ぶんぶん
人生のどん底で神に"救われて"、一度は神父を目指した人間が自分で神を捨てるまでの話
子供部屋おじさんという言葉が定着するほど、親元から離れることが当たり前ではなくなった今日に、僕は家を出ること決めました。 たまたま恋人ができて、同棲したいってなって、まあどこにでもある普通の理由です。世間ではおそらくこれを「人生を前に進めた」と言うんでしょうか。僕は世間の人がよく分からないんですが、こういう時はとにかく前を向いて明るい気持ちで進むべきなんでしょうか。後ろを振り返るということは皆さんあんまりしないんでしょうか。 僕はどうしても、一人残される母のことを考えてし
新車を買うという、まあよくあるイベントがうちでも起きました。 母と兄は自動運転搭載の新車にかなり興奮してたんですが、僕はというとなんか自分の家族に起きたことだとはあんまり思えなかったというか、すごく変な感じしたんですよね。 さっきも言ったように、新車買うって別に全然普通のことなんですが、僕の中ではなんというか、「普通の家族の象徴」みたいな大仰なものにいつの間にかなっていて、そんなものがまさか自分の人生に入ってくるとは思ってなかったんですよ。だから違和感を感じたんです
思考と言葉の間には途方もなく大きな隔たりがある にも関わらず、私たちはその隔たりをいとも簡単に超えてしまう。「言論・思想の自由」というお題目を盾に節操なく表出された言葉は、人を傷つけ、殺す。「言葉は凶器になる」という使い古された表現そのままだ という批判のロジックは、ネット上に蔓延る誹謗中傷たちに向けられてきた。あえて言うならば、「下側の人間」に対する「上側の人間」からのお言葉だった。そしてそれは正しいものとされた しかし自分たちを正しいと信じている「上側の人間」たちも
父の葬儀から約2週間が経った。 死因不明の孤独死。たまたま親交があった母方の親戚が発見したが、既に死後一ヶ月経っていて遺体は腐敗しきっていた。 両親が離婚して父と別離してからも、父とは仲が良かった。まだ三重に住んでいる頃はしょっちゅう家に遊びに行っていたし、当時母と上手くいっていなくて家に居場所がなかった僕は、逃げるように父にすがっていた。中学生になって遠く離れた寮暮らしになっても父とはよく電話した。特異な環境ゆえに誰にも話せなかった悩みも、父には全部話していた。父
私のプログラミングに対するぼやきもついに3回目です。 プログラミングを初めて約一年半。今はある程度名のある会社2社で長期インターンをしていて、駆け出しエンジニアの中では成功した方ではないかと思います。素晴らしい社員の方々に囲まれながら、日々あらゆることを教えてもらいながら何とか業務をこなしています。 さて、私はいわゆる文系就活、総合職就活を全落ちしてからITエンジニア就活に切り替えた人間です。死ぬほど真面目にやった人間というわけではありませんが、一応総合職就活のこと
大学に入学した当初の自分は、志を高く持っていた。カトリック司祭を目指し、カトリックの宣教と社会貢献のために社会学とメディアを学ぼうと考えていた当時の自分は、所謂「意識高い系」だった。そして意識高い系のご多分に漏れず、周りのキラキラ大学生を見下していた。 B2の春、宗教そのものに対して失望し、司祭を目指すことだけでなく、生まれ育った教会と教義を捨てることを決めた私は、神という呪縛から逃れたことと引き換えに、大学で学ぶ意味とアイデンティティを喪失した。 一度は大学を辞め
学校生活、受験、就職、恋愛 ... 人生や社会の至るところでマウンティングが行われている。 マウンティングを行っている当人はそれが悪いことだとは思わず、矮小な優越感のために日々マウンティングを繰り返す。だが彼らは気づいていない。優越感に浸り、自らを勝者と思いながら、その実彼らは終わりなき闘争の奴隷となっていることを。 自己承認 自己承認という言葉が多用される今日において、その言葉の意味は「認めてもらいたい欲求」のようなものに成り下がりつつあるが、実際のところ自己承認とは
生来ネガティブな性格なので、自分には何も長所がないと思って中高時代を過ごしてきたし、事実現状でも目立つスキルを持っているわけでもないのだけど、ここ数年、大学や演劇を通じて様々な人々と知り合ってなんとなく分かったことは、自分は平均よりも漠然としたものや抽象的なものを言語化するスキルが高いってこと。 はっきりとそれを実感したのは、尊敬する役者の方たち何人かに「言語化するのがとても上手いよね」って言われたこと。まあそりゃ表現のプロの人たちにそう言ってもらえたらすごく嬉しいし、
