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センチメンタル飯 - カナダで食べたマックスのトマトサンドイッチ

記憶に残る料理と、残らない料理の差はどこにあるんだろう。

私たちは毎日食べている。
一般的に考えて、1日3食×365日=1095食/年 たべている。
そんなに食べているのに、今でも記憶に残っている料理というのはほんのごくわずかだ。おととい何を食べたかすらすぐに思い出すことができない。
このコロナ禍で家にいる時間が増えてからというもの、
この「食べる」という行為について思いを馳せずにはいられなかった。

先の見えないロックダウン生活の中で、
ただひとつ毎日毎日確実にやり遂げなければならないこと―それは、飯を作って食うことである。
最初は張り切ってルームメイトにふるまい料理をしたり普段ならできないような手のかかる料理をこさえたりしていたのだが、最近はもはや料理を作って食うというその繰り返しすら面倒になってしまって、昼飯は米に生卵をかけてチンしたもの、夜は食パンをトマトソースに浸したもの、など料理名すらない「~を~したもの」としかいえない物体を胃に送り込み続けている。
そんなものばかりを食べている私に、
ちかごろ胃のささやきが聞こえてくるようになった。

「ああ、あの料理が懐かしいよう」

シクシクとセンチメンタル胃酸を発生させ続ける胃を呆然と見つめながら、
私の心は、記憶に残る数々の料理たちを思い出していた。
そんなに泣くなよ、私まで辛くなってくるじゃないか、
わかったよ明日お前のいうそれを作ってあげるから、
と胃をなだめ翌日全く同じものを作ってみるのだが、胃はこう言う。

「違うんだ、同じだけど違うんだ」

こうなるともうお手上げである。
私だってわかっている。
あの料理たちは、あの時あの場所であの人と一緒に食べたから特別だったのだ。
私は我が胃の肩を抱き、センチメンタル胃液にたっぷりと浸かる。

私にできることは、この切なさをともに味わうことだけだ。

もう二度と食べることのできないあの数々の料理たちを、
センチメンタル飯と名付けてここに記そう。

センチメンタル飯 - カナダで食べたマックスのトマトサンドイッチ

5年ほど前、私はカナダのトロントに住んでいた。
ワーホリで来てみたはいいものの、英語ゼロのアジア人を雇ってくれる物好きはそう多くなく、面接不採用を繰り返しこれはもうおとなしくジャパニーズレストランで働くしかないのかなと絶望しかけていたとき、ネットの求人で「キッチンニンジャ募集!」という不思議な書き込みを見つける。
何かピンときて、早速連絡をとり面接にかけつける。
ケンジントンマーケットという、トロントのプチ原宿みたいなところに位置するおしゃれなイタリアンレストラン……みたいな雰囲気の求人だったのだが、
実際に足を運んでみるとそこは少し非合法の香りのする怪しげなダンスクラブ兼レストランであった。
恐る恐るドアを開けると、薄暗いキッチンからハンプティダンプティみたいな体型のイタリア人が顔を出し、ジャガイモを怒涛の勢いで切り刻みながら「今日の夜から働けるか?」と聞いてきた。
私はうなづき、ここで働くことになった。
ハンプティダンプティは、マックスというこの界隈では名の知れた曲者シェフであった。

マックスは、ヤク中かつアル中の大変な暴れ馬であり、だれかれ構わずケンカをふっかける正真正銘のトラブルメイカーで、どうせ皆俺のこと嫌いなんだろ!が口癖だった。そんな彼の挙動に耐えられなくなった同僚たちは次々と去っていき、最終的にキッチンは英語のよくわからない私とマックスの二人きりになってしまった。
最初彼は私に何か文句を言っていたようだが、なんせ英語がわからなかったのでへいへいと適当に相槌をうって働き続けたのが「根性がある」と評価されたらしく、私のポジションは皿洗い係から副料理長へと格上げされた。
「お前は今日から俺の相棒だ」
とマックスはヘラヘラと自作のダンスを踊っている。
料理経験のない外人が自分の唯一の相棒なんて私が逆の立場ならまあまあ焦るけどな、と思いつつ、マックスの奇妙な舞をみていたらまぁこんな人生もいいかと私はこの日々にだんだんと馴染んでいった。
近所のコーヒー屋に行けばあーマックスの手下がまたきたぞーといわれ、無料でコーヒーをもらえるのが嬉しく、調子に乗って毎日通っていたらマックスは俺に2人分請求されてんだぞ金返せとプンスカ怒り始める、マックスのケチ、私の方が重労働してるのにオマエより給料少ないんだぞコーヒーくらいおごれと文句をたれるとまたケンカである、こうして私たちは毎日ケンジントンマーケットをふたり並んで闊歩しては、ああでもないこうでもないとしゃべり散らしてはまた一緒にコーヒーをのみ、お互いの文句を言いながら野菜を刻んで夜通し料理を作り続け、明け方に酔っ払いのストリートを見つめながら一服して、じゃあ明日なと別れてまた明日。
私たちは飽きもせずに、ずっとふたりきりだった。
社会からはみ出しもの扱いされていた私たちにとって、あるのはお互いの存在だけだった。
ふたりでいるときだけ、孤独をすこし忘れた。

