神を殺した話 その3:Also sprach Zarathustra, aber...

前回 「神を殺した話 その2:Deus vult」


 「メディアを使った新しい宣教方法を研究したい」なんて言いながら大学に入ったもんだから、まあそりゃ意識は高かった。てかぶっちゃけ、他の大学生を見下していたし、教授にも期待してなかったから、自分で好きな勉強できればいいやなんてイキってた。いやぁ、まさか単位落としまくることになるなんてこの時は思っていませんでしたよ。

 まあ結局、素敵な教授と友人たちに会えて、学びの本当の面白さに気づかせてもらって、良い意味で裏切られましたけどね。それはもう感謝ですよ。本を読むたび、講義を受けるたびに自分の世界が少しずつ広がっていく気がして、本当に楽しかったし、絶対神父になってもバリバリ勉強して、教会と世の中を変えたいって本気で思ってました。

 でも、それが逆に仇になった

 社会学でまず学ばされること。それは社会を俯瞰的に見る視点、つまり人や団体など、社会を構成するあらゆる単位のものを相対的かつ公平に見ること。いやまあ人間だからどうしても主観が入るのは避けられないんだけど、そういう視点を持つ努力をすることを学ばされる。

 一方メディアの講義で学ばされることは、「メディアの力ってすげー」なんて思ってた僕の幻想を見事にぶち壊していった。メディアを上手く使えば何でも伝達できると思っていたけど、そんなものとっくの昔に否定されていたし(弾丸効果理論)、アジェンダ設定理論とか環境培養理論とかまあ今でも何とか通用する理論もありはするけど、ビッグブラザーと「1984」の到来にはまだ早かった。広告やSNSの講義でも「受け手にどれだけ気持ちよく受け取ってもらえるか」という視点を学ばされる。「広告はラブレターと同じ」なんて何度も聞かされた。誰に、どのタイミングで、どんな言葉で、何を送るか。そして一つのことに気付かされる。「どれだけ伝え方を工夫しても、そもそもの”モノ”が悪ければ何の意味もない」って

 そんなことばかり学ばされるとどうなるか。まずは自分の中で絶対的だったカトリック教会の存在を相対化して見るようになった。教会は社会の中でどんな役割を果たしているか。誰から必要とされているのか。誰から嫌われているのか。何を要請されているのか。これから何を果たせばいいのか。そして「どれだけ伝え方を工夫しても、そもそもの”モノ”が悪ければ何の意味もない」ことを学んだ僕は、開けてはいけない禁忌の箱を開け始めることになった。教会の教義そのものを「コンテンツ」として考えるように、つまり「信仰そのもの」をあらゆる価値観やコンテンツと相対化して見るようになった。

 この教えを、聖書を通じた神の言葉を誰に届ける?誰が必要としている?

 「神に救われた経験」がある僕はもちろん神の言葉は素晴らしいと思っていた。そして上手く伝えればたくさんの人を幸せにできると本気で思っていた。だけどそんな安易な計画は、大学という素晴らしい教育機関のお陰で暗礁に乗り上げた。

 モヤモヤを抱えたまま迎えた大学初めての夏休み。何となくの興味と海外に行って意味のあることをしたいと思っていた僕は、ベトナムとカンボジアに合わせて2週間ほど教育ボランティアに行くことになっていた。「カンボジア行って価値観変わったわ~」なんて意識高い系大学生をバカにするネタがあるが、僕もネタにしてたし、そうならないように本当に意味があることをしようと思って行った。確かに意味はあったと思う。でもね、本当に「価値観が変わってしまった」んですよ。

 それはベトナムとカンボジアの国境沿いにある村に行った時。その村は誇張表現抜きで本当の貧困集落で、国籍すら無い人がたくさんいるようになった。想像を絶するような光景を目の当たりにして言葉を失ったけど、それだけだとよくある「価値観変わったわ~」って話。キモはそこじゃない。

