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「私にもできたんだから、あなたにもできる」の残酷さ

私は歌を習っているのだけれど、ボイストレーナーの人が言っていたことで、印象に残っている言葉がある。

「自分にもできたんだから、君にもできる」

というのは、ボイトレには通用しないと思っている、ということ。

その言葉にハッとさせられたと同時に、何だかホッとした気分になったことをよく覚えている。

人それぞれ、声帯も違うし、体も違うし、AさんにはできることがBさんにはできないということは、当然、あり得る。みんながみんなオペラ歌手みたいに歌えるようになるわけないわけで。(なったら逆に怖いのでは?笑)

オペラ歌手の人は、オペラ歌手になるべくして、それに適した声帯と体で生まれている。それに、全員が全員、オペラ歌手のように歌えるようになる必要もない。

「私もできたんだから、あなたにもできる」

という言葉は、巷に溢れている気がするのだけど、それはボイトレに限らず、教える側の思想としては危険を孕んでいると思う。

もし、相手がどうしてもできなかった時に、どうなるか。

例えば、私は無理をして、我慢をして、何かを何が何でもやり続けることは、まあ、被虐の人の特徴として、できる。大学院生の頃などは、当時は気づいていなかったけれど、無理と我慢をしながら、ほとんど休みがないような日々を何年もしていたりして、業績をあげたので、借りていた何百万円の奨学金を全額返さなくてよくなったりしたわけだけど、それで救急車で運ばれそうになったりしているわけで、そのやり方は私には合ってない。

でも、私は周りにたくさんいた(多くは男性の)いわゆる成功者がそうやっているから、そうしなければいけないのだと思い込んでいた。

でも、もうほんとにそれはムリ〜〜〜〜‼‼

となって、もうどーなってもいいやっと、好き勝手にやり始めたら、人生に虹がさしてきた。

もし、私が「自分にもできるはずなのに、できないのは私がダメだからだ」とか思ってしまって、その周りにいた成功者たちのやり方をやり続けていたとしたら、私の心も体も、今頃は死んでしまっていただろう。

私にとっては、心の声を無視することが、すなわち、死なのであって、自分の気持ちをないがしろにすることは何よりも避けなければならない。でも、たとえば、目標を定めて、その目標に到達すること以外のことは全て無視して、目標達成に向かって猛スピードで一直線に進むのが合っている人もいるのだろうとは思う。

教える側に言えることは、「私ができた方法は、あなたにもできるかもしれないし、もしかしたらできないかもしれないけど、でも、あなたにはあなたらしい方法でできるやり方がきっとあるから。それを見つけていきましょう」ということじゃないかと思う。

歌で言えば、高い音を出せれば出せるほど良いと思っていたり、大きい声を出せれば出せるほど良いと思っていたりする人がいるけれど、高ければ高いほど、大きければ大きいほど良いということには必ずしもならない。ある程度の音域や声量は必要かもしれないけれど、音域や声量には人それぞれの限界というものがあって、その限界の中で、そんなに高い音が出なくても、大きい声がでなくても、人の心に響く歌を歌うことはできる。

テクニックだけでは語れないものがそこにはあるのであって、そして、そういう人を魅きつける「何か」というのは、大体「その人らしさ」だったりする。

山への登り方は無限にある。
人生の生き方も無限にある。
歌の歌い方も無限にある。

あなたには、あなたのやり方で、あなたらしく、歌える方法がきっとある。
私も、まだ、その道の途中。


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