そんな生活の中、ひょんなことからわたしに彼氏ができて、あれよあれよという間にことが運び私はその彼氏の仕事の手伝いでしばらくトロントを離れることになった。
私がいなくなったらキッチン1人になっちゃうけど大丈夫、というとお前の代わりなんていくらでもいるとマックスは言って、いいからさっさと行って来やがれといってくれた。
その仕事はドラマの美術制作担当という本来の私がやりたかったことで、わたしは毎日夜遅くまで働き、新しい仲間とビールをあけては語り合った。
あのマックスとのふたりきりのレストランでの日々はもう遠い遠い出来事のようで、全く思い出すこともなかった。

それからやっとトロントに戻ってきたのは、八月の一番暑い日だった。
無事に着いたよ、また一緒に何か作ろうね、楽しかったねなどのメールをドラマ制作の仲間たちに送り、久しぶりに一人きりになったわたしは、ふと、マックスのことを思い出した。
「元気? 帰ってきたよ。レストランどうなってる?」
とメールを送ると、
しばらくして「閉めた」
と一言返ってきた。
どういうこと、なんでなどと怒涛のメール攻撃をするも全く応答がないので、しびれを切らしたわたしは自転車にまたがり彼の家へと向かった。
夏の大きな緑色の草木がさわさわと揺れていて、ゆったりとした影をあちこちに残している、その下を通り過ぎる時だけ涼しい風を感じた。
すべてが黄金色に輝いていて、もうめいっぱいに夏の午後だった。
マックス邸に着くと、無精髭にさらに顔に擦り傷まみれのマックスが「おお」とジョウロで玄関先の野菜や草花に水をやっているところだった。
なんでレストラン閉めてんの?っていうかそのケガなに?
というと「もうお前に関係ないだろ」と肩をすくめた。
もうレストラン続けるの疲れたし料理なんてくそくらえ皆クソ野郎だとわんわん文句を言い続けるマックス、あーまた始まったと私は大きなため息をつきながら、その辺にあった適当なイスを引っ張り出して腰掛けた。
するとマックスはビールを2本運んできて、散らばっていたレンガを積み重ねてイスを作り、それから私たちはふたりでただ草木が右へ左へ揺れるのを見ていた。
夕暮れのぬるい風が気持ちいい。
夏はいいね、というと夏なんて嫌いだとマックスがいう。
マックスは春も夏も秋も冬も嫌いなのだった。
腹減ってるか?とマックス。
まあ、というと彼はフンといって、台所で何かし始めた。
とんとんとんとまな板を叩く音、鳥、虫、風、目を閉じてじっとしていたら、あの時ふたりだけで孤独だったわたし達の姿を思い出した。
今のわたしはあの時のわたしとは、違う。仲間だってたくさんいるし、恋人だっている。もうわたしは孤独ではない。
マックスだけがわたしのすべてだったときとは、違う人間になっている。
今のマックスにとって、わたしはどんな存在だろうか。もしかしたら、たくさんいるマックスを傷つける連中のひとりになってしまっただろうか。

ビールをあっという間に一本開けてしまった。
もう一本ちょうだい、と言ったと同時に、ビールとサンドイッチをもってマックスが現れた。
図々しい奴め、といって彼はビールの蓋をライターで抜いてくれた。
わたしは遠慮なくビールをがぶ飲みすると、いかにも適当なプレートにのせられたサンドイッチに目をやる。
ちょっとトーストした安いパンにはたっぷりお手製のガーリックバターが塗られ、ざくっと切られた大ぶりのトマト、それとは対照的に薄く美しく切られたキュウリのスライスやマックスの育てたハーブたちが挟まっている。
久々に帰って来たと思ったら早速飯をねだるなんてお前本当乞食みてえな奴だな、とマックスは言う。
カチンときた私は、っていうか頼んでないし、などと言いながらサンドイッチを頬張る。
途端、トマトのみずみずしさが口いっぱいに広がる。それを追ってくるようにバジルの香りがふわっとやってくる。
わたしの眼前に、イタリア南部の田園風景がひろがった。
畑作業の手を終えた農夫たちが手についた泥を払ってかぶりつくのが、このトマトサンドイッチだ。そんな農夫たちの中に、うまいぞ、おまえ将来はシェフになれよ、と声をかけられ照れながら鼻をたらしている少年がいる、マックスだ。
わたしはその姿を遠目に見ながら、ああ、そうだった、と思った。
私が、この人と働き続けようと思った理由を思い出していた。
マックスはちょっとしたことですぐ泣いたり怒ったり笑ったりする三歳児並みのおてんばなおじちゃんで、毎日彼に腹がたつこと9割でなんどもやめてやろうと思ったことか、しかし1割で、私は彼のことを憎めなかった。
よく「あんなシェフとよく一緒に働けるね」と同情のこもった目で様々な人に声をかけられたが、わたしにとってマックスは、たった一人のいとおしい仲間だったのだ。
そしてなによりも、私は彼の料理に惚れていた。
野獣のようにワイルドかつ華やかで、でもどこか素朴さが隠しきれないその料理に惚れた。
私が彼の料理を食べるとき、いつも脳裏に浮かぶのは彼のふるさとの風景だった。
彼の故郷の話をきいたことも見たこともないのだが、彼の料理は彼の全てを物語っているようだった。
いい料理にはいい風景がある。
そんなことを思わせる料理だった。