 僕がさらに注目したのは、その村に支援を続ける地元の教会の神父だった。あまり知られていないけど、ベトナムはカトリック教徒がとても多く、地域のコミュニティに対する教会の影響力はかなりでかい。まあそれはベトナム人の神父が日本にたくさんいるからある程度知っていたことだけど、その神父は想像を超えてきた。寄付と自分のお金を使って学校を建てて、シスターと一緒に子どもたちに教育をして、給食も食べさせる。しかもその村から学校まで自分でバスを運転して送迎する。カトリック信者かどうか関係なく、全ての子どもたちに。その姿に衝撃を受けた。神父を志望していた自分にとっては特にだ。聖書読んで、ミサをして、結婚式や葬式をしたり、入院している信者を訪問したりするだけじゃない。自分の手で直接社会問題に関わって、汗を流している。日本の教会の神父とは全く違った。

 その衝撃を受けたままその神父には「あなたのような神父になってみせます!」って言っちゃったし、神父に絶対になるっていう決意をさらに固めた。そのままなら、そのままなら良かったんだけど、そうはいかなかった。

 すっかり日焼けして日本に帰る途中、あの神父と日本の神父たちを比べていた。日本の教会の神父は、自身が所属する教会の運営で手一杯で、社会問題にコミットできる機会は少ない。いや、それは神父が怠惰というわけではない。日本の教会のシステムがそうさせてしまう。日本でのカトリック信者の数は全人口の1%にも満たないけど、それでも信者の数に対して神父の数が圧倒的に少ない。しかも高齢化が進んでいて、7,80代の現役がゴロゴロいるような世界。そこに若手が入ったら教会の運営に忙殺されるのは不可避だ。

 いや、確かに教会の運営は大事なことだ。神父がいなきゃミサはできないし、各地のミッションスクールを回って聖書の話をすることもとても重要だ。神父という職業は確かに人の役に立てる。だがその「人」というのは教会に来る人だ。彼らを司牧するのは神父の重要な務めだ。しかしどうだろうか。そもそもの話、教会に来る人は「既に救われている」のではないだろうか。彼らは神への信仰心があるし、教会というコミュニティに属して居場所も確保できている。だからと言って全く苦しみが無いとは言わない。でも、本当に救いを必要としているのは、「教会にすら来れず、神を信じることすらできない人々」なんじゃないか?

 確かに、僕自身も心がぶっ壊れる寸前まで行った時には神の存在を信じることすらできなかった。そんな余裕もなかった。この世界と、自分自身と、どうすることもできない人生にただ呪詛を吐くことしかできなかった。そんな時に「神はあなたを見守ってくれている」なんて言われたらどうだっただろう。間違いなくそいつを殴っていただろう。

 結果的にその後「救われた」から、僕は信仰心を保つことができた。しかしそうじゃなかったら?僕はたまたま救われたけど、そうじゃない人だってたくさんいるはず。あのベトナムの神父のように直接的な行動ができるのなら、絶望に沈んだ人たちの力になれるだろう。だが日本の神父は?結局は教会の運営に忙殺され、関わるのは「既に救われた人たち」だけ。そして気づいたらもう還暦を迎えて、教会の中で老い、死んでいく。その中から出ることはできない。神父に転職という概念は無いから。では教会の中に留まりながら、どうやって本当に苦しんでいるであろう教会の外の人々の力になることができるのか?いいや、できない。できたとしてもほんの少ししかできない。いや確かに普通に社会に出ても他人にできることなんてほとんどない。「救う」なんて行為は傲慢であって、一人の人間にできることなんてほんの少しだ。

 だが神父と違って、普通に社会に出れば選択の自由がある。極端な話、アフリカに行って学校を建てたいと思ったら、その日に辞表を出してアフリカに向かうことができる。そこまで行かなくても、資産を作って社会問題にコミットするような会社を起業することもできるし、NPOなりに所属することもできる。だけど、神父は教会の人々としか関わることができない。そして神父である以上、「カトリック教徒」であることは免れない。それはつまりどんな発言も「ポジショントーク」として見られるということ。どれだけ良いこと言っても、同性愛者に「でもお前、カトリックじゃん」って言われたら終わり。

 じゃあ神父になって限界を感じたら辞めたらいいじゃんと思うかもしれない。しかし神父を辞めるということはどういうことか。神父は普通の社会において何の経歴にもならないし、もちろんビジネススキルなんてない。辞めた手前、家族のもとに戻ることもできない。つまり神父を辞めるということは、経歴なしノンスキル無職中年が爆誕するということだ。それでは人を救うどころか、自分自身を救えるかどうかすら危うい。実際に神父を辞めた実例がいくつか聞いたが、どれも消息がよく分かっていないそうだ。


 そこまで考えた時、僕はもうカトリック神父という職業に興味を失っていた。かろうじて信仰心はまだ保っていたが、それも時間の問題だった。


 後期に入ると前期に抱いたモヤモヤはさらに肥大化していた。講義を受け、本を読んでいく中で、教会どころか神や教義そのものをさらに相対化して見るようになった。誰が神を必要としている?誰に聖書の言葉は届くんだ?

