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小説「弦月湯からこんにちは」第9話(全15話)


これまでのお話


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第9話


「彫刻家としてスペインに国費留学していた祖父は、スペイン各地を回るうちにバルセロナでガウディの彫刻に出会いました。サグラダ・ファミリアは勿論なのですが、祖父が特に心惹かれたのがグエル公園でした。自然と調和した色鮮やかで自由なガウディの彫刻と、その空間で笑顔で過ごす人々の姿を見て、祖父はいたく感銘を受けたと言っていました。自分もこんな風に、人々の暮らしに溶け込んだ芸術作品を生み出しながら、人々の営みの中で生きていきたい。そう願うようになったと、幼い私に幾度となく語ってくれました」

 珈琲を淹れてくれたいずみさんは、弦月湯を作られたお祖父様のことを話し始めた。「ちょっと待ってくださいね」と言ったいずみさんが持ってきてくれたものは、数冊の古びたスケッチブックだった。

「これは?」
「祖父、弦二郎がスペインに留学していた時に書き溜めていたスケッチブックです。よろしければご覧ください」

 いずみさんの言葉に促されてスケッチブックを開くと、そこには極彩色の世界が広がっていた。「グエル公園にて」とメモ書きが残されたページでは、背中の青いトカゲが木々の緑と共に力強く描かれている。ページをめくるうちに「暮らしの中の藝術」「人々の暮らしと共に」などの走り書きが見られるようになり、カフェで語らう老夫婦や、オレンジを手に持って笑う子供の顔などのスケッチが増えてくる。思わず笑顔が浮かぶ。

「祖父の時代は、弦月湯は『若月湯』って名前だったんです。もともと江戸時代の終わりから続く湯屋だったのですが、大正時代に祖父の父、私の曽祖父がこの建物を作り、近代的な銭湯への第一歩を踏み出しました。けれど、祖父の弦二郎は家業を継ぐのが嫌で、美術の道を目指しました。彫刻家として将来を嘱望されるようになりましたが、国費で留学した先のスペインでグエル公園と出会い、その後の歩む道は大きく変わりました。留学を終えて帰ってくると、曽祖父が病に倒れます。芸術か、家業かという岐路に立った弦二郎は、自分で作る第三の道を歩むことを選びました。それが、若月湯を改装して、新しく『弦月湯』に生まれ変わらせるという道でした」
「それでは、お祖父様がこの内装を?」

 いずみさんは頷いた。

「帰国後、弦二郎は民藝の思想にも影響を受け、独自の世界観を深めていきました。弦月湯のデザインにあたっても、自分の愛するガウディやスペインの文化を紹介したいという気持ちと、日本文化へのオマージュ、そしてそれらは暮らしの中で潤沢に享受されるべきだという考えを持って、最先端の芸術を日常に溶け込ませられるように考えながら作っていったと聞きました」
「それでいずみさんも、スペインに興味を持たれるようになったんですね」
「そうですね。私は二代目だった両親を事故で早くに亡くし、祖父と祖母に育てられたのですが、いつの間にか弦月湯を継ぐことは自分にとって当たり前のことになっていました。だからスペインの文化を学びたいと、幼い頃から自然と考えていたように思います」
「……そうでらしたんですね」

 ご両親を事故で亡くし、育ての親のお祖父様とお祖母様を見送られて、いずみさんはどんな気持ちで毎日を過ごしてこられたのだろう。それを考えると、胸がきゅっと締め付けられた。ああ、でも、暦くんがいた。暦くんが、いずみさんのそばにいてくれたんだった。

「暦くんがこちらにいらしたのは、大学に入ってからのことですか?」
「暦は、高校時代からここで暮らしています。美術の道に進みたいと暦が言い出した時、晩年の祖父はたいへん喜んでいました。デッサンの基礎なども教えていたようですよ」

 暦くんの才能や美的感覚はお祖父様譲りのものなのかと得心した。その時、ふと、なにか心のなかでひらめくものを感じた。スペインの文化と歴史、そして言葉の専門家であるいずみさん。美術の道に進み、今はデザイナーとして仕事をする暦くん。今の弦月湯に暮らすこのふたりの才能と技術、そしてなにより弦二郎さんの思いをかけ合わせて、世の中に発信して何かのきっかけを作っていくことが出来るのではないだろうか。

