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ACT.58『高運転台と大移動』

大ターミナルを経て

 苗穂から1駅して、札幌に到着した。
 この札幌から、次の場所に移動する。その前に少しだけ時間があるので撮影や食料の購入をしておこう。
 札幌駅は高架駅として、道内の列車を日々東西南北に受け入れている。その距離は、稚内に函館に釧路に様々な距離がある。また、千歳線や函館本線の近郊列車や快速列車も捌く道内の巨大なターミナル駅なのである。
 この駅で何枚か撮影した感想として、自分の中に
『国鉄らしくもあり何かJR初期らしさ』
も感じるというのが感想だった。
 コンコースで到着・発車案内や列車の遅延に時間を案内する向山佳比子氏の温かみがある女声構内放送もそうなのだが、やはり構内に入ってからの吊り下げ札の量というのが非常に国鉄らしさというか、鉄道の威厳を現代にもなお感じられる感覚である。
 かつての北海道を席巻した長距離列車に寝台・夜行の列車は存在していないが撮影している間に列車案内の吊り下げ札や案内の表示を眺めていると。吊り下げ札と列車・その中に生活する乗客たちを混ぜて撮影していると。この札幌駅の構内が何となく時代の少し停止しした駅のように感じられるのだ。
 そして列車の接近表示が、3色LEDのままで現在まで継続されているのも個人的には推したい場所である。この札幌駅での駅の雰囲気を出しての撮影。そして鉄道の暖かさや乗客たちの交錯。そして鉄道が現在も生活の中心に混ざって大活躍している事を画面越しに様々感じて収める事ができた。
 駅構内を回っていると、特別な列車の案内が表示されていた。この時期しか撮影できないようなので、向かって撮影してみる事にする。

思いがけない花に

 列車表示を見ていると、
『フラノラベンダーエクスプレス』
との事であった。どうやら富良野方面への季節臨時列車が札幌に戻ってくるらしい。
 そしてこの列車を撮影にと多くの鉄道ファンの姿もあった。1人混じって、重装備の中に列車の到着を待つ。
 しばらくしてやってきたのは、紫色のキハ261系である。通常のキハ261系をリゾート列車調に改良して導入した編成である、
『キハ261系 ラベンダー編成』
である。
 普段はラベンダー編成として別の固定運用をしっかり持っているのだが、こうして時々季節の臨時列車やツアー列車。JR北海道の観光列車の仕事に就く事がある。その際は他のキハ261系が代走するか、別のリゾート編成仕様のキハ261系が代走しているのだ。
「別のリゾート編成仕様?」
「ラベンダー編成があるなら他にもあるのか?」
という事だが、実は兄弟のようにして編成がもう1つあるのだ。北海道ジョイフルトレインの血・観光列車の魂を新製して現在に受け継ぐ大事な虎の子である。
生まれるのが30分早かっただけでしょ!(声•石原夏織)」

 車両の先頭デザイン。車両には自分が見た時とは記憶のかけ離れた車両ロゴが挿入されていた。
「あれ?こんなんあったっけ?」
キハ261系ラベンダー編成には、この編成だけ唯一のローマ字での『HOKKAIDO』ロゴが挿入されている。撮影時は不明だったが、後に乗車してその真実を知る事になるのである。
 かつての北海道ジョイフルトレイン改造車たちとは少しだけシックに落ち着いたデザインになったが、キハ261系の何色も使用した精悍な顔付きとは違いコチラは上品に類似した塗装だけをまとめて仕上げている印象である。
 そして、ロゴの件であるがJR北海道。キハ261系だけで言えばこの車両だけが唯一の『HOKKAIDO』ロゴを挿入しているのである。この車両以外で見かける事はなかった。
 以前の再会は、少し意外な場所だったので手前味噌にはなるが掲載しよう。

※キハ261系ラベンダー車両の甲種輸送。兵庫県の川崎重工業で製造し、青函トンネルも貫く北海道への大移動である。撮影した当時は大学生だったがこうしての遭遇は予見していなかった。