 真面目に講義を受けていたお陰で、社会問題やメディアの問題に目を向けるようになり、そして社会の変化の激しさに気づくようになった。たった10年で全て変わってしまう社会の価値観。LGBTやパワハラなんて言葉も僕が小さい頃には知られていなかった。なのに今では当たり前だ。そんな社会の価値観の変化の激しさについていけず、時代錯誤な情報を発信して炎上するマスメディア。そしてそれを批判する教授たち。じゃあ教会はどうだ?ほんの少し方針を変えるだけで、世界中から司教を集めて公会議を開かなきゃいけない。前回の第二バチカン公会議はもう50年以上前だ。たった10年で価値観がガラッと変わるこの社会で、100年に1回変わるか変わらないか分からない教会が一体社会に何をできる?教会が発するメッセージは誰に届く?同性愛者は罪人とか、あからさまな女性差別を「聖書に書いてあるから」と未だに言い続ける奴らが、多様性を善とする現代社会に一体何を語れるのか?

 膨れ上がった疑念は他の信者にも向けられた。なぜ救いを確信できる?なぜ自分は神に守られていると信じられる?確かに俺もお前も幸せかもしれない。神が見守ってくれているからなのかもしれない。じゃあそうじゃない人は?失意のまま絶望に沈んでいった人たちは神に見捨てられたのか?お祈りが足りないから?神を信じていなかったから?俺も絶望に沈み、「終わりの一歩手前」まで行ったがそこから抜け出した。だが一つ何かが違っていたらあのまま死んでいただろう。そして同じ状況で「終わった」人はたくさんいるだろう。俺と彼らの違いは?神の存在か?違う、何も違いなんてない。生と死に違いはない。乱数の出た目が違うだけ。そこには信仰も、努力も関係ない。終わる時は終わる。音もなく、速やかに。


 そうやって沈んでいった人たちに教会は何と語るのか?


「神様にも色んな考えがあるのでしょうが、人間には分かりません」


 それだけ。ただそれだけだ。あれだけ世界のシステムを語り、善と悪を決め、罪人を断罪してきた教会が、絶望の中に沈んでいった人たちに向けて発する言葉はただそれだけだ。必死に答えを探して公教要理――カテキズム――を読み漁った。ローマは、公式的に何を言ってるのか。そこに自分の信仰心の揺らぎを抑えるものを見出そうとした。


 しかしそこには何も無かった。同じことが書いてあるだけだった。


 深く失望した。何が正しくて何が悪いのか勇猛として語るくせに、分からないことについては全て神に丸投げする。いや確かにそれはしかたない。じゃあ他に答えがあるのかと言われたら無い。でも、じゃあなぜ都合の悪いことは言えないのに、世界全体を語ろうとするのか。世界全体について言及する時、一部だけを取り出し、それ以外は黙るという態度を取ることはできない。「全て語るか、一切語らない」のどちらかしかない。

 そして、救いを信じ、神の言葉を説くことを厭わない彼らの姿が奇怪なものとして映るようになってきた。なぜ声をあげられずに死んでいったたくさんの人々の屍の上に立っているのに、彼らを無視して神の言葉を説けるのか。世界を語れるのか。俺には分からなかった。もう何もかも、信じることができなくなっていた。そしてずっと楽しみにしていた予定を教会の活動の都合で潰された時、全てが崩れ落ちた。

 

 山から下りてきたツァラトゥストラは大衆の前で大声で叫んだ

 「神は死んだ」と

 

だが違う、俺にとっては。元々あったものを消したんだ。能動的に、自分の意志で、ハッキリと。だから死んだんじゃない。


神を殺した。俺が殺したんだ。





 そしてこの話はまだ終わりじゃないんです。神に救われて、神の存在と救いを自分の生きがいとアイデンティティにしていた人間が、自分の手で神を捨てたらどうなるか。その最後の話は、またいつか書きます。


 


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