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ACT.46『変わる山線へ』

駅周辺と新幹線

 前回も記したように、この倶知安の駅周辺には現在非常に新幹線の建設に向けた動きが盛んである。新函館北斗から延伸された札幌に至る北海道新幹線の延伸線路は現在の函館本線は山線の経路と同じような経路を進行し、この倶知安で乗客を出迎えるのだ。
 その事に関しては、また後ほどにしておこう。
 六郷駅の胆振線跡を自転車で出発し、再び倶知安の大通りに出た。この大通りが倶知安のメインストリートといった感じになっているのだろうか。
 しかし平日の学校に仕事に出ている時間帯なのもあってか。リゾートから離れている場所なのもあってか、この場所で殆ど歩いている人は見かけなかった。
「ここで食事でもしようか」
と過ったのだが、先ずはそうした気持ちではなくメインストリートの一角にある書店に立ち寄った。
 文具屋と書店を併設している、地元密着な書店らしい雰囲気が漂っている。お客は自分以外に居らず、自分は書店付近の駐車場にレンタサイクルを駐輪して書店に入店した。
 書店の中は本当に人が少なかったのだが、品揃えも最低限というかある程度のものばかり。倶知安ほどの出入りがある町なら、これだけ手に入れば良いだろうかと思ってしまった。
 自分はまず、旅の道中で読もうかと考えていた本を探したのだが(同時に旅で使用する文具も探した)、ここでは見つからなかった。
 結局、この場所では静かな空気の中にファイターズのファンブックを立ち読み日本ハムの新たな姿。そしてエスコンフィールドの新たな姿を目に焼き付け、北海道の新たな観光地として次に行くにはこうして行けば良いのかと先に事前学習をした。いつこの結果が反映されるかは分からないが。
 そのまま本屋を出て、書店を出た。曇り空の中、自転車を漕ぎ出して倶知安駅に向かい走る。そういやここで、と思い出した。
「SL見に来たんですよね?」
「はい」
「だとすると駅の裏側に、転車台があるんですよ。もう解体してしまったのかな…」
転車台の存在だった。分からないなりにだが、行ってみよう。

 まず。倶知安の転車台に向かう為には駅をクロスせねばならない。
 その際に函館本線の線路が見えた。
 函館本線も、小樽から先は立派な都市アクセスを担い新千歳空港までの北海道では欠かせない鉄道路線の任を預かっているが、その線路もこうして山に入ってしまうと緑の中に掻き消されてしまうのだ。
 そして、横にはフェンスの姿。
 北海道新幹線に向かっての工事だろう。山線の世代交代に向かって進行している姿を見てしまったというか、
「次に来たらココには新幹線が走っているのだろうか」
と時代を思い憂う記録が撮影できた。
 そして、撮影時の天候が悪天候で曇っていたので線路が果てしなく何処へも続いているような状況になっている。コレはコレで壮大な気持ちにもなるのだが。
 この場所…というか転車台方面に向かう為には観光案内所の方から
『駅の反対に向かってください』
と告げられていたのを思い出し反対に向かっていた。ので、線路を跨いだのだがその際に自分は長いアスファルトの坂を上った。ギア装着とはいえ、自転車で坂を登るのは相変わらず苦しい。

 そして、坂を下っていくと緑豊かな場所に到達する。この場所を自転車で走行している時間が1番気持ち良かったかもしれない。アーケードの中を走っている時もそうだったが、この緑が茂っている空間の中を自転車で走る時間は自分にとって北海道らしさ…というか、北の大地の洗礼を浴びた1つのターニングポイントであったように思ってしまう。
 この周辺には自転車・ランニングのコースも(多分そう?)もあり、走りやすい道であった。
 と、そこに壮大な鉄道の遺構が発見された。自転車で走行してその光景は飛び込んで来たのである。

勾配の休息場

 倶知安の駅の反対側に、転車台が確かにあった。
 この転車台、規模としては相当なデカさがあるのではないだろうか。自分が見た感じでは京都・梅小路運転区(京都鉄道博物館)の転車台と同じようなもの感じた。
 最初は
「C62-3が北海道に残って復活ニセコで使用した時にコレを使っていたのか?」
と自分で見た時に思ったのだが、それはどうやら異なる思惑であったようだ。
 この場所に転車台があるのは昭和30年代からの話であり、胆振線への貨物輸送や山線へ向かう旅客列車の中継地点としての活躍を守る場所として。そして、この転車台は昭和61年に倶知安機関区が支区になって廃止されるまでの姿も見守ったという。