 この写真だけだと、いってらっしゃいの意味がこもった写真になるかもしれない。勘の良い方だけにはそう見えるかもだが。
「なんで北海道の車両を山科で撮影してるん?」
という疑問が少なからず出る人も居るだろう。(というか鉄道知らない人はそうか)
 この車両。実はキハ261系ラベンダー編成は兵庫県・川崎重工業で製造されたのである。JR北海道では最近の場合であると、733系・735系・H100形などを依頼してきた。
 北海道のJR車両は、こうして青函トンネルを離れ隔てた兵庫県という関西方面で製造しており、毎回毎回発注の度にしてこのように運ぶのである。
 非常に涙ぐましい努力…ではあるが、毎回この長距離を輸送してくるのだ。
 確か、撮影時期は大学生くらいなのだがこの後は無防備に無計画に京都の町を放浪していた思い出しかない。そして撮影するその瞬間の少し前位まで、撮影する列車が特殊なギミックを備えたリゾート用の観光編成だとは知らなかった記憶もある。
 この時には
「北海道か、長いな…いつか会えるんやろか?」
だったのだが、現在の札幌駅で立派に自走し富良野観光のアシストをしている姿を見ると、親のように
「いやぁ逞しくなったモンだなぁ!」
なんて思ってしまう。車両の輸送を撮影した人間にしか感じられない特権かもしれないが。
 ちなみに、ふとこの記事を見つけた人への豆知識で。(明日使える無駄知識
 こうして製造先から活躍する場所まで新造した列車を運ぶ事を、甲種輸送と呼びます。
 これ以上は趣旨から離れるのでインターネットや書籍の御活用を。

 キハ261系ラベンダー編成は、この表示を掲げ入線してきた。
 フラノラベンダーエクスプレス。ラベンダー編成の為に用意された…と言っても過言ではない列車だ。撮影時期は北海道のラベンダーシーズンであり、この列車はこのラベンダー観光時期に運転しているのだという。
 このトレインマークも、期間限定でしか遭遇できないものだ。列車名をラベンダーで囲っているのが印象的なデザインである。
 かつてはフラノラベンダーエクスプレスもジョイフルトレイン車両(ノースレインボー・クリスタルなど)での運転だったが3年ほど前から車両をラベンダー編成に置き換えての運転になった。
 キハ261系車両を充当させているからこそのトレインマーク表示は車両に爽やかな風を与え、列車の新たなシンボルとして現在に定着している。

 後に乗車する事になるのだが、フラノラベンダーエクスプレスには他の北海道車両と異なる号車が存在している。
 『増1号車』と呼ばれるもので、この編成にのみ存在している制度だ。(はまなす編成にもあり)実質、この車両は増結扱いにされているという考えになるのだろうか。
 そんな増1号車だが、上からシール貼りで車内設備の表記がされている。車両は少し特殊な車内になっており、その名前に因んで『ラベンダーラウンジ』として通常の車両とは異なる設備がなされているのだ。現在のLED表示車両での技術としてその旨の表示が可能かと思ったら、実際はそうではないらしい。
「え〜っ、なんかこう…意外な…」
という気分に駆られる。後に乗車した際に車内の写真は掲載しようと思う。お楽しみに。

時代のもとに

 既に札幌の駅は高架化され、蒸気機関車に電気機関車の牽引する客車列車は過去になった。
 そして、そんな中に国鉄車両、781系にキハ183系の時代を迎えていく。列島を縦断していた寝台列車もこの駅に入ってきた。高架化されてからであるが、『北斗星』・『カシオペア』・『トワイライトエクスプレス』の絢爛豪華な存在は今も語り草だ。映像でしか見た事はないが。
 と、この駅には様々な名列車たちが入線してきた。しかし何れもそうした名門の車両に名門の列車は無くなってしまう。車両も気付けばキハ261系に電車も789系を中心とした近代的なブランドが整備されてしまった。
 だが、そんな中でカメラを向けてみると何か国鉄のようなもの。鉄道が長距離移動の主権を握っていた事を思わせるような写真が残せるのである。
「おぉ、なんとまたコレは」
なんて、この写真を撮影した瞬間に感じてしまった。
 個人的な思いになるが、駅のホームを彩る吊り下げ札は鉄道の主役。そして長距離列車と幹線の彩りに欠かせないものだと思う。改めてそんな事を思わせてくれる1枚であった。

