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スポーツハラスメント 20210728

全くスポーツに興味が無い。
嫌いだとは言わない、嫌いになる程関心も無いから。
スポーツが好きな方々はどうぞお好きでいて下さい。
多分俺はこのままスポーツと関わらない生涯を過ごすだろう。

だが、ここへ来ての東京オリンピックである。
オリンピックは否応無しにずけずけと俺の生活へ踏み入って来た。
昨日の東京都でのコロナ新規感染者数が過去最高だったそう。
気になって朝のニュースを一通り眺めていたのだが全キー局がオリンピック一色だった。
あ、唯一テレ東は韓国ドラマを流してたわ。
正気の沙汰じゃない、素直にそう思った。テレ東も。
メディアとは?報道とは?と再考せざるを得ない。

別にスポーツに興味が無いからと言って、盛り上がりに冷や水をかけてやりたいだとか思う事はない。
ただ、正直言ってここまで世論が五輪一色になるとは思っていなかった。
この一年半ずっと眼前にあったコロナという問題がまるで煙と化して消えた様だ。
先週、先々週くらいまではニュースもコロナの話がメインだった気がするんだけど。
開会式のゴタゴタくらいからコロナの取り扱いが小さくなっていったように感じる。
あくまでこれは東京に住む一市民の体感でしかないのだけれど。

メディアと視聴者の関係について少し考えたい。
そもそもメディアは何を報じるのか、あるいは報じるべきなのか。
そこには視聴者からの要請に対する応答が本来反映されて然るべきだと思う。
例えば国民が政治に関心を抱いていれば政治の問題を自ずと報じるのがメディアの在り方ではないだろうか。
あるいは国民が知って然るべき情報を公正に報道する事もメディアの重大な使命であるはずだ。

上記の前提に立ったとして、現在の五輪一色の報道は国民が望んだ結果なのだろうか。
答えは分からない。
何故なら国民は一つの人格ではないし、俺は国民である反面、一個人でしかないから。
俺が何を考えようと世論には0.0000000001ミリくらいしか影響が無い。
国民がどう思っているかなんて考えたところで、せいぜい世論調査がそのヒントを与えるくらいだろう。

それなら答えが分からないとして、全国民はスポーツの情報だけを最優先で求めているのだろうか。
これに関してはNOと言えるはずだ。
一定数の国民はスポーツよりもコロナをはじめとする他の問題に関心を持っている筈だから。
とは言えメディアは最大公約数的にニーズがあると捉えた情報を報道していく(そこに恣意的な意図が無い限り)。
そうなると国民の"最大の"関心事は五輪ということになるのかも知れない。
端からマイノリティをやっている身とすればさして違和感は無いし、そういう物だろうという諦めも付く。

皆が大好きなスポーツで、アスリートがメダルを獲得する、画面越しにそれを知らされて"感動"させられる。
結構な事だと思う、実際それを日々の活力に変えて生活を送る人もいることだろう。
ただ同時進行で起きている別の問題が蔑ろにされている現在、そしてそのモヤモヤを俺は忘れない。


ここからはちょっと話が変わる。
世間におけるスポーツの扱いについて。
何となくだけどスポーツって特別扱いな気がしないか。
スポーツって広い分類で言ったら文化の枠に入る活動だよね。
でもスポーツってなんかちょっと他より優遇されがちな気がするんだよ。
これはもしかしたら俺がスポーツに興味が無いからこそ感じる違和かもしれないけど。

子供の頃スポーツができる奴ってやたらと誉められたしモテてた。
小学生の3,4年生くらいまでって足が速い奴が正義みたいなところあったよな。
そんなのまくり様がないから理不尽だなって思ってた。
歳をとるに連れて足の速さはモテの最重要項目じゃなくなった。
けど中学に上がると部活で活躍する奴がやっぱりモテてた。
ある程度努力の余地があるから公平かもしれないけど、そもそも部活嫌いには関係無かった。
高校に上がると帰宅部になった。
俺はなんだか名前の無い勝負から降りた様な気がした。

