見出し画像

阪堺電車 路面電車まつりに参加してきた

友人をお誘いして

 今回は6月の『路面電車の日』に併せて開催された大阪府・阪堺電車の路面電車まつりに参加した。阪堺電車に乗車するの自体は初…ではないが、イベントで公開されるあびこ道の車庫に入場するのは今回がはじめての事になる。
 そして、今回は松原市に在住の友人を鉄道イベントデビューにとお誘いしての参加とした。参加後は友人にも良いリアクションを頂けたので、自分の中では誘って良かったと思っている。次回も南海電鉄や近鉄などでイベントがあればお誘いしてみようか。
 今回は自分の中でも友人が南方面に居る…他にも、阪堺・あびこ道に気になる車両たちが多く存在していたので、その絡みで参加してみる。では、開始していこう。

乗車の起点は天王寺

 南大阪方面を走り最終的には堺市の浜寺駅前にも至る阪堺電車。今回は友人の方が松原市の在住との事だったので、天王寺に待ち合わせて乗車していく事にした。
 自分としても久々の阪堺電車乗車。あびこ道までの旅を誘うのはモ501形だった。阪堺電車では旧型の車体を架装しながらも、台車には空気バネを使用している先進的な電車である。
 自分としてはこの1本前の電車に乗車していれば1100形という堺トラムの色違い枠のような電車に乗車できたのに…と若干後悔のような感覚が過ってしまう。

阪堺電車の車窓として最も大きな見せ場だろう。住吉大社の通過シーンを車窓から。 ※2022年撮影

 電車乗車中に関しては、互いに思い出や近況などを話し合ってお互いのこれまでを確認した。
 乗車中の話で遠征の思い出や旅の話…近代の歴史や鉄道遺産などの話になる事もあれど、写真のように車窓から眺める路面電車からの景色についても盛り上がった。
「住吉は行かれます?」
「あまり信神はないけど、こう南大阪やったら正月に行かはりますよね皆さん。」
松原市の方、という事で解答は藤井寺近辺や道明寺への参詣が中心になるとの事…そして、阪堺電車の乗車に関しては今回のお誘いで久しぶりの乗車だったとの事で、やはり土地による差は大きい物だと感じたのだった。最近は土地を走る鉄道の話よりも、土地の事情について教えてもらえる方が嬉しい気持ちになる。
 電車内は多くの親子連れ、鉄道ファンを乗せている状態だった。途中、南海高野線をクロスしたり道路に出て恵比須町からの路線と合流。そして住吉大社を眺めて専用軌道を走ると、路面電車はあびこ道に到着した。

鉄道と近代史を触れつつ

 入場してすぐに、モ161形の現役95周年に関する展示写真説明が掲載されていた。路面電車とは長寿でやりくりすれば50年以上はザラ…な世界だが、モ161形に関しては鉄道界では勿論の事。路面電車の世界でも長寿な部類に入ってしまったのではないだろうか。ここまで現役な電車もそういないハズである。
 ここではそんなモ161形について、当時の南海電鉄の会社情勢と併せつつ解説をしていた。戦争の悪化に伴って強制的に接収され想像以上に路線が膨らんだ時代の南海や、現在はない路線を保持していた南海。様々な時代に生きた電車だと感心させられる。
 しかし、最初の頃の写真を見ているとこの電車が後のモ161形になるとは想像も付かない電車だ。自分には全く別物に感じてしまう。
 そして、友人は鳥瞰路線図に見入っていた。当時の鉄道が勢いを増し、観光に長距離の移動にと鉄道を大胆に宣伝し始めたこの時期というのは妙に面白い。そして、その展示では遥か遠くの「いや絶対見えんやろ!!!」と芸人並みのツッコミすらしたくなるような土地まで表記されているのだから実に面白い。友人とこの場所で何分時間を費やしたろうか。

 鳥瞰路線図、そして戦前・戦中・戦後すぐに於ける南海・泉州方面の鉄道事情はこのようになっていたそうな。
 鳥瞰図に於ける路線の解説もまた圧巻…のモノがあるが、現在の振り返り制作過程で見ていると阪和線が私鉄時代。そして近鉄の近畿日本鉄道として佐伯政権が野望を抱き始めた頃が非常にそそり始めてしまう。この後、この少しだろうか。近鉄は東海圏(主として三重県の負債路線)を一手に回収し、名古屋線の地盤を強化していくのだろうか。大阪電気軌道からの草分け…についても考えてしまう。
 阪和線が私鉄だった頃、に関してはまたいつか詳しく見てみよう。そして、これに関しては現在の天王寺駅(阪和線通勤ホーム)とも詳しく関わりを成してくるのだ。

