なぜ教師を目指すのかPart.6~教師に戻ると決意した理由~
メインタイトルの最終話になります。
2017年11月。
「不安なことはない。人生を謳歌しよう。」
と誓い、埼玉へ帰って来ます。
前回のブログにも書きましたが、実は、埼玉に帰る前、改めて教師を目指すか迷うことがありました。
最終話は、そのことについて書いていきます。
9.独立リーグ挑戦から見えたこと
これは、採用試験を受けた際、自己PRにもしました。
挑戦とは、
①変化を恐れず、進み続けること。
②常に学び続けること。
③新たな可能性の発見。
だと考える。
挫折があっても、諦めずに挑戦し続ける。
変化を求め、学び続ける。
その先に、新たな可能性の発見がある。
僕は、この2年間で、自分自身に新たな可能性を発見していました。
前回のブログで書いたように、価値を生み出すことを考え続けると、「どうやったら」が増えました。
その「どうやったら」を解消するために、学ぶことが面白くなったんです。
で、学んだら、
「え、これってあれに活用したら良いんじゃね?」
「あ、これここに使ったらもっと良いじゃん。」
みたいな発見がたくさんあって、とにかく面白かった。
それが、僕にとって新たな可能性の発見でした。
そんなことしてたら、教師以外にもやりたいことがたくさん出てきてしまったんです。
でも、結局教師にこだわりました。
次は、そのことについて書きます。
10.素直な子どもたち
本腰を入れて教師になろうと決意したのは、大阪へ出発する前に経験した3年間を振り返ったときでした。
とにかく、授業、部活指導が楽しかった。
何故か。
子どもたちは、本当に素直で、やればやるほど正直に応えてくれるから。
本当にそこだけでした。
ここだけの話とさせていただきますが、9.で書いたことともう1つ、教師に戻ろうか悩んだことがあります。
自分自身、こんな性格ということもあり、あまり「体育の人間」じゃないんだなということを感じているからです。
いわゆる、「体育会系」の肌ではないんです。
だって、ヘラヘラしてて、自由人ですから。
体育大学出身って言うのは形だけで、中身は全くもって違います。
ゴリゴリの上下関係とか、心の底から嫌いです。
同じ人間なんだから別に良いじゃん。なんて言ったら怒られると思いますが。笑
と言うか、それで高知にいた頃、ボコボコにされました。笑笑 今思い出すと本当にくだらない。
すみません、脱線しました。
そんなこともあり、本気で教師に戻るかは迷っていました。
でも、子どもたちの素直な姿を思い出したとき、もう一回、やりたいなって、思いました。
大阪、高知にいる間にも、何度か教え子から連絡をもらい、
「高校を卒業して、野副さんの言葉を思い出すことが多い。また先生に戻ってくださいね。」
という言葉をもらえたり。
オフシーズンに帰省して、前任校に顔出しに行った際には、教え子が僕の周りに輪を作って喜んでくれたり。
本当に子どもたちの素直なところが大好きです。
だから僕は、教師を目指す。そう決意しました。
11.教員採用試験への挑戦
決意と同時に覚悟を決めました。
僕にとって、この2年間はなんだったのか。
いくら偉いことを言っても、結果が全てなんです。
「3年で受かれば良いよね。」
とも言われました。
でも、ダメなんです。
次なんてない。今年しかないんです。
そう決めて、僕は今、採用試験に向かっています。
もう二次試験のほとんどを終え、これを書くのも今更感がありますが、3日後には最後の試験が残っています。
最後まで走り抜けます。
自分の夢を、絶対に叶えてみせます。
ご精読、ありがとうございました。
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