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【1000本ノック】善人はなかなかいない【番外編】
筑摩書房で「ちくま1000本ノック」企画として紹介された本を、
出来る限り読んでみる。
企画で紹介されている本を1冊目から調べたのだが、
1冊目の本が近隣図書館にはなかった。(若干、出鼻を挫かれた…)
紹介されているのはこの本。
フラナリー・オコナー 存在することの習慣ーフラナリー・オコナー書簡集
書簡集ということで物語ではなさそうなのだが、著者は主に短編を中心に活躍した作家ということがわかった。
フラナリー・オコナーの本を1冊も読んだことがなかったので、図書館にある短編集を読むことにした。
読んだのはこちら。
5編全て、バッドエンド。強烈な残忍さで終わる。
フラナリー・オコナーの作品は、全てこういった心をえぐるタイプの物語なのだろうか・・・。
開始数分で、読み進めない方が良い、と思った
1つ目の短編「善人はなかなかいない」。
読んでいる最中に「あ、読み進めないほうがいいかも」と気付いたにもかかわらず、読まずにはいられなかった。私の中の何かに駆り立てられるまま、読み進めてしまった。
読まずにはいられなかった。
それがなぜなのかがわかるまでに、5編の作品を要した。
つまり、読了した。
自己防衛のために(見たり聞いたりした内容に気分を引っ張られやすいので)、バッドエンドや残酷な話は、小説含め映画などの映像作品もあまり見ないようにしているのだが、この短編は全て読み切ってしまったのだ。
誰もが持つ欲望の行方
読了後に感じたのは後味の悪さではなく、妙な清々しさだった。
これは、いつか未来の、もしかしたら前世の自分の姿なのかもしれない、と。
物語や小説の登場人物は、善人であることが多い。架空の物語の中で、幸せを感じたりする。しかし現実は果たして、善人ばかりだろうか?
誰もが負の感情を抱え、それが漏れないように善良な市民の顔をして生活をしている。だが、何かのきっかけでそれが外に漏れたら、人生はそれまでの平穏さを失い、悲劇のように転落する。感情を漏らしてしまった人も、その周辺の人間も。
今の自分がこうなっていないだけで、人生はどちらに転ぶ可能性を含んでいる。
やはり、読むべきではなかったかもしれない。
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