 札幌の駅を下車して、少し周辺を散策する。
「この辺で購入しとかんと先が危なそうやな…」
など様々な事を思いつつ、そして特急列車の時間を待機しつつ。列車を待つには1時間くらいだ。何か気晴らしにでも。
 最初は食事に行こうか迷ったが、
「遠いし高いしなんかここじゃ冴えない」
など頭に過り、結局札幌近辺での夕食は諦めたのであった。しかも結構に時間のかかりそうな場所も検索するとヒットしたので、最終日までのお預けに。
 と、自分が先に行動したのが
『データ用のカードの回収』
であった。
 実はこの北海道では使用しているSDカードが後半の枚数を切ろうとしており、限界に近い状態であった。偶々札幌を探すとビックカメラがあったので立ち寄り。ここで家電屋さんに行くとは思ってもいなかった。
 と、ここで自分が入店した店が最初で最後の訪問になりそうな事に気がつく。
 入店したビックカメラ札幌店はもうすぐ閉店を迎えようとしていたのだ。正しくは『この場所』で閉店し、札幌百貨店への移設になるのだという。
 そんな中で撮影した札幌に因んだビッカメ娘。実はコレ、個人的に全国で回収中なんです…。こういうご当地系はかなり弱い派。
 この場所で見るのは最後になりそうだが、雪の精、甘い香りの漂う感じのキャラクターだと初見的な感想を述べてSDカードの購入へ。
 ビックカメラには訪日の外国人も多く、地元の京都同様にして外国人からの注目を改めてして感じたばかりだ。きっとこの札幌でも、多くの日本らしさを体感して帰るのだろう。
 と、この場所で16GBのSDカードを買った。
 このカードに関しては…となったが最初に言っておこう。
 『対策』として持ち歩くのには全然大丈夫だった。しかし、この北海道移動中に関しては全く容量が限界を突破せず、肝心の16GB補填は無駄になってしまったのだった。
 先人たちのフィルムを持っての遠征に比較すれば、我々のメディアは容量も倍加し持運びも楽になったがいかんせん電子の記録容量、そしてそのラフさには改めて感動したものだ。ここまでよく持ち堪えたなと今でも思ってしまう。
 訪問したビックカメラ札幌店の入居しているビルは、『エスタ札幌』という。
 このエスタ札幌は自分の訪問時、
『45年間ありがとうございました!!』
と盛大なお別れムードになっており、メッセージカードによる寄書きなども実施していた。
「思い出のないやつが書いてもなぁ…」
と感じたのだが、個人的な感想で思えば札幌の。北海道の中心に於ける大事な歴史の転換点を見られた充実感が混ざっていた。非常に昭和というかこう、何か日本の絶頂を感じつつも古めかしい感じが良さげなビル、地下街だったのだが。
 また訪問した際にはどうなっているかが気掛かりである。

いざ最北へ

 駅構内で食料を買い込んだ。そして、肝心の晩御飯に関しては地鶏の弁当を選んだ。確かこの時期だったか、
『海鮮ものの駅弁を扱う業者で食中毒事件発生』
というニュースがあったと思う。そうした念などから、魚介系は避けて地鶏にしたような、そんな感覚もあった。旅の道中で地鶏弁当の記事を見たのも相まったが、このニュースでは
『ご飯から異様な粘り気を発見』
など、かなりの警戒ムードが漂っていたのも記憶に何かと刻まれている。
 そして、買い込んだ食料として
・サイコロキャラメル
・生クッキー(蔵生という平べったい菓子だった)
・カリカリのスープカレー味おかき
がある。何れも車内での食事用に足したものばかりだ。すっかり特急列車での有頂天モードになっているような。
 写真は、構内入場時に撮影した731系の偶然な流し写真。個人的に
「力感なく合わせて振ってみた」
だけの写真だったのだが、案外上手く決まってしまったので自分としては一安心な1枚だ。
 余談にはなるが、こうした
・流す
技法の写真に関しては10年以上も前に読み込んだ少年向けの鉄道雑誌で染み込ませた言葉を今でも生かして向かっている。あまり綺麗には決まらないけど。

 少し北海道らしい?と感じつつ札幌駅に入線した733系と併せてこんな記録も撮影した。
 札幌駅は本当に様々な情報量で豊富になっているので、撮影や観察には事欠かない。
「お土産、白い恋人買ってきてな!」
と撮影して少し経過した後に思い出してしまった。
 しかし後から見た時の急場を逃れるようなこのアングル、非常に謎のように感じてしまう…
 気持ちこうして供養しておきたかったので、この場に掲載しておく事にしよう。
 前面に黄緑の帯を巻いた北海道の通勤電車らしいこの姿。札幌圏内で何回か撮影は出来たものの、側面に帯を巻いていない735系に関しては撮影というか遭遇が一切なかった。
 …言って735系の数は非常に少ないので、撮影できなくても「運が悪かった」で済ませられるのだが。そしてその差も非常にマニアックな要素が濃いので。