 この展示ヶ所から、モ161形の電車のヒストリーが細かく紹介されていく。後に路面電車になっていく…とは想像も付かない電車なのだが、日本はアメリカに倣い路面電車ではPCCカーなどを生産して(模倣して)先進国に追い付こうとした。
 こうして見ると、何かそうしたインタアーバンへと路面電車が進んでいく潮流のようなモノを感じる。そして、この写真で製造された電車は半世紀以上阪堺電車の生涯を見守っていくのだった。

 この区画からは、モ161形をはじめとした旧型阪堺電車の解説がスタート。その中には、地下鉄谷町線の延伸を控えて廃線の結末を余儀なくされた南海平野線に関しても掲載されていた。
 阪堺電車の旧車に関しては、現在でも様々な場所でその存在に接する事が可能だ。自分の通学した大学にも阪堺電車の保存車が教材として野晒しながらも活用されており、大学のシンボルにまでなっている(学校バレ)。
 モ161形をはじめとした旧型阪堺電車は南の大阪を半世紀以上見守ってきた存在なのだと改めて考えさせられる展示であり、平野線などで活躍したモ351形などに関しては、現在も現役であればその姿を見てみたいなどとひとしきりに考えてしまいそうだった。

 現在、時を経て活躍するモ161形に関しては4両が存在している。トップナンバーの161号車に関しては会社の動態保存車として通年の貸切運転扱い専用になっているが、それ以外の電車に関しては御歳90年近くを迎えても冬季〜春季には現役で走行しており、非冷房ながらも電車の黎明期を現在に伝承する語り部のような存在になっている。
 時々塗装を変更しながらも現在は生存しており、95年以上を越えて鉄道ファン・地元の生活に親しまれる電車になっていった。このまま100年も迎えていただきたいところである。

 さて、路面電車まつりの会場内に入っていこう。会場内のメインに関しては、普段車庫として使用されている一角で点検ピットなどはイベント用に使用されていた。祝祭に模様替えした特別な車庫の装いが、気分を高めてくれる。
 既に時刻は昼前だったが、多くの鉄道ファンや家族連れなどで盛り上がっている状態だった。既に会場は暖まっている状態であり、自分達の到着に関しては遅かったかもしれない。
 部品販売に関してはこの時点で終了もしており、折角用意した軍資金も使用には至らなかった。貯金できたから良いではないか。(後に結構使ったのだが)
 というわけで、少し冷めたかもしれないあびこ道車庫の様子を眺めていこう。

阪堺、自社管理の保存車たち

 今回の路面電車まつりを個人的に訪問した理由がコレとなる。阪堺電車の管理している自社の保存車両を見てみたかったのだ。
 車両に関しては有名なのが本線上を走行可能な動態保存車両のモ161形・モ161号車…が会社の宣伝にもなっており非常に有名な部分ではあるのだが、それ以外にも車庫内には自社秘蔵(そうなのだろうか)の保存車が多く眠っている。
 これまで車庫に入れる機会は多かったものの、訪問を忘れていたり京都府からの距離…だったりと様々な都合があったが、ようやく訪問が叶った。その中には、実は京都市民として訪問しておかねばならない車両もいるのだ。
 その車庫管理の保存車とは、一体どんなものなのだろうか。

モ161形 163号車

 阪堺の最古参車両として、現在も現役を張っているモ161形。しかし、その中には自社管理の保存車として余生を暮らしている保存車も居るのだ。
 その車両が163号車である。車両自体は保存車…ではなく、車両としての形式があまりにも古参すぎるが故に部品供給を目的に保存せざるを得ない状況であるといった具合になっているようだ。
 車両自体に関しては、現在最新の形式、1100形に置換えられて既に第一線からは完全に退いている。こうして草臥れた姿を入場客に見せている状態ではあったが、車体側面に貼られた広告などを見ていると年代を感じてしまう。
 車両に塗装されているのは旧・南海色という塗装である。南海が現在の塗装ではなく、緑系で商売をしていた頃の名残…であり、阪堺電車が南海の傘下であった時代を語る語り部のようなものだ。
 車両に関しては、平成26年に営業を終了しそのまま復帰の話や進展の話もないままになっている。今後に注目だ。

