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ロンドンの街頭でチラシ配りをすると悟りが開ける

現金が20ペンスくらいになってからわたしは初めて自分の残酷な状況に気づいた。
友人宅に遊びに行くバス代すら持っていないこの身を、家の片隅に転がっていたオンボロのチャリに乗せて慣れない道を走り出すと雨、容赦ない雨にさらに自転車のブレーキが壊れているしタイヤも空気が入っていないことに気づく。
グーグルマップ的には15分で着く予定の道のりをほとんど一時間かけて友人宅へ到着、明日のギグに向けてDJの特訓を行いながらもわたしの頭の中は明日からの生活についての不安で満載であった。

とにかく現金現金現金をゲットしなくてはならない。
冷蔵庫には年代物のキャベツが転がっているばかりなり。

日雇いの仕事が転がっているFacebookのページを開くと、ちょうど「ストリートでのチラシ配り 9-1am Sounth London 時給12.5£」との投稿を発見し即連絡、わたしは急いでもどうにもならないオンボロチャリを漕いで家路につき、セーター3枚、ヒートテック重ね重ね靴下も重ねてユニクロありがとう超あったかいとユニクロへの愛を持て余しながら地下鉄に乗って1時間ほどのそのナイトクラブに到着した。

そこはBrixtonという南ロンドンの渋谷といった若者とホームレスとなんかいろんな人々が入り混じった混沌とした駅で、雨の金曜日だというのにストリートはカラフルな人々で満載であった。

駅から歩いて5分くらいのところにあるそのパブは床がビールの歴史で粘着し歩くたびにその歴史を感じるような、そして人々の声量が完全にパワフル、バーテンダーはもれなくタトゥー入りのネトネトしたパブで、完全に着膨れしたすっぴんのわたしは場違いの賜物であった。

9時からのチラシ配りしに来たんですけど、とドレッドに眼光の鋭いむきむきの姉ちゃんバーテンダーに聞くと、なにそれ?といった風にあしらわれ、なにそれっていうかこのジェフっていう人と連絡とってんです、というと彼女はあーじゃあそこで待っててと適当なパイプ椅子を示した。
私は盛り上がるパブの片隅でマフラーをしっかりと首に巻きつけてふっくらと仕上がったモコモコ人形と化しながらもしばし待つ。
店内はアークティクモンキーズやオアシスがガサガサのスピーカーで爆音であり、きっとここに集う声量のある人々は皆わたしと同年代なんだろうなと思った。

待てど暮らせどその「ジェフ」なる人物は現れず、帰りの交通費すらおぼつかないわたしはだんだん脇に妙な汗をかき初めていることに気づく。

心のやさしいおじいちゃんルームメイトロジャーがなにも言わずに渡してくれた5ポンドでわたしはここまでやって来たのである。

このままトンボ帰りすることだけは絶対にできないのである、っていうかだんだんはらわたが煮えくり状態になってきた。

するとむきむきドレッドバーテンダーがわたしにチラシ配り経験あるの?と聞いてきた。ないです。と答えると、じゃあ仕事はあげられない、代わりにビールあげるとおっしゃっている。ばか言ってんじゃないこんな状況でモコモコのままビール飲んで楽しいやったねーってなるほどわたしは陽気に出来上がっておりませんよ、なに言ってんですか仕事くれそのためにここまで来たんだからとわたしは引き下がらなかった。

するとドレッドバーテンダーは他のバーテンダーにあの中国人英語わからないしいつまでも帰んないんだけどと言っているのが聞こえた、
ああわたしの血液が急速に動き始めているのを感じる。

携帯の電池が切れかけのわたしは携帯をチャージしながらインスタグラムにいそしむブロンドギャルたちにその充電器を貸してくれまじで緊急事態だからと詰め寄る、すると彼女たちは怯えた表情でわたしにチャージャーをそっと手渡してくれた。
ありがとうごめんよとわたしはそのジェフなる人物に鬼電をかける、鬼電という言葉を久々に使ったがまじで鬼電をかけた。

すると背後からゴメンゴメン!といった陽気な声色のオッサンが現れた、プロフィール写真にプラス30年したらこういう風に仕上がりましたといった容貌の「ジェフ」あらわる。

彼はいきなり謎の言語で持ってわたしに話しかけてきたのでなに言ってんですか仕事くれとわたしは詰め寄る、するとああ中国語じゃなくてもいいの?と意味不明である、日本人だしとにかく仕事くれどうなってんだとわたしはなんだか自分の成長ぶりに内心関心しながらどうしてもわたしを追い返そうとする彼らと戦い、見事チラシを手にした。

これその辺にまいてきて、1時になったら戻ってきてねそしたら給料渡しますと彼は半ば諦めた表情であった。

なにはともあれわたしは仕事を手にしたのである。
もう時刻は11時を回っていた。

パブの喧騒から雨上がりの外の空気を吸ったら急になんだか自分がひどくみすぼらしい存在になってしまったような気がした。

手には毒々しい蛍光ピンク色の「このチラシを持って来たらフリーエントリー!」といった煽り文句のネトネトクラブの入場無料券が数百枚あり、わたしはこれからこのチラシを無数の酔っ払いたちに配り歩かなければならないのかと思うと気が遠くなるような思いがした。

