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オーストラリアという夢の国に逃亡した後で

私は大学生の時に、オーストラリアに留学した。
そう言うと、「すごいですね」とか「勇気ありますね」とか、いろいろ言われるのだけれど、今となって思えば、その留学は、私にとっての「逃亡」だった。

私は、留学することが決まるまで、誰にも相談しなかった。

試験に受からなければ行けないので、勉強をして、書類や試験のスコアを提出して、面接をして、様々な関門を突破して、留学することが決まってから、初めて周りに報告した。
親にも了承してもらうため、「ハンコを押して下さい」とだけ言いに行った。

決まる前に言ってしまうと、その「逃亡」を止められて、完遂できない気がしていたのかもしれない。

留学する前の私は、日本の生活も、日本で生活している自分も、嫌で嫌で仕方がなかった。

その頃の日本という国は、私がそこから逃亡しなければ、今にも死んでしまうのではないかと思われるほど、私の目には、ひどい国に映っていた。
私は、自分が生き延びていくために、必死で、留学した。

日本から逃亡して、別の国に行けば、きっと楽しい世界が待っている。そう思っていた。でも、出発の日が近づいてくると、全く何も分からない国に行くことが、恐くなってきた。

飛行機が到着するシドニーから、バスに乗って、キャンベラに辿り着けなかったらどうしよう。相手の言っていることが全然分からなかったら、どうしよう。

そんな不安を何とか振り切って、東京のアパートの荷物を全部、栃木の実家に送り、現地で一体何が必要なのか、分からないままに、スーツケースを体重計で計って物を詰め込み、重量ギリギリの重さのスーツケースを引きずるようにして、日本を発った。

オーストラリアの空港に降り立った日。
それは、2月の初めだった。
オーストラリアの新学期は、2月から始まる。

2月の初めは、日本では、真冬。
でも、オーストラリアは、真夏。

分厚いコートにくるまれて、ぶるぶる震えていた国から、熱い太陽の光が肌に突き刺さる国へ。

空港に降り立って、あまりの暑さにコートを脱ぎ、そのものすごい落差を感じながら、何とか、キャンベラまでバスでたどり着いた。
キャンベラのバス停には、寮の人が迎えに来てくれていたけれど、話しかけられても、何を言われているのか、全然分からなかった。苦笑いをするしかない私。

寮に着くと、これまたビックリなことに、だあれもいない。

ものすごく静かで、どこを歩いても、人はほとんどおらず、しーんとしている。
大学の寮には、たくさんの人がいて、ワイワイガヤガヤ、楽しいんだろうなあと想像していた私は、その期待を裏切られ、びっくりしすぎて、寂しさの極致に至る。

なんでこんな遠くに来てしまったんだろう……

食べる物もない。
だあれもいない。

ぼろぼろと涙がこぼれた。

その日は、何も食べられずに、ただ眠った。

次の日。

とにかく、何か食料を調達しなければ死んでしまうと思って、寮のスタッフの人に聞いて、スーパーの場所を聞く。
スーパーに行くのにも、真夏の暑い中、30分くらい歩いて行かなければならなくて、へとへとになったけれど、とりあえず、食料を買ってきた。

そうして、寮のものすごく広いキッチンで、一人でお昼ご飯を食べていると、その隣の席にアジア系の男の子2人がやってきた。2人でしゃべりながら、一緒にご飯を食べている。

彼らが何を話しているのかは、全く分からなかった。
明らかに英語ではなく、中国語か何かのように私には聞こえた。

しばらく経って、その男の子の一人に話しかけられる私。
でも、何を言っているのか、全然分からない。

「中国語??」と、最初、私は思った。

でも、何とか聞き取ろうと必死で聞いていると、その人たちが話しているのが、どうやら英語らしいということが分かった。

Where are you from? (どこから来たの?)と聞いてきたからだ。

私は、日本から、と答え、彼らは、シンガポール出身だった。

「こんな発音の英語が世の中にあるの?」と思って衝撃を受けたけれど、彼らは、一人でご飯を食べている私に、You must be lonely.(寂しいよね)と言ってくれた、優しい人たちだった。

彼らとは、後々、他のたちと一緒に、仲良しグループを作ることになるのだけれど、彼らとの会話が、私がオーストラリアに着いて初めてした、人間らしい会話だった。

私が到着した時、寮に人がいなかったのは、私の到着した時期が早すぎたからだった、ということが後になって分かった。

私は早く行って、慣れていた方が良いと思ったのだけれど、他の学生たちは、みんな休みの間、実家に帰ったり、旅行に行ったりして、寮にはいなかったのだ。1週間くらい経つと、寮にも人が増えてきて、私が想像していた、活気溢れる寮に、徐々になっていった。

そんな風にして始まった私のオーストラリア生活では、私の中にあった「当たり前」が次々と崩壊していった。

私が住んでいた寮は、男女共用の寮だったのだけれど、「男女平等」を誇りにしている寮らしく、なんとトイレもシャワーも男女共用だった。

隣のトイレに男の人が入っている!!
隣のシャワーに男の人が入っている!!
そして、そのシャワー室から、男の人も女の人もバスタオル一枚で出てくる!!!