モ251形 256号車

 京都市電の廃線後、京都市から1800形という車両を譲渡して走らせた電車だ。
 京都市電の車両に関しては保存車・譲渡で第2の活躍と多くの車両が次の新天地に旅立ったが、このモ251形も京都市電の車両が旅立った格好の電車だったのである。
 車両に関してはこの車両が『6』だったように、順番に付番されて譲渡された。阪堺は京都市から1800形を6両譲渡という方式で昭和53年に購入し、モ251から256まで6両の電車が活躍の場所を京都の碁盤の目から大阪の下町・ミナミの大地に移動して奔走したのである。
 しかし。この車両には欠点が存在していた。電動機の出力が阪堺の専用軌道に不向きだったのである。加えて、車体強度に関しても他の車両に加えて良いモノではなかった。この車両の活躍はそう長いモノではなく、平成7年に写真の256号車が引退し生涯を閉じた。大阪・ミナミに転職した京都市電の生涯は呆気ないモノだったのである。
 広島・愛媛で第2の活躍をしている京都市電。そして愛知県・明治村で活躍するN電とその生涯を比較するといかに短いものだったかが分かるだろう。
 更に、予備的な情報も付随させるとこのモ251形に関してはその特殊な構造と運用に於ける都合から、車両の使用時間は朝ラッシュ時間等に限定されていたようだ。

デト11形 11号車

 阪堺電車ではかつて、花電車や保線用車両として現役だった車両…である。
 しかし、この車両に関しては出番がかなり前からなくなっているようである。現状では車庫内で現役であり、今回の『路面電車まつり』ではステージとして活用された。
 現在では本線運転に関する車籍も失われ、車両としての生涯はこの我孫子道車庫内でのみ…と限定されているようだ。
 塗装は青緑に2本線を挿した塗装をしていたが、現在は163号車と同じく旧・南海塗装に変更された。今回の訪問した保存車の中では割と状態が良いように感じた…のだが、それは気の所為だろうか?

構内機械・TR-1・2号車

 完全にオマケ…な枠ではあります。えぇ。
 しかし、我孫子道の車庫を訪問された方々の写真を拝見していますと必ず、ではありませんがこの謎の櫓の機械が登場するわけで。
 一体何なのだろうか?と思って記念撮影しましたが当方も全く知らずで。しかし思った事は、結構愛嬌良い顔していますね。
 友人も仰せでありましたが、結構現場のような電車…だと思ってしまうもので。…とこんな電車。実は保存車としてカウントして良い理由?が幾つか存在しており、その理由の1つにまず
 台車が立派なブリル台車を採用している事、が挙げられる。製造メーカーなどに関しては不明…なものの、台車は『ブリル形状』として特定がされている。
 そしてもう1つ。この車両はかつて、『散水車』として本線の仕事を経験している。コレが保存車に列挙する理由だろうか。
 しかし、現在は構内機械として転用されており我孫子道車庫でのみ稼働をしているようだ。そもそも稼働しているかどうかも怪しい。

プラ電車運転会

 少し休憩の寄り道。
 写真のように、部品供出保存車・163号車の前ではプラ電車運転会…としてプラレールの運転コーナーが存在していた。
 走っている車両は、製品を軽くアレンジして長編成にした車両から大胆に改造した車両、中にはプラ板を電子出力して車両を自作したモノ…も走っており、見ている子どもたちとの落差が非常に激しいコーナーになっていた。
 車両に関しては
「アレは一体何が走っていて…?(茶色いアクセントの入った地下鉄電車を見ながら)」
友人に問われた。
「60系っていう堺筋線の電車ですね。昔の電車なんですよ。もうかなり前に引退しましたけど、非冷房の古い古い電車でしたよ。」
と、かなりマニアックなものまで。
 ここで眺めている少年少女たちのうち、何人がこの選別されし大地に片足を投じる事になるのだろうか。
 そして、中にはレイアウト上で往復する車両も。
「アレは一体何の機構を採用しているんですか?」
と友人。
「アレは実際に公式がああいうのを販売していて、往復運転できるようにしてるんです。そのアレンジですね。」
「なるほど…」
走っている阪堺の車両に関しても、『あべのアポロシネマ』『岡崎屋質店』などの広告のクオリティが非常に高い再現となっていた。

最古の電車を体感する

 ようやく、『車庫イベント』らしいアトラクションを体感する時がやってきた。
 阪堺の最長老電車・モ161形の166号車と162号車の車内に入るイベントに参加した。電車内に入るのには特別な料金や整理券などはなかったが、車両の中に入ると運転台で記念撮影などが可能になる。折角なので参加してみよう。

 改めて、2つのモ161形の並びを拝見する。
 左に停車するのは166号車だ。車両の塗装はビークル・スターという塗装で、黄色いV字のラインが挿入された姿が特徴的である。
 この姿に関しても最近の復活であるが、車両としての塗装が復活した際には鉄道ファンから大いなる注目を浴び、車両としては上々な滑り出しを90年後に再び歩み始めている。
 そして、右に停車するのは162号車。コチラは、九州は福岡県にある鉄道会社・筑豊電鉄との提携事業で『筑豊電鉄カラー』に塗装された状態になっている。モ161形の歴史の中で、他社の塗装を施した事例に関しては非常に稀な事態になるのではないだろうか。もしかするとコレに関してははじめてかもしれない。
 この筑豊電鉄との提携事業に関しては、筑豊電鉄側も逆に阪堺電車のビークル・スター塗装を自社の塗装に…と車両色を介しての友好関係を構築したような具合になった。

