見出し画像

『一気読み用、ま夏入院日記。八月十五日~まとめ。随時、追記。おそらく私の気分が秋になるまでつづく』

肝臓がんの手術が延期になった事は昨日書いた。
ひょっとすると、セカンドオピニオンで幾つかの病院を受診すれば、この状態でも「手術はできる」という外科医はいるかも知れない。私も当初「それでも、手術をしてほしい」と言った。けれど、想像してみた、このまま一生退院できずに入院暮らし、そのまま終末病棟ゆきの未来が見えてしまった。
『リスクの選択』だ。どちらを選んでもリスクはある。私の希望は最後の最後まで家で過ごす事だ。そして、最後の最後までバイクで走る事だ。自分の下の世話ができなくなるまでは『家』がいい。

肝臓は沈黙の臓器と言われている。御多分にもれず、私にも自覚症状はない。抗がん剤は、癌細胞は勿論、正常な細胞をも攻撃する。両方をかわいがるのだ。その結果、細胞両成敗で、どちらにもダメージが入ったというところだろう。私の抗がん剤による副作用も激しい。まだ、幾つか試せる抗がん剤があるようだ。抗がん剤治療とは、結局のところ相性なのだろう。

終戦記念日だ。めずらしく神棚に手を合わせよう。寝転がりながら「ぱんっぱん」世界平和を祈った。私の体調はいい、ただ私が億劫で不敬なだけだ。新潟にも墓参りに行きたいのだけれど、それもこれも次の抗がん剤次第だ。予定がたてられない。「もっと下痢がひどくなる可能性もあります」と、主治医には言われた。私は心の中で「いや、それはない」と思った。一日、四十回の排便はないだろう、と。起きている時間が十五時間として、一時間に三回の排便で四十五回だ。あるな。というか、これまでもあったな。五分に一回を五連発とかザラにあった。しかし、もっとひどい下痢になったら私は下痢で死ぬのではないか。
あとで、きちんと神棚に手を合わせよう。まだ、眠いのだ。

台風のおそれ。
準備よし。バイクのギアは一速。フレームとポールにしっかり固定。群馬だから多分大丈夫だけど。念の為に。台風逸れろ。

鉢植えの草花退避。全部は退避できない。オリーブ二鉢と名前をわすれたピンクの花。タープ収納完了。

台風の勢力が拡大中。タープは丸めて収納しました。台風一過と同時に、飛び込みの屋根修理(詐欺師)が来るでしょう。
みなさん、ご注意を。

日日、目まぐるしい。
「私、手術するってよ」、八月二十一日から入院になった。

肝臓がんの手術ではない。新たな抗がん剤治療のための手術になる。これからは、一回の抗がん剤治療を長い時間をかけて行う。四十八時間連続の点滴だ。

まず、私にあったカテーテルを造形する。その後、カテーテルを鎖骨のあ
たりか、腕に埋め込む。そして、第一回目の抗がん剤を四十八時間かけて身体にいれてゆく。二週間で1クールとなる。
一度退院してもいいのだけれど、第一回目はどうしても不測の事態に備えて、入院して病院で行うそうだ。めんどくさいので、そのまま一週間程度入院する。八月二十八日が退院予定となる。

それから、二週間に一度、病院に通う。そして、四十八時間の抗がん剤の点滴治療は自宅で行うことになるそうだ。
私は、色々と調べ過ぎないようにしている。映画やドラマと一緒だ。旅行やツーリングもそうだ。調べすぎると、つまらなくなる。せっかくの新しい抗がん剤治療を新しい気持ちで迎えたい。どうせなら、エンジョイしたい。だから、あまり質問もせず、あまり調べない。「はい、その方向で進めてください」と言うだけだ。

カテーテルの埋め込み手術は全身麻酔ではなく、部分麻酔だそうだ。たいして痛くないのだろう。私は親知らずの歯を四本同時に抜いてもらったことがある。まあ、その程度だろうと思っている。二日で退院してもいいくらいの手術なのだから。入院時の親の付き添いもいらないそうだ。一応、連れてゆくが。というより、一週間分の下着とパソコンやらでリュックが重い。歩いて十五分で着いても汗だくにはなりたくはない。


カテーテル埋蔵人間になるようだ。
抗がん剤は三回目になる。つまり、カテーテル埋蔵人間3号でもある。
ついでに、私は偶然にも解脱している。カテーテル埋蔵人間偶然解脱阿闍梨3号でもある。カテーテルを身体に埋蔵するなんて、サイバーパンク、SFの世界だ。とうぜん、私はバイク乗りだ。

私は、『カテーテル埋蔵人間サイバーパンク偶然解脱阿闍梨3号ライダー』になるのだ。私は元来、このようなくだらない文章を日がな一日書いていたい人間だ。

カテーテルの正確な造形もあやふや。多分、管を使うのだろう。主治医は、「良き所を選んで心臓のペースメーカーを埋め込むようなかんじです」と言った。鎖骨でも、腕でも、場合によっては脚でも埋められるらしい。その口ぶりから類推すると、埋蔵場所について私に選ぶ権利はないようだ。私は右利きだ。「どうか、埋蔵場所は左半身ではあってくれ」とは思っている。「脚も勘弁してくれ」と思っている。勿論、主治医は『埋蔵』などという語は使わなかった。私の遊び心とミスリードだ。

カテーテルの専門家に決定権があるらしい。カテーテル氏の健闘を祈ろう。私にはそれしかできない。カテーテル氏は木曜日にしか、カテーテルを造形しないそうだ。色々な病院をまわっているのだろうか。
以前、母親が尻もちをついて、全治三か月の背骨の骨折をしたことがある。コルセット氏も病院に来院する日が決まっていた。『専門技師』とは、そうやって担当病院を掛け持ちして回っているのだろう。

独断と偏見ですいませんが。相変わらず、今年も『パピコ』の圧勝で夏が終りそうだ。チョココーヒー味は勿論のこと、キウイフルーツ味も絶品で御座いましたな。お見事、パピコ!。パピコではありませんが、チョコミントアイスは横一線でした。そこから頭ひとつ抜け出すチョコミントアイスはありませんでした。ちなみに私は、爽やか重視のラクトアイス派で、アイスミルクはおもくて苦手です。