「いずみさん、弦月湯のホームページとかSNSとかってありますか」
「いえ……私はそういったことは、まったく疎くて」
「オッケーです。ちょっといろいろ調べてみますね」

 そして私はGoogleの画面を開き、東京都内の銭湯を検索しはじめた。いろいろある。まずは、「東京銭湯」と題されたサイトをブックマークする。東京都浴場組合のホームページだ。それから、SNSの検索でヒットした銭湯を検索していく。高円寺の小杉湯。鶯谷の萩の湯。南青山の清水湯。この近くだと、隣町の駒込に殿上湯という銭湯もあったみたい。

 近所だったということで気になって、まずは殿上湯のホームページをじっくり眺める。フォトギャラリーのページを開いてみると、お風呂場でピアノや太鼓のコンサートを開催していたり、敷地内の庭で「珈琲牛乳フェス」という催しを開いていた様子が記録されていた。集まった人々の笑顔が眩しい。胸が温かくなる。

 そして銭湯に疎かった私でも名前を知っており、SNSで投稿を見かけたこともあった小杉湯のホームページに飛ぶ。高円寺の街にしっとりと溶け込んだ銭湯。けれど、様々に先鋭的な取り組みをしてきたことでも知られている。ホームページの「ケの日のハレ」という言葉に共感を覚え、頭の中にメモをする。「小杉湯となり」という施設もあるようだ。会員制の、飲食もできるシェアスペース。いまはツァイトウイルスで利用を制限しているみたいだけど、この取り組みは非常に参考になる。

 殿上湯にせよ、小杉湯にせよ、地域に溶け込み愛されてきたことがわかる。しっかりとした信頼の地盤の上で、新しい取り組みをしている。では、弦月湯にその公式を当てはめるためには?

「いずみさん、なにか紙ありますか。あと、書くもの」
「ちょっと待っててください」

 いずみさんは、FAXのところに行くとA4のコピー用紙を何枚か持ってきてくれた。それと2Bの鉛筆も。ありがたい。

「2Bの鉛筆、ありがたいです」
「考え事をするときは柔らかい鉛筆の方がいいと、祖父が常々言っていたもので」
「そうなんですよね。私もそうです。ありがとうございます」

 そう、もとの会社ではいつも月光荘のスケッチブックと8Bの鉛筆を使って、頭の中のラフ画を書いていた。大きな企画を動かす時には、いきなりワードやパワポで綺麗な絵を作ろうとしてはいけない。まずは設計図をつくっていくのが大事な、欠かすことの出来ない工程だ。企画本部にいた時も、大きな案件を抱えていた時は午前中はスケッチブックに思考を書き出して、午後になってからパソコンでアウトプットしていくというのがいつものやり方だった。

 手を動かしながら、思考が化学反応を起こしていくのを待つ。書き込まれた単語がカギとなって、次の思考の扉を開いていく。スペイン、ガウディ、グエル公園。彫刻家・若月弦二郎。弦月湯の床のタイル、ステンドグラス。『血の婚礼』を読んでいたいずみさん。暦くんのマグカップ。そして、私自身も少なからず学んできたスペインの食文化。企業の中で学んできた技術、知見。なにができる。なにができる。問い掛けながら、手を動かし続ける。なにかできる。なにかできるはずだ。

 何枚かの紙が真っ黒になり、考えが立ち上がり動き始めた時には、空が白み、鳥の声が聞こえていた。頭を上げると、いずみさんがじっと私を見つめている。私は口を開いた。

「いずみさん、弦月湯を守っていくためには暦くんの協力も欠かせません」

 いずみさんは、小さく頷いた。

「もしよければ、暦くんを起こしてきてもらってもいいですか。午後までに、やれることをやっておきたいんです」
「わかりました。ありがとうございます」
「こちらこそ」

 いずみさんの軽い足音が廊下を遠ざかっていく。私は書き上げたばかりの思考の設計図を眺めた。今度こそ、この居場所を守ってみせる。弦二郎さんのために。いずみさんのために。暦くんのために。そして、他でもない自分自身のために。

 設計図を持つ指に、力がこもった。




(つづく)



つづきのお話


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