 162号車に乗車していこう。
 乗車する前…に思うのだが、やはり電車としても中々武骨なる姿をしていると感じさせられる姿だ。機械美というか、筋骨隆々と呼べば良いのか。何かメカに抱くような特別な心情ではないが、少し変わった男の機械に対する気持ちが揺さぶられる格好だと思う。
 いつも電停から乗車する際にはこの景色を見ているはず…なのに、我孫子道の車庫内で再び接すると少し特別な気分になってしまう。

 筑豊電鉄塗装…に触れるのはコレが初だったので、マジマジと乗車前に眺めてしまった。
 絶対に有り得なかった、であろう部分がこの筑豊電鉄塗装と南海のロゴマークである。
 普段はラピートや南海の駅構内などでこのマークに接している状態ではあるが、実際にこうして提携した電鉄の塗装にこうして貼られている姿を見てしまうと
「電鉄の架け橋を越えたのだな」
と特別な気分になってしまう。
いよいよ乗車していこう。

 車内に関しては殆どのモ161形が変化なく同じ状態ではないだろうか。実際、茶色い車両に乗車した時とそこまで変化を感じなかったのが正直な感想だ。
 しかし、乗車して思ってしまうのは毎回そうなのだが昭和のモダンなる時代と鉄道に人々が込めた力強い憧れというのだろうか。大いなる波風のようなものを感じてしまう。
 産業機械に対して、昔の人はありったけの思いを込めて敬愛の心を見せていた…とでもいうのだろうか。そういった感謝の気持ちすら感じてしまうような豪華な装飾だ。
 ちなみにどのモ161形でも、車両自体は非冷房。夏場の車両公開という事で窓は全開放し、、運転台付近に関しても往時のように窓から顔を出せるようなシチュエーションになっていた。よくこうした場を作ってくれたと感謝の思いにしかならない。

 非冷房で空調関係の装置は一切搭載していないので、車両の窓は完全に全開だ。
「結構暑いんじゃないですか?」
と阪堺社員の方へ質問をすると
「いやぁ、暑いですよ。窓全部開けてますから。」
と。やはりこの環境は耐えられないようだ。
 そして、車両に関しては時代の設備なのかICカードリーダーの設置もされている。年齢は既に90年を突破し、次の更に次の世代へと向かおうとしている電車だが現代事情に合わせるべくキャッシュレスの決済に対応しようとしている姿は、貪欲に学習しようとするシニア世代を感じさせるものを思う。

長老の運転台

 モ162号車の運転台に着席する事にした。
 運転台…にしては本当に簡素な造りになっており、最低限の構造で済まされているような感覚さえ思ってしまう。速度計に関しては座った時にあまり見えない…状態になっており、電車を運転する際に肝になるのは『圧力』といった具合だろうか。昔の電車ではよくこうした話を聞いた記憶がある。名鉄の岐阜市内・美濃町線の往時の車両たちを訪問した時と何か気分が似ていた。
 そして、あまりゴツゴツとした配線も引かれていないのが大きな特徴として現れているだろうか。本当に座って機械を動かす為の台座、それ以外の機能は必要以上に要求しない、という感覚さえ感じる。

 すぐ背後を振り返れば、空気圧などのスイッチが確認できる。
 現代の車両でも運転台に関しては路面電車だと狭く感じるものはある…のかもしれないが、モ161形だと特に大きな圧迫感すら感じてしまう。振り返るとすぐにこうした機械類や背後の仕切りに圧倒される構造になっている。
 現代の路面電車にはない…感覚を多く保持しているモ161形ではあるが、特に個人的に濃く感じたのはこの『圧迫』や『環境の狭さ』、そして『運転士の腕』といったそういう面だろうと感じてしまう。
 昨今の鉄道近代化にて失われつつある技術面を、こうして何世代にも渡り保存・機能させて来たことは本当に敬愛に値する。
 車両を体験してみないと分からないこともあるものだ。

【写真】©︎ すゐしん @1994_Suishin さん提供

 実際に運転台に着席してみると、こうなる。
 自分の身長は180センチ付近まであるもの…だから、非常に収まりが悪い状態であった。
 昭和の時代の日本人と欧米の食文化や生活で育ち現代の海外と混じった生活を過ごしている現状と混同させると話が成立しないのだが、本当にこの環境で着席して電車を操り、そして併用軌道上に出たら自動車にも気を遣って…というのは難しすぎると思った。
 昔の阪堺電車は、よく旧車たちをコントロールできたものだと写真を見ても思ってしまう。

