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1年前に書いた文章は恥ずかしい

 過去に自分が書いた文章を読み返すと逃げ出したい気持ちになるのは、私だけではないはずです。発表するつもりで書いて推敲したものでも、何でこんなこと書いたんだろう、とそわそわした気持ちになります。
 まして感情に任せて書き殴った日記など、正視に耐えません。黒歴史です。もし拷問官が私の日記を取り出して音読を始めたら、重要な企業秘密でも漏らしてしまう自信があります。
 ああ、想像しただけでそわそわしてきました。

 故に私は、あまり自分の文章を読み返さないように努めていましたが、最近ふと気付いたことがあります。

 これってもしかして、
 自分の成長を知る良い機会では?

 過去の自分はその時ベストだと思って文章を書いているはずです。仕上がりをみて気に入らなければその場で消すか封印するはずです。それをしなかったということは、過去の自分にとってその文章は意味のある何かだったはずなのです。

 今の私が読んで恥ずかしくなる感情の根源は、「過去の自分」と「現在の自分」の「変化した部分」に他なりません。

 少しずつ変化していく自分のことはなかなか気付きにくいものです。ちょうど学校の先生が「自分が学生の頃は〜」と立派な話をして、それがかなり改竄されて美化された記憶であるように、人間の記憶ほど曖昧なものもありません。

 記憶は曖昧ですが、記録は正確です。

 私の馬鹿野郎!と思うような記録があったとしても、それを慎んで受け入れるのが素敵な姿勢だと思います。何故なら、今の貴方は過去の貴方ではないからです。変化、或いは成長の結果として、貴方は過去の文章に違和感や恥ずかしさを感じるようになったのです。馬鹿野郎は何処にもいません。紙面に痕跡はありますが、本体は過去に置いてきました。
 過去の自分よりも成長した今の自分を誇らしく思う瞬間であるはずです。

 そうして筆をとり、「今の自分」を残していく。1年後にはまたそれをみて赤面し、消したくなるかもしれません。それでいい。とにかく書き続けることです。

 自分が過去に書いた文章を読んで、完成された素晴らしいものだと感じたら、今の自分はその時の自分から成長していないということです。完成してしまったら、その先はありません。

 「未完成のまま、生きていく。」

 良い事いいますねぇ、大分麦焼酎「二階堂」。センス溢れるCMでした。

 ああ、飲みたくなってきた。

 拙文に最後までお付き合い頂いたことに至上の感謝を。過去と未来の貴方に、乾杯。


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#未完成のまま 、生きていく。










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