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2023年に続く大冒険の振り返り②

年明けから悲しい事件が続く2024年。被災地の方の安否とともに一刻も早い復興を願うばかりです。


本日は前回お話したようにチーズについて学びたいと思い、2022年から2023年にかけて行なったフランス留学のことについてお話しようと思います。

私が滞在したのはフランスのリヨン。フランス第二の都市といわれている街です。
到着してすぐは長時間フライトと乗り継ぎでの疲れ、空港や飛行機の寒さで風邪をひき大変でした。語学学校に加え、日本のようにすんなりとはいかない銀行開設や住宅、携帯の契約のことでも住み始めの頃はばたばたしていた気がします。

困難はありつつも、念願の夢のフランス留学は全てのことにわくわくしたことを今でも覚えています。教会の鐘の音が聞こえてくること、夏の日が長いこと、道行く人々がバケットを抱えて歩く光景、様々な場所でマルシェが行われていること、、そんなフランスでは当たり前の光景が私にとっては新鮮で、こうした環境で暮らせていることに幸せを噛み締めました。
フランス語はほぼ0の状態で渡仏した私。そんな自分でしたが、先生方が熱心に指導してくださったお陰で学校も勉強も楽しく過ごすことができました。


実は私は体のことで治療中の部分があり、体調のことでも留学に行くか何度も悩みました。一度は断念しかけた留学でしたが、美しいリヨンの街を眺める度に諦めずにきてよかったと心から思ったことを思い出します。

暮らす環境が整ってからは、暇を見つけてはフランスの各地に足を伸ばし、チーズの生産地や工場、チーズの会社や牧場などの見学などに。

チーズのレッスンに参加もしました。

一つ一つが学び多いことに加え、素晴らしいご縁に恵まれた経験でした。

私がなぜ、語学力0で日本でもフランスにきたかというと、まずそもそも日本にもシンガポールにはチーズを本格的に学ぶ場がなかったことがあります。日本に一つだけチーズ留学を扱っている会社がありますが、問い合わせをしたところ、フランス語がむこうの学校に入れるレベル(Delf B2)に達していない人は問い合わせも受け付けられないと言われました。その後、Delf B2を持っている知り合いの方が代理で連絡をしてくれましたが、本人がコンタクトをしなくてはいけないという理由でお問い合わせは却下されました。


シンガポール在住の頃からも著名なチーズ職人や熟成士さん、チーズの会社や専門店、牧場などあらゆる場所にメールや手紙を送り(50通以上。笑)情報を探していた私でしたが、そちらも待てど暮らせど返信は帰ってきませんでした。

そのため、当初まずは語学学校でフランス語能力を身につけ、その後入りたいチーズの学校に入学申請をして入学、卒業後に何かチーズに関わる仕事をするというのが私の計画でした。

そこでまずはあらゆるチーズに関わる場所や人のいる場所に行き、情報を伺うことや自分の目で見てチーズについて学びを得ようと考え、時間を見つけてはチーズを探す旅に出かけたのでした。

今日はここまでで続きは次回。

実は新しい年が明けるとともに自分も一つ歳をとりました。心機一転、日々精進するとともに、健康で暮らせることにより一層感謝をしようと感じた2024年の始まりでした。

皆様、今日もよい一日をお過ごしください。

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