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【1989年100日旅】34日目。モスクワ
1989年の今日は旅の34日目。オレーグさんのダーチャは3LDKと離れにトイレ、別の離れに1部屋と洗面所がある作り。変わった作りだったのが気に入ったのか、日記には間取り図が書いてある。リビングにあたる部屋にはペーチカ(暖炉)があり、雪降る日に使ったら、さぞ綺麗だろうと思った。ダーチャの近くには井戸があり、飲み水はそこで汲む。水は冷たくおいしかった。
オレーグさんは合気道の先生だったので、護身術にもなる合気道の技を教えてもらった。教え方がうまく、私が軽く技をかけるとコロンコロンとかかって「オーチンハラショー(とてもいいです)!」と褒めてくれるので、得意になった。この日はロシアの戦勝記念日だったので、夜には花火があがった。
後で知ったことだけれど、オレーグさんの妻スベータさんは非常に優秀な理系の研究者で、ソ連政府は彼女が亡命しないように高待遇を与えつつ、監視をしていたそうだ。1988年にピアニストのブーニンは西ドイツに亡命したけれど、優秀な人が西側諸国に亡命してしまうことが少なくない時代だった。
こんな感じの34日目。旅は残り66日。
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