『カテーテル埋蔵人間サイバーパンク偶然解脱阿闍梨パピコ3号ライダー』になりました。


『猫者』は、ねこじゃと呼んでいただきたい。地域猫者の糞はあいかわらず絶えない。私に、猫者への恨みはない。「仲良くやろうじゃないか」と、私はいいたい。

何より、猫者には土地を買い求めたり、または、特別軍事作戦で我が土地に侵攻するような、猫者の楽園を創る野心もない。勿論、検問所から人間を他国へ追い出すつもりもない。我が家の土地は神に約束された地ではない。土地なんて、地球から借りているに過ぎない。けれど、糞は控えてほしい。

たまたま、今夏は黒烏龍茶の水出しパックを愛飲している。その、抜け殻のパックを糞があった場所にいちいち置いている。まだ、はじめて一週間程度なので効果はわからない。なにより、猫者に害を与えたくはない。カフェインの動物への害について私は知らない。だから、別の方法で対処したいと思っている。

私はローズマリーの匂いが好きで庭に数本植えている。これを、壁際いっぱいに植えようと思っている。ローズマリーが猫者と大の仲良しかも知れないが。それならそれでしかたない。しかし、糞尿の臭い対策にはなるだろう。
圧倒的なローズマリーの物量で猫者と勝負をしてみよう。


時々、頼んでもいないのに、八月二十日の十一年前の写真です。とか、グーグル先生が教えてくれる。設定を変えれば、そんなおせっかいもなくなるのだろうけれど、放置している。

私は、十一年前の、ま夏に北海道の網走湖畔にある、呼人浦でキャンプツーリングを楽しんでいたそうだ。今でも同じバイクに乗っている。タンクとサイドカバーの色が変わり、ウィンカーは大きくなった。そのほかにも消耗品を交換している。勿論、事故もあっていたるところを交換している。

今では、テントも居住空間をもうすこし大きくとれるサイズに変更している。ツーリングライダーの殆どが、湖面ぎりぎりにテントを設営している。大雨が降ると湖が溢れてテントが浸水することもあるようだが。

私意外のバイクが見えないところを見ると、他のテントは連泊組で出払っているようだ。私は此処に泊まると、翌日は早起きして知床(ウトロ)にツーリングにゆく。朝の知床はいい。

呼人浦キャンプ場の出入口の道はややカーブしていた。地元民が猛烈なスピードで車をとばしているので、キャンプ場の出入りには注意してもらいたい。ある時、車体を大きく上げた地元民の『ジムニー』が急ブレーキをかけて車軸が折れて、オイルをまき散らして動かなくなったこともあった。キャンプ場の全員で端まで手で押した。
ジムニー氏は怒り心頭であった。礼もなかった。キャンプ場から出ようとしていた関東圏のナンバーの車に因縁をつけていた。

普通のスピードで走行していれば急ブレーキも必要なかっただろう。そして余計なカスタムをしていなければ車軸が折れることもなかっただろう。その後、地元警察がどんな判断をしたのかは知らない。

さて、今年は明日から入院だ。一週間分のパンツが足りなくてAmazonで五枚1980円のボクサーパンツを買った。これで、何度か漏らしてもいい。病院食になるので、そこまでお漏らしの心配はしていない。パピコを一日五本食べることもない。ノンアルコールビールをがぶがぶ飲むこともない。四十八時間の抗がん剤治療の副作用次第だ。

一応、病院食とミネラルウォーターしか口に入れない予定ではある。昨年は、そうだった。しかし、一階にはセブンイレブンがあるのだ。私の好物のお好み焼きパンが復刻している。特別な年だ。パピコもあるだろう。カテーテル埋蔵手術など、さほど心配はいらないだろう。あまりにも、病院内が暑いようだったら、しれっとパピコを食べようと思っている。

坊主頭は目立つので、目深に帽子を被って店内か、病院出入口のバス停のベンチで食べればいいのだ。しかも、目の前の道を渡れば大きな公園がある。いくらでも場所はあるのだ。

入院中でいちばん恐ろしいのは、ストレス氏だ。ストレス氏をどうやり過ごすかに、私の健康がかかっている。パピコ一本でストレス氏から遠ざかることができれば、上々ではないか。喫煙やアルコールとは違うのだ。

昨年の退院まじかに「無糖の珈琲飲んでいいですか?」と看護師に訊ねた「いやあ、どうでしょう。一応、刺激の少ないものにしましょう」と、言われた。昨年は大腸のがんだったから、その論理も解る。けれど今夏の手術はそれほどのものではない。抗がん剤の点滴中以外は自由度が高いのではないか。そう思っている。



荷物がでかい。私の性格がそうさせる。「いざと言う時の為に」という語が、私の頭の中をゆうゆうと泳いでいる。こうして、バイク用のリュックにきつきつに荷物を詰めた。これでも、このゴールドウィンのバッグは、もう一段階マチが開く。中にはバンドもあり、パソコンは一切ガタガタしない。このバッグにパソコンを入れたまま、何度かコケたがパソコンは無傷だった。バイクでコケるよりも、家でパソコンを落とすほうが被害はでかい。

言っておかなければならない。迷彩柄は私の趣味ではない。どこを探しても、迷彩柄だけが売れ残っていたのだ。私も迷った。次のシーズンまで待つ選択肢もあった。しかし、廃盤になってしまう可能性もあった。迷彩柄は人気もなく、割引もされていた。それで購入を決めた。この型が発売された初年度のシーズンには持っていたはずだ。五年くらい前だろうか。バイクの荷台に、しっかり固定できるし、リュックにもなり、病院で自衛官に間違えられる。そんな代物だ。おすすめしたい。