 この巨大な転車台は、かつてC62形クラスの巨大な蒸気機関車の方向転換も実際に扱った経験がどうやらあるようだ。
 それが、倶知安の行政から発表された文書の中に記されている。
『昭和63年4月29日から夏期間の体験列車として復活した「C62ニセコ号」は、ニセコに転車台が設置される平成2年までの短期間ではあるが、ここで向きを変えていた。』(倶知安町資料より引用)
 との記述があり、実際にC62-3の復活ニセコの際にも僅かな期間ではあるがこの場所でC62形は実際に転回していた事が記されている。

 現在、町の中に鉄道が密接していた証拠。特に、倶知安期間区としてこの場所が蒸気機関車の要塞であり、そして胆振線や岩内線といった山線の中間地点。そして山線の列車たちの補給場所であった事を語る場所は、この転車台しか存在していないという。
 かつてはこの先に留置線や車庫(機関庫か?)もあったのだが、それに関しては解体撤去されてしまった。この大規模な転車台が、今では語り部として町に歴史を語り継ぐ証拠になっているのだ。
 しかし、京都でもこのようば大規模転車台をじっくり見る事はないしあちらに関してはまだまだ現役。しかも梅小路運転区の設備としていまなお活躍しているあたり、じっくり観察する隙がないのでこうして大型の転車台に関して目を奪われた経験がはじめてであった。

 この場所に職員が添乗し、かつては機関車の向きを転換する為に機関車の方向を入れ換えていた。
 京都で見るといつも多くの人や観光客の集うパフォーマンスとしての時間に計上されてしまいがちなこの転車台の時間も、こうしてじっくり見ると国鉄のあった時間。そして、実際に機関車がいた時間のような何かを感じる。
 だが、自分としてはコレが倶知安機関区と気づかなかったので(撮影時には)、このアングルから撮影した際には
「やはりC62を載せるにはコレほどデカくなきゃ無理だなぁ」
とモノを思う気持ちに浸っていた。C62対応はかなり晩年の話だったのだが。
 しかし、C62と対応している…という事が、自分の中では自分の故郷で見慣れたものがかつてこの場所で活躍していた証拠として発見できた貴重な証拠というか。足跡を見つけたような気がして、少し嬉しかった。

※C62形を載せられる巨大な転車台は少ない。京都・梅小路にてその現役が稼働しているが、殆ど毎日動く姿は奇跡に近いだろう。現在でも、多くの来館者を楽しませ感動させている。…令和3年撮影

 と、かくして倶知安の転車台の大きさの規模を思わす為にこの写真を挿入。
 余計なものが混ざっているが、気にしない方が良いかもしれない。
 かつてはこうして、倶知安の機関区も巨大な蒸気機関車を格納し入換える為の巨大な要塞としての機能を持ち、蒸気機関車の灯火が消えるその間近まで見守っていたのであった。
 この写真のような日々があったのだ…とおまけの写真を見て何か琴線に触れてくれると嬉しい。

 倶知安の転車台の端。
 京都の転車台もこんな風に端がゴツゴツしていた形状だったのを思い出し、改めてしてこの転車台の形状と頑丈なる構造に思う事を感じる。
 この転車台の周辺には普段人集りにそして多く張られた線路があるが、今回はそうしたものを一切感じず1人で国鉄の気配や鉄の時代を思い浮かべるだけに止まった。
しかしかつてはこの転車台の端に落ちるきかんしゃトーマスの話があったような

 転車台付近から目を覗かせると、その場所から見えたのは現代の気動車H100形だった。
 側面にロゴがある。この車両はH100-1。トップナンバーの気動車だろうか。
 そして、背後の巨大な重機が新幹線開業に向けた開発に向けて駅周辺をグングンと開拓しているのがよく分かる。国鉄のモノを思う情景の後にこうしてH100形の営業している姿を見てしまうと、不意に現代に戻ってきてしまう。転車台はタイムマシンだったのかと錯覚してしまうほどに、この公園と鉄道の景色を分断していた。

 自転車を漕ぎ出し、倶知安駅に向かって一周する方向で走る。
 転車台とH100形を収めた様子だ。
 新幹線開発に向けた倶知安の情景と、昭和の動力近代化まで。そして、バブル期までの北海道リゾートを支えた転車台の存在。
 この1枚の中には、倶知安…北海道の函館本線山線の歴史が凝縮されているような感じがした。
 現在のこの様子からして、この周辺に新幹線・倶知安駅が建設される雰囲気などは感じない。しかし、その時はきっといつか来るのだろう…
 と自分の中で思い、巨体や長き時代を見据え続けた老兵と戦った転車台に別れを告げた。
「転車台があると良いんだけど…工事でなくなっちまったのかねぇ」
と言っていた暗雲は、曇り空の中に見事に晴れ渡り発見された。

