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タチコマの啓蒙的な言葉、メメント・モリ 「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘るな」


人は必ず死ぬ


タチコマは、アニメ『攻殻機動隊』に登場する人工知能を搭載した兵器。多脚戦車、または思考戦車とも呼ばれる。アニメ版ではタチコマとして定着しているが、マンガ版の第一巻、プレイステーション版ではフチコマの名称で登場していた。

『STAND ALONE COMPLEX』の第15話『機械たちの時間』ではタチコマが発言した、「おーっ、メメント・モリ~」とは、「死を想え」を意味するメメント・モリ(ラテン語: memento mori)のこと。その語源は、「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘るな」「死を忘ることなかれ」という警句。つまり「死を意識せよ」という意味だ。

タチコマの経験可能領域には「死」という概念が存在しないが、自我/個性が生まれることで生と死に興味を持ち始めた、というところが興味深い。

ストア派の「死の瞑想」

さらにもっと興味深いのは古典古代のストア派にとって、この考え方がコアとなっていること。「セネカの手紙」では死ぬことについて瞑想することの大切さが説かれている。同じくストア派のエピクテトスは、生徒たちに対して「常に家族がやがていつか死ぬことを日頃想い描き、その生きている時間に対して感謝するように」と教えている。

家族や大切な人の誰かが死ぬときのことを想えなんて、演技でもないと感じる人も、よくよく考えて見ればわかると思う。そんな日がくる前に心の準備をしておくことがいかに深淵で大切なことか。そしてさらに自分の死をも、いつか迎えることとして、神聖な気持ちで向き合うことも。

セネカは「勝利において人間の後ろに立って、彼らが死すべき存在であることを思い出させる人々」のように、自分の喜びを抑えて、自分が死すべき存在であることを自分自身に思い出させるべきである」と言ったのだ。そしてローマ皇帝のマルクス・アウレリウスは、メディテーション(彼の日記)の中で、「すべての死すべきものがいかに儚く、意味があるかを考えるのだ」と戒めている。

何度も死んで何度も生まれ変わる毎日

西洋だけではない。日本にもよく似た文化がある。

「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という『葉隠』の思想は有名な一文である。

死んで、また生まれ変わったつもりの新たな覚悟で物事を成す。自己に厳しい武闘家や起業家の思想にもこれに類するものがある。一度死んで戻ってきたかのように生きると、まったく新しい志で生きることができる。

私ごとで恐縮だが、2年前に、もう少しで死ぬという経験をした。奇跡的に命を助けられて、それからというものは、目の前の薄暗いベールが取り除かれたような気持ちで生きている。ただ生きているだけでよい。それ以外のことは二の次だという気持ちになる。

死を思うことの意味は深い。さらに詳しく知りたい人のためにはぜひ以下の本を参考にしていただきたい。読み放題プランで完全無料。

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