この他に、肩掛けバッグも持ってゆく。コインランドリーを使わないと決めたので仕方ない。普通は、面会で家族が来てくれて、下着類やタオルを交換してくれるものだ。だから、荷物が少なくて済む。私はどういうわけか、面会を断っている。面会をしてしまうと、せっかくの旅情が失われてしまう。私は、入院患者という非日常感を楽しみたいのだ。

私はいま病院のベッドにいる。今日の予定はなにもない、と聞いている。明日の手術がいちばんになると、今日のうちに抗生剤を打たなければならないそうだ。それがなければ、自由気ままに過ごせる。病院内のルールに従って写真は控えよう。窓から外景を撮るくらいならいいだろうが。

予定ならば、退院は八月二十八日だったはずだ。この度の入院は二転三転しているので、大体しか把握していない。昨年の今頃はnoteに文章も書いていなかった。いい暇つぶしができていい。
大部屋なので、他の患者の会話は筒抜けだ。プライベートには注意しなければと思う。相部屋の方々は昨年よりも品がいい。その程度に収めよう。


半眠り状態で手術にのぞんだからだろう。あっと言う間にカテーテル、ポート手術が終わった。埋蔵完了だ。右の鎖骨あたりに百円玉くらいの機具が埋蔵された。

ただし、胸筋を鍛えるのは出来れば控えてほしいとのことで、とくに、腕立て伏せはご法度らしい。プランク、スクワット、腹筋運動は大丈夫。

腕立て伏せの上下運動は、器具の破損に繋がる可能性があるそうだ。鎖骨あたりの、筋肉と筋肉がずれ合うような運動は控えよう。ゴルフのスイングのようなひねり運動も止めたほうが良いそうだ。農作業のクワを振り下ろした際にも機具が破損した例もあるらしい。

バイクは大丈夫、転倒しなければ。転倒して、バイクを起こすときはどうだろうか。より慎重に運転しよう。あとは私自身が常識の範囲内で、無理なことをしないだけだ。私に常識があれば良いのだが。鎖骨に器具が入った状態で温泉施設の大浴場にゆけるだろうか。まだ、ガーゼで隠された状態なので見た目がわからない。

入院は2日間短縮されて、退院は月曜日になりそうだ。早速、明日から抗がん剤治療が再開される予定になった。  

これが。↓

こうなって、こうだ。↓

名称はこうだ。↓

まだ、私もよくわからない。二週間に一度通院するので、針刺しは病院側が行い。その、四十八時間後の針抜きは私が行うのだろうか。針抜きの手順書は頂戴した。

今年は涼しい。
外気温のことではない。私が入院している棟内の室温が、昨年と比べてなぜか丁度いいのだ。私の体調もあるのだろう。なにせ、盲腸がんの昨年とは手術後の痛みが雲泥の差だ。痛みは昨年の十分の一といったところだと思う。

昨年は、術後の点滴後にホットフラッシュを食らっていた。それで、熱が出たのだ。ホットフラッシュとは簡単にいうとアレルギー反応の事で、眠剤か傷み止めの点滴と私の相性がたまたま悪かった。その結果、発熱した。今回はそれがない。けれど、手術室へ向かう前のエレベーターに乗った時に、むんと蒸れるような感じはなかった。昨年はあった。行き過ぎた省エネ対策をしていないのかも知れない。コロナ対策も段々と落ち着いてきた。無駄に窓を開けることを止めたのか。どうだろうか。

私は私で暑さ対策で、ハーフパンツしか持参していない。それも、効果的だった。とにかく、昨年よりは快適なことは間違いない。良くないことをひとつあげるとすれば、枕が匂うことだけだ。生乾きのような、汗のような、カビのような匂いだった。その枕は足下に押しやって、余ったタオルとシャツで即席の枕を作って睡眠している。

大部屋ということもあり、夜の睡眠は浅い。ストレス氏がむな騒ぐ。これは仕方がない、誰でもそうで、お互いさまといったところだ。昼寝をすればいいだけのはなしだ。時間はほんっとにたっぷりあるのだ。ただ、この入院中の暇の為に入会したネットフリックスを観る気にはなっていない。パソコンのバッテリー残量は97%あった。ちょっこっと日記を書くだけで、あとは、ぼうっとしている。

そして、入院写真をパチリ。小田和正感がでている。私のamazonmusicのリストには一曲も入っていない。これは聴かなければならないだろう。また、幾分私の額がひろくなった気がする。これが、抗がん剤。いや、もうすぐ五十歳。ということだ。

あれ、ぼやけている。まあ、いいか。小田和正感とハゲ感が伝わればいい。

いつのまにか、私の大部屋から人数が減った。退院したり、患者の体調の急変で
ナースセンターの近くの場所を確保して移動。そんなことはよくある。因みに、私の部屋はいちばん遠い東側だ。

昨年はナースステーションの、目の前の真ん中の部屋から、手術の痛みから回復するごとに遠くの部屋に移動になった。今年は、はじめからいちばん端だったので同部屋の患者たちも、予後がいいのだろうと思っていた。

一人減り、二人減り、四人部屋が二人部屋になった。なかなか愚図って、看護師と患者の部屋移動を賭けた軽い押し問答もあった。結局、患者側がおれてナースセンターに近い部屋に移動になった。私などは、完全にプロにおまかせで動いている。

昨年の丁度今頃に十日間入院したので、昨年と比べて「パタパタ」と一日中走りまわるような看護師の悪戦苦闘ぶりからは、落ち着いた職場になったように私のような傍観者には見える。人員が増えたのか、コロナとの新しい付き合い方を見つけたのか、それとも患者を減らしたのか。いずれにしても、過酷な職場環境がすこしでも改善されていればいいと思う。

看護師はカラッとした性格の人が多い。じめっとした根暗の私とはまるで逆の人間の宝庫だ。手術室だって、眉間にしわを寄せている人などいない。手術チームも私よりも概ね年若ではあるものの緊張と緩和の大事さを判っているようだ。オリンピックでもなんでも大事なのは緊張と緩和だ。それと上手く付き合えないと結果はでない。