役者の撮影時間

 列車の行き来があったので、この時間は撮影に費やしておこうと思った。
 しかし、長万部に向かう列車の時間まで数えてみればあと少しのところまできた。自転車を借りた時は、自転車で待ち時間の暇つぶしなんて出来るんやろかと不安になっていたが風を切って自転車のギアの感触で遊んでいるとスグに終了するモノである。
 と、踏切の警報音が鳴った。自転車を停めて撮影する。
 やってきたのは、2両編成の小樽行きだ。冬季対策?として組まれているのであろう4灯の前照灯も光らせ、合計6灯の前照灯を輝かせて山に挑んでいく。かつては蒸気機関車たちでも苦戦したこの道。きっと、ハイブリッドの気動車ならすぐに息の上がる程度に済むだろう。
 写真としては警報器の装置や倶知安の駅の切れ端が入ってしまったが、そこはご容赦頂きたい。

 少し自転車で進んでいると、踏切の警報器が鳴動した。列車が来るようである。
 来たのは再びH100形だった。カメラには映らなかったが、車両は先ほどに転車台のある公園で見かけた1番…トップナンバーの車両だ。どうやら倶知安駅はこの小樽方向に向かって引き上げ線があるようだ。
 山々に囲まれた自然の中、銀色の重厚な気動車が仕事を終えて引き上げていく。どうやらこの状態で分かったのだが、自分が見ていたH100形の姿は長万部方面から倶知安までの列車だったようだ。
 この写真を撮影して、自分は再び駅に戻った。
「おぉ、この周辺のバーガーショップで食事でもするか…」
と考えたり、
「古びたホテルがあるならここに泊まれば良かった」
と後悔を背負ったり。自分ならではのサイクルトリップを満喫し、列車の姿を撮影までして倶知安駅に戻った。自転車で走行し、倶知安の市街を見た他に。新幹線で変化が激しくなるであろう山線の中腹駅の姿も見れたと思う。

前途多難?

 倶知安駅前に自転車を停車させ、案内所に借りたヘルメットを返す。
「ありがとうございました。無事に到達しましたよ。」
そして同時に、転車台を発見できた事も報告した。
「良かったです!あの周辺、ちょっと前まで工事してましたから無くなっちゃうんじゃないかと心配してしまって…」
「いやいや。全然そんな気配なかったです。綺麗に残ってましたよ。」
「そうでしたか〜!でしたら良かったです!」
そして、列車の時間までようやく時間が迫ってきた。ここで、ようやく放棄していた(忘れていた)問題に切り込む。
 地元ならではの食事ありませんか?と。
 そうすると、案内所の方から
「倶知安駅付近にコープさっぽろがある」
と教えて頂き、その店に向かった。
 コープさっぽろ。北海道内のテレビをこの期間まで何回も見ていたので、CMで少しだけ認知していた。しかし思った事。
「コープと名乗っている以上、組合カードがないと買えないのではないだろうか?」
と。
 しかしそんな不安を抱きながらも、平成ノスタルジアな店舗の中でその気持ちを期待に昇華していく。一体どんな北海道が待っているのだろうか、と。
 しかしその場で発見したのは兵庫。そして京都でも発見したコープ商品が中心だった。しかしその中にも一部は北海道限定の商品があった。こうしたものを買えば良いのか、と自分で納得し、購入していく。
 この倶知安のコープさっぽろでは、ソースがけの豚丼とガラナを自分へのガソリン注入に購入した。
 しかし、この会計では
「組合員様」
と会計時に扱われるだけで、特に変化はなく普通に購入できた。どうやら北海道ではカードを入手すると組合員というクラスに昇格し、それ以外では普通に入店して普通に購入しての出入りが可能な場所になっているのかもしれない。少なくとも、自分内ではそんな認識を抱いた。
 会計レジは機械式になっていたし(コードはレジ係が通す)、その点は全国スーパーとの変化があまりなかったというか。
 そして、この倶知安の店をぐるっと見て回り、気がついた。肩の違和感に。今にも脱臼しそうなくらいに重い圧力を加えていた宿泊用の鞄がなくなっていたのだ。
「あ、忘れたな…?」
急いで戻る。

「あぁ、お兄さん、荷物忘れてましたよね…!」
「そうだそうだ、忘れてました…」
やりとりの末、どうにか回収。気付いて下さっていた事。そして、荷物が自分自身から消えていた事にしっかりとまず気付いていたのが倶知安の観光案内の人だったのがどうも情けなかった。このままだと、自分はそのまま何もない無一文状態から再開する事になってしまう…ので、どうにか取り返せて良かった。では、再び別れを告げて再開しよう。
 長万部に向かう列車に、ようやく乗車出来る事になった。一体何時間待ったのだろう。この旅でも屈指の待ち時間を体感し、北海道…ひいては、鉄道旅行の洗礼をいきなり浴びたのであった。