恐る恐る、指定券発行

 札幌から次に向かうのは『旭川』だ。札幌に続く第2の栄えた都市であり、鉄道の存在も富良野に名寄に大きな存在を見せている。そして旭川駅を拠点にした鉄道網はバスと共にして多くの人が利用している。
 そんな旭川に向かう為、特急列車に乗車した。バッタの愛称が似合いそうな(実際にこの形式には採用されていない)789系に乗車して、そのまま北に向かっていく。
 そして789系といえばやはり自分の中では緑色だと『スーパー白鳥』と呼んでしまいそうになるのだが現在は活躍していた青函トンネルを新幹線へと明け渡し、特急ライラックとしての活躍をしているらしい。自分ではこの遠征まで北海道関係には完全なノーマークだったので車両の去就など全く知った話ではなかったのだが、ここに来てようやく違和感のような馴染みのような。不思議な気持ちに駆られた。
 写真は入線している際の様子だが、多くの乗客に出迎えられ座席も埋まり、北海道の看板的な地位はこの車両から消えていない事を感じさせてくれる。
 と。ココから先の特急列車では指定席を発行する事にした。
 自分が利用しているJR北海道の道内フリーパスは6日間の鉄道乗車が特急自由席を含めて可能になっている他、
『指定席券の発行』
が指定券付きながら可能になっている。朝に岩見沢までカムイに乗車した際の自由席の光景を札幌駅の人混みの中で思い出し、
「コレは1枚発行しておいた方が良いかな」
と気分を括った。
 しかし、切符には下車印が多く押された状態だったので指定券の発行には非常に躊躇するものがあった。
「掠れんの怖いねんな…」
窓口に並んで購入。
「次のライラックの指定券ください」
と窓口で並んで話を切ったところ、発行機械の中に切符が吸い込まれていく。
「あぁ、やはり消えてしまうのか…俺の旅の証拠…」
と眺めていたが、そこまで大きな文字の影響はなかった。なんとか安心したが、一瞬かなり気持ちが揺すられた時だったのである。
 切符の中には、赤い星のマークが記され
『指定券発行回数・1回』
の証拠が残されたのであった。自由席で座席の争奪戦に巻き込まれずに済んだ。北の都市へ進んでいこう。

 指定券を携帯のホルダーに差し込み、初の乗車となる789系緑色の撮影をする。
 この車両といえばかつては白鳥として青函トンネルを縦断する証拠の装飾として北海道の函館。そして青森県の津軽半島方面が描かれていたような海峡のロゴ的なものがあったはず…だったのだが、そこにあったのはオホーツク北見の玉ねぎだった。
「違和感やな…もうこの仕事からは外れているか…」
と感じながらの撮影。
 そういえば、この車両は電車なので玉ねぎの産地である北見には入線できないのだがその表現は一旦、『愛嬌』として見逃すべきなのだろうか。そんな細かい事も考えていた。
 新塗装になって格好良さの増した特急車両に関してはデザイン的にも自分は良さを感じたのだが、従来塗装を固定維持したままでこのように地元の特産品をロゴしているのは何となくまだ気持ちの据わった感覚に慣れないところだ。少しファンシーなのもあるのだろうか。顔とのギャップも感じているような気がした。

 もう少し角度を変えての撮影も実行。
 この時は近くの自販機で販売していた『ハスカップいろはす』も買いながら撮影した。
 ガラナもそうだったが、実際に現地に行くまで飲まないと覚悟を決めて待った品の1つだ。一体どのような味がするのだろうと冒険的な気持ちで撮影もしていた。発車時間が近づいている。だが、良い記録が残るまで何回かシャッターを切り試行錯誤をし、列車との時間を余すとこなく体感していた。
 再び、733系などのような札幌近郊の通勤電車とは別れる事になる。またどのみち戻ってコレらの電車は撮影する事になるのだが。
 最後に再び、札幌らしい光景を目に焼いてその時を待つ。

 789系になっても、トレインマークの使用は継続されている。
 北海道初の電車特急・781系以降今もなお託され続けている伝統だ。しかしこの緑色と『ライラック』の文字が慣れない。自分にとっての特急・ライラックは今もなお白貴重の少しグレーがかったあの国鉄形車両なのだ。
 しかし、植物的なマーク。花をモチーフにした事情を考えてこのマークを覗いてみれば、また緑色を背にして見るのも悪くはないのだろう。
 昨今ではトレインマークの衰退も激しく、後継車両では絶える事もしばしばだ。しかしそんな中でも継続されている事の嬉しさは大きい。いつまでも特急列車のアイデンティティでいて欲しいものである。

