シングルモルト 《詩》
「シングルモルト」
それぞれの森には
それぞれの匂いがあって
それぞれの海には
それぞれの匂いがある
森ではキャンパー達が
焚き木台を囲みフライパンを手に
夕飯を作っていた
海ではウクレレを持った人達が
集まり唄を歌いながら
夕陽を見ている
僕は税関を抜けて空港を出る
一連の過程が
静かに音も無く通過して行く
意識の中で創り出した世界から
現実の世界へと戻る様に
其処にある目には見えない壁を
通り抜ける様に
其の街には前向きで
無反省な風が吹いていた
不思議の国のアリスに
出て来る兎の様に
彼女はちらりと腕時計に目をやり
僕の顔を見てにっこりと微笑む
湖の水面に一粒の純粋な水滴が落ち
ゆっくりと波紋が広がる様に
徐々に 徐々に
僕の心の隙間に染み渡る
そんな微笑みだった
確かに親密な空気が其処にはあった
彼女は 嘘つき…
そう言って僕の手を握った
僕はただ黙って
微笑み返す事しか出来なかった
そして森は森に帰り
海は海へと帰る
バーカウンターの灰皿に
残されたメンソールの煙草
僕は最後にシングルモルトの
ウィスキーを注文した
ほんの少し加水しグラスを回し
琥珀が水と
溶け合って行くのを見ていた
親密であった時間とは裏腹に
何ひとつ大切な約束も出来ないまま
森と海はそれぞれの場所で
決められた夜を超え
だらしなく無反省な朝を迎える
まだ彼女の匂いは
僕の身体に残っていた
違うよ
きっと
シングルモルト ウィスキーの香りだ