壮絶列車

 倶知安から長万部まで、最速の列車はコレしかなかった。他に高速バスなどがあれば利用してみたかった…ような気もするが、道内フリーの乗車券を持っている以上は鉄道を最優先にして移動していこう。
 として、再びH100形がホームに入線してきた。駅の端にも作業員…工事関係者らしき方々が多く控えており、撮影には少し自信を失う状況であったが列車を撮影。
 しかし、倶知安の駅に入場した時点から違和感?気になっていた事がある。乗客の数があまりにも多いのだ。
「ちょっとこれ、1両で捌く人数じゃないのでは?」
過ぎった疑問があったが、そんな事はお構いなしに1両で列車が入ってきた。
「おい待て。ってかこの1両の中に待機している大勢の乗客を詰める気か…よせっ!!!!」
まさか、先ほどの余市で下車した時間も含め函館本線の中では閑散とした時間を過ごすと思っていた自分。この列車の車中で、コープさっぽろで買った豚丼を駅弁のごとく食そうとしようとしていた自分。そんな期待は、早々に破壊された。
「え…通勤ラッシュでねぇの?」
あまりの乗客の人数に最初は乗車を拒否しようかと考えたが、更にこの街に滞在しても埒が開かないと判断し乗車した。
 中には訪日観光客の乗車もあり、ほとんどの乗客は観光系の輸送になっていた。せめて所定車両を弄ってこの列車だけでもキハ201系にしていただけないだろうか。

 そのまま、どれだけの道を進んだのだろうか。一体、どんな環境に自分は投じられていたのだろうか。コレだけはハッキリ記憶している。
 自分は観光ラッシュの中に投じられ、身動きが取れない車内の中で倶知安から長万部までの時間を過ごしていた事を。そして、自転車を漕いでいた事や朝から行動していた疲れも相まってこの列車で休息を取ろうとしたが、いかんせん人の多さで休める気配もしなかった。
 仕方なく、授業中に机に突っ伏す高校生のようにして疲れを取ったのだが姿勢は辛いまま、そして周囲の人間に気を遣っての長距離移動は自分の中でも中々のハードルであった。
 倶知安で待機した時間は、約3時間近くあった。その中で拾った列車は、グングン加速し山線を走っていく。比羅夫、ニセコ、昆布…途中、ニセコの駅には9600形機関車の姿が寝ぼけの眼に確認できた。

 実は、函館本線の山線をそのまま乗車して進んでいくとニセコ駅にも保存車がいる。そのうちの1つが、ニセコ駅の9600形機関車だ。(9643)かつてはサッポロビール庭園に保存されていたが、現在は移設されてこの場所にて保存されている状況のようである。
 そしてこのニセコ駅の前…近くには、キハ183系を改造した代表的なリゾート特急である『ニセコエクスプレス』の保存車もいるらしい。寝ぼけた眼で見えたのは蒸気機関車のテンダー程度だったが、次回の山線訪問では訪れたい場所だ。
 と、このまま進行していく。
 乗車している列車の車中には鉄道YouTuberも乗車しているようだ。乗車中の話している声が、微かではあるが耳を障ってくる。
 さっきから発達特有の現象に多く悩まされ、少し自分を責めたくなるが頑張って先の日程で笑えるようにしよう。そう感じながら、観光客で満載の列車の車中を過ごした。

 途中、この列車は黒松内で行き違いを実施する。この辺りまで来ると列車の数もかなり激減し両数も減っているようで、1両での走行はもう仕方がない現象だったのだろうか。
 写真は下車して撮影した対向の列車、倶知安行きだが自分以外にも撮影している人々が多かった。それだけ、観光客…非日常の乗客を乗せて移動している列車なのだろう。
 そう実感し、撮影後は車内に戻って長万部までの時間を再び過ごす事にした。長万部まで、あと少しだ。

決着?

 函館本線、山線の旅路が終了した。無事に長万部に到着し、観光客の多く乗車しているH100形の1両の列車から無事に解放された。
 そして、ここから本当の北海道の旅路が始まろうとしている。山に囲まれた線路は遂に終了し、ここからは海沿いを征く特急・貨物列車も混じる北海道の主要幹線を乗車し札幌の近郊を再び目指していくのだ。
 と、次の列車までは再び時間がある。それまで撮影と駅周辺での休息の時間を作ることにした。
 そしてここまででようやく山線(函館本線・小樽関係)の記事が終了です。皆さん長くついて来てくださりありがとうございました。
 しかし!まだここからなんです…

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