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【後編】顔面が麻痺したーこころ編

先月から患っている顔面神経麻痺ですが、結果的に生き方を根底から覆されるような体験となりました。

人智を超えた力の存在も感じ、
これによって「強くならなくていい」「降ってくる災難を乗り越え続けるだけでいい」と思えるようになったのは、大きな財産でした。

ADHDらしい働き方とは

顔面神経麻痺を引き起こした主因は、心身を酷使し過ぎたストレスだったのですが、この半年間、徹夜を繰り返していたといっても、毎日24時間必死で取り組んでいたのかというと、実情は全く違いました。

典型的ADHDで集中が出来ない上に、悪い意味の完璧主義者のため、なかなかとりかかれず、普段の制作時間はよくて1日2、3時間のみ。

ひどいときは10分、15分というときもあり、少しとりかかっては自信がなくなってすぐに放り出し、アイデアを得るためと、歩き回ったり雑誌をみたりネットをみたりしていました。

しかし締め切りの直前になると、焦りとともにはじめてエンジンがかかり、そうなると今度は急に覚醒してしまい、睡眠3時間くらいの日々のあと、最後の2、3日は寝ずにアトリエに籠ってぶっ通しでひたすら作業、作業、作業。

「ダイヤモンドも超圧縮して生まれるし、ものづくりってこういうもんだ」

そう開き直っていたのですが、病気になってしまった以上、このようなやり方を今後はもうできません。

思い返すと、締め切り直前の覚醒徹夜モードに入ると、体の辛さに反比例して「自分も頑張れる人間だったんだ」とどこかで安堵と快感を感じていた気がします。

まだ心のどこかに「自分は甘えているのでは」「もっと”ちゃんと“やらないと」という呪縛が残ってしまっていたのでしょう。

今後は、日々地道に進めていけるようになる必要がありますが、

なにより一番大事なのは、「自分のやり方はこうなんだ」ということを、自らが受け入れていくことなのだと感じています。

睡眠不足はもっとも身体的にも社会的にも害があると言われるので、まずは睡眠時間をきちんと確保する。

そして冷静に自分がこなせる量を判断し、余裕のあるスケジュールを組み、時間的に無理のあるものはきちんと失礼のないようにお断りする。

1日の人間の集中力は、実は4時間ほどしかないという研究結果も出ているようですが、

そう考えると2、3時間でも集中して制作できれば、平均よりも少ないけれどADHD人間には十分なのかもしれません。

自分を含め、ADHDの方は「本当はもっとやらなきゃいけないのに、自分は甘えているかも」という自責の念や自罰感情に苛まれる傾向があります。

ただ、体の声に耳を傾けずに、精神力だけで突っ走ったあげく倒れてしまう傾向があることを考えると、むしろ積極的に「甘やかそう」という方向にシフトするくらいでちょうどよいのかもしれません。


今、体に鞭を打たれている方へ

心身を酷使すると、こんな風に恐ろしいことになってしまいます。

今回私は治る見込みが出ましたが、一生治らない可能性、そしてもっと大きな病気に罹ってしまう可能性もありました。

以前、ストレスもマインドセットによっては良いものになると書きましたが、もちろん程度があります。私はそれを間違えました。

発病した当初、Facebookに私が顔面神経麻痺になってしまったことを投稿したところ、たくさんの方から「私もなった」「身内や知り合いがなった」ということを教えていただき、意外にこれがとてもポピュラーな病気であったことに驚きました。

もっと大変な病気で闘われている方もたくさんいらっしゃいますし、もしかしたら、大袈裟だと受け取られることもあるかもしれません。

でも実際顔面が麻痺するというのは、やはり大変なことです。

死ぬ直前に後悔しないか?

どん底にいた時、動かない顔面を抱えて、「なんのために私はあんなに心身を酷使していたんだっけ」と自問し続けました。

終末医療の現場でたくさんの方の最期を看取った方が書かれた、「死の床で誰もが口にする後悔」についての本があるようですが、それにも照らし合わせて、私も何度も何度も考えました。

確かに私は人生の次のステージに進みたかった。

でもだからといって、健康を犠牲にしても追い求めたいものだったかというとそれは絶対に違う。

スティーブ・ジョブスがスタンフォード大学の卒業式で行った伝説のスピーチの、

もし今日が最後の日なら、今からやろうとしていたことをするだろうか

という言葉もありますが、

これを続けて、死ぬ直前に後悔しないか

今後は、常にそう自分に問いかけ続けていこうと決心しました。


笑顔を奪われた意味

しかし、この体験を今することが必要だったのだと、心の余裕が出てきた現在は感じています。

私はシリコンバレーの合宿での内観を経て、自分の使命を「苦しんでいる人の心のマイナスをゼロにする」ことだとぼんやりと感じていました。

しかし合宿の仲間たちは、今をときめく「ゼロからプラスにする」「プラスをさらにプラスにする」素敵な起業家メンバーばかり。

その中で、私は自分のミッションが消極的すぎるのだろうかと感じていました。

でもこの病気を経て、やはりこれこそが自分の使命なのだと確信しました。

思い起こせば、小さい頃から自分は人生の語り部になる、となんとなく感じていました。

育った環境や発達障害、あらゆる規格外で劣性遺伝的な身体的特徴、次から次に降ってくる障害物のような出来事。

それでも結果的に自殺衝動から逃れられていたのは、「これは行く行く語るネタを増やすために必要なことなんだ」とどこかで感じていたからでした。


そして今回「笑顔を奪われた」のは、ある意味自分にとっては象徴的な出来事でした。

アダルトチルドレンとして愛情に常に飢えていた小さい頃の私は、今思えば「放置子」のような子供でした。

優しくしてくれそうな人がいると、ずっと張り付いて、通い詰めて、「もっと愛情をください」と底なしに請求する。

でもそうまでしても、邪険にする人がいなかったのは、私の笑顔が人を警戒させたり嫌な気持ちにしたりしないからではないかと感じていました。

と同時に、神様のような存在に「笑顔だけは武器として持たせてやるから、それでなんとか生きのびてこい」と言われてこの世にぽーんと放り出されていたような気もしていました。