病院内でいちばん気を張っているのは、受付事務の人たちだろう。一日、何度、患者からクレーム対応に追われているのだろうか。「早くしろ」だとか、手続き上の患者のミスだとかの最終確認者でもある。受け付け事務の方々が、内心でファイティングポーズを取らなければならないのがよくわかる。

手術前の冊子には、老齢の患者には術後や入院が長引くと『せん妄』の症状がでることがあると、入院案内などに書いてある。身の回りの小物、愛着のある物をベッドの傍に置いておく事を推奨している。それを、たった今、間近で感じている。「かぁちゃんっ。かぁちゃんっ。」と、老齢の患者がうわっと声を張り上げている。患者の母親を指すのか、患者の奥方に呼びかけているのかは、わからない。う~ん、奥方に近い言い方だろうか。

一応、入院期間が二日短縮になったのは電話で我が家に連絡した。
問題は母親との会話だ。まるで会話が成立しなかった。数ヶ月前に、私の通院している心療内科に心と物忘れ外来を受診してもらった。そのときは、もの忘れのほうは大丈夫ということになった。心は私と同様に駄目だが。昨日の電話での会話の不成立具合からみると。もう、補聴器を付ける時期が来たのだろう。

そもそも、心療内科とは頭療内科だろう。または、精神内科だ、単なる言葉の言い換えだと思うけれど、こちらのほうが患者も受診しやすいのだろう。

前から、兆候はあった。私の入院前に耳鼻咽喉科の受診を両親に薦めた。もう放ってはおけない状況になった。正常な耳の聞こえ方からは、二段階落ちているそうだ。『中等度難聴』であるらしい。その耳鼻科の先生は『補聴器相談員』の免許ももっていた。この免状があるかないかで、年末調整の医療費控除に関連してくる。ネットで『補聴器相談員』を調べると、都道府県別に人物名と病院名がでてくる。補聴器を考えている人は一読してから受診したほうがいいと思う。

退院したら、耳鼻咽喉科に母親を連れていかなければならない。補聴器の値段で私は度肝を抜かれた。保険適応無しで、どう買うのだ。難聴と認知症には関連があるのではないかと言われていいる昨今。補聴器の保険適応と補助を推し進める事で、老後の介助の一助になるのではないかと思う。逆に医療費の削減にもなるのでは。

そんな、文章を夜中から朝方にかけて書いていた。
そして、急患が入ったようだ。例によって看護師に「お腹の痛さは十段階方式でいくつくらいですかね」と訊かれる。患者は4くらいと言っていただろうか。

昨年の私の例では、入院前の腹痛(虫垂炎と盲腸癌)は、一段階くらいだった。一段階の痛みのカ所が盲腸あたりにあり、その痛みが十日ほど続いたことからの受診だった。痛みの発生~受診~紹介~検査~手術まで一月半はかかったのではないだろうか。朝方の急患は、今日、手術の可能性があることが漏れ伝わってきた。回復を祈る。ちなみに、腹腔鏡手術後の痛みは十段階中の十だった。


腕の点滴からは、しばらくおさらばできる。なかなか、血管が見つからなくて看護師を難渋させてきた。これで、winwinの関係を結べる。
何か、緊急事態が起こらないかぎりはこれでゆけるはずだ。もちろん、入院、手術となれば腕の点滴に戻ることもあるだろう。

気になることもある。鎖骨に埋め込まれたポートに針をさすときに、「なんだこれきつい、ふん、ふん」と、力をこめて「痛いでしょう。ごめんね」と、男の看護師が言っていたことだ。化学療法センターに男の看護師はいただろうか。この二週間で器具がこなれて、さしやすくなっているといいのだが。
これが続くと ↓

こうなって ↓
見た目、薬物中毒者のようになる。点々とした『・』はすべて点滴と採血によるものだ。青白いあざは、四月のものでしこりができてしまっている。

そして、右鎖骨の下側に埋め込まれた器具。横からみると『荒船山』のようにポートが盛り上がっている。カラメルのない小さなプリンだと思ってくれてもいい。やや、グロテスクだったら申し訳ない。一瞬卑猥にみえたかもしれない、大丈夫だ。私はこの秋で五十歳になる中年男だ。乳首はぎりぎり隠した。

第三の抗がん剤でも、四十八時間連続の点滴でも、しゃっくりはおさまらないようだ。このくらいはどうってことないのだ。『腹下り』さえなければ、それでいい。ハゲてもいい。しみだらけになったっていい。人間らしい生活が遅れれば、それでいい。

さすがに、自分で針をさすのは資格や免許がいるだろうとは思っていた。そのとおり、私は家に帰って四十六~四十八時間後に手順に従って針を抜く。体外から出ているものはすべて使い捨ての医療用産廃になる。二週間後の次のクールに病院の指示にしたがって持参すればいいそうだ。

ここで、自分で針を抜いた後はしっかり、無菌ガーゼなり、無菌綿棒なりに、ヨードチンキ的な液体をつけてぐるぐる回すように消毒する。その後は大きめの絆創膏と水対策をするのだ。一日二日経ったらそれを剝がして終りになる。

抗がん剤は丸二日持つという。プラスチック瓶のなかの風船に抗がん剤が前もって入っている。私の肌の体温を感知して、体内に送り込まれる抗がん剤には多少の誤差があるらしい。体温が高ければ早くながれ、低ければ遅くながれる。そして、風船がしわしわに絞んだら終わり。予定の五時間をオーバーしても多少の抗がん剤が残っている場合は手順通りに則って破棄となる。

在宅での抗がん剤治療中、私は専用のポーチに抗がん剤を下げたまま過ごす。シャツの襟口から透明の細い管がでているだけで、『となりのトトロ』のメイが肩掛けに持っていた水筒の半分もない大きさくらいだろうか、私のものはプラスチック製のものなので、随分かるい。ここで、恐ろしいのはわたしに記憶違いがあるかも知れないということだ。私の記憶では、黄色のポシェットにピンクの水筒だったはずなのたが。合っているといいのだが。