 ライラックのトレインマークを見てみよう。
 車両のマーク掲出はLEDで実施されているが、車両に搭載しているものはカラー式なので色を反映できる。このマークは781系の先代時代から継続しているものだ。
 ライラック、とは元々、欧州地域で咲き誇る落葉樹の花である。日本ではここ、北海道に多く咲いている花であり、北海道を象徴する花として現在も語られている。植物としては『モクセイ科』に属し、花としての特徴。植物としての特徴で言えば
・寒さに強い
・花の咲く時期が長い
・強く甘いリラックス効果を持つ香りがある
のが特徴になっているのである。
『ライラック』の単語は英語名称なのであるが、日本では別名称としてフランス語源の『リラ』の名前でも知られている花だ。
 花は4月ごろに咲き、このトレインマークのように紫色の薄い色を咲かせている。一部には白・ピンクのモノもあり多彩な花である。
 ちなみに、このライラックには花言葉として
・純潔
・青春の思い出
・謙虚
・友情
というのが挙げられている。

 札幌駅を特急・ライラックの指定席で離れて旭川に向かう。
「イランカラプテ。今日も、JR北海道をご利用くださいまして…」
の大橋俊夫先生の声を感じながら、列車は走る。
 次の停車駅は岩見沢だ。再びあの20キロ・10キロとカウントが切られる車内表示を見つつ購入したお菓子に手を付けて車窓の何も無い虚無を見つめる。本当に何もないと言おうか。そりゃあ、暗いから当たり前なのだが…
 ハスカップいろはすを恐る恐るではあるが口にし、甘酸っぱさを感じる。
「コレは意外に美味いもんやな」
など自分の舌が認識すれば、もうその瞬間からどこに居てもリピートは確定である。
 もちろん現地だったからであるのだが、そうした特別なご当地の飲み物の価格にも驚いた。ここまで安く、ここまで生活に馴染んでいるとは。
 しかし、逆に本州の北海道商品販売で見てしまうとその高さには驚かされるのである。そりゃあ、津軽海峡を越えていますものねと。
 列車。特急・ライラック41号はそのまま札幌を出ると住宅街の合間を縫って。全速力で待避する電車を追い抜いて走っていく。俊足な電車特急の走行に身体を委ねて、夜を過ごした。
 札幌を出て、この日に最初通った岩見沢に停車。そして美唄・砂川・滝川と停車する。
 砂川からの区間は、特急列車の停車駅に
・砂川
・滝川
・深川
・旭川(終点)
となるので、砂川を含めると4つも『川』の漢字を含んだ駅に停車する事になるのである。列車の駅名観察が好きな方には非常に面白い区間でもあり、特急列車かもしれない。
 岩見沢を出て美唄に停車。その際には
「あぁ、また4122号機関車でも次は見にいくか」
なんて考えてしまった。この近くにいる機関車の話が浮かび、早くも次の計画に頭が寄っているのである。
 美唄以降。滝川より先は駅もその周辺も完全な店じまい状態であり、北海道の街は翌朝に備えていたのである。
「ジンギスカンも寿司も食えなんだ、まぁいいか…」
なども考えて、虚無の多き北海道は函館本線を北へ北へ進んでいったのである。

 ライラック41号は21時を回って旭川に到着した。そしてこの瞬間に、函館本線の最北端まで自分は乗車した事になる。
 ポツポツであったがサラリーマンや地元の生活乗車利用しているであろう人がこの駅まで乗車していた。
 自分のような観光乗車をしている客は滅多にいない。というか、そういった事で利用をしている乗客は車かその前の前の前くらいの早い列車で行っているのだろう。
 旭川に到達した事、それ即ちであるのだが
『日本最北の電化区間』
に到達した事になる。
 この先の遠軽・北見方面の石北本線。名寄・稚内方面への宗谷本線。美瑛・富良野方面を目指す富良野線は全て気動車での運転であり、架線は張られていない。当然、全便が気動車なので何れの路線も『非電化』の線路ばかりとなってくる。
 ココから先、北海道らしき事の連鎖。また、多くのイベントが待ち受ける。是非ともお楽しみに。
 永く長く、この連載を1日の楽しみに。忙しいあなたへの一服にしてくだされば嬉しいのですが。
 多忙でも無いのに一体どうしてこんなにも遅いんだろうかねぇ。(自虐するな???)
 旭川に到着し、写真でしか知らなかった。そして映像でしか知らなかった美しい駅舎が目に入る。先の旅に向け、新たな道への思いを浮かべてこの駅から再び目指すは美瑛方面だ。

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