スポーツはそれでも俺に絡んできた。
高校大学になると急にヨーロッパサッカーの話を周りの男達はし出した。
まるで興味が無かったので全て無視したけど。
今度は社会人になると無駄に野球の話とか振られる。
天気の話じゃないんだから誰彼構わず振ってくんなよ、馬鹿か。
でも、一貫してスポーツの話ができるということは男社会の中で非常に重要な要素だった様に思う。
もう一度繰り返すけど俺はスポーツ自体は別に好きでも嫌いでもない。

ただ、この"男社会"というやつは心底嫌いだ。
多分俺の体感だと小学校低学年くらいにはその萌芽が芽生えていた気がする。
で、思春期を終えた頃には異性を意識する事にてらいが無くなり、堂々と"男社会"を多くの"男"がやり始めた。
正直に言って男社会をやる奴を俺は見下していた。
ジェンダーの意識が高かったとかそういう話ではない。
本能的にダセえと思っていた。
あと、男社会から降りないといつまで経っても馬鹿馬鹿しい競争に参加させ続けられる事を直感的に分かっていたから。
そんでもって、男社会への入り口にはスポーツというキーがある。
確かに全国どこの人間だってスポーツという共通項があれば話が弾むってのは理解できる。
ただ、スポーツの話題に乗れない奴はなんとなく阻害されていくって構図は歪だなと思った。
あの時無理してヨーロッパサッカー観てた奴絶対いるぜ?
そもそも、そこまでして男社会にしがみつかなきゃならないのか俺には理解できないけど。


だいぶ話が逸れてしまった。
とにかくスポーツってなんか特別なとこあるよねっていう話。
あ、あと男以外の性別の人たちが話から抜け落ちちゃったけどそれは男として社会を生きてきた俺の主観の話だから許して欲しい。

そんでここからは珍しく明確に批判したい事がある。
こないだあるアスリートが「僕らは感動を与える事しかできない、だからどういう状況であろうと全力で臨むだけ」みたいな事を言っていた。
俺は普通に「何様だよ」って思った。
世界レベルのアスリートが凄いってのはいくら俺でも理解できる。
相当な努力と才能の基にそこまで辿り着いたんだろうから。
それはリスペクトですよ。
でも感動を与える事しかできないってのは違和感しかない。
社会的地位とかで言えばそりゃあアスリート様と俺とじゃ天と地ほどの差があるだろう。
でもあなたも俺も一市民であることに変わりはないよね?って強く思った。
だとすれば感動を与える以外の行動っていくらでもある筈だろうって。
意見を持つことは当たり前にあるだろうって。
勿論立場上、発言がしづらいってのは理解できる。
としても感動しか与えられないってのは流石におこがましくないか。
自分自身に社会的優越性を見出してそれを堂々と表明する人間を俺は応援できない。
別にアスリートだけじゃない。
そこらのつまらない上司だって、意味もなく偉そうな顔してたら嫌だなって思うでしょう?
長々と書いたけどそれと一緒なんだよ。
自分は偉いんだって威張ってる奴が俺は嫌いだってこと。

アスリートって肩書きにどこか惑わされがちな気がする。
どんなに俺がへっぽこだろうと彼等も同じ1人の人間で、同じ権利を持っている事を忘れちゃならない。
アスリートだからスポーツ以外の事に無関心でいていいなんて事ないでしょう?
(無関心でいる事も一つの権利かもしれないけど)。
社会に影響を与える立場だと自覚しているのであれば尚の事、無関心の表明は許されないと思う。
だからテニスの事は分からないけど大坂なおみの事は支持してる。
彼女は自身の影響力に恐らく自覚的で、ステートメントを表明する事にきちんと向き合っているから。
もっともテニスでどんな成績を出したとかは申し訳ないけど興味が無いのだが。

すごく長くなってしまった。
まとめに入ろうと思う。
今回のオリンピックでよく分かった事がある。
この国では、国民なんて簡単に蔑ろにされるという事。
俺は結構今の政府にコケにされてるなって憤りがある。
マスコミのあり方も冷静に見極めようとしないとコロッと大局的な物に巻き込まれてしまう事も感じた。
一言で言うと"(一個人として)考える事を止めない"という感じだな。

ということで"安心、安全"の日々に戻ります。
今日はここまで。

Public Enemy / Fight The Power

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