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「魔の25歳」を抜けた26歳独身が、結婚について思うこと

両親の25歳と私が描いた25歳、そして現実の25歳。

結婚について、一番身近なのは両親だと思う。

私の両親は小中学校を同じ場所で過ごし、19歳で付き合い、22歳で結婚、25歳で私を産んだ。”とんとん拍子”とは彼らのための言葉なんじゃないか。そう思えるほど、順風満帆。実際のところは知らないけれど。

だからなのか、私が結婚について未来予想図を描くときも、なんだかんだでスムーズに事が進むと思っていた。

大学もあるし22歳で結婚は早すぎるけど、25歳にはきっと結婚するか、もしくは結婚を考える人と一緒にいるのかな。27歳くらいで第一子を産めたら50歳くらいで子育てがひと段落つくよね。

そんな妄想を膨らませる、結婚どころか恋人もあまり現実味のなかった10代の私。25歳は大人であり、他人の人生に責任を持てる年齢なんだと思っていた。

そして、これはなんだか違うぞ?と思いはじめた20代前半。あれあれ?と思っているうちに、気づけば25歳になっていた。

25歳、母は私を産み、父は母と私を養っていた。正直信じられない。

今の私は、社会人になったものの年収は300万も満たない。自分ひとりを養うのに精いっぱいだ。車検や病気、なにか大きな出費があると財布が悲鳴を上げる。

他人と生きていく?自分自身すら満足に面倒見れてもいないのに?

家と車、そして「家族写真」の攻撃力。

いつからか、Instagramの投稿や旅行や飲み会や夜中の病みストーリーではなく、お子を中心とした温かくて微笑ましい家族写真が増えてきた。

あら、こないだ産まれたと思ったのにもうこんなに大きくなってる。もう離乳食になってる。もう立ってる。一番大きな子はもう年長さんで、ランドセルを選んでいた。

結婚式写真。

「子どもが生まれました」の報告写真。

初めての家族旅行写真。

ピカピカの大きな車の納車記念写真。

念願のマイホームの建築記念写真。

結婚、子ども、車、家。それぞれがライフステージを軽やかに上っている。

じゃあその間、いったい私はなにをしているのか。

仕事は好き。誇りもある。食事をすれば仕事の愚痴、通勤中も「仕事行きたくない」ツイート、仕事でいかに手を抜いたかを話す友人を見ながら、仕事を好きでいられる私はかなり希少種なのかもしれないとすら思う。

そして、時折、どうして責任もなく愚痴ばかり零す彼女の方が私よりも良い生活をしているんだろう、なんて最低なことを考える。今はここにいる必要性があるんだと、選んだのは自分なのに。

でも、夢と理想だけを見つめて、がむしゃらに頑張ることで現実から目を背けて、我に返ったときには夢は夢のまま、結婚や出産、家族、そういうものをなにひとつ得ず空っぽの自分だけが残ったら?ライフステージを蔑ろにするっていうのは、そういう可能性を抱え続けるということなんじゃない?

今までそんなこと考えもしなかったくせに。夢と結婚、この世界はどちらかしか選べないようになっているのかも。そんな思考がよぎって背中がぞわりとして、私はあわててInstagramを閉じる。

こういうときは寝るに限る。

おばあちゃんが現れた!効果は抜群だ!

ただの数字。されど数字。「25歳」という年齢に押しつぶされて自己嫌悪に陥るなか、追撃が来た。周囲からの、特に親族からのプレッシャーだ。

「誰か良い人はおらんとね」

にこにことほほ笑む祖母にそう言われたときの、あのどうしようもない虚無感と申し訳なさと言ったら…。

私はおばあちゃんっ子で、年齢を重ねてもそれは変わらなかった。たぶん、世間一般の祖母と孫よりは一緒に出掛ける頻度も高かったと思う。

彼女からしてみれば、自分の娘が22歳で嫁に行き、25で孫を産んだのだ。孫娘の人生の尺も、なんとなくそのくらいだろうと考えていたんだと思う。

ごめんねと謝る代わりに笑ってごまかす。

「よか指輪ね。誰からもらったとね」

それはね、おばあちゃん、自分のお金で買った安物だよ。

「ほら、○○の奥さん、この間ひ孫ば連れて来とらしたとよ。うちはひ孫はおらんもんね」

そうだね、初孫・長女の私以下いとこも全員、だれも結婚すらしてないものね。

悪意なく放たれるそれらを、私が迎撃できるわけがない。適当に話を濁すのが上手くなり、祖母とはあまり出掛けなくなった。

魔の25歳を抜けた先。

負のスパイラルに絡めとられていた私も、26歳になった。

ただの数字。されど数字。不思議なことに、25歳を終えるととても心が軽くなった。単純すぎる。

年末年始の親戚の集まりでは相変わらず「結婚は」「ひ孫はまだか」とやんわりと言われるが、素直な心で「私は恋人もいないし結婚の予定もないけれど、今を楽しく幸せに生きているよ」と伝えた。祖母は良かったねえとにこにこしていた。そういうことなんだと思う。

「25歳」「結婚」「子ども」

そういう言葉に勝手に雁字搦めになっていた私は、25歳の1年間で、結婚も出産も、自分の人生の幸福にとって絶対条件ではないことにようやく気づいた。

つまり、幸福のカタチはみんなそれぞれ違うんだな。そいうや、そんなことを小学校の道徳の授業で習ったな。

人生に必要な教訓はちゃんと幼少期に教わっていたのに、どうも私が忘れていただけらしい。

26歳独身恋人ナシ、晴れやかな気持ちで自分の幸福について考えたいと思う。

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