今、気付いたが『x』のトレンドをチラ見した感じでは、たまたま金曜ロードショーで『となりのトトロ』の再放送があったのかな。

このポシェット型の抗がん剤装置。これならバイクにも乗れそうだ。抗がん剤が毒物に指定されていなければ、だが。あとで、調べてみよう。もし事故になったときに、不意に誰かが抗がん剤に触れてしまうのは怖い。目にでも入ったら大変だ。外出に絶対安全はない。歩道を歩いていたって、横断歩道をわたっていたって、注意を怠れば事故に巻き込まれることもある。これは、私の常識と偶然と必然が試されている。その三点について色々考えて見よう。

あ、でも抗がん剤が体外にあるのか、体内にあるのかの違いしかないともいえるのか。事故でぐしゃぐしゃになってしまえば一緒だ。ポーチと管がある分だけ、救急隊員にはわかりやすいだろう。

で、軽く抗がん剤を調べて見た。まともなものと、陰謀論が混在していた。ので、この問題は先送りにしよう。ここには、書かないかもね。

病院では各種レンタルがある。タオルの入ったセットや、高級おむつが入ったセットが三種類くらいのグレドーに分かれている。値段もちがう。一日、五百円くらいがスタンダードになるのたろうか。私も今回は借りて見ようと思ったのだが、普段着のほうを選んだ。やはり、入院しても断然普段着派だ。自由度が高い。リラックス効果も高い。いかにも大病を患っています感がない。病棟のパジャマには私は生気を吸取られるようで、気が滅入る感じがするのだ。手術のときは仕方ない、手術着に着替えるのは、いい。いまある手術着が日本のベストなのだろう。でも、世界の手術着のベストが浴衣っぽいものであるはずはないだろう。衛生面からいって手術のときには強制的にクリーニングされた衛生的なものになるのもいい。でも、あの浴衣型がベストなのだろうか。そんな疑問がわく。それに、手術が終ったらだんだんに普段着やルームウェアに変えていったほうが予後は安定して、入院期間もすくなくなるのではないだろうか。着ている服だけで精気がアップしている気がする。

ただ、私は、手術が終わったら普段着に気がえるチャンスを逃すことはなかった。新しい抗がん剤に切り替わる瞬間で、ササっと普段着に戻った。これで、私の情緒が安定する。

そもそも私の人生にパジャマ人生はあったのだろうか。あったとしても、余所行きの両親の実家への帰省とか、せいぜいが小学校低学年までだろう。それからは、ない。
ホテルに泊まっても、旅館に泊まっても、私は普段着だ。「情緒はどこにいったのだ」と声が聞こえる。が、これは私が正しいだろう。日本は災害大国だ。浴衣で寝るのと、普段着で寝るのとでは逃げ足が違う。パジャで逃げるのとルームウェアで逃げるのでも、逃げ足がちがう。
ああ、ヒマすぎて二千字書いていた。病棟の旅情に浸り、筆がすすんでしまった。


暇なので、もう一本文章を書こう。家にいたときも暇ではあったけれど、環境が変わると書くものが増える。「書を捨てよ、街にでよう」か。

軽く、筋トレを始めている。
ベッド内や廊下の壁際で。もも上げ腹筋。プランク。スクワットをしている。カテーテル・ポートの埋め込み場所に痛みもない。
三種類目の抗がん剤治療の副作用もない。しゃっくりは、「水分補給を多めに取ると治りますよ」と言われて、その通りにしたら、明らかに減じた。どの看護師に教えて頂いたのか忘れてしまったけれど。感謝、感謝。

看護師は目まぐるしく変わる。覚えきれない。ただ、一年前にも入院していたのでなんとなく顔をおぼえている者もいる。名前はだれひとりとして記憶になかった。看護師のほうは、私の名前が風変わりなので「なんとなく見たことある名前だな」と覚えているようだ。

新しい抗がん剤はこのようなポシェットに入っている。二日間はこの状態で過ごす。

右の鎖骨の下から、管を通りポシェット内の抗がん剤に繋いである。ポシェットが逆向きだが、たぶん問題ない。様々なところにフックできるギミックがほどかされている。ただ、あまりにも下に繋ぐと、管の屈曲をまねく事があるようで、お勧めできないそうだ。今日の夕方くらいには終わる予定になっている。それから、針抜き作業を教授される。

病院外の状態はまるでわからない、今日の朝方はすこし寒かった。
一応腹巻きは持ってきている。今年中かはわからないけれど、もう一回くらい入院と手術の可能性は残す。抗がん剤治療でがんが完治する例はほとんどない事から、寛解を目指す。それも難しいだろうが。

また、どこかで手術をするのだろう。こんどは、軽装では過ごせない季節かも知れないな。抗がん剤治療の結果次第だ。私の体内では、寛解と延命が五分五分でせめぎ合いを繰り広げている。関ヶ原の合戦のようにすぐには終わらない。大阪の陣まで私の命があれば、ラッキー中のラッキー中のラッキーだろう。

取りあえずは、『盲腸がん』のステージ2発症から、一年、生き残りました。これからは、肝臓がんの血液検査の兼ね合いがある。手術中の全身麻酔のなかで死ぬのも悪くないとは思っているのだが。

どこかで、人生のギャンブルに挑みたい。昔から、根拠のない『死なない自信』があるのだ。


五時半。爽やかな朝だ。
鎖骨に埋めた、カテーテル・ボートの傷みもない。鳥のように、ぱたぱたと九階の私の大部屋から飛び立っていった。

さあ、これからは三週間で一回のクールから、二週間で一回のクールに変わる。ただ、二週間の最初の三日間で抗がん剤治療は終わる。あとは、抗生剤を日に朝夕二錠づつ服用する。入院中に最初の三日間は終えた。体調不良はなし。每日、三食しっかり食べた。入院食は、魚も多く、シーチキンなども良くでた。初めて入院される方は、フロスを持っていったほうが無難でしょう。咳こんでいる入院患者もいるので、あわせてうがい薬もあるといいと思います。そう、うがい薬は口内炎の予防にもなる。

