恩寵のひとつのかたちとして
村上春樹氏の『騎士団長殺し』の最終章、「恩寵のひとつのかたちとして」は長編の終わり方の一つとして、重みを持つ章だ。
主人公が一抹の事件とも言える経験を通じて、その内面を成長させていく、その叙述が美しい。数々の不思議なことに遭遇して、それをただありのままに受け止めるその淡々とした受容の様が、しんみりと読者に伝わってくる。
人は経験を通じて成長していくし、またそれは経験をすることなしに成長はありえない。そこには語られるべきことと、説明がつかないことがあって、その両方をうまく内側でバランスをとっていく過程が求められる。
一見無駄のように見えることや、遠回りのように思えることも、実は後になれば、不思議な運命の交錯の恩寵なのだと知ることがよくある。その時は気づかなくてもその嵐をくぐり抜けた後でそこに受け取る重みのある感覚。それを人は恩寵と呼ぶのだろう。
どんな不思議な事でも、どんな辛い事でも、その先には必ず何かがある。
そう思いたい。
そういえばアメリカの『シール』(S.E.A.L = 米国海軍の特殊部隊。厳しい訓練と卓越したスキルで有名)は、壮絶な訓練から成り立つ集団だけれど、彼らの大多数が「困難や辛い経験は必ず自分の肥やしになる」と信じている。
リサーチではこのS.E.A.Lのグループと、一般人との回答の結果を比較して論文が発表されたのだけれど、その結果の開きの大きさに驚いた。
困難や経験が『恩寵のひとつのかたちとして』自分を形作っていくと信じることができれば、人生はもっともっと面白いものになるだろう。
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