 車両を下車して眺めてみる。普段は信号や併用軌道でも撮影できないアングルだが、車庫公開となると別物である。中々格好良い記録だ。
 筑豊電鉄の塗装って一体?という気分で登場した際には感じていた自分だが、接近して撮影し向き合ってみると格好良さはまた格別だ。この塗装からしか出ない年季というのもある。
 そして、阪堺社員の方によると
「車両はこの夏場に整備している」
との話だった。理由として挙げられるのが、
・非冷房で夏場の運用が激減している為チャンスになる時期がこの時期しかない
との事だった。
 そして、他の車両よりも多くの気を遣うのだという。そりゃあ90歳越えてますもんね。

車庫観察

 こうしたイベントの醍醐味…といえば車庫観察だろう。まずはそんな開始の景気付けにビークル・スター166号車と161号車・保存車の256号車を撮影した。
 阪堺の旧型車両に挟まれている京都市電…というシュールな絵面が撮れて少し複雑な気分になっているが、251形も阪堺の車号や阪堺の装備などを身に付けた…モノの、遠く離れてみてしまえば京都市電なのかと思ってしまう1幕であった。

 こちらはグッズ販売(他社局・南海関係)の近くで撮影した記録だ。
 こちらには阪堺の主力車両である岡崎屋質店の広告電車…と共に、超低床電車の1100形電車が並んでいる。
 1100形に際してはかつて、白色に赤みの入った帯の車両…だったものの、ラッピング車両として阪堺電車にすぐ馴染んだ。こうした部分も含めて、会社としては何か濃い色が出ているというモノだろうか。
 この写真に映っている1100形については、TVアニメ『転生したらスライムだった件』のラッピングを施して運転している。
 先ほどまで時間をかけて観察したモ161形と比較すると、車両自体の年齢は既に70年ないし80年以上の差を越えている。お爺さんと孫…のような関係を築いている、不思議な電車でもあるのだ。

 こうした建屋に休む電車の撮影も良いだろう。トラックや古きバスターミナルを訪問しているような感覚にさせられるのがまた面白いところだ。
 並んでいる車両はモ501形とモ701形。阪堺を代表する主力電車の共演をこうして撮影してみるのもまた面白いチャンスである。

 こうしたものを近くで見れるのも、車庫イベントの素晴らしい魅力かもしれない。
「洗車機を近くで見れるのってレアですよね?」
「あぁ、確かに…!」
友人と共に撮影。普段はこうした機会だと洗車機は洗車体験などで稼働しているイメージがあるのだが、阪堺では起動しないのだと思った。
 その代わり、ブラシの毛の1本までじっくり観察出来るのが良いところだろう。自動車の洗車機などとはまた違った迫力などに圧倒されてしまう。

グッズ販売

 鉄道イベントに関して言えば…なのだろうか。いや、他でもそうなのかもしれないが。お土産になる、グッズ販売というのがある。この場合は少しニュアンスが異なってしまうかもしれないが。
 というわけで、路面電車まつりにも様々な社局のグッズが販売されていた。そのうち1つ、能勢電鉄。つい最近(と言っても半年前だ)のダイヤ改正によって装着されたHMの販売があった。
「放出するんや、こういうのって…」
と思ってしまうような内容も時々混ざる内容なのだが、能勢電鉄は毎回太っ腹だと思う。
 今回は、そんな中から『準急板』と揶揄されたダイヤ改正に関するHMの販売が実施された。このダイヤ改正では妙見口〜川西能勢口の日中直通を切る、や日生エクスプレスとの接続見直し、など大胆な改正を行った令和の大改正とも言える内容だった。
 また、他に能勢電鉄のグッズ販売では高額な部品販売として2020年代に惜しまれながらも引退した3100系の車両番号プレートの販売も実施していた。この能勢電鉄の販売が個人的に1番圧巻だったと思う。

 写真は帰路にて撮影…なのだが、今回は鉄道会社のグッズ販売でこの部品を買う事にした。
 地元・京福電鉄(嵐電)の旧運賃表である。現在は均一運賃250円という信じられない値段にまで跳ね上がった嵐電だが、この運賃表はその前夜。まだ市バス手前…の220円で均一運賃を切り盛りしていた頃の運賃表だ。
「あまり嵐電に支払ってない(定期券乗車)ものですから」
「あぁ、ではこの機会に!」
とそういったやり取りで購入してしまったこの運賃表。自分の部屋に貼り付けて入場料と見間違うような演出も仕組んでおり、意地悪な計画も存在している。
 ちなみに友人は阪堺電車の販売ブースで系統板マグネットなどを購入。かなり路面電車へお布施してらっしゃったようで、すっかりこの会社が気に入ったようにも感じてしまった。
 ちなみに、嵐電さんには
「このまた何時間後かに乗車しますので!」
と宣言して別れた。すると本当にこの具合になり、運賃表が一瞬だけ里帰りをしてしまったのだった。