看護師に「口内炎大丈夫ですか?」と、よく聞かれた。それだけ、患者側にストレスがかかっているのだろう。免疫力もおちると聞く。

関係ない、話をしよう。オアシス再結成だと。信じていいのかわからないが四半身四半疑で躍らされて見ようじゃないか。

戻ろう。入院すると『屁』の概念が変わる。屁は健康の証なのだ。ぷうぷうするのだ。四人部屋だから、あちらこちらから、ぷうぷうぷうぷう鳴るが、それでいい。部屋の換気も充分効いているので、ぷう仕放題なのだ。

同部屋の私以外の三人は、虫垂炎らしい。私もこの時期あたりに発症した。なにか、季節と関係があるのだろうか。気圧とか。

九時三十分。荷物まとめ完了。

午前中には帰宅出来た。
体調はいい。体調は日日刻々と変化する。1クール目と2クール目では、まるで違った表情を見せる事もある。何度も言うように、これは相性だ。抗がん剤治療から脱落しても仕方がない。私も、「その者らしさ」を、捨ててまで抗がん剤治療を続けようとは思っていない。

だから、一度目の抗がん剤治療は落第したのだ。二度目は、まずまず耐えられる事が出来た。あの地獄のような『腹下り』から、よく生還できたものだ。三度目の火蓋は切られた、はじまりは悪くない。



昨日、9階の病棟から下界の我が町に降りてきた。暑いな。
迎えに来てくれた父親の車を途中で降りた。散歩がしたかった。
そして、看板を見つけた。私はてっきり今年の夏祭りは「ない」ものと思っていた。どうやらあるらしい。九月二十八日と二十九日の二日間だ。折しも私の五十歳の誕生日と重なった。

いつから、九月末は夏になったのだ。もう、収穫祭を兼ねた秋祭りでいいではないか。米不足らしいしさ。結局、祭りには行かないのだけれど、健康志向に転向した私に、ラード、サラダ油、砂糖、ソース、たっぷり濃いめのテキ屋のメニューは合わない。ついでに、免疫力のおちた私に人混みも合わないだろう。

私にできることは少ない、『静養』だけだ。若しくは他者に迷惑をかけないことだけだ。右鎖骨にカテーテル・ポートを埋め込んだことにより、激しい運動は出来ない。二週間のうち三日は抗がん剤治療で、一月に一回は心療内科に通う。そして、暇つぶしに文章を書く。文章の能力はなかなか上がらない。そもそも、語彙を増やす努力をしていない。
私は『テンポ派』だから、語彙はいらないのだ。と、うそぶいている。「楽がしたいだけなの~」、スーパー・バター・ドッグを聴こうかな。

兎に角、今のところ私にできることは様子見だけなのだ。肝臓がん特有の血液検査の数値が、手術ができる上限の倍を叩き出してしまった。そんな私の不摂生がいけないのだ。何の数値だったのかわすれたけれど、この数値は0になるほど良い。手術可能な上限値が二十らしいのだが、私は二十をオーバーランして四十半ばの数値を叩き出した。これでは、肝臓が弱り過ぎらしい。弱っている自覚がそもそもないので「やっちゃえセンセイ」とも思わないでもない。

新しい、三種類目の抗がん剤の副作用は『発疹』かも知れない。その予兆が私の身体に現れはじめた。かゆみはない。ステロイドは(顔用、身体用)二種類処方された。あとは、保湿クリームだ。
まだまだ暑い季節は続くけれど、どくだみ風呂でお肌を整えよう。

春に買った3m✕3mの安物のタープが真横文字にすぱっと切れていた。私の身代わりなのか、それはまるで『ハラキリ』のように。で、また同じ安物を注文した。台風十号が抜けたら取り付けようと思う。今年は暑かった。四十度にせまる日もあった。取り付けっぱなしのタープが三千円で五ヶ月は持った。まあ、いいだろう。


一応、アルコールは断っている。とりたてて、アルコールは控えるような指示も頂戴していない。と思う。ノンアルも悪くない。喉の「しゅわしゅわ」があれば十分だ。

午前一時にふと目覚めて、ノンアルでキメている。なにが、どのようにキマっているのかわからないが。キマっている。確実に、私の喉はキマっている。じめっとした空気に「しゅわしゅわ」がキマッた。その実感はある。

手と足の指先が若干しびれてきている。いままでは、このしびれの症状は化学療法センターで色々点滴した当日の終わりごろから発症していた。その、帰りがけに、口もしびれていることを忘れて、プロレスラーのカブキ選手くらいお茶のしぶきを夕空に飛ばしたこともある。道端で四つん這いになるくらいむせた。いまのところ口と喉にしびれはない。そのしびれは数日つづく。

時間差でのしびれの副作用は、はじめてだ。これがずっと続くと金属製のドアノブや冷水に触るにも支障をきたす。身体に電撃がはしる。残念ながら私にはアース線がついてない。二、三日でしびれが沈静化してくれればいいのだが。ま冬が心配だ。

ヒマラヤほどの消しゴムが欲しい。千の発疹が私を襲う。

今回の副作用は発疹で間違いないだろう。今のところ、耐えられないほどのかゆみはない。ステロイドを塗りたくってギトギトに脂ぎるのもまた不快だ
。私は梅雨時期と秋雨時期に体調不良になりやすい。じめじめした空気と低気圧で肌がべっとりする。私の不快指数が爆上がりする。そうすると、蕁麻疹がでやすくなる。もう、抗がん剤治療の副作用なのか、アレルギー性の蕁麻疹なのかわからなくなる。そんな朝だ。

首筋から下の上半身は赤いぽつぽつでいっぱいだ。
涼しくなれば、消え失せるかも知れない。私は、この天候では何をしても駄目なことを五十年の経験から知っている。ヒマラヤほどの消しゴムがないかぎり。


この写真は数年前の北海道のものだ。
稚内のすこし南で、とつぜんバイクのヒューズがとんだ。スマホの電波もなかった。三十分ほどバイクを押して、ようやく保険会社に連絡がついた。バイクはレッカーで旭川へ。私は電車で旭川へむかった。その時の曇天が私の心情をいっそう鬱々とさせた。なにせ、次の日のフェリーで帰る予定だったからだ。