「フィルターバブル」なんて言葉がある。イーライ・パリサーという人が提唱した言葉で、「レコメンドシステムのアルゴリズムによって、タイムラインや検索結果に自分に心地良い情報しか表示されなくなり、世界を誤った形で認識してしまう」という現象のことだ。 まあこれはSNSをよく使う人には周知の事実かもしれない。勝手に表示される広告や他の人の投稿を見て、「あー俺の書き込み読んでるなー」って感じることが僕にも多々ある。まあこれは「最適化と合理化」を進めてきた結果の一つなのだけど、筆者は
少し前に書いたこのnote これを書いた頃から勉強量も増え、勉強会やハッカソンにも色々参加したし、基本情報技術者試験の試験も受けた。確かに「勉強している」という事実が、あの時感じた焦りをいくらか抑えてくれている。でも焦りは全然消えてない。 勉強すればするほど、「彼ら」には二度と追いつけないんじゃないか?という気持ちが大きくなっていく。こっちが1を修得している時に、「彼ら」は10を修得しているように感じる。指数関数的に成長していく「彼ら」と僕との間の差はどんどん開いてい
このnoteで書いてきたように、僕は一度世界に絶望した。そして神に救われ、自分でその神を殺し、神の代わりを探し求めた末、この世界に絶対的な救いも、そして意味すらないことを知った。我々はどこからも来てないし、何者にもなれないし、どこへも行かない。意識という霞みたいなものがただ世界をただよっているだけでしかない。 結局僕たちはハンマーが振り下ろされるのを待っているだけ。どんな努力や富を重ねようと、終わる時は一瞬で終わるし、慈悲の女神なんて来てくれやしない。それが世界の狂気。
さて、欺瞞に耐えられなくなって自分の手で神を“殺した”わけですが、自分のアイデンティティの中核になるものを自分で捨てると人はどうなるのだろうか それまで「神父になる」ことを目標にし、自分の行動理由にしていた人間が、それらを全て捨てるとどうなるか 結果的には、歩みを止めた。そして音もなく始まった。喪失したアイデンティティを埋め合わせるための「何者かになるための戦い」が まずは大学に行く理由が無くなった。元々神父になりたくて大学に入ったから当然だ。何となく大学に通っ
はじめに 話題の映画「天気の子」を観に行きました。「秒速5センチメートル」は大好きだけど、「君の名は。」を観てピンと来なかったんで観るのを敬遠してたんですけど、TLに流れてくる「本来の新海誠が戻ってきた」「セカイ系への答え」っていう断片的な感想や、新海誠ファンの後輩の熱烈な布教を受けて居ても立っても居られなくなって観に行きました 結果、めちゃくちゃハマりました。自分の心にストレートに刺さってしまって、観た後の興奮が止まらなくなりました。もう本当に誰かに早口で語りたいんです
文系なのになんでプログラミングやってるの? 聞き飽きた質問。他にも「なんで理系に行かなかったの?」「SEで文系の知識役に立たなくない?」とか うるせ〜〜〜〜〜〜〜!!!! 知らね〜〜〜〜〜〜〜!!!! 大前提ね、こっちは好きだからやってるの。半分趣味なの。あと理系と文系を分けて考える時点でナンセンスなの。分かる?プログラミングだって勉強しようと思ったのはメディアと社会学を勉強し続けた結果。社会を形作ってるアーキテクチャをブラックボックスにしたままのなのに、そ
前回 「神を殺した話 その2:Deus vult」 「メディアを使った新しい宣教方法を研究したい」なんて言いながら大学に入ったもんだから、まあそりゃ意識は高かった。てかぶっちゃけ、他の大学生を見下していたし、教授にも期待してなかったから、自分で好きな勉強できればいいやなんてイキってた。いやぁ、まさか単位落としまくることになるなんてこの時は思っていませんでしたよ。 まあ結局、素敵な教授と友人たちに会えて、学びの本当の面白さに気づかせてもらって、良い意味で裏切られましたけ
3年の秋からエンジニアの長期インターンを始め、研修を終え、社内業務を支援するツールを作って、ありがたいことに内定を貰い、良い会社だったからそのまま内定を承諾した。 Javaでデスクトップアプリ作れるようになったし、MySQLも操作できるし、チームで開発もできるし、完全に初心者は卒業したと思っていた。それどころか「割とできるほうじゃね?」とさえ思い始めた。調子に乗った勢いでもっと腕試しをしてみたくなって、4年生なのにサマーインターンにエントリーしたり、現役エンジニアの人た