マガジンのカバー画像

1989年100日間世界旅行記

101
1989年4月6日からの100日間の旅行を、2020年の同日朝7時に投稿します。
運営しているクリエイター

#旧ソ連

【1989年100日旅】20日目。モスクワ

20日目。一人でモスクワ大学の寮の中庭に出ると、前日遊んだ「おもちゃのからす」君だけがいて…

FelixSayaka
4年前
9

【1989年100日旅】27日目。モスクワ

1989年5月2日。旅は27日目。バレエを見に母と二人でボリショイ劇場へ。劇場はロビーから華やい…

FelixSayaka
4年前
9

【1989年100日旅】32日目。モスクワ

1989年5月7日は旅の32日目。この日は日曜日。当時のモスクワ日本人学校は日本の祝祭日とソ連の…

FelixSayaka
4年前
4

【1989年100日旅】33日目。モスクワ

1989年5月8日は33日目。翌日の5月9日はソ連の戦勝記念日で休日なので、学校の後、父の友人オレ…

FelixSayaka
4年前
6

【1989年100日旅】34日目。モスクワ

1989年の今日は旅の34日目。オレーグさんのダーチャは3LDKと離れにトイレ、別の離れに1部屋と…

FelixSayaka
4年前
6

【1989年100日旅】35日目。モスクワ

1989年5月10日、旅は35日目。夜、モスクワ大の寮の父の部屋に「電気屋ボリス」と呼ばれるロシ…

FelixSayaka
4年前
4

【1989年100日旅】36日目。モスクワ

1989年5月11日、旅は36日目。学校の遠足で公園へ。新緑と陽光が楽しい。洗い晒しのような紺色の服を着たアジア系の人が近づいてきて、中国人かと聞かれた。日本人だと伝えると、寂しそうな顔をした。今考えると母国語で話したかったのだろう。 昼食時、担任の先生が貴重な梅干にうれしくなり、顔をしわくちゃにして「すっぱ〜」と叫んだ。通りがかったロシア人が怪訝な顔を見るので、先生は「オーチンフクースナ(おいしい)」と笑って釈明。カザフスタン人、ウズベクスタン人などもいたので、モスクワに

【1989年100日旅】37日目。モスクワ

1989年5月12日は旅の37日目。妹は友人宅へお泊まり、父はミンスク、母と弟は知人と出かけてし…

FelixSayaka
4年前
4

【1989年100日旅】38日目。モスクワ

1989年5月13日、旅は38日目。土曜日。放課後、父の知人のミーシャとカーチャという日本語勉強…

FelixSayaka
4年前
3

【1989年100日旅】39日目。モスクワ

1989年5月14日、旅は39日目。妹の友達と、そのお父さんとピカピカの黒い車でお出かけ。当時の…

FelixSayaka
4年前
5

【1989年100日旅】40日目。モスクワ

1989年5月15日、旅は40日目。父の知人のロシア人医師の家へ。ランチに招待されたのだけれど、…

FelixSayaka
4年前
6

【1989年100日旅】41日目。モスクワ

1989年5月16日、41日目。夜の10時頃になってもモスクワ大の寮の部屋に妹が戻ってこない。まだ…

FelixSayaka
4年前
4

【1989年100日旅】42日目。モスクワ

1989年5月17日、42日目。父の知人の在露日本大使館の方々と夕食。宮殿のような店でロシア料理…

FelixSayaka
4年前
3

【1989年100日旅】43日目。モスクワ

1989年5月18日、43日目。学校で、急に先生が私だけに作文を書くように言う。目的を説明されたけれど想像がつかず、オレーグさんとスベータさんのダーチャに行ったことを適当に書く。「楽しかったです」で書き終える、典型的なダメな作文。書き終わった頃に、先生が規定枚数はもう一枚多かったと言い出す。何でもいいというのでものすっごい適当な、作文と一切関係ないイラストで埋める。 帰国後、文集が送られてきた。私のはないのだろうと思ったけれど、載っていた。それが、この日に適当に書いたダーチ