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諦めない

小川から労福会のエッセイ集にのせるエッセイを書いてくれないかと頼まれた、私は自分のためにもいい経験になると考え「いいよ」と言ってキーボードのキーを打ち始めた。

いいよとは言ったものの、自分でエッセイを書くのは初めてで、またエッセイという言葉自体、知らなかった。何を書けば良いのか分からなかったが、ネットで調べたら、エッセイとは、自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。随筆。随想のことだと。

モロッコで3月11日に開催された、第21回、日本語スピーチコンテストにメッセージビデオを送りたかったが、しかし忙しかったのもあって送れなかった。とりあえず、私は日本語スピーチコンテストで語る予定だった、「諦めない」について書くことにした。

私はアラブ首長国連邦で長男として生まれ、そこからイギリス、モロッコ、イギリス、モロッコと移住してきた。

そんな私だが、私は幼少期のころから自由がなかった。両親は厳格なある宗教の信者だ。私はある宗教と言ったのは、決してその宗教が悪いとは思ってはいなく、あえてある宗教と言わせてもらう。私は14歳になるまで両親に束縛をされていた、束縛と聞いて、想像はつかないだろう、まあ簡単に言えば音楽禁止、学校に通うの禁止、女性との会話禁止、視聴禁止、外出禁止など、まだまだあるが、これだけ言えば異常さが伝わるだろう。

今でこそ面白可笑しく語っているが、当時は本当に苦痛で、笑い事ではなかった。14歳になる時、両親による行き過ぎた束縛に耐えきれず、私の精神が崩壊した。普通は精神病院に連れて行くが、だが両親はなぜか、あなたには悪魔がいると言われて、悪魔祓いをする人物を呼び、悪魔祓いをされた。当然治るはずもなく、最終的に、お前は嘘つきだ、演技をしていると言われて家から追い出された。

追い出されて、いろいろ大変なめにあった、モロッコでの生活は決して簡単ではなかった。まあ両親が日本語と英語だけしか喋ってなかったのもあって、モロッコでの一人暮らしは厳しかった、それだけではない、これは誰にも理解してもらえないが、私は生まれてから自分が日本人だと思いこんでいた。モロッコに来るまで、自分がモロッコ人のハーフだと認識していなかった。モロッコの人たちは、お前は何を言っている?お前はモロッコ人だと言われて、私は納得が出来ず腹立たしく感じたことを覚えている、私はそれぐらい自分が日本人だと思っていた、私は日本人、誇り高い日本人なのだと。

私は普通ではない、いや、普通が嫌いなのだ、父親がモロッコ人だから、お前はモロッコ人だと言われるのは、私は可笑しいと考える、それはただのモロッコ集団社会が決めた価値観であり、固定概念である。ダニエル・イノウエのように、両親共に日本人でありながら、日系アメリカ人として生きたように、私も日本人として生きたい。

私は両親の元にいた頃から、日本に行きたかった、いや戻りたかったのだ。日々日本へ帰ることを夢見ながら、必死に頑張ってきた。路上で寝たこともある、普通はホームレスになれば、何もかも絶望し諦めるかもしれない。だが私は諦めなかった。

いつも日本人の証である日本国旅券を見ながら、諦めない、絶対に諦めない、自分は誇り高い日本人だと言い聞かせた。私は諦めなかった、諦めきれなかった。

私は日本へ帰るためなら何でもやった、モロッコで帰国費を必死に集めようとした、だがモロッコで帰国費を集めるのは数十年掛かる、そして仕事も少ない、モロッコ人でさえ、片道10万円の帰国費を募るのは至難の業だと、ニューヨークにいるモロッコ人の友人は言っていた。

日本のためなら10~20年、100年だろうと私は我慢する、だが私は日本のために何も貢献できず、一生モロッコにいることなんてとても考えられなかった、人生は有限だ、私は時間を無駄にすることは出来ない。だから必死に日本へ帰る方法を探した、人生は選択肢にあふれている、一つの選択肢だけを見るのだけではなく、あらゆる視点で解決の道を探る。普通が嫌いだからこそ私はこの考えた方が出来た。

私は在モロッコ日本国大使館に国援法の利用を求めた、国援法とは領事が帰国費を貸し付ける制度のことである。だが外務省は中々難しいと告げられた。それでも私は挫けず諦めなかった、ただ前に進だけだった、そこで私は全国の支援関係の団体のリストをネットで入手し、一つ一つ助けを求めるメールを送った、まあ日本にいれば助けやすいがモロッコにいるとなると難しい。だが全国に支援団体は数千、数万とある、100のメールを送れば、必ず助けを差し伸ばしてくれる人が出てくると、私は強く信じていた、地球上には70億人もの人がいると言う、70億人の中に困っている人を助けたい人は必ずいる、助けたくない人なんてこの世に一人もいないとは思わない。人生はありえないことは無いのだ、仕事もそうだ、就職活動で一つの面接で100%合格することなんてない、何件も何件面接して、そして職を得るのだ。恋愛や結婚もそうだ、運命の出会いを待つだけでは、恋愛や結婚は出来ない。ドイツ人哲学者マルクス・ガブリエルは言った、恋愛、結婚したければ、運命の出会いを待つのではなく、自分で愛を探すのだと。何回も何回もプロポーズして、何回も断られて、それでも諦めず必ず愛は見つかり、そして結婚できる。

私は北海道札幌市の支援団体と連絡を取り、いろいろ相談をして、結果クラウドファンディングを始めた、そして無事に成功し、令和5年1月28日、日本に戻った。

長い、長い戦いだったが、だが日本に来たからそこで終わりではない、また新たな目標を目指す。

私は日本に貢献したと思い、モデル、俳優、政治家または日本に貢献できるような仕事を目指している、労福会に参加したのも人のため、日本のために貢献したいとという思いがある、誰もがお前はモデルや俳優、政治家にはなれないと言う、だが私は必ずなれると信じている、そして諦めない、諦めたらそこで終わりだ、私は常に高みを目指している。私は伝えたいことは、決して一回の挑戦で諦めてはいけない、諦めない者が夢を掴み取るのである。そして自分を信じきる。

大塚清龍

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