私の不安感を隅から隅まで見事に写し撮った写真だ。黄色のヘルメットと草花が、はしゃぎ過ぎた祭りのあとの静けさと虚しさをもたらしている。

おそらく、曇天による湿気や水蒸気が電装系に影響を与えてどこかのヒューズがショートしたのだろう。バイク屋の作業員も首を捻っていた。配線をひとつひとつチェックして、焦げているヶ所はないか丁寧に調べてくれた。とりあえず、バイクに取り付けてあるアクセサリー類、ETC、グリップヒーターなどはすべて外した。ヒューズはすべて新品に交換して、ようやく夜中にキャンプ場に辿り着いた。

そんな不安感が内陸の群馬在住の私の記憶を呼び起こした。
サンサン台風10号のせいでもある。海沿いの方々の不安はいかばかりであろうか。関東圏には台風の襲来があるのかないのか、それもまだ確定的ではない。南アルプスと北アルプスの防壁があるとはいえ、心配は拭えない。

北海道の名も知らぬ駅で、ぽつんとひとり立ちすくむ私を思い出してしまった。それもこれも、ソロツーリングの魅力の一つでもある。が、今回の台風の『サンサン・スパイラルバンド』なる、いけてるバンド名のような自然現象を楽しむ余裕はない。


退院してタガが外れた。
以前にも書いたが、私の主食が『パピコ』になっている。副作用の腹下りもないことから、日がな一日パピコを食べている。ステロイド軟こうを身体に塗りたくっているせいかも知れない。ギトギトベタベタの現実から逃避する為、私は清涼感を求めている。それが、パピコだ。

パピコを食べた途端、涼やかな風がぬめった肌をすがすがしく通り抜けていく。私は『パぴ感』の虜だ。布団に寝転がりながらでも食べられる。手離しでも食べられる。衛生的でもある。一本でも止められる、けれど、未だかつて一本で止めたことはない。それが『パぴ中毒』

じめりとした空気が、私の肌に異常をきたしている。上半身の発疹は酷いものだ。蕁麻疹発症時に服用する為の愛用の抗ヒスタミン薬を、小一時間調べて飲み合わせに問題ないことを確認してから服用した。抗ヒスタミン薬を、心療内科か総合病院か皮膚科で処方してもらわないと、抗がん剤ライフを続けるのは難渋するだろう。しかも、山ほどある抗ヒスタミン薬から、私の肌の発疹を沈静化してくれる効果があるのはいまのところ一種類しかない。

数年前に数種類ためして、やっと「これだ」という薬を見つけた。他の薬との禁忌はない。少なくとも、ネット上では確認がとれた。みるみる肌の発疹が薄くなってゆく。明日にも皮膚科に行こう、台風次第になるが。マイナカードによる情報の共有化も進みつつある。明日はあえて、マイナカードとおくすり手帳を忘れていこう。それが、大人の知恵だ。
ちなみに、私が蕁麻疹を発症する時期は決まっている。
五月と九月だ。


よい、ニュースがながれてきた。
かつてNHKで足かけ三年に渡って放送された、司馬遼太郎原作『坂の上の雲』の再放送が決まった。地上波とBS4Kの二回の再放送があるという。
放送当時、私は保存版として日立製テレビのWOOO専用のHDDカセットに録画していた。これは失敗だった。WOOOは廃盤になった。テレビの買い替えとともに、他メーカーとの互換性のなさから、テレビの寿命とともに廃棄せざるを得なくなったからだ。

今回は、ごくごく普通の互換性のあるHDDに録画保存することが出来る。
私は、再放送を何年待っていただろうか。役者に罪はあっても、作品に罪はない。役者の罪を並べ立てていれば、昔の映画なんぞは、ほとんど観ることはかなわなくなる。『映像遺産』のような捉え方が必要だ。ひろい心をもって「それはそれ、これはこれ」と分けて考える必要がある。

録画のチャンスは二回ある。どうか、災害よおこらないでくれ。
L字の災害注意のない、すっきりした画面で保存したいのだ。

抗がん剤治療の副作用の話をしよう。
八月二十三日の夕方から三種類目の抗がん剤治療に入っている。もう、一週間が過ぎた。経過を報告しよう。
毎日、鼻血がでる。上半身に発疹がでる。肌荒れ。いつもねむい。
腹下りはない、むしろ便秘気味だ。野菜ジュースを飲んで一度ゆるめにしようと思っているほどだ。が、大抵、腹下りの副作用は十日ほどではじまる。まだ、安心はできない。


小さな小さな、円墳がある。
私の右鎖骨下にこんもりとした、百円玉くらいの円墳だ。
それは、肉がついて、いっそう丸々としてきた。

私のこの五十年というものの肩掛け鞄のベルトは右肩にあった。常に荷物は左腰にあたり、そのバランスに慣れ親しんできた。この格好が不可能になった。右鎖骨下のカテーテル・ポートにベルトがあたり、鞄の重量がモロに肉の円墳にかかるからだ。これからの人生は左肩掛けスタイルで過ごさなければならない。

これが、意外と変だ。歩いていても鞄が落ち着かない。鞄の所在がうまくつかめない。前後左右にゆれている。幼少期からの癖を直すのは難しい。バイクにはまだこの新スタイルで跨ってはいない。さて、うまくバランスがとれるだろうか。


昨夜、虫の音がした。秋の虫だろう。
とうとう、夏が終わるのか。
が、そんなわけはなかった。今日も蒸し暑い。おまけに、どしゃぶりだ。
金木犀の香りが町いっぱいにひろがるまでは、夏でいい。

おそらく私は、気象病で調子がわるい。
けれど、そもそもが、肝臓がんで不安神経症でむずむず脚症候群で発疹が身体中にぽつぽつ増殖を続けていて、更に眠剤を処方されているので、『調子悪』の正体を、核を、突き止めるのは難しい。