キッチンカー登場

 今回の『路面電車まつり』というのは、どちらかといえば地域密着で開催している…ような都合が多い気がする。我孫子道車庫を出ても更に先の商店街までお祭りの空気が流れており、この周辺のフェスティバルとさながら賑わっている装いであった。
 そうした中、キッチンカーも様々な種類が乗り入れていた。多国籍な料理に、移動式カフェ。そして出店としては寿司屋が出店して穴子を売ったりなど。
 また、あびこ道駅前のファミリーマートもこの日ばかりは賑わいに参加するべく屋外にホットスナックのカウンターを出し、ファミチキやアメリカンドックの販売をしていたのである。

 自分はそんな中から移動式カフェのカレーホットドッグと自販機の缶コーラを飲んで昼食にした。友人はファミリーマートの屋外ホットスナック。アメリカンドックだったかをビールと一緒に豪快な昼間を越しており、非常に痛快な昼時が過ぎていったのである。
「今のヤクルト選手って知らないですか?」
「知ってますよ。長岡とか山田くらいなら…」
「何か意外でした。選手だけは知っていらっしゃったんですね。」
「もうでもそこまで追いついてなくて。」
「やはり青木や由規と?」
「あ〜!そこそこ!その世代です。」
何故か昼食時、子どもの鳴き声が街中に響き渡る中自分たちは昔の野球の話。そして、松原市…と藤井寺市が近かったので近鉄バファローズの話になり、そこからヤクルト繋がりで坂口智隆の話になった。
 ラスト・近鉄として入団した坂口がまさか現役の最後をヤクルトで閉じるとは思っていなかった、とお互いそんな話で落ち着いた。

 おまけ。
 友人とお揃いで買ったガチャグッズを紹介しよう。
 今回は南海電鉄のガチャガチャくじに挑戦する予定…だったが、長蛇の列を見て諦め、そして再び戻ると枯れる寸前だったので自分がコレに目を付け、やってみる事にした。理由は至極単純。
『車両自体は堺市まで乗り入れているから』だ。
つまりこのグッズは、北大阪急行のグッズになる。
 1回600円と少し値は張ってしまうが、その代わり結構質感の良いアクリルのストラップが手に入る。友人とお揃い…で引いてみたのだが、自分はこの『ATC電源』と表記されたモノが出てきた。
 友人はなんと、シークレット。シークレットに関しては、皆さん自らの手で引き当てて頂きたい。面白さも格別だろう。
 そして北大阪急行さんには
「北大阪さんの車両って凄いですね。箕面萱野まで延伸したら、北大阪急行の電車は箕面から堺までを走るって事になるんですか?」
と質問。
「そうなりますね。かなり長い距離、多くの都市を走ります。」
とのご回答。箕面市の宣伝効果も、果たしてミナミの街に波及するのだろうか。

ボクたちの夢・オークション

 会場に居られる時間も残り少ない。
 15時頃に終了してしまうので、そこまで我孫子道車庫には滞在できないのがネックだ。
 とそんな中でステージイベントが開催されるという。オークションが開催されていたようで、その結果発表や当選当落などに関するステージだった。
 司会は、関西の鉄道業界ではもう言わずもがなな方でしょうか。そして、阪堺電車の社員の方が共に先導しオークションが開始。
 オークションの場というのは、実際に参加していなくても面白い。どういった部品が登場し、、どういった部品にどのような価値が入るのか。それを見ているだけでも充分に時間は溶けていくものだ。

 イベントの司会進行をされたのは、NHK関西で放送中の『ウィークエンド関西』のミニコーナー、『ノっていこう』などで御馴染みの女性鉄道タレント、斉藤雪乃さんだった。
 実際にこうした女性社員が居るのではないか?という錯視をしてしまうくらいには似合っている。制服の着こなしもバッチリだ。司会に関しては、芸能界で研鑽された実力を遺憾無く発揮し場を盛り上げていた。会場内も温まり、良い空気を演出していた方だったように思う。

 オークションではこうして、ヘッドマークなどの部品が次々と出品されてゆく。
「あ、これ見た事あった…」
から
「こんなの付けて走ってたの?」
というバリエーションまで、阪堺のヘッドマークは多種多様なモノが出品されていた。
 事前入札という形式でイベントは進行していたので、この場合はステージに呼ばれる形式になっていたが、何れも呼ばれてからの斉藤さんとの会話は中々の公開処刑に近いモノが。中には奥さんの目の前で部品の処遇を問われた方もいたような…

