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親を見送るということは


詩人の伊藤比呂美さんはアメリカの人と再婚して、子供を連れてカリフォルニアに移住した。その時伊藤さんのお父さんは熊本に住んで一人暮らしをしていた。

一人っ子の伊藤さんは定期的に父と電話で話し、カリフォルニアと熊本を頻繁に往復しながら、超遠距離介護を続け、父親が亡くなるまでそれを果たした。その合間に日本で仕事をしながら、毎月半分ぐらいは熊本で父の世話をするという生活だ。

そんな父親との会話が綴られている伊藤さんの著書がある。野球や相撲、食べ物やテレビ番組などたわいない会話が出てくるのだけれど、その様子が、詩人・伊藤比呂美ならではの切り口で描かれている。

老いていく父には不安があり、様々な訴えがあり、忙しい娘への配慮や遠慮があり、親として娘を想う心がある。

父が娘にこんなことを言う。

「こんどあんたが来る時にはさ、早いうちにいつ来るって教えないでさ、
明日行くよ、って突然いうようにしてもらいたい。そうでないと待ってるのがばかに長くてしょうがない」

それは年老いて弱くなった父親の言葉で、伊藤さんの心を切なくさせた。

それでもちょっとした口喧嘩があったり、話が通じなかったり、不機嫌になったり、ヒステリーを起こしたりと、よくある光景が本の中に出てくるのだけれど、読んでいるうちに何だか死んだ母とわたしの関係を思い出してしまった。

今になれば、もっとよくしてあげればよかったと思う反面、あの時の自分にはああしかできなかったのだ、という想いもあって、複雑な気分になる。

伊藤比呂美さんの著書には、「親を見送るということは自分の成長の完了ではないかと」という一文があった。

成長の『完了』ではないにしても、一つの大きな節目になると感じた。

子供を産んで、その子供たちが独り立ちできるようになる頃には、たちまち死んでしまう動物たちの母親のストーリーをナショナルジオグラフィックスやBBCドキュメンタリーで見ると、とても切ない気持ちになる。

それは生きとし生けるもののある種の宿命であって、その前には頭を低くうなだれるしかないのだ。








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