昨年の秋が私の人生の底の底で、おまけに底の穴に自ら滑り降りるところでもあった。そこから這い上がった者は、多少図太くなり。また、かなりの事がどうでもよくなるようだ。

人生百年時代の半分までは生き長らえる目途のついた私の精神の波はフラットで、もう、あまり揺るがない。私が揺らぐのは「くだらない」事だ。くだらなければ、上品も下品も問わない。

と、いう事で一夜限りの『内村プロデュース』を楽しみにしている。
病院ではなく、我が家で視聴できる歓びを謳歌したい。


涼しい、はずなのに。もわり、とした台風一過の空気が私にまとわりつく。
この季節と、私の抗がん剤治療の相性がわるい。発疹が、あとからあとから発生してくる。発疹がでたら、その都度、抗ヒスタミン薬を服用するつもりだった。けれど、ずっと消えないので朝夕服用しなければならない。

そして、最悪のタイミングでトイレの排水が止まらなくなった。
私は、本来ならば衛生的に過ごさなければならない。土いじりはおろか、トイレのタンク内を掃除するなどもってのほかだ。

私が止めなければならないのは排水ではなく、発疹なのだが。
今夏の暑さと湿気でタンク内はべったりとした肉厚の黒カビだらけだった。それが、悪さをしていたようで、ゴムパッキンはぬるりとしていた。交換して半年くらいだろうか。だから、ゴムパッキンの寿命ではないのは解っていた。

このトイレは一式、通販で買った。便器から、便座から、タンクまですべて。一日がかりで家族三人で施工した。だから、構造は理解している。陶器のタンク内にはプラスチック製の、もうひとつのタンクがある。

三年毎くらいで、プラスチック製のタンク内タンクを、全とっかえしたい気分だ。あとで調べてみよう。


二十四時間経過しても、トイレの排水に異常はなかった。多分、直ったという事だろう。私のうすっぺらい人生の経験則に基づいて考えると、これ以上深追いすると失敗する。ボルトをなめたり、プラスチックを破損させたり、たかが、掃除、されど、掃除だ。

そう、なんとなくぼうっとamazonprimeの『力の指輪』を見始めてしまった。途中で気づいた事がある。私はそもそも、映画版の『ロードオブザリング』を観ていなかった。小説も。で、その世界観の時系列的に『力の指輪』を2シーズンの三話目まで観ている私はあっているのか不安になった。

斯様にして、映画版三部作を一気に観てみた。時系列的には『力の指輪』を最初に観ても問題なさそうだ。内容はともかく、二十数年前の作品の映像は古びていなかった。

気になった事もある。
ファンタジー作品の定番、エルフ=魔法というわけではなかった。エルフは長命で半神的な不可思議な存在として描写されていた。トールキンの原作もそうなのだろうか。いつから、エルフ=魔法になったのだろうか。すこし、ネットを調べてみると、エルフ=魔法を創作したのは北欧神話をモチーフにしたトールキンとでてくる。でも、映像作品上では、とんがり耳の『弓使い』の範囲からはみだすことはなかった。

これは、どういう事なのだろうか。原作を読んでみるか。電子書籍はあるのだろうか。


秋の政治の季節が始まろうとしている。
与党と野党の総裁選がまじかに迫っている。私は、国の運営には、日本でいちばんの『嘘つき』がむいていると思っている。
『噓つき』とは、言い換えれば『夢』だ。つまり、夢を見させてくれる者こそが、国の運営にふさわしいと思っている。

私はいま、『真夏の果実』を聴きながら、そんなふうにかんがえている。
桑田佳祐氏は、日本音楽界、最大の嘘つきだ。何度も何度も、嘘をついて、私を夢見心地にしてくれる。嘘と夢は離れ離れには決してならない。

そんな、嘘の上手い総理大臣候補がいないだろうか。私は気分よく騙されたい。嘘のつけない政治家は恐ろしい。すべからず独裁者は嘘が下手くそなのだ。独裁者は創作ができない。独裁者は神がかるように喋り、行動し、感極まり、嘘がつけない。

私は桑田佳祐氏が、神がかるように喋り、行動し、感極まったところを見た事がない。桑田佳祐氏の涙は偽物なのだ。だから、尊い。
一方で、ウラジミール・プーチンの涙は本物だ。だから、恐ろしい。

私は、世界中の政治家が全員嘘つきならいいのにと思っている。


なにもない日だ。ただ、私の生活の昼夜は逆転している。
信じられないくらいの発疹が、私の身体を襲来しているが、まあ、どうということもない。もう、私は私の見た目に関心がない。一応、ステロイド軟膏を医師の指示どおりに塗るだけだ。

新しい抗がん剤治療の1クール目なので、なにが異常なのかもわからない。「発疹がでて当たり前」の可能性がある。この抗がん剤治療の副作用は発疹なのだろうと納得している。来週の火曜日に受診する予定なので、はっきりするだろう。鼻血は数日前に止まった。抗がん剤が身体から抜けたのかも知れない。

腹は下る様子がない。今週も、なにかに憑りつかれているくらいパピコを食べた。それでも、腹は下らない。それはそれで異常かも知れないが。かゆみはある。夏日とステロイド軟膏の相性はとうぜんわるい。季節の変わり目で、複合的に体調の良し悪しが絡み合いほどけない。待つしかないのだ。

手足の先はずっとしびれている。坂本龍一氏がピアノを弾くために、抗がん剤治療を一時的に休薬した理由も解る。鍵盤を弾く繊細なタッチは、望むべくもないからだ。


あっついではないか。
屋外に出る気にまったくならない。買い物も、amazonの注文で解決してしまう。カーテンを締め切り、日光を浴びていない。汗ばみたくはないからだ。
日に二度シャワーを浴びて、身体を清潔に保ち、ステロイド軟膏の世話になる。かるく筋トレをこなして、薬の副作用でいつでもねむい。
自堕落と静養は紙一重だ。盛夏のような、あっつい日がまっだまだつづくようだ。
『自堕落静養日記』という、よい語を発見した。いい日だ。
明日から、私の文章は『自堕落静養日記』としよう。



















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?