 こうした品も、阪堺のオークションでは出品されていく。この銘板は、横浜に現在存在している東急車輛とは少し源流が異なる特殊な銘板で、会社には少ししかないのだとか…
 落とされた方は、「棚に飾る」と仰せでありました。少し記憶は曖昧であったが、現在のJ-TRECとは少し違うというのだけは微かに記憶している事実である。何がそうだったのか…

 コレでアナタも総理大臣の右腕になれます!というこの板もオークションでの競売品に。
 平成から令和への元号改元を祝して掲出した板なのだという。実際に当時の菅官房長官が持ったモノとは全く意匠も異なればド派手もド派手…だが、令和の文字は良い主張をしている。
 落とした方も菅官房長官のように記念撮影をしていたが、その方もパンケーキが好きだと非常に嬉しいのだが。(勝手な妄想です)

 ヘッドマーク装着の概念が存在していない電車に関しては、こうしてバスのマスクのようにフラッグで電車に装飾を行う。
 今回はこのフラッグが1番安いオークションの品だったように思うが、奇しくもこのフラッグに関しては自分が見慣れたモノとあり非常に新たな持ち主が決まった時は感慨深い気持ちであった。
 こうして、バスと同じ…近い構造で何か道路を走っていると聞いてしまうと、ライバルを超えた何か親近感のようなモノが漂ってくるから自分には不思議に感じる。
 意外と、こうした場所で商品名になる事によって社員たちがどのようにこの部品を呼称しているか、という一種の社員用語のようなものを垣間見る事ができるそういった意味でも面白いイベントだと個人的には思っている。

 他はこんなモノも。
 手書きの時刻表だ。阪堺社員の方も、斉藤さんも、共に出品されたこの時刻表を眺めて感心していた。
「昔の人って凄いんですよね」
と。この時刻表も割と高値で落札され、新たな持ち主が決定した。
 往時の看板書き技術の力強さ。そして精巧な筆捌き…とついつい魅入ってしまう所が非常に多い。実際に接近して観察すると、もっと多くの事が得られるのだろう。

 トリを飾ったのはこの品だった。
 恵美須町改修の際に切り崩して供出したモノだという。場所は、堺筋線の出口を出て目立つ場所にあった…と阪堺社員の方から説明があったが、言われると
「あぁ、あったあった!」
と思わず口に出してしまう勢いすらあった。本当にその勢いで鮮明な場所にあり、堺筋線と近い場所をつなぐ架け橋のような看板だったのである。
 この看板も落札され、新たな持ち主が決定した。しかし、大阪のコレからを知る人やかつての大阪を語っていくにあたって…
 あの簡素な恵比須町にこの看板があったなんて想像がつくのだろうか?自分はそれが何か気がかりになってしまう。
 そして、この品は斉藤さんが今回の出品で最も気になっていた逸品なのだと仰っていた。そりゃあそうなるだろう。

 そんな夢を手にした人々を陰から見守っていた電車が1両。
 モ161形・164号車である。塗装は茶色に塗られており、非常にノスタルジックな格好をしている。全体が茶色くなるのではなく、扉と車体で茶色の色味を分割させているのも非常に面白い塗装だ。
 この電車の裏手から商品が運ばれてきたり、または落札者が受け取ったりする。そういった意味でも、この電車は夢を運んだ存在だったろうか。
 自分の中ではオークションへの聴衆になる、事もさながらこの164号車の撮影にも浸っていた。こうして規制線が張られている中ではあるが、1両の電車を綺麗に撮影できる時間は中々無いだろう…。

長老撮影会

 車両の中でも一際目立って置かれていたのは、特にこの161号車ではないだろうか。車両の方向幕などの変化はなかったものの、出迎える人々から多くの視線やシャッターを浴びる注目の存在となりさながら撮影会状態であった。
 この161号車は阪堺の動態保存車扱い。イベント時や波動輸送の際には出庫してくるが、それ以外の時には貸切需要などがない限り滅多に出庫しない珍しい電車となってる。モ161形の稼働シーズンである春季・秋季〜冬季でも稼働しない車両なので、こうして車両をじっくり見れるのは貴重な時間だろう。

 車両の台車付近には、南海のかつての象徴である『歯車』のマークが打たれている。この歯車のマークはハグルマソースとして食品にも名高いものであるが、こうして電車に装着されているのを見てしまうとまた一層引き締まって見える。
 現在でも南海・なんば駅にて歯車のマークを確認する事は出来るがこうして阪堺の電車でも確認が出来るのだと知ったのは今回がはじめてだった。粋な機会を与えられなければわからないものである。

