20時のときもあれば。午前3時まで起きてることだってある。
午前3時に寝て、4時間後の7時に起きる日だってある。

「起きなくちゃ」がない。
「寝なくちゃ」もない。

「起きたい」ときに起きる。
「寝たい」ときに寝る。

睡眠時間もバラバラ。
9時間寝てるときもあれば、4時間寝て十分なときもある。
昼寝する日もあれば、しない日だってある。

そんな生活でも、ぼくの体調はすこぶる良好。
本当に、規則正しい睡眠は必要なの?ってぼくは感じる。

規則正しさのもたらすストレス

こうやって書き出してみると、規則正しい生活がどれだけストレスを生み出しているのかが分かる。

食べたいときに食べられない。
食べたくない時に食べなくちゃいけない。
寝ていたいのに起きなくちゃいけない。
起きていたいのに寝なくちゃいけない。

しなきゃいけないを強制する『規則正しさ』。
規則正しさは、いったい何のため?誰のため?
その人のために、本当に規則正しさは必要なの?

そう考えるのは、ぼくが無職で、なんにも時間に縛られない生活をしているからだと、思うかもしれない。
でも、一度でいいから、時計を見ないでしたいときにしたいことをする生活をしてみてほしい。
食べたいときに食べる。
寝たいときに寝る。
仕事したいときがあれば、仕事する。

ぼくは無職になる前、むしろ人よりずっと『規則正しく』生きてきたと思ってる。
遅刻は絶対に許されないという姿勢。
終了時刻があれば、その終了時刻に間に合わせなければいけない。
8時間睡眠が必要だから、20時には寝なくちゃいけない。眠気が無くても布団に潜り込む。
朝は4時には起きなくちゃいけない。まだ眠くても無理やり布団から抜け出す。
20時に寝るには、18時には食事を終えなくちゃいけない。
シャワーもそれに合わせて済ませなくちゃいけない。
何もかも規則正しく生きてきた。

その反動もあって、余計に『規則正しさ』への疑問も強いかもしれない。
そして、もう絶対規則正しい生活に戻りたくないとも思ってる。
それほどまでに、今のぼくは生活することへのストレスが無い。

「しなくちゃいけない」のストレスは、思っていたよりもずっと大きい。
ストレスを感じるということが、こんなにも麻痺していたんだなと実感するくらい。
今のぼくは、時間通りにしなくちゃいけないことに、ものすごくストレスを感じるようになった。

不安もものすごく強い。「遅れたらどうしよう」の不安が、こんなにも強いものだと分からなかった。その不安を、ぼくはこれまで「守らなくちゃいけない」という使命感で抑え込んでいた。
今その使命感がなくなって、不安を直に感じる。
ぼくは本当は、時間を守るということにこんなにも不安を感じていたんだなって、実感している。


規則正しい生活は時計屋の陰謀説

ここからはぼくの妄想だから、読まなくたってかまわない。

最近、1日3食が流行ったのは、エジソンがオーブントースターを売るための戦略だという話を聞いた。
「朝食を食べるのは健康にいい」
→「朝食にはパンを食べよう」
→「パンを焼くにはトースターが必要だ」
→トースター爆売れ

これは、何かを売るなら、習慣を人々の間に流行らせればいいという一例。

ぼくは、これが時計にも当てはまるんじゃないかと考えた。
「規則正しい生活が健康には不可欠」
→「規則正しい生活には時刻を正確に知る必要がある」
→「時刻を知るには時計が必要」
→時計爆売れ

ちょっと調べたけど、そんな情報は見つからなかった。
でも、人々がどうして時刻に正確さを求め始めたか、を考えると外れてないと思う。

規則正しい生活こそが不健康を生み出している

規則正しい生活は健康にぜんぜん役立ってない。
むしろ、不健康そのものといっていい。
それは、規則正しい生活はぜんぜん自分の体を見ていないから。

眠くても起きなくちゃいけない。
眠くないのに布団に潜り込まなくちゃいけない。
食べたいのに食べられない。
食べたくないのに食べなくちゃいけない。

どれも体のことを無視したことばかり。
規則正しさは、体のことを考えてない。
それでどうして健康になれるといえるのか?

人間の体は毎日作り替えられている。
昨日の自分と今日の自分は別人。
昨日食べられたものが、今日は食べられない。

そんな毎日変わる体に合わせた生活こそが、本当に体のためになる。
体を無視し、時計の時刻に合わせた生活で健康になるわけがない。

健康になりたいなら、健康でいたいなら、規則正しく生活よりも、むしろ不規則な生活のほうがいい。

食べたいときに食べる。
食べたくない時に食べない。
寝たいときに寝る。
起きたいときに起きる。

時間に合わせるのではなく、体に合わせた生活。
それこそが、健康のために必要な生活。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。
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