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幸せへの階段

私は、ずいぶんと遠回りな人生を歩んできた。

大学を卒業した年齢も、それなりにきちんと働き始めた年齢も、人よりもずいぶんと遅い。

大学卒業を目前にして、日本という国で就職することに何の希望も見出せなかった私は、留学することを一人で勝手に決め、オーストラリアに留学した。

オーストラリアで、びっくりするような数々のカルチャーショックを経験して、価値観がずいぶんと変わって、日本に帰ってきた私は、就職活動をしてはみるものの……
そこで目にすることになったのは、黒いスーツ。黒い髪。黒い靴、黒いバッグ。

黒・黒・黒・黒……

お葬式ですか?
軍隊ですか?

とでも言いたくなるほど、みんな同じ。

一様に同じような格好、同じような振る舞いをしている人たちを見て、こんな風にしなければ、ここでは生きていけないのかと、吐き気がしてしまい、就職は断念した。

勉強はできたし、卒業論文を書くことも楽しかったので、大学院に行くことにしたのだけれど、その大学院にあまりにも長く居座ってしまい、結局、10年ほどを大学院で過ごした。

そうして、遠回りにもほどがあると思うけれど、実は、最近まで、自分が何をして生きていきたいのか、私はよく分かっていなかった。

でも、やっとのことで、自分が人生で大切にしていきたいものに気づくことができたのは、大学院で過ごしたその10年間があったからだと思う。

大学院にいる間は、本を読み、研究をし、論文を書き、発表をする、ということを主にしていた。

要するに、一番大事なのは「研究する」ということだったわけだけれど、それは、楽しかった。

世間一般のイメージとしては、お勉強ができる人が大学院に行って、エリートコースに乗っかって人生を歩んできた人たちが研究をしていると思われがちだけれど、「研究する」ということと、「勉強する」ということは、似て非なるものだ。

「勉強する」というのは、学習すべきことがあって、それを習得できれば、大体それで良い。

例えば、歴史の年号を覚えられればそれで良い。
それで大体の歴史を理解できるようになることが、目標。

でも、「研究する」という場合には、その次元にとどまらない。

その歴史の年号は本当に正しいのか?
その年にその出来事が起きたという証拠はあるか?

データを集めて、疑問を一つずつ検証していって、穴を埋めていく。
そうして、穴を埋めるデータを揃えた後、一番大事な作業がある。

出揃ったデータから、何が言えるか?

それは、その研究者自身が、頭をひねって考えるしかない。

データを集めました。これがそのデータです。はい、どうぞ。では、研究にならない。

そのデータを分析すると、社会のこんなことが分かります、言語のこんなことが分かります、歴史のこんなことが分かります、という主張を、研究者自身が、組み立てなければならない。

それは、針に糸を通すような緻密な作業であると同時に、「直観」が何よりも大切な作業でもある。

緻密にデータを分析していって、それらを総合して、そこから何が言えるか?

それを考え出すには、「もしかしたら、こうかもしれない」という直観のようなものが、非常に大切になる。言ってみれば「飛躍」のようなもの。

その「飛躍」が、データによって、何の穴もなく、緻密に綺麗に論証された時、それは面白い研究となる。

それは、とんでもなく、クリエイティブな作業だ。
オリジナルな分析。オリジナルな論証。

私は、研究のクリエイティブなところが、何よりも好きだった。

でも、今の学問の世界では、クリエイティブさは、あまり評価されない。
「面白さ」よりも、「きちんとさ」が評価される世界になっている。
「勉強」の延長のような研究が、たくさんある。

私は、それが窮屈で仕方がなかったし、私が将来こうなりたいと思えるような人も、学問の世界には、ほとんどいなかった。

それでも、私は、気づくと、10年ほど、研究を続けていた。

私の不幸の始まりは、たぶん、「勉強ができた」ことだ。
そして、そのつまらない「勉強」をやり続けることができる忍耐強さを持ってしまっていたことだ。

その忍耐強さが限界にきたところで、私は、勉強なんてちっとも好きじゃなかったし、何よりも好きなのは、クリエイティブな作業だった、ということにやっと気づいた。

私は、クリエイティブなことが好きで、それなしには生きていけない人間なのだった。

それなのに、そんな大切なものの存在に、最近まで気づいていなかった。

音楽を聴かない日など1日もないくらいだったし、気付けば、文章を紡いでいるような人間だったのに。

私にとって、それらはなくてはならない存在だったのに、まるで空気のようになってしまっていたので、あまりにも近くにありすぎて、その存在の大切さに、気づくことができないでいたのだった。

そんな大切なものを思い出した私の目の前には、きっと幸せへの階段が待っているはず。

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