 車両に前から回り込んで撮影。
 こっちから撮影した方が、車両に架線も掛からないのでスッキリとしている写真のように感じられるだろうか。
 しかし、90年以上の歳月を暮らしてきたとは感じられないほどのスタイリッシュさを感じてしまう電車だ。そして、現在の交通事情に反映させたのであろう警戒に配慮した黄色いアクセントも素晴らしく車両を阻害していない。
 この車両に関しては何か他のモ161形と異なり、木の質感や電車への敬愛、そして交通手段として発展した電車の歴史を辿るような…そんな車両になっているように感じられる。この車両の保存に関しては、いつまでも長く行っていただきたいものだ。

 ここで、ひょんなキッカケから撮影会が始まった。
 偶々、近くに車両の行き先を示す為、またはこの車両が団体・臨時車両や特別車両である事を示す為に使用する『サイドボード』と呼ばれる部品を持っていらっしゃる方が居たのでそれを車両に掲出して下さった。

 掲出されたサイドボードは、『さかい巡っトラム号』として運転された堺市の盛り上げをキッカケに運転された「阪堺の急行列車」のような試みとして運転された列車なのだという。
 我孫子道までは各駅に停車し、我孫子道を出てからは主要な寺社仏閣と今宮方面の主要駅のみに停車する…という大胆なる急行運転を実施した路面電車のサイドボードであった。運転したのはかなり前との事だったが、こうした優等列車の試みを併用軌道の存在する路面電車で意欲的に挑戦していくのは非常に面白い事だと思う。

 サイドボードを掲出した状態の161号車はこうした状態になる。
 路面電車は広告枠や情報量が多くなれば個人的には何か好感を感じる…のだが、この161号車への掲出は何かギャップを感じてしまうのがまた深いような。木の質感と特別調度で整ったこの空間に、独自に製作されたサイドボードが上手く融合している。
 何かこうして、アクセントがあるだけでも勇壮とした威厳のある車両に感じられるのだから部品の追加効果というのは非常に大きなモノを持っていると思う。

 サイドボードを掲出した161号車と、保存状態に置かれている256号車が並んでいる状態。
 256号車に関しては、京都市電廃止後の昭和50年代に転属し短命な生涯を短命な運用で暮らしたのみ…出会ったが、逆に161号車はというと。
 こちらに関しては屈強な活躍を昭和初期から見せており昭和3年からずっと現役である。そして、車内には予備車両として運転可能になっているようにICカードリーダーなども装備して営業準備も万端になっている。
 現在の161号車の姿は昭和40年代頃の姿を維持している…との事なのだが、こうして昭和の懐かしい阪堺の姿を復活させて走行させている辺りに鉄道への情熱を感じる事ができる。

 車両のサイドボードを装着・解除する様子。結構頑丈な造りになっているので、取り外しには少し苦戦しているような格好さえ感じた。
 そして、やはり鉄道を撮影する身としてはこの『板を装着する・外す』瞬間というのもまた写真の醍醐味や味になるのである。それはまた現場で勤務されている状況と少し違った鉄道マンの姿を観察出来るまたとないチャンスだ。こうした緊張感のあるシーンの撮影もまた良い。

 実はモ161形はキャラクターにもなっている。
 チン電くん、というのだそうだ。キャラクターの座も掴み取って会社内では相当な地位にもなっている…かもしれない。
 ここまで愛されている電車だとは思わなかった。ついつい笑ってしまう。

 同じ南海系の色繋がりで、電動貨車デト11形とも記念撮影。
 心なしか御満悦なるご様子…?

 この写真では3両のモ161形がおります。
 っ…とさて何処でしょうか。

帰路へ

 ガレージのように敷き詰められた路面電車を眺めて、天王寺への帰路に着く事にした。
 その際に忘れ物市や阪堺社員バザーが開催されており、友人は趣味に因んだタコのピンバッジを買っていた。
中にはご当地の絵葉書も。
「これは何の忘れ物で…」
「それはウチの社員が集めてたんですけど、飽きたって言って販売しているんですって…」
「なるほど…」
とこうしたモノも。会社の個性が出る場所でもあるようだ。

 今回は初の路面電車まつり参加となったが、非常に楽しく濃い時間を過ごす事が出来た。天王寺までの帰路でも、互いに
「楽しかった」
との感想や
「またいつか機会があれば」
と共に阪堺電車へのイベント参加にも意欲が出たキッカケになったと思う。

 そして、最後になってしまったのだが、今回のイベント告知。斉藤雪乃さんが写真に、そしてチン電くんが宣伝。
 今回の感想になるが、このポスターで告知された大体の行事には参加できたのでは無いだろうか。部品販売では阪堺ではなく嵐電を買ってしまった矛盾はあったけれども。
 この後は友人と天王寺で互いの近況やイベントの感想などを話し合うチャンスになり、大いに楽しい時間を過ごせた。
 またこうして、楽しいひとときがあれば良いと思う。
 今回はご協力いただきました友人、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?