そんな料理を作れるひとが、いつもいつも人に嫌われてのけものにされていた。
私もまた、時が経つにつれ変わっていく自分と、いつまでも変わらないマックスとの間に溝を感じるようになっていった。
わたしがレストランを離れたのは、
正直に言ってマックスに疲れたからだった。
いつもいつも100パーセントの誠実さを求める彼に、わたしは疲れた。
適当なことを彼は許さなかった。ただのポテトフライでも、ちょっとでも塩の加減が違うとブチ切れるし、誰かが彼のポリシーに沿わない発言をすると、その発言を撤回するまで彼は攻撃をやめなかった。妥協という言葉を彼は知らなかった。
カナダでの生活に慣れ始め、適当に友達と遊んでなんとなく好きかも程度で人と付き合い始めたわたしにとって、彼の実直さはだんだんと重荷になっていった。
そこでやって来た仕事のオファーに、わたしはマックスとの仕事を捨てて飛びついた。
本当は、もうマックスがうざいと思っていた。
彼の存在は、自分のいまのなんとなく幸せな生活を脅かすような気がして、わたしは体のいいウソをついて彼から離れた。
自分が孤独じゃなくなったから、彼から離れた。
それをきっとマックスは知っていただろう。
だから彼は、わたしを引き止めることもしなかった。
彼はこれからも、彼のまま孤独であり続けるんだろうか。
そろそろそういうのやめようよ、リラックスして気楽にやろうよ、と言いたかったけども、彼のトマトサンドイッチを食べたら、そんなことを言う気がしなくなった。
彼は彼のまま、一生懸命に生きていて、わたしは彼の作ったものに心を動かされている。
きっとわたしは彼のような魂のこもった料理を作ることは永遠にできないだろう。
わたしはあまりにも器用すぎて、あまりにもソツがなく、あまりにも妥協がうますぎる。
不器用な彼にとって唯一自分を100パーセント表現できる方法は、料理しかないのだ。
そんな信念が何気ないこのサンドイッチにも感じられて、わたしにはもう何もいうことがなかった。

わたしはうまいうまいと首がもげそうなほど頷いて、あっという間に全て平らげた。
美味しいよ、ありがとう、ありがとうとつぶやき続けることがわたしにできる全てのような気がした。
マックスはちょっと照れたような顔をして、大げさだなあ、ただのサンドイッチだぞと3本目のビールをあけている。

空が暗くなり始めたので、
私は家に帰って、ゆっくりと風呂に浸かってから寝た。
翌朝珍しく早起きしてあたりを散歩していたら、
マックスから「やっぱりレストランまた開ける」
とのメールが入っていた。
わたしはなぜかすこし泣いた。

それから、
私とマックスが、また一緒に働くことはなかった。
たまに一緒にビールを飲んだりするくらいで、そのまま月日は流れ結局わたしは日本に帰ることになってしまった。

今では連絡先もわからないマックスのことを、
サンドイッチを食べるたびに思い出す。
わたしの胃袋は「ああ、またあれが食べたいなあ」
とまたぼやいている。

あの夏の日のサンドイッチのことをまだ覚えているといったら、
「あんなサンドイッチくらいで喜ぶなんて、ほんとちっぽけな奴だなあ」
とマックスは笑うだろう。

だれかが作った料理が、永遠にだれかの心に残り続けるなんて、彼には思ってもみないことだと思う。
そんな彼だからこそ、きっとあんな料理を作れるのだろう。

マックスはわがままだし、
びっくりするくらい口も悪いし、
ケチでズル賢いし、
ヤク中でアル中ですぐキレるし、
本当にどうしようもないことばっかりだったけど、
わたしはどうしたって、
彼のことが大好きだった。

こんなことを言ったら偽善者めと罵られること覚悟で言うけど、
マックスお願いだから、幸せでいてほしいよ。


あんな美しい料理を作れる人は、
しあわせにならないとおかしいのだ。




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