とにかくなんでもいいからタバコでも吸ってやろうと道端でライターを探すがどうしても見つからない。タバコをくわえながら呆然と佇んでいたら、知らないうちに涙が流れてきた。

すると、隣にいた目の下の黒ずんだ革ジャンのギャルがわたしにライターを差し出してくれた。

彼女はじっとわたしの目を見つめて、
「Take Care」と優しい声色でいって去っていた。

じっと一本のタバコを彼女のライターでつけて吸っていたら、おセンチになっている場合じゃねえやったるぞという気持ちが湧いてきてわたしは恥も外聞も捨てて「ダンスクラブのフリーチケットだよー楽しいよー」と叫びながらストリートを練り歩いた。

アジア人がピンク色のチラシを配っていると「なになにフリーマッサージ?お姉ちゃんがやってくれんの?」と行ったIdiotどもや、ただ怒りを空中に発散し続ける青年たちからFuck Bitchと罵られたり、もうわたしは散々であった。

わたしは豆腐のハートを即席のメタルで包み込み、歯を食いしばってチラシを配り歩き続ける。

金曜日の夜は楽しそうな人々でいっぱいであった。

わたしもちょっと前まで彼らだったのである。

彼らにとって今のわたしは道端の空き缶であった。

今まで一緒にビールを傾けていたのに今や目も合わせずに片手でシッシッされる存在となっているのである。

こういう風な状況になって道を歩いていたら、わたしには今まで見えなかったものが見え始めた。

ストリートにはわたしと同じように毒々しい色のチラシの束を抱えながら街を彷徨う同胞たちがおり、私たちは言葉を交わさずに一定の距離を保ちながら妙な連帯感を感じていた。

新米チラシ配りであるわたしは彼らが移動するたびにコッソリあとをつけていく、彼らはわたしの存在に気づいてはいたが私たちはお互いに言葉を交わすことはない。

ただ私たちは同じように人々から煙たがられながら、黙々とチラシを配り続けるのである。

わたしだって今までチラシをぐいぐい押し付けてくる彼らを冷たくあしらったことがある、たくさんある。
だからそういう人々をどうこういうことはできないし、もちろんそうだろうと思う。

今わたしは、震える手でしおれたバラの花を売っているおばあさんや、ミサンガを売り続ける彼らと同じ世界におり、この世界はわたしが今までいた世界と全く同じ場所にある全く違う世界である。

ロンドンってめっちゃ楽しいし超エキサイティングであることに代わりはない、しかしそのロンドンと今夜わたしがいるロンドンは、違う街である。

わたしはいままでロンドンという街のある一面を知っていただけに過ぎず、そして今夜わたしがいるこのロンドンもそのとある一面に過ぎない。

たくさんの人が行き交うこの街の中で、
私は私と同じ世界にいる同胞たちと共に、この新しい世界を漂っている。

2時間に及ぶ罵倒と涙と酒と雨――私はとうとう全てのチラシを配り切る。

わたしは、自分がすっかり新しく生まれ変わったような気がした。

最後の一枚を配り終えたとき、ふっと他のチラシ配りたちに目をやると、彼らはほんの少しだけ微笑んだ。
お疲れ様という声が聞こえた気がした。

わたしはすっかり心が生のまま震えていて、
ネトネトパブに戻ってからもなんだか興奮が抑えきれなかった。

2時間、プラス待ち時間2時間、最初に言ってた通り合計50ポンドくれとバーに詰め寄ると2時間しか働いてないんだから25ポンドしか無理と言い始めたので、わたしは4時間ここにいたし2時間しか働いてないのはあんたがたの都合でわたしの時間を無駄にしないでください早く50ポンドよこせというとむきむきバーテンダーは奥に消えて行った。

パブのわきにある水をガブガブに飲みながら待つこと10分、奥から背の小さなまたもやムキムキのスキンヘッドのアラブ人らしき男が現れた。

ブラウンの肌に、あまりにも透き通るようなエメラルドグリーンの瞳がこの薄汚れたパブの暗がりの中ではっとするほど浮き立っていた。

私たちはしばらくの間、お互いの眼をじっと瞬きもせずに見つめあう。

と、彼はポケットからくしゃくしゃの現金をテーブルに放り出し、50ポンド数えるとわたしに手渡した。

わたしもなにも言わずにそれを内ポケットに突っ込んで、
さらにネトネトになっている床を踏みしめながらパブをでた。

酔っ払いの波をかき分けながら、
深夜運転の地下鉄に乗り込む。

わたしの真横にはゲロ袋をぶら下げて真っ白になっている女の子が口を開けて寝ていた。

わたしは何度もなんども内ポケットに手を入れて、そのくしゃくしゃの50ポンドの感触を確かめた。

なんども何度も確かめた。

わたしは自分の手でしっかり金を稼いでやったんだという実感が湧いて、すがすがしくてどうしようもなかった。

家に帰っても訳のわからない感情の渦巻きにやられてうまく寝付けなかった。

机に置いたその50ポンドを見つめながら、
これからのわたしの先行きは明るいのだというような気がしてならない。


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