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RE-LIFE 第一章 悪夢のはじまり

※少し気分が悪くなる記事ですが、ご容赦願います。なお、長女の目線で綴ったRE-LIFEの概要は過去記事をご参照願います。

世の中は理不尽で出来上がっている。
目が見えなくなり、手が動かなくなり、心身を壊されていく父を見続けた、10歳の私はそう悟った。


2010年1月 悪夢のはじまり

私の父。不器用で人付合いが下手、真面目というより偏屈で頑固な父親。
ただ間違ったことはしない愚直な父親。
私は、父親が特に好きだった訳ではない。仕事一筋で趣味もない父親と一緒にいると、会話もなく息苦しかった。
そして父はいつも何かに追われているように生きていた。

私はそんな父親の長女として、東京の世田谷区で生まれ育った。3人兄弟の長女。2人の弟。
2020年4月の今、私は大学一年生になる。

父と母親は仲が良く、二人とも穏やかな性格だ。
父は都内の企業に勤めるサラリーマン。普通の家庭。それは間違いないのだが、10年前の2010年に父は過労で倒れた。

10歳だった私が見た、あの時の変わり果てた父の姿を、私は一生忘れることはない。

理不尽を個人に押し付ける組織。それがまかり通る歪な社会。
あちこちに飛び散った血痕と家具や食器の残骸。それを健気に片づける母。
その日から、父の、私たち家族の長い悪夢が始まった。

父は長時間労働の疲労をごまかす為に様々な手段をとっていた。

疲労回復のにんにく注射。
短い睡眠時間が故、すぐに眠りに落ちる為の睡眠薬
高熱をごまかす解熱剤。
そして胃の痛みを抑える胃薬と痛み止め。

父は仕事を乗り切る為に大量に薬を飲み続けた。母が

「もうやめて・・・あなたが壊れてしまうからやめて。 」

といっても父は止めなかった。

私は薬が嫌いだ。この日の悪夢のせいだ。

そこまで父が追い込まれていた理由は、父が突然、大型プロジェクトの主担当を命じられた為。そのプロジェクトは数年前から多くの人々が進めていたが、ローンチの2週間前になって、前任者達は地方へ異動していなくなった。そして突然、全く関わりのない父が一人で担当することになった。父はほとんど引継ぎも受けないまま、締切り間近の大型プロジェクトに、たった一人放り込まれた。


それでも父は毎晩遅くまで一人で準備を進め、そしてローンチ2日前に高熱倒れた。残業時間は月270時間を超えていた。
自宅で療養していた父は、母や私たちが買い物に行っている間に、大量の解熱剤・痛み止めを飲んでいた。一時的に体を回復させて出社しようとしたようだった。

私たちが家に戻ると、父は床に倒れこんでいた。父のまわりには、大量の薬の包装シートの残骸があった。

薬・薬・薬・・・・・・・・

私たちは急いで父を起こした。意識を取り戻した父は、あわてて会社の携帯電話を探して連絡を取ろうとするが、電話を掛けることすら出来ない。そして、また意識を失って頭から倒れた。大きな音が響き、血が飛び散る。

救急車を呼ぶ私たち。おびえて泣き出す弟たちを、私は子供部屋に押し込んだ。

そこから、私たちの長く先の見えない悪夢が始まった。
9年間もの長い悪夢。

次の日の朝。

家の中のあちこちの家具が壊れていた。父は意識を取り戻しては出社しようとして、転げまわったのだ。あちこちに飛び散った血痕と家具や食器の残骸。それを健気に片づける母。

父は?
父はどこ?
父は!

父が、私の知らない男の人になった日

退院し、家に帰ってきたのは私の知らない男の人だった。

それが、変わり果てた父の姿だった。

この日、父はすべてを失った。
健康も、仕事も、信頼も。家族との絆も。

私は、なぜ父がここまで体を犠牲にして仕事をしたのか分からなかった。
10歳の私には母たちから何も教えてもらえなかった。

父を可哀そうだと思う反面、母に苦労を掛け続ける父を、私は好きにはなれなかった。許せなかった。

なぜそこまで仕事をしなければならないのか?

その理由を知ったのは、私が17歳の昨年。そうだ、うすうす気づいてはいた。そう、

世の中は理不尽で出来上がっている。

父が、突然担当になった大型プロジェクト、そこには組織の理不尽な都合があった。そして組織の知られたくない事情が関係していた。
そんなことがまかり通る企業と社会。
父は「世の中の理不尽」に向かって戦っていた。
世の中の父親達、いやあらゆる人々が、程度の差はあれ、理不尽で作られた世の中で戦っているのだろう。

私は、父が壊された、あの晩の出来事を絶対に忘れない。 

2018年12月 リ・ライフ 

私は、家族はとても長かった父のリ・ライフの道のりを見守ってきた。
父が健康と人生を取り戻した道のりを、私は日記に綴ってきた。
その日記も今日で終わり。

17歳になった私は、高校卒業後の進路を決める時期を迎えていた。

「郁奈は、将来どんな職業につきたいの? ってまだわかんないよな。」
と父

「もう決まってるよ。少なくともパパみたいな仕事はしたくない。」
と私。

「・・・ まあ、そういうなよ。」
と父

私は薬剤師になる。

「私は・・・  私は薬剤師になる。」

そして私は、自分の信念に従って薬学部に進学した。
2020年4月の春。

世の中は理不尽だ。お父さん達のようにバカ正直に生きて、正面から理不尽を受け止め傷ついた人たちの助けに、私はなりたい。

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