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***澄みきった、強い心で生きていく、「武士的エートス」は過去の遺物か***


山田洋二監督の「たそがれ清兵衛」は忘れられない映画だ。日本映画の中で一番好きな作品といっても過言ではない。

主演は、真田広之。妻に先立たれ、二人の娘と老いた母と暮らす下級武士、井口清兵衛の生き方を描いている。清兵衛の幼なじみの朋枝を演じているのは、宮沢りえ。そして朗読は岸恵子。当時は小さかった清兵衛の娘が大人になってから、亡き父のことを振り返ってしのぶという語り口になっている。

美しい"宮沢りえ"もはまり役

この作品はアメリカの第76回アカデミー賞(2004年)外国語映画賞ノミネートをはじめとして、第26回日本アカデミー賞(2002年)では作品賞、主演男優&女優賞ほか12部門を獲得、第45回ブルーリボン賞(2003年)、第27回報知映画賞(2002年)、第76回キネマ旬報賞(2002年)など、この年の国内映画賞を総取りした作品。海外での題名は「The Twilight Samurai」。

清兵衛の生き方


家族のために酒の付き合いも全て断り、仕事が終わるとまっすぐ家に帰る清兵衛は、仲間うちからは、たそがれた男、「たそがれ清兵衛」と呼ばれて小馬鹿にされている。

けれども清兵衛にとっては、人が自分をどう思うかなど、どうでもいいことなのだ。彼にとっては日増しに大きくなる娘二人の成長が何よりも歓びであり、百姓のように作物を育てることが、自分にとって人としての生き方にかなっているのだった。

寺子屋で論語を習い始めた娘が、ある日こんなことを言う。
「お針を習って着物を縫えばお金になるけれど、学問してもお金にならないのに、どうして学問をする意味があるの?」

それに対して清兵衛はこう答える。
「確かにそうかもしれないが、学問は自分で考える力をつけてくれる。自分の頭で考えられる力をつけるために学問をするのだよ」。

啓発本では学べないことが小説で学べることを前回書いたように、ここでもこの物語は大切なことを私たちに教えてくれる。

清兵衛の哲学は、日常のちょっとした会話にもみられる。例えば、友人と魚釣りをしていて、その友人に発する言葉。

「お主は釣ろう釣ろうという気持ちが強いから魚に見破られてしまう」
的を得たセリフがさらりと使われている。


命がけの戦い

その清兵衛が藩の命令を受けて、腕の立つ一刀流の使い手、余吾善右衛門と命をかけての果し合いをすることになる。
なりゆきでそうなってしまったものの、清兵衛は覚悟を決めてその戦いに挑む。

武士的エートス

ネタバレのないようにここでは伏せるが、続きはぜひ映画をみてほしい。
清兵衛の生き方に、多くの人は胸が熱くなるだろう。

「精神的貴族主義」としての武士的エートスを語ったのは丸山眞男氏だが、そのまっすぐ、凛として美しく、自分の生き方を貫く武士的エートスとはどういうことなのか、この映画は教えてくれる。

ここで思い出すのは、「行蔵|《こうぞう》は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候」という勝海舟の言葉だ。

それは「出処と進退は自分が決めること、悪口と称賛は他人の主張で、私には関係のないこと」といった意味になる。


締めくくりが美しい


最後には岸恵子が父の墓を訪れるシーンで岸恵子のナレーションが入る。

「明治の時代になって、清兵衛の同僚たちの中には、たいそう立派に出世した人たちも多くあったけれども、そしてその人たちは清平のことを風な奴だと言うけれども私はそうは思いません。出世などに興味がなく2人の娘を育てあげることにだけ心を入れそしてそんな父にのことを私は誇りに思っているのでございます」と言う彼女の言葉が胸に響く。

生きるとは何なのか、節とは何なのかと私たちに考えさせる余韻を残しながら。








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