初めてバスタオル一枚で出てきた人を見た時は、あまりにもびっくりしすぎて、ほんとに文字通り、アゴが外れそうになった。
私は、いくらなんでも、その習慣に慣れるのは無理だったので、最後まで、シャワー室からは、パジャマで出てきたけれど。

オーストラリア人は、よくウィンクをする。
去り際に、片目をぱちくり。
男の人に初めてされた時には、うっかり恋に落ちそうになったけれど、その人は、みんなにそうしているのだった。

靴を履いたまま歩いている床にも、平気であぐらをかいて座る。

ケンカになったとしても、言いたいことは言う。

とにかく、何もかもが「ゆるい」。
その一言に尽きる。

大学のレポートの締め切りも、他のレポートが重なっている、などの納得できる理由があれば、その人は延ばしてもらえる。

どこかに遊びに行く待ち合わせには、だいたいみんな5分くらい遅れてくる。

オーストラリアでの生活は、本当に「のびのび」したものだった。

大学のキャンパスは、キャンパス内で迷子になるほどの広さ。
車道にカンガルーが出てきて、車と接触事故を起こした、とニュースになる。
お店は、だいたい17時くらいに閉まってしまって、その後は、街中は、真っ暗。

24時間営業のお店など、皆無。

私がオーストラリアで、一番学んだことは、「人」を大切にする、ということだ。
オーストラリアの人は、「人」を大切にする。
特に、「友達」をとても大切にする。

オーストラリア英語で、よく引き合いに出される挨拶 G’day mate(こんにちは)にも mate(友達)という単語が入っている。

人の気分を害したり、人を押しのけてまで、「成功する」ことを最優先にするという発想は、基本的にあまりない。

だから、お店を24時間開けたほうが利益になるとしても、人が24時間働いているのは、どう考えても体に悪いし、そんなことはしない、というわけだ。
なんなら、17時でお店を閉める。

でも、17時でお店が閉まったら、困ることも起きる。

毎日、帰りが遅い人は、一体、どうやって買い物をすれば良いというのだろう。

日本でそんなことをしたら、きっと大変なことになるだろう。
日本では、仕事を終えて、17時にお店に行ける人など、ほとんどいないに違いないから。

私はオーストラリアに行って、言ってみれば、日本にいた時とは、対極のような経験をしたのだと思う。

私が逃亡して、逃げた先は、日本とは対極にある国だった。

日本では、礼儀正しいことが良いこと。
オーストラリアでは、フレンドリーなのが良いこと。

日本では、みんなと合わせるのが良いこと。
オーストラリアでは、自己主張をするのが良いこと。

あまりにも対極すぎて、最初は、大変な苦労をした。
とてもじゃないが、夢の国などとは到底思えなかった。
でも、徐々に、その対極の心地よさも分かってきた。

そうして、対極を経験して、日本に帰ってきてみると、日本という国は、留学前とは、全然、違った国に見えるようになっていた。

人を、友達を、とても大切にする人になって、日本に戻ってきた私が、日本を見渡してみると、実は、人を大切にする人は、日本にもたくさんいたのだった。

確かに、満員電車の非人間的な混雑ぶりは変わらないし、相変わらず、大学生はやる気がないし、電車の時間の正確さには驚くばかりだけれど、そういう環境の中でも、優しく生きている人たちは、たくさんいた。

笑顔で楽しく生きている人も、たくさんいた。

留学して、私の中の「当たり前」が崩壊した後には、「日本は窮屈」という私の当たり前も崩壊していたのだった。

日本にも、優しい人はたくさんいるし、時間に正確なのは悪いことではない。
よく働くことにも、良い面はある。
そうやって、より大局的に、相対的に、世界を見られるようになった。

留学前の私には、自分が思い込んでいた世界、思い込んでいた人たちしか見えていなかったのだ。
私を今にも死に追いやりそうな地獄に見えていた国は、そう捨てたものでもなかった。

私は、地獄から、夢の国に逃亡したくて、逃亡したつもりだったけれど、
分かったのは、世界のどこにも、夢の国など、存在しないということだ。

夢の国は、自分が生きているこの場所で、自分で作るしかない。
そう思って、今も私は生きている。


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