それなのに、ここにきてはじめてその武器を奪われた。

もしかしたら、「もう自分で新しい武器を作りなさい」とか、「もう頼る必要はないだろう」という意味だったのかもしれません。

または単に「笑顔でいられることの大事さを忘れているようだから、思い出しなさい」という意味だったのかもしれません。

答えはまだ見えていませんが、今回笑顔を奪われたことで、生き方が根底から変わるような新しい気づきを得ることはできました。

ただ降ってくる障害物を乗り越えるだけ

私はこのところ、「何からも縛られないような強い人間になって、自分らしい、ハッピーな日々を送らなくては」という思いに、とらわれすぎていたような感じがしています。

でも、この病気になり、確かに自分の心身の酷使が引き起こした自業自得なことではあるけれど、

前述のように、自分の力を遥かに超えた存在に、人生を設定されているような感覚を覚えました。

もしかしたら、これからの私はただ、突然降ってくる障害物を必死で乗り越えるだけでいいのかもしれない。

その体験を語るでもよし、あがきながら乗り越えているこの姿をどなたかに見ていただくでもよし。

でも、これこそが、そしてこれだけが、この世での私の仕事なのかもしれないと。

決して悲観的な意味ではなく、そう気がついてからは、逆に不思議と大きな安堵が私を包むようにやってきました。

これからもきっと、時々障害物が降ってきては、その度に私は落ち込んだり、苦しんだり、怒ったり、失望したりすることでしょう。

でも、それこそが私の自然な姿であって、何にも動じない強い人間になる必要もない。毎度右往左往するような、このままの人間でいい。

人の目はまだ気になるし、気を使いすぎる人間でもありますが、今は積極的に恥をかけるようにもなったし、自分の欲望をちゃんと掘り出して表現できるようになったので、もう十分。

まあ私だって安穏な毎日だけを過ごしたいですが、そうは行かないのが人生です。

「もう障害物が降ってきませんように」と願って守りに入るのではなく、降ってきたら観念して、「今度はそう来たか、やれやれ」というくらいに受け取めて対処していこうと思っています。

私たちの「後世への最大遺物」

さて、このようなことは、スピリチュアルじみた話と受け取られるかもしれませんが、それはどうでもよいと思っています。

急に壮大な話になりますが、宇宙が、地球が誕生してから脈々と続いている生命のリレーの中で、私たちの人生はほんの一瞬のフラッシュの閃光のようなものです。

私たちは単なる遺伝子の乗り物にすぎないという利己的遺伝子の話もありますが、その生命の流れをぶった切って、

「自分とは」「どう生きるべきなのか」ばかりを掘り下げて苦しくなっているのなら、

とりあえず目の前に時々ふってくる障害物を乗り越えることだけを考えて、命のバトンを次に繋げさせすればいいのかもしれません。

(といっても子供を産まないとと考える必要もないと思います。実際に私も産む予定はありません)。

内村鑑三の言葉に、下記のようなものがあります。(勝手に略しています)

「人間が後世に遺せる、利益ばかりあって害のない最大の遺物、それは勇ましい高尚なる生涯である

「この世の中はけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずること、

失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずること、

この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、

その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります

その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。」

必死に生きていただけで、目の前の障害物を乗り越えていただけで、人知れずその姿が誰かを励ましていたということが、よくあります。

自分探しで苦しくなってしまったときには、

一旦、「ただ障害物を乗り越えるだけでいい」、

さらには「ただ生きてるだけでいい」と肩の力を抜いてみてみるのはいかがでしょう。

その姿が、その背中が、すでにそのまま「後世への最大遺物」になっているのかもしれません。


一人では生きていけない

最後に。

発症してから、たくさんの方があらゆる手段で物理的にも環境的にもサポートしてくださり、絶望して泣いた回数をはるかに超えて感動して泣きました。

初日の病院のMRI検査の際には、閉所恐怖症でよりも、たくさんの方にかけてもらった温かい言葉を思い出して、止まらない涙と鼻水(汚くてすみません)で窒息して死ぬんじゃないかと、思わず心配したほどでした。

一番辛かった時期は、物理的には一人でしたが、たくさんの方が一緒にいてくださっているのを感じていました。

どうしてここまでよくしてくださるのか、どう恩返しをしてよいのか、正直なところ見当もつきません。

このまま無事にこの顔面神経麻痺が完治するのであれば、むしろプラスになってしまうことばかりで、そんなことが許されてよいのだろうかとも感じます。

本当に有難いという、感謝の念しかありません。


長い間、私は自分の人生を呪い、人を憎んで疑って「一人でいるのが一番だ」と思って生きてきました。

でも、もう完全にそのような感情は氷解しました。

この病気は一人では乗り越えることができませんでした。

強くならなければという思いもなくなった今、

肩肘をはるのはもうやめて、弱々しい私のままで、

時々は「助けてください」と、人に身を預けて頼ってみようと思います。


とんでもない結論ですが、「新生 弱々しい澤奈緒」を、どうぞよろしくお願いいたします。

まだ最初の方しか読めていないのですが、闘病中、以前イベントでご一緒させていただいたスティーヴン・マーフィ重松さんのこちらの本も読んでいました。

「ヴァルネラビリティ」に関する話の、特にアメフト選手に関するくだりは、心身ともに弱り切